河本 準一 氏インタビュー “現場の声”と“笑顔”が僕を動かす! ~社会貢献活動に取り組む原動力となるもの~

芸人、YouTuberとして人気を博す、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さん。テレビ・映画・ラジオ・舞台などで活躍する一方で、2012年からは地元 岡山県の介護施設や児童養護施設でボランティア活動を行い、SDGs推進活動、米作りに参加するなど、さまざまな社会貢献活動を実践してきました。転機は、大病を患ったこと。「死ぬ寸前」を経験し、自分と向き合ったときに、それからの人生でやりたいことが見えてきたといいます。
SDGsという言葉は社会的に認知されてはきたものの、その具体的な内容理解や、各々が自分ごととして取り組む意識には課題を残すところがあります。今回は、大学生協で環境問題・社会的課題などに取り組む学生が、SDGsを笑いに包んで世間に広げる活動をしている河本さんにお話を伺いました。

インタビュイー

吉本興業所属 お笑いタレント
河本 準一氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
学生委員会 委員長

角田 咲桜

全国大学生協連
学生委員会 副委員長

林 優樹

全国大学生協連
学生委員会

齋藤 薫

全国大学生協連
学生委員会

中川 雄貴

(以下、敬称を省かせていただきます)

大病を経て人生観が変わった

「そうか、人間いつ死ぬか分からんわ」

本日はお忙しいところ、お時間をつくっていただきましてありがとうございます。今回は社会的な活動をテーマにインタビューさせていただきます。私たち全国学生委員会の活動の一つに環境活動があり、大学生協のお店ではリサイクル容器でお弁当を販売し、その容器を回収するなどの取り組みもしています。
ホームページなどで、河本さんがさまざまな社会的活動に取り組まれているのを拝見して、ぜひその内容をお伺いしたいと思いました。あらためて河本さんが取り組まれている活動についてご紹介ください。

僕は40歳の時に急性膵炎という生命に関わるような大病をして、2日間くらい意識が飛んでICUに入り、身内も呼ばれるような状態になりました。35歳のときにも同じ病気をしていますので、2度目です。幸いにも回復しましたが、今もなお継続して定期検査を受けながら日々生活をしています。

そのときに、やはり人間いつ死ぬか分からないということに気付きました。人間って大病が降りかからない限り、結構自分にプレッシャーをかけて、我慢して働いたり、日常生活をしたりします。それは日本人の美化しがちなところで、僕も「少しの風邪くらいなら休まずに仕事に行くべきだ」という考え方が大多数な世代で生きてきて、自分に精神的に圧をかけ過ぎた面もありました。人間「死ぬ寸前でしたよ」と言われないとブレーキがかからないのですね。他のメンバーも同様の生活をしているから、自分だけが病気をするわけがないという安易な発想にもなるわけです。

死に直面した時に、「そうか、人間いつ死ぬか分からんわ」と結構自分と向き合えるようになりました。これだけは唯一誰も教えてくれません。分かっていれば、最期の日から逆算し段取りしていろいろなプロジェクトを始められるけれど、明日コテンと逝ってしまうかもしれないという状況に陥ったことで、健康を取り戻したら、足が動くうちに自分の中で後悔のないように生きていかなければいけないと思い至りました。死ぬまでに後悔するのは片手くらい、5本以内には終わらせたいなと思いました。

米作り農業への参加

自分が田舎育ちなのに、周りにあまり農家さんがいなくて農業と接することがなかったので、土に触りたいなと思っていたことがあり、まず農業に目が向きました。それと、膵臓の入院では絶飲絶食の状態が続くのですね。それが3週間続いたあと、お粥さんの上にうっすらとろみのあるお汁みたいなだしあんをかけるでしょ、その「お汁だけ」が出たのですよ。これが復活後最初の食事。そこから米の粒がようやく確認できるかなぁという感じで、三分粥、五分粥、七分粥、十分粥と順を追って戻っていくのですが、最初に食べさせてくれたのがお米だったのですね。頭の先からつま先まで、細胞の隅々にまでお米の栄養がさあーっと行きわたる感じが分かりました。当たり前のように食べていたけれど、米ってこんなに美味かったんだ! 僕もそのお米作りに参加できたらなぁという思いが、農業やりたいというのと紐づいて、米作り農業で何か自分にできることはないかと考えました。

僕は吉本で芸人をやっているので、営業やロケで全国全県三周ずつくらいは周っています。知り合いも多く、土地土地で食べたものも多い。いろいろ調べると、日本には「世界農業遺産」というものがあると分かり、その世界農業遺産に認定されている地域で作っているお米に興味を持ち、大分県国東くにさきの農家さんに「一からお手伝いさせてください」と頭を下げました。僕は毎日田んぼにいるわけではなく、東京で仕事をしているので、農作業のピンポイントにしか関われない。だから、「お米を作る」ではなく、「お手伝い」です。そこから小売業でその『にこまる』という品種を『準米』というブランドにして、それを流通に乗せて全国に知ってもらおうと考えました。一つでも地域活性につながればと思ったのです。

ご存知の方も多いでしょうが、日本では流通がネックとなり、利益を出すための大きな足かせになっています。モノを運ぶにはお金がかかるのです。1回で済めばいいのですが、何回もということになるとそのたびに送料がかかり、運搬費用が膨らみます。やはり大分とか九州の米は、なかなか東京までは届きません。そこでまた、自分が芸人であることを生かして、運送業者に頭を下げに行きました。「荷物を届けた帰りの空のトラックに少し載せてもらえませんか」と交渉をして、なるべくコストを下げていく。大分からのお米を岡山まで運んで、岡山の倉庫から全国に配送するというシステムを今作っています。

要所要所を自分が抑えることによって、生産者さんに支払うお金をまけてもらわずに済み、生産者さんが思う正規価格でお支払いができる。コロナ禍でも少し値段を上げてきたので信頼関係も築くことができ、そこに働く意欲もわいてきます。
農家さんは今ほとんどお年寄りばかりなので若者に引き継ぎたいけれど、それがなかなか進みません。だから僕は、君らみたいな若者が農業に興味を持ってもらえるような活動も担っています。服装も自分たちで岡山のデニムの会社とコラボして、カワイイとかカッコいいと思ってもらえるような作業着を作って、それで作業しています。そういう部分が社会貢献や地域創生につながって「東京だけじゃないよ」「日本の農業はすごいんだよ」というところを見せていけたらと思っています。最終的には米が世界に渡ればいいなと、それを目標にしています。

現場に行かないと、“声”は聞こえない

河本さんは今、さまざまな社会貢献活動をしていらっしゃいますが、その原動力やモチベーションとなった言葉や出来事などはありますか。

やはり“地方の声”ですね。行かなければわからないことがたくさんあるのです。現場に行って声を聞かないと何が足りないか分からない。コロナ禍で行けなくなってしまいましたが、岡山県で児童養護施設、介護施設など福祉関係の施設を充実させていかなければならないと思っています。
お歳を召された方がどんどん増えていって、今、日本の人口分布図は子どもが少なく高齢者が多くて下が尻すぼみの形になっています。そこで「支える人が足りない」という問題が起こり、特に介護施設などでは2、3人の職員で何十人も見なければいけないという状態です。

僕がやっているのは、地方からの熱い情熱を吸い上げて、何が足りないのかを持ち帰り、自分たちが補っていくという取り組みです。その地方の人の“声”が僕を動かしているのだと思います。しかし、結局は人手不足という結論に行きついてしまう。でも、なぜ人手不足になるのかといえば、街に魅力がないから。じゃあ、若者が集まりそうな街ってどこなの? 原宿や渋谷はなんであんなに意味もなく人が集まるの? なんで「とりあえず渋谷の駅に行こうか」と言うの? 新宿・渋谷……まず集合場所をそこに決めるのは、集まりやすさのほかに、何か魅力があるのですよね。

そういう“若者がもっと魅力を感じるような街づくり”をテーマに、その子らにその街を好きになってもらって、住んでもらって、そこで家族ができて、そしてまた人が増えていって……地域活性って多分そこだと思うので、自治体とのコラボもいろいろ考えていかなければなりません。若者が行っても充実感を味わえるような地方自治体の取り組みも必要だと思うし、そこの部分が僕の原動力にもなっています。「ここの街ってこんな面白さ、こういう魅力があるんだよ」と僕が発信することで、少しでもそれが若者に共感してもらえ、一般の方々にも届いたらいいなと思っています。