前田 高志 氏インタビュー 子どもの頃からの「好き」の延長線上に今の仕事があった!~自分の才能を探し当て、極めていこう~

デザイン会社NASUの代表を務める前田高志さんは、任天堂のデザイナーとして約15年間、数多くのゲーム作品の宣伝広告や、学生向けの会社案内などを手掛けてきました。高校生の頃に「人生で何かを極めて死のう」と思い、美大入学後には「デザインを極めよう」と決意した前田さん。自らを「凡才」と語り、誰よりも努力を惜しまなかったその延長線上には、共に仕事をする仲間との出会いがあり、根底にはみんなと楽しくモノづくりをする「人とのつながり」を尊ぶ姿勢がありました。「デザインは小さな気配りの集まりです」(NASUホームページから)と言い、企業の「夢」や「想い」をデザインの力で作り上げ、人の心を動かす作品を世に送り続けている前田さんに、自身も就活中である学生委員が、さまざまな悩みや疑問をぶつけました。

インタビュイー

グラフィックデザイナー、株式会社NASU代表取締役
前田 高志氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
学生委員会 副委員長

林 優樹

全国大学生協連
学生委員会

齋藤 薫

全国大学生協連
東京ブロック 副学生委員長

鈴木 花蓮

(以下、敬称を省かせていただきます)

本日はお忙しい中、お時間を作っていただきありがとうございます。大学生協学生委員会では、学生がより充実した大学生活を送れるように、日々さまざまな活動をしています。デザインに関連したことでは、ポップやポスターを作って生協店舗に掲示したり、飾りつけなどに取り組んだりする学生もいます。
前田さんはグラフィックデザイナーとしてさまざまな挑戦をされてこられたと思いますが、大学生が一歩を踏み出すきっかけとなるようなお話を伺えればと思います。

前田高志です。1977年生まれなので今45歳で、大学生だったのはもう20年以上前になりますね(笑)。
兵庫県に生まれ、大阪芸術大学に入学しました。新卒で任天堂株式会社に入社して、CMを作る企画部という部署でグラフィックデザイナーとして働いていました。お店に掲示されるポスターや冊子、駅の広告、イベント等のグッズの監修やデザインなど、プロモーション全般を手掛けるデザイナーです。ほかには、学生さん向けの新卒採用ポスターやパンフレットを作りました。パンフレットは入社直後から15年ほど継続して担当しています。その後、父親の病気がきっかけで2016年に任天堂を退社し、2年間フリーランスで活動した後、株式会社NASUを立ち上げ、オンラインサロン「前田デザイン室」を作り、現在に至っています。

「何かを極めて死のうと思った」

大好きな絵と鳥山明さんと竜馬

前田さんがグラフィックデザイナーという職に就かれたきっかけを教えてください。

昔は今のように「自分の好きなこと、やりたいことを見つけなさい」という時代でもなく、割と「エイヤッ!」で決めるようなところがありました。子どもの頃から何となく絵が好きで、絵を描くと褒められていたのと、中学時代は英語の習得がまあまあ楽しんで楽にできたので英語もいいなあと思いながら、どちらか一つは人生で極めたいと考えていました。ずっと続けていたのは絵で、最初になりたかったのは漫画家です。

『ドラゴンボール』の鳥山明の、漫画を描くための漫画『鳥山明のHETAPPIマンガ研究所』に出会い、彼の「映画を観ながら漫画を描く」というワークスタイルに憧れたのがきっかけですね。鳥山明はイラストレーターでもあったし、漫画家でもあった。けれども、元々はグラフィックデザイナーだったんです。グラフィックデザイナーという職業を初めて知って、いいなあと憧れました。当時は、CDジャケットのデザインなどをやりたいという時代だったのです。それもあってグラフィックデザイナーいいなあ、もしかしたら漫画家にもなれるかもしれない。グラフィックデザイナーから漫画家になった鳥山明を見ていたので、鳥山さんをどこか追っかけながら生きてきたという感じですね。

僕はすごい自己分析をしてこれがやりたいというものを見つけたわけではなく、絵が好きな延長線上で「鳥山さんがこんな働き方をしていたなぁ」「鳥山さんみたいに働けたらいいなぁ」と思って大阪芸大に行きました。就職活動ではデザイナーで極めようと思い、デザイン会社に行こうと思っていたのですが、就職活動って新卒だといろいろな会社に入れるチャンスがあるのですね。任天堂には中途採用ではなかなか入れないと思うのですが、新卒のときは可能性が一気に上がるので、多様な会社に挑戦してみようと受け始め、任天堂にグラフィックデザイナーとして入りました。鳥山さんの背中を見てきた感じですね(笑)。

ご著書の中に「何かを極めて死のうと思った」という言葉がありました。一流デザイナーになろうと美大に入学後、同期が優秀で自分は凡才だということに気付いて劣等感を持たれ、周りから技術を得ようと努力されたり、任天堂入社後も仕事の量と質を誰よりもこなしていったりということが書かれていたと思います。前田さんがどうして何かを極めようと思ったのか、それに向けてなぜ必死に頑張れるのか、その原動力を教えてください。

一つ極めようと思ったきっかけ、ということですか、すごくいい質問ですね。高校3年間、弓道部に所属して弓を引いていました。3年間何かに打ち込みたいなと思って高1から始め、抜群にいい成績を収めたわけでもなかったのですが、弓道のスポーツ推薦で大学に行けそうだったのですね。でも、その先を想像すると、大学で4年間弓道やっても、弓道では仕事につながらないじゃないですか。仕事につながる何かをやりたい、そう思った時に、「英語か絵か」と考えたときと同じように、やっぱり絵だなと思って、絵を選んだんです。一生をかけて絵を極めようと思っていたのですが、より一層強く思ったのは、漫画なんです。漫画に影響受けすぎですね(笑)。

『お〜い!竜馬』という漫画を読んで、初めて坂本龍馬ってカッコいいなと思いました。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』もそうですが、その漫画に出てくる竜馬が剣の達人なのです。現実の竜馬も剣の達人でしたが、何かを成し遂げるには剣の技術が必要なのだ、それなら僕にとっての武器、デザインとか絵に関する技術を磨くことこそが剣を磨くことだと思い至ったのです。それで極めていけたらいいな、と考えました。

「何かを作りたい」という思いに動かされて

実は、今回前田さんのインタビューをリクエストしたのは私です。大学ではメディア系の学科に所属していて、就職活動では前田さんの本や、インタビューやウェビナーを拝見させていただいていました。私自身デザインというか、モノを形にすることが好きなのですが、悩みや伝えたい思いがあると形で表現しやすい一方で、具体的にどういうものを作りたいかという気持ちがあまりありません。お話の中で、「何かを成し遂げるために、自分の中ではデザインや絵という手段を選びました」とおっしゃいました。私は美大を出ているわけではなく、今就職活動をしているのですが、何をどういうふうに武器にしていくか、どのように仕事につなげていったらいいのか分からなくて悩んでいます。前田さんは「何かを作りたい」という思いはありましたか。

昔から「作りたい」思いは結構ありましたね。分かりやすいところでは漫画を描いたり、イラストを描いたり。友達と漫才のネタ作りとか、ラジオ番組みたいなことをやったこともありますし、何かを作りたいという気持ちは割と自然にありました。

作りたいものを形にする過程でもっと技術とかスキル面も磨いていけたらいいなあという感じでしょうか。

いや、その時は「スキルが欲しい」とかはそんなに思っていなかったですね。僕自身今もそうですが、友達と何かをワイワイ作っていること自体が楽しいので。「前田デザイン室」は割とそんな感じで、人と何かを作るというやり取りが楽しくて、そのときにはスキルを上げようという気持ちはありませんでした。

漫画に影響され過ぎで恥ずかしいのですが、竜馬みたいに何か大きなことをやる人って、みんな好きじゃないですか。フィクションの部分もあるかと思いますが、僕はフィクションの竜馬がすごく好きなんです。竜馬は、生まれてきたからには何か日本のためになることをしたいと本気で考え、漫画の中でも剣で助けられてうまくいったシーンが多かったので、剣、武器が重要なんだと思い、剣の腕を磨いてやろうと思いました。鈴木さんは、伝えたい以外でモノづくりができないのがコンプレックスなのでしょうか?

そうですね、自分自身でポートフォリオなどの作品を作ろうと思ったときに、好きなものを作れば形にはできるのですが、それが何かのためになっているかと問われると、何もなっていないなということを考えてしまって。学生委員会では、最終的には組合員の皆さんがもっと充実した生活を送れるようにという想いをもって活動しているのですが、モノづくりの分野ではそういった目的が何もなく、楽しいまま作っていていいのかなと漠然とした不安を感じ、それをどう仕事につないでいくことができるのだろうかと自分の中で悩んでいます。

モノづくり、何かを作りたいというのは、アートの方ですよね。鈴木さんが困っているのはデザインなんですよ。それは全然悪いことではなくて、問題にぶつかったときに「もっとこうした方がいいよね」というクリエイティブで解決するというシーンがたくさんあります。僕の「何か作りたい」というのはアーティスト的な分野なので、全然問題ないと思います。むしろそういう人が増えていった方がいいですよ。
最近、若い人でクリエイティブディレクターをやっている人もいますが、昔は「アートディレクター」「コピーライター」「クリエイティブディレクター」って、広告現場の総監督みたいな人を「クリエイティブディレクター」と呼んだのですが、今はビジネスにおいても、そういうクリエイティブな発想で解決していく人が「クリエイティブディレクター」と呼ばれています。ですから鈴木さんは「クリエイティブディレクター」なんじゃないですかね?

肩書きが付くと結構安心しますね(笑)。

美大に行って、クリエイティブな人に自分もならないといけないのかなと、ちょっと思ったっていうことですよね。

はい、そうです。

もちろんアートとかクリエイティブをやっていたらやっていたで、そっちの力で解決できることも増えるので、もしかしたらクリエイティブディレクターをやるうちに、アートの方に興味が湧いて、作るのが楽しくなったり、これ作りたいと後から出てきたりする場合もあるので、大丈夫だと思います。

ありがとうございます。