ミルクボーイ インタビュー 壁にはぶち当たったほうがいい。僕らは「失敗を笑いに変換するマインドで夢を叶えた」。

M-1優勝に至るまで

落研での二人の出会い

私たちは既卒1年か新卒で全員22、23歳なのですが、お二人が大学生活を送った20代前半頃のお話をお聞かせください。

大学に入学したのは18、19歳ですね。僕はシナリオライターを目指して大阪芸術大学の映像学科に入ったのですが、みんな高校の時から趣味でやっていて、最初からカメラを触れるような人たちばかりで、僕以外は出来上がっていた。僕は全然知らなかったからサークル以外では友達ができませんでした。一人で歩いているのが恥ずかしかったので、つながってない携帯電話で友達と電話しているふりして歩いていました。思い出させんといてください、そんなこと(笑)。

すみません(笑)。

寂しかったな、あれ。それでサークルに入ろうと思っていろいろ見に行って、アイスホッケー部に行ったんですけど、全く滑れずにすぐ辞めまして(笑)、ずっとソフトテニスやっていたのでソフトテニス部と、あとお笑いも興味があったので落語研究会(落研)に入って、そこで駒場と出会いました。落研はみんな仲良かったんで、大学に行ったら早く落研サークルに行きたいなあ、とサークルばっかり行ってましたね。

その落語研究会での二人の出会いが運命を決めたのですね。駒場さんはお笑い芸人になりたいと思って落研に入ったのですか。

僕は大学に入学してすぐ落研に入りました。同期の人数が少なくて、一緒に入ったみんなにコンビ組もうって言ったんですけど、みんな将来までは考えていなくて、芸人になりたいとは思っていなかった。僕は芸人になりたかったので、それじゃあかんなと思いました。そしたら内海が遅れて入ってきたんで、「コンビ組まへんか」と。

俺を誘った時にはそんなこと言ってなかったね。

それ言ったら嫌がられると思って。4月から少しだけ組んでいた人に芸人になりたいと言うと、そいつはそこまで考えてなくて。僕が熱すぎて、それが嫌がられたかなと思ったんで。

それで先輩らが「ライブするから、1年生誰か出てみないか」って話があって、僕らが組んで、最初はアマチュアで『M-1グランプリ』にも出場してみたりしました。2人で電車に乗って難波まで行って、吉本のオーディションを受けて帰るのが何度かあって、青春やったね、あれは、今思えばね。
合否は分からんけど、「今日は審査員の人笑ってたな」みたいなときはケンタッキー食べて帰りました。だから二人とも一切、就職活動もしてないんですよ。まあオーディションが就活みたいなものですね。先生には「今日オーディションがあるんでちょっと授業休みます」と言っていました。

内海さんは、元々の夢であるシナリオライターとは違った仕事を選んだのですね。

そうですね。でも僕、『名探偵コナン』観たら探偵になりたくなるし、『マキバオー』観たら騎手になりたくなるしで、そのときの気分でコロコロ変わるんですよ。高校1年のときは弁護士になるって言ってましたから(笑)。本当にいろいろ変わって、自分でもちょっとよく分からないんですけど、3つぐらい大学受かって運命的に大阪芸術大学に入ったという感じですね。

僕もつい先日まで大学生でしたが、大学生になった途端、友達同士で夢を語る機会が減ったなという印象があります。高校までは友達同士何々になりたいと言っていたのですが、大学生になって急に現実的になって、みんな勉強を始めて、自分が何になりたいのか分からなくなって、ただ流されるままに就活して就職するような人が多いという中で、夢を追って今も第一線で活躍されているのはすごいことだと思います。

壁に阻まれるって貴重な体験

お二人がその過程で壁にぶち当たったというような厳しかった経験があれば教えていただきたいです。

ああ、壁に当たりまくってます。駒場だって、家の人に大学に行ってと言われて行ったという感じでしょう。すぐ売れると思ってたらしくて(笑)。

やっぱり芸人になりたくて養成所に入ってくる人って、みんな自分が一番面白い、絶対に売れると思っているでしょう? そのうち打ちのめされて、まあ、それが最初の壁ですよね。僕も大学生の時に売れると思ってたから。
そもそも大学の落研でコンビが組めないっていうのも壁でしたね、そういう人はなかなかいないから(笑)。で、やっとコンビが組めたと思ったら、今度はオーディションに受からない。ずっと受からない。なんでやろって考えて、これ就活でいったら面接で失敗して落ちたとかいう感じかな?

それでオーディションには受かったけれども、劇場のランキングで1位になれないという壁があった。壁だらけ。M-1もずっと壁です。最初の頃、1回戦で落ちたこともありましたからね。毎年「一番面白い人じゃない」という判子を押されるんです。鍛えられましたね。M-1も、芸歴でいったら12年、コンビ歴でいったら12~13年目で初めて決勝に行けて、それで優勝でしたから。それまではずっと耐えていたというか、面白いと思い続けていたというか。仕事やったら、自分がこの仕事ができると思い続けるとかしないと、壁で心が折れます。すみません、暗い話になりました(笑)。

いいえ、確かに壁にぶち当たっていらっしゃいますね。

めちゃめちゃぶち当たってきてます。ずっと勝ち続けてる人なんておらんやろうしね。でも、壁なかったらダメやろうね。低い壁を楽々乗り越えても、どっかでまたでかい壁に一発当たったら、対処が分からないかもしれないですよね。壁があったから、この時にこんなふうに気持ちを切り替えようと思えるかもしれないですしね。
さっき夢って言ってましたけど、大学入ったら変わってくることもありますよね。急に違うものになりたいとか、その夢が思ってたのと全然違うとか。でも、別にそこからでも絶対変われるよね? 卒業してからでもね。そのときのそれが結局何かの役に立っていることがあるから。

僕が卒業したのは芸大の映像学科で芸人とは何も関係ないんですが、今、テレビとかで撮影の現場に行ったら、カメラを回している人の苦労も分かるから、待てる。もしそういう人の大変さを知らなかったら「なんでこんな時間かかるの」と思うけど、僕の場合は「あ、これしんどいですよね」と話すきっかけにもなる。自分がやってきたことは全部無駄じゃないから、いろいろやっておいた方がいいと思いますね。大学生のうちは一番自由だし、毎日授業があるわけじゃないから。

学生時代の時間はとても貴重ということですね。

生きにくい世の中を生き抜くためのアドバイス

失敗を笑える話に変換するマインド

内海さんがサークルに行きたいと思われたように、大学で拠り所を作ることは、学生にとってすごく大きいと思います。結構それが苦手な子が増えてきたんですよ。一回この集団はダメだと思ったら、次に挑戦するのではなくて、自分は一人なんだとか話せる友達がいないとか言ってふさぎ込んでしまう。
あと最近多いのが、大学内のコミュニティーは本当の友達を作れる場所ではないと思ってしまう学生も一定数いて、それは結構苦しいことだと思います。大学は自由な場所でいろいろなことができるから、もっとみんな挑戦してほしいのですが、心がポキンと折れて孤立する人たちがいるというのが現状です。内海さんはドアを開けていろいろなところに行かれましたが、そうやって前向きに挑戦しようとしたきっかけはありましたか。

僕はソフトテニス部で1人すごく仲のいい子がいて、その子と「このサークル行ってみんか」と言い合って、2人でいろいろなサークルを見に回っていました。僕には常にペアがいたのが大きかったかもしれないな。
行ってみて全然できなくても、人に迷惑さえかけなければ、別に違うことやったらいいと思う。芸人の精神につながるかもしれないけれど、その駄目だったことでもちょっと笑えるっていうマインドは、結構大事かもしれないですね。何か失敗したらへこむだけじゃなくて、こんな失敗したんですよって笑って友達に言えるような。

芸人って嫌なことがあっても、舞台やラジオやテレビで話せる笑い話が1個できたぐらいに変換できる。僕たちはそういうマインドがあるけれど、普通の人だったら難しいですね。
芸人になってからはそういうこともプラスに捉えるけど、皆さんでいうとすごく仲のいい友達、それこそ高校時代の友達とかにしゃべれるといいですね。またはSNSなんかにそれを書いたら本になるとか、「そんな面白い投稿している人がいる」って人気になるとか。
失敗した、と思っても、それを面白おかしく変えて処理する吐け口、プラスに変換する吐きどころを作るといいと思う。まあ、その時はめっちゃ落ちこんでつらいだろうけど。

ちょっと今、自分の中でも変換されたんですけど、大学の友達でも高校時代の友達でも誰でもいいから、大事な話せる人が一人でもいれば、気楽に声を掛けたらいいのですね。

そうですね。大学生は大人同士の付き合いになってくるから、高校のきゃっきゃという感じではないかもしれないけど、でも大学の時に仲良くなった人、今でも連絡取ったりしているから、それもいいと思います。

人を傷つけないような漫才を

コロナ禍も明けたという感じになってきてはいるのですが、この2、3年暗い時期もあった中で、お二人は芸人として人を楽しませることを職業にしていらっしゃいました。普段漫才をされる中で、相手にものを伝えるということについて何か意識されていることがあればお聞きしたいと思います。

ネタとかも面白いなと思ったことをそのままの雰囲気で伝えられるように意識はしていますが、自分が面白いと思った瞬間のこととは違った感じで人に伝わってしまうこともありますね。伝える際にははっきり言うとか、滑舌よくとか、ゆっくり言うとかいうのは漫才の中では常に意識しています。

「傷つけない笑い」に僕らも一緒にされたりするけど、あまり意識しないながらも、個人や少数を傷つけないようにはしています。「コーンフレーク、晩御飯に出てきたら嫌」と言っていますが、別に晩御飯に食べる人もいるでしょう。そういうところをいじったりしていますが、それを怒ってくる人はいませんね。そういう、一人ひとりとか少数を傷つけたり、文句を言ったりするのはやめようというふうに意識は変わってきています。

「傷付けない笑い」……「ボケのズレた発言をツッコミが強い言葉や暴力で指摘する漫才」「身体的特徴に対するいじりネタ」「下ネタや政治ネタ」などは古い笑いの取り方であり、「演者の仲の良さがわかる漫才」「みんなが不快にならない芸風」が評価されるべき新しいお笑いの形としたブームのこと。

今の時代、他者を傷つけずにやっていくとか、人を楽しませてあげたいという思いが強いというのは、すごくいいなと思いました。