光城 悠人氏インタビュー 世間のルールを疑って、新しいルールをつくるほうが楽しそうだと思いません?~みんな「就活しんどい」と思いすぎている説~

コロナ禍の学生の就活事情

今の学生は、沼の怖さを先に調べる

光城さんの就活はどうだったのでしょうか。

今、『猿基地』のほかにセミナーなどで年間300人くらいの学生と就活について話しますが、非常に優秀な子が多い。それと比べたら僕は全くダメダメだったと思います。僕は、「人の人生、生活、考え方に少しでも影響を与えられるようなことがしたい。そういう人になれるような仕事ができる環境にいたい」と思ったので、そこをベースにして、コンサルと教育とマスコミ(雑誌、TV制作会社)という分野で就活しました。次々と落ちていく中で、最終的に残った人材系のコンサル会社とエン・ジャパン㈱(当時は㈱日本ブレーンセンター)にたまたま拾ってもらったという感じですね。

就活が進む中、どんどん心が疲れて、結果が出るたびに落ち込まれることがたくさんあったと思うのですが、現在そんな気持ちで就活中の大学生に光城さんならどんなメッセージを伝えますか。

前提として結構違うのが、少なくとも僕の周りでは就活がそんなにしんどいと思っていた人たちは、いなかったですね。むしろ楽しんで就活していた人の方が多かったのではないかと思います。「この会社、面白かったよ」「ここいいよね」「合いそうだよね」と、周りのみんなと話しながら進めていたと記憶しています。
僕たちの世代は就職氷河期ど真ん中で、今の大卒求人倍率は約1.6弱ですが、僕が就職した年は、35年にわたるリクルートの求人倍率調査でも、唯一1倍を切った年でした。どういうことかというと、学生たちが何も文句を言わずに全ての会社に入ったとしてもまだ学生が余る、という世代です。ただ、それでも今みたいに、つらい・しんどい・嫌だという感じで就活することはありませんでした。

今の学生は逆に何でそうなっているのかな、と考えることはありますか。

それは、「やっていないのに情報から先に仕入れるから」なのじゃないのかな? たとえば初めて自転車に乗ろうとする時に、「こけたら痛いよ」「場合によっては骨が折れることもあるよ」と言われると、「じゃあやろう!」という気にはならないじゃないですか。特に就活って、みんなそこから入るから、そもそもやってないことを怖がるのですよね。
例えば自分が会ったことがない人がいたとして、周りの人から「あいつは超ヤバいし、ウザいし、キモイやつだよね、マジ関わらないほうがいいよ」と聞いてから会ったら、絶対に確認作業をしますよね。あ、確かにここらへん面倒くさいかも。ウザいって言われているのはここらへんなのかな? そういう接し方をしてしまいそう。その場合、その人の印象が後から変わるのってすごく難しいと思います。
みんな、「就活は大変でしんどくて、こんなに嫌なことがある」という話をたくさん聞いているから、いざ就活を始めると、嫌なとこ探しを始めるわけですよ。「お祈りメールってストレスだよね」「圧迫面接って……」「セクハラ、パワハラがあるかもしれないよ」などということを事前に聞いてしまって信じてしまうと、それは確かにしんどいこと探しになる、と思います。

※お祈りメール:企業からの不採用通知の俗称。

「しんどい探し」をしているように見える、という感覚ですか。

はい、確認作業をしにいっている。それは見つけられるよね、いくらでもあるから。

光城さんから見ると、今の大学生ってわざわざ沼にはまりに行っているという感じですかね。

そうです、沼の怖さを先に調べておく。何でそんなことするの? と思います。

僕も就活中は、自分が知らないことを周りが知っていて、あの子が頑張っているらしいから先に内定もらったとか、3年生のときから就活しているとか聞くと、置いてきぼりになってしまう気がしました。しかもコロナ禍で友達の情報が少ないので、みんながどれくらい活動しているのか分からない。置いていかれるのは嫌だなと考えると、どんどん就活が早期化してしんどくなっていくというイメージがあります。どうしたらいいのでしょう?

齋藤君は、たとえば高校生・大学生の時に、「あいつはあれだけ頑張ったから成績が上がっている」とか「あの部活は県大会に行ったらしいよ」などと聞いて、「いや、俺はそんなにできないわ」と気にしたことありますか?

いや、なかったです。

「あいつの方が楽しい大学生活を送っているのに、俺は何やっているんだろう」って気にしますか。

そんなに気にしたことありませんでした。

気にしていたら、「俺ももっとやろう」と思っていたでしょう。それがなかったのに、就活になったらなぜ突然気にするのかな? 中学・高校の受験時でも、「あいつは俺より偏差値高いらしいぞ」「俺なんか全然できてない」って、そんなことで落ち込むことは、多分なかったじゃないですか。なのに、就活になったらそれがいきなり出てきすぎていませんか。

そういえば、自分でも不思議ですね。

就活も仕事も、求めるものは人によって全然違うはずです。いい就職、いい仕事の幅というのは、一人一人違う。給料とか知名度とか福利厚生とか、本当に自分にとって幸せかどうか分からないのに、それを重要な判断基準にしている。内定が早く出たからといって仕事がうまくいくわけではないし、内定をいくつ取ったからといって入社後に活躍しているかどうかということを、誰も検証していない。内定がたくさん出たと言う人ほど、逆に仕事をどこまで楽しめているのだろうかという疑問があるので、誰かそれを調査してみてほしいくらいです。

就職した後の姿の検証ですよね。なるほど、やってみたいなと今すごく思いました。

「自分の使い方」を知る

大学生が自分で働くのはアルバイトくらいしかないですし、今後自分がどういう人生を歩むと幸せになれるかも、先行きが見えづらい。光城さんが著書の中で「就活は日常の延長線上だよ」とおっしゃっていたと思うのですが、それを改めてもう一度お聞きしてもよろしいですか。

まず大前提として、皆さんが就活でしんどくなるのは、今までやったことがないことをやろうとするからですよね。「〇〇は三つあります」という言い方やら言葉遣いやら、お辞儀の角度なんて、今まで意識してやってなかったでしょう? やってなかったことを見せようとするから、企業側も「この子わからん」となるわけですよ。それこそ就職して仕事を始めたら、仕事が日常になるわけじゃないですか。その日常のところを企業側は知りたいのですよ。

その時に大事なことは、大きく二つあります。一つは、「自分の使い方を分かっているか」ということ。自分がどういうときにモチベーションが上がって、どういうときにストレスを感じるのか。自分が上手に使えないときって、どういう環境、状況においてなのか。
今まで20何年間生きた中には、そのヒントが必ずあるはずです。上手くいくとき、いかないとき。ストレスを感じるとき、感じないとき。それは日常生活の中で普通にあるはずです。ちなみに僕はチョコレートだけで2週間過ごしたときも、紅茶を直輸入していろいろな入れ方を比べていたときも、何のストレスも感じませんでした。それは、ただただ「知らないことを知りたいし、わかるのが楽しい」という日常です。

他にも僕は今、学生たちがどんなゲームを面白がっているのかを知るために、パズドラもモンストもドラクエウォークもポケモンGOも、プロスピAも馬娘も、白猫クイズ、白猫テニスもやってみました。
やる時には、キャラの持っている現時点での能力とこれを育てきった時にどこまで上がるかを全部エクセルに落として、その上でどのキャラを育てるのかを選びます。他の人からしたらそんなの面倒くさい、何でそこまでやるのと思うかもしれません。でも僕は、キャラをどう効果的に効率的に育てるか、課金せずに貴重な育成アイテムを誰に使うかを的確に決めたいので、エクセルに落とし込んでみる。その作業をする時間が最高に面白いのですよ。他の人からしたら、ゲームなんて普通にやればいいのにと思うかもしれませんが、僕はそれが楽しい。

今、僕は飲食をやっていますけれど、実は新規のお客さんと話すのはすごく苦手で、あまり好きではありません。でも、世の中には初めて会った人とも、何のストレスもなく日常的に話せる人もいます。このように自分の中で一番ストレスなく楽しめることがあるはず、自分では当たり前だと思っていても人とは違う部分があるはずです。だから、そこをしっかり分かっておくのがいいと思います。

矢印を「外側」に向ける

もう一つ質問させてください。自分が20何年生きてきたからこそ分かっていることでも、やはり実際に人と比べてしまうということが結構多いかと思います。自宅にこもる日常生活の中で、自分自身を磨いたり内省したりするには、どんなふうに過ごすといいのですか。

さっき二つといったうちの、もう一つの方がそこです。
シンプルに言うと、「矢印を外側に向ける」こと。就活や日常生活に限らず、学生と話をしていて感じるのは、自分がどう見られるかということに重きを置いている点です。
「自分の」「自分の」と“自分メリット”というか、自分が損しないようにと考える人が増えている気がします。自分はどう見られているのだろう、自分はどうしなければならないのかと、自分という「内側に矢印が向いている」人たち。それこそ仕事も友達関係も恋愛も何でも、外側に持っていけたらもっといいのに。相手がいい状態になれば、相手から好かれやすいですから。

恋愛でも友達関係でも「俺が」「俺が」と言っている人は好かれにくいし、人が喜ぶようなことを言える人、喜ぶような動き方ができる人、そういう人は人間関係うまくいきやすいはずです。仕事も会社もビジネスでも、他者に対して価値を与えるからリターンがあるわけじゃないですか。「自分が」ではなくて「相手に」価値を与えるからなので、そこを考えられたほうがいいと思います。みんな自分が人にどう見られるかと思っているけれど、自分の良さなんて、自分側だけ見ていても分かりません。
例えば、「日本人の良さは何ですか」という問いに、日本人以外を知らない人たちは良さなんて分かるわけがない。他者に何か与える中で関わって、そこからの反応があってからこそ、比較ができたり違いが見えたり、人よりもうまくできるところ、できないところが見えると思うので、外側に矢印を向けることが大事なのだと思います。

僕は「ああ、しんどいな」「なんでお祈りメールが届くのか」「これ、いつまで続くの?」と思いつつ就活しているのですけれど、光城さんは楽しいなと思って就活をされていたのですね?

はい、とても楽しかったです。

もとから楽しいと思っていらしたのですか。それともチョコと水と塩だけで生きてみようというような、やったことないことをやってやろうマインドみたいなものがあったからなのですか。

単純に知らないことがたくさんあって、それが分かることとか、できないことができるようになることって楽しくないですか。

楽しいと思います。

今まで知らなかったことが分かる、こんな解釈があるなんて!と分かるのも面白いじゃないですか。落ちたら落ちたで、何がだめだったのかを考えて、よし、練習しよう。それで話し方を評価されるようになったら楽しいですよね。

自転車に乗れるようになった、楽しい。2次関数解けるようになった、面白い。初めて作ったこの料理、こんなに美味しくできるのか、面白い。できなかったことができるようになるのは楽しいじゃないですか。同じ意味で、世の中のことが分かっていく。そもそも就活で落とされるのは、命に係わる問題ではありません。この人は俺の人生には関係のない人だと思えばいいだけで、それに精神を左右されるのは不健全かなと思います。

確かに僕も今考えると、なんで落ち込んで死にそうな気分になっていたのか、結局その矢印を自分向きに考えて執着していたからかなと思いました。

「あの人が加藤君の悪口言っていたよ」と言うAさんがいて、「あの人、加藤君のことをすごくいい人だと言っていたよ」と言うBさんがいたときに、Bさんがいたらもう十分じゃないですか。Aさんが加藤君のことを嫌いと言っていようが、自分に害がないのであれば、加藤君を好いてくれるBさんがいれば、Aさんなんて気にする必要がないですね。自分を落とす会社の人間関係に自分のメンタルをネガティブにさせられている、ということほどもったいないことはないと思います。

自己分析をするのが楽しくなるようなお話を伺って、大学生の今までの考え方も変わるかなと思いました。