落合陽一さんインタビュー「予測不能な社会の中で、学び続ける、自分の興味を見つける、そして本質を捉えて主張するために。」

Withコロナ時代は、ローカルなつながりが大切に。

私たち大学生協では、人がつながる、学生同士や教職員と学生がつながる取り組みをしていますが、コロナの影響で大きく社会のあり方が変わる中で、人と人とのつながり方が今後どう変化するか気になります。特にキャンパスの中での人と人とのつながり方が、どのように変わるかアドバイスいただければありがたいです。

今は、自分の学生ともほとんど会っていないですけど、みんな大学に行けているんですかね?

ほとんど行けずに、オンラインで授業を受けていると思います。

そうですよね。困っている学生には、もっと金銭的な補助が出るべきだと思ってはいます。また、人と人とのつながりがあまりとれなくなっているということは、大学1年生にとってはとても厳しいんのではないかなと思っています。 大学一年生ではなく、“高校4年生”といった感じかもしれません。

そうですね。高校生からの継続でやっているというイメージですね。

そうだと思います。そういう意味では、新入社員もかわいそうだと思います。この状況下で新人研修どうやってやったんだろう。そういった中での人と人とのつながり方は、限られた中でとても親しい人とずっといるという形になるのではないでしょうか?

限られた中で、コミュニティが細分化されるみたいなイメージですか?

限られた中でコミュニティが細分化されるというか、小さいつながり、近しいつながりとはよくフィジカルに会うけど、それ以外の人とはオンラインで広く会うようなイメージです。そして、この状況下で、ローカルの重要性は高まっていると思います。つまり、人と人とのつながり方は、ローカルのコミュニティを大切にするようになるんじゃないかな?大学で授業をしていても、「そういえばこういうデバイスがあるんだけど取りにきて」、と言っても「今実家で…」と言われて、「実家どこ?」と聞いたら「新潟で…」と言われて、「新潟かあ…。」ってなるんですよ。最近は学生に、レポート提出のついでに、「データとるのにこれを使っていいよ」と言ってデバイスを渡すといったことが全くできない状況です。こういう状況だからこそ、ローカルで生まれているつながりが重要だと思います。

本当にローカルなつながりが、この状況において重要になってきていると感じます。

「ローカルが大切な時代」感はあると思います。

大学生へのメッセージ ~ルールの中で頑張ることと、ルールという枠の外から観るということ~

このインタビュー記事の読者の大多数を占める、全国の大学生・大学院生に向けてメッセージをいただければと思います。

少なくとも学生に対する保障が成り立っていないのは大人の責任とも言えることなので、大人に文句言ったほうがいいと思います。私を含め大人に意見を言ったほうがよくて、教職員に相談してもいいと思います。いま一人暮らしの学生がいちばん弱い立場にあると思っていて、その人たちのことをもっと見てあげたほうがいいなと感じています。そして、そういったことは、大人はみんな考えているとは思います。

そして、この先どうなるかわからない時代観だから、どうなるかわからないってことを常に頭に入れながら生きていくのがいいなと思っています。昔、スティーブジョブズが「明日死ぬとしても同じ仕事、この仕事をしたいか」みたいな価値判断をすると言っていましたが、それと同じようなもので、1か月~2か月で世の中が変わってしまうとして、「それ本当にやるの?」みたいなことをやるかどうかという判断は重要です。よほど好きなこととか、よほど興味があることでないとやっぱりできない気がしますね。興味の範囲は広く持ったほうがいいなと思います。学生さんを見ていても、興味の範囲が狭い人は、話を聞くのが苦手な印象があります。なので、そこそこ興味の範囲を広く持っているほうが面白い人間になれると思います。でも、興味の範囲を広く持つには、専門性も大事になってきます。自分が何に興味があるのかっていうことを明確にしたうえで、そのほかの興味を持つことが重要になります。

オンライン化が進み、世の中のコミュニケーションスタイルが変わってからは、成果主義になると思います。それは、アウトプットでしか人を評価できなくなってくるので、そのアウトプットって、やっぱり作品の質とか、出したものの質になるということです。それを高めるにはどうしたらいいかということを、常に考えることは大切なことだと思います。大学生のうちから、自分のことを客観的に見る習慣とか、自分の作品に批評をくれる誰かを見つけるとか、狭いコミュニティでもいいので、なるべくアウトプットして、アウトプットして、っていうのを続ける習慣みたいなのは作ったほうがいいかもしれません。

自分の興味の持っている点を明確にすることや、アウトプットの習慣というのは改めて大事だなと思いました。いろんな人とかかわりながらそれをやっていけばいいというイメージでしょうか?

そんな気もします。若い時のちょっと向こう見ずな、ものをよく知らないからやるという感じも大切だと思います。でもそれを30歳超えて続けていたらイタイぜって思うこともあります。社会が決めたいろんなルールっていうのはあまり意味がないと思ってはいますが、「なぜそのルールが生まれたの?」であったり、「なんでその取り決めになったんだっけ?」であったり、「だれがそのルール作ったんだっけ?」であったりを考えずに、年齢が経っても盲目的に信じているのは少し厳しいですよね。若いうちから、その感覚は持ったほうがいいような気はします。一方で、盲目的なルールの中で頑張るのがかっこいいこともあります。例えば、フィギュアスケートのルールなんて誰が決めたのか知らないけど、その中で金メダル取る人は頑張るじゃないですか。でも、「フィギュアスケートのルールって、なんで決めたんだっけ?」って思っていると多分金メダルは取れません(笑)。

確かにそうですね。盲目的な中で頑張れるというのは、その範囲内でどう頑張れるか、みたいなことですかね?

選手のうちは金メダル獲るのが重要ですが、選手が終わったらルールを変える側にならないとあまり面白くないと思います。そこの見極めはやっぱり重要かもしれません。高校生の時は受験勉強を解いたほうがいいと思います。でも、受験が終わった後、受験の点数に興味ある人ってなんか微妙だと思うんですよね。

分かります。枠側を変えていく側に回ることが大事ということですよね?

枠の中で頑張った経験がないと、枠の外のこともよくわかりませんよね。ルールの中とルールの外をしっかり見極めて、仕事していってくれるといいなと思っています。

お話を伺っていて、ルールの中と外が、大学生は両方見える立場かなと思いました。

大学での研究も同様です。論文を通すっていうのが目標に見えますが、「論文を通しているのは誰だ?」って考えると、実は同じ研究者が論文を通しているわけで。例えば、「○○さんの論文がよく通る」っていうのは、専門分野の近い誰かがその分だけ論文を査読したっていう結果なのかもしれないですよね。そのようなことをしっかり考えてみるのも悪くないと思います。

そこのバランスが大事っていうことですよね?

マクロでモノを見るのと、ミクロでモノを見るということ。ルールの中で夢中になることとルールの外で冷めていること。一人称視点と三人称視点のバランスが重要ですね。