坂本 達さんインタビュー「まず行動しよう 君の『夢の力』が周りを動かしていくから」

「夢の力」が様々なものを動かした

僕は、自転車世界一周に必要な自転車・テント・ヘルメット・タイヤ・カメラ・時計・浄水器などを全てリストアップして、社外のスポンサーに協賛をお願いすることにしました。会社で教えてもらったことですが、無理だと思えることを「自分の力+周りの力+運」で結果を出すが仕事だと思います。大坂なおみさんのようにプロではない一サラリーマンの僕に、どうしたらスポンサーがついてくれるかと考え、リストアップした企業の中からトップの企業を30社選びました。

トップの会社は夢があるから業界でもトップでいられる。若さならではのシンプルな考えで、そんな会社の経営者だったら僕の個人的な夢でも共感してくれるのではないかと思いました。仕事終了後に会社に内緒で、その企業の社長宛に企画書を書いて送るのを、半年くらい続けていましたね。2週間後に「企画書を送った坂本ですけど」って電話して。
組織って下から上にあげるのは時間もかかるし制約もありますが、上から下るのは決断も早かった。電話したら反応が良くて「商品を用意したから見に来てください」って(笑)。そんなところもありましたし、大概「とにかく話を聞きましょう。来社してください」から始まりますが、完全無視されると思っていたので、反応が良くて驚きました。

蓋を開けてみたらどんどん決まっていって、最終的には7割、20社が協賛してくれました。非常に個人的な夢が大企業と言われる人たちの中で大きな広がりを持つようになったのが、何よりの感動でした。
なんでこんなに共感してくれるのだろうと思った時に、僕は「夢の力」というのをすごく感じました。例えばアーティストでもスポーツ選手でも、すごく輝いていて、その人にしかできないことで動いている人を見ると、応援したくなると思ったりしますね。自分の代わりに夢を叶えてとか、自分にはできないけどとにかく頑張っているから応援したいみたいな。

最後にうちの社長のところに行ってその話をしたところ、「企画書は読んでいたが、冗談だと思っていた」って。
その時に、もうスポンサーが15社くらいついていました。Panasonicとかニコンとかシチズンとか、名の知れた企業が決まっていたので社長がびっくりして。それを見た時に「行ってこい」って即決してくれました。

社長は条件を二つ出しました。一つは生きて帰るということ。社長は社員を家族と思ってくれているので、危険な目に合わせるわけにはいかないから。もう一つが有給休暇で行けということでした。トラブルがあった時に、お金がなければ無理をして命に係わることもあるだろうからサポートすると。実質、無期限の有給休暇でした。
そして夢が純粋なかたちで叶うように、宣伝などしなくてよいと。ミキハウスを宣伝する時間と労力があれば、達の夢を一途に追ったらいいって社長は言ってくれました。

誰もやっていなかったからチャンスがあった

自分でも想像しなかったような流れがあり、有給休暇に結びつきました。みんなに無理だと言われても、まずやってみることってすごく大事だと思いました。
「誰もやってないから無理」っていう人がいましたが、誰もやっていなかったから、僕はできたんですよね。前例があったら、どんどんハードルが高くなっていく。もし社内で僕の次に世界一周したいと言っても絶対無理なわけです。前例がないからこそ、僕はそこにチャンスがあると思います。みんなが開くはずもないと思っていたドアも、とにかく叩き続けたら開いていった。それが続いたので、夢を持つことによって僕はミキハウスをはじめとする支援者に巡り合えたと思います。

よく言われますが、人間は見ようとするものしか見えないわけです。夢を持っていると、その夢に関する情報や出会いがやってきたのですよ。夢を持ってなかったら、みんな素通りしていきます。会社も仕事も。
自分はこうなりたいというイメージを持つことで見えてくるものがあるし、言葉にすることで人が情報を提供してくれます。だから夢を持つということは、学生の皆さんにはすごく大事なことだと思います。それが形になった私自身も、今、世界二周目に家族でチャレンジするという、誰も信じなかったようなことが実現しているので、やっぱり当初の夢が今の自分を作っていると思いますね。

ギニアで命を助けられた 恩返しをしたくて井戸を掘った

世界一周や国際協力の取り組みの中で、背景となる思いや大切にしていたこと、そういうエピソードがあればお伺いしたいと思います。

二つあります。一つが国際支援について。大学では日本の援助、ODAについてゼミで勉強したので、もともと興味があった分野でした。
世界を回って初めて、日本の国際協力、国際支援の素晴らしさを僕は目の当たりにした。日本は開発途上国に貢献できる、すごい技術を持っている。当時は車や電化製品や技術等テクノロジーの面が大きかったかな、あとは衛生や教育等のベーシックヒューマンニーズといわれる分野です。
様々な国の援助を見ると、日本の援助の仕方はすごく良かった。ありがちな、自分の国にメリットになる何かを得るためではなく、純粋に支援をしているから、現地の人にとても感謝されましたね。だから自分も何か関わりたいと思ったのが一つ。

もう一つ、アフリカのギニアでマラリアにかかった時に命を助けられたエピソードがあります。マラリアって早く治療すれば治りますが、今でも世界中で年間60万人が死に至っています。その貧しい村で医者の家に泊っていた時、発病した僕に朝晩1回ずつ、3日間で計6本の注射を打ってくれた。後で知ったのですが、それが村に残っていた最後の薬でした。僕が、村人が助からない状況にさせてしまいました。ものすごいショックでした。平均寿命50歳未満の貧困のギニアの人に、豊かな国の日本人が助けられましたから。もう本当に言葉では言い表せないような感覚がありまして、何かしなきゃいけないなと思った。これは僕にとって大きい動機になりました。

帰国してもずっとギニアの村のことが頭から離れずにいましたね。入院費も薬代も取らず、赤痢も併発していて、ダブルパンチだった時に、洗濯も全部現地の人がやってくれました。血便のついたパンツをみんな素手で洗ってくれました。その水が口に入ったら感染するのをみんな知っていて、そこまでしてくれたわけです。そのことを思い浮かべると、やはり動かずにはいられないという思いがものすごく強かった。

帰国して本を出版したので本の印税を全部貯めて、最初はギニアに学校を作ろうと思いました。そしたら「学校より必要なものがある。綺麗な水だ」と言われて。衛生面があっての教育ですよね。まずは水、薬、次が教育。水が綺麗であれば病気にもかかりにくいから、薬の量も少なくて済むわけです。僕の行った村は井戸がなかったので、現地のみんなと話し合って、井戸を掘ることに決めました。

会社も理解してくれて「達は行かなきゃいけない」「ぜひ行ってこい」と励ましてくれる。井戸なんて一回行って掘れないから、会社休んで何回も往復しなきゃいけないのに。
もちろん飛行機代など必要経費は自分のお金で出したのですが、本社に連絡を入れるのに気が重くて。でも、会社の仲間が電話に出て「達さん、早く話を聞かせてください」。そうやってみんなが応援してくれるんですよね。やっぱり普通の会社とは違うなと思いました。

井戸が完成した後に、診療所を作りました。それも全部、貯めた印税と賛同してくださった方々の寄付で賄いました。その後に奨学金制度を立ち上げて教育の支援をしました。ベースにあったのは、僕を助けてくれた村人たちへの恩返しで、感謝を形にしたいという思いです。
最初にも言いましたが、行動して動いていくことによって、理解者が増えていった。国際理解、国際支援に関しても、関心を持ってくれる人がどんどん社内で増えていって、会社全体でもすごくいい動きになったと思いました。僕としては国際支援というよりも恩返しでしたがね。あの人たちにまた笑顔になってもらいたいという思いでさせてもらいました。

10年ほど前、坂本さんの講演を聞いた後に、出版された『やった。』『ほった。』という本を読んで、ずっとそのタイトルが頭に残っています。国際支援というと構えてしまいますが、恩返しをしたいという気持ちが支援につながったのはすごいいいなと思いました。

僕も学生時代にはこういうかたちで国際貢献になるとは考えてなくて。世界一周もとにかく自分の子どものころの夢を叶えたくて行ったら、それが巡り巡って国際支援になりましたね(笑)。