佐藤可士和氏インタビュー 物事の構造を見据える「デザインの視点」

日本を代表するクリエイターとして第一線で活躍される佐藤可士和さん。
ユニクロやセブン-イレブン・ジャパンなど名だたる企業のブランド戦略を担い、企業を成功に導いてきました。グラフィックデザインやパッケージ、ブランディング、トータルプロデュースなど膨大なプロジェクトを手がけられた背景には、物事の核を見据え、思考と議論を重ねて解決策を見出す「デザインの視点」があるようです。
今回のインタビューでは、佐藤さんの仕事に対する基本的な姿勢を伺い、これからの社会を担う若者世代への示唆に富んだお話をお聞きしました。

インタビュイー

クリエイター 佐藤 可士和氏
プロフィール

聞き手

  • 安井 大幸
    全国大学生協連 全国学生委員会全国学生委員長(司会)
  • 菅野 瑞貴
    全国大学生協連 全国学生委員会全国副学生委員長
  • 石田 龍太
    全国大学生協連 全国学生委員会全国学生委員
  • 原田 将弥
    全国大学生協連 全国学生委員会全国学生委員
  • 林 優樹
    全国大学生協連 全国学生委員会全国学生委員

はじめに―自己紹介

本日はお忙しいところ、お時間を作ってきていただき、ありがとうございます。司会を務めさせていただきます、全国学生委員長の安井大幸と申します。全国学生委員会では、日本各地から学生が東京に集まって活動しています。私は琉球大学の4年生に在籍していますが、今休学して東京に来ています。よろしくお願いいたします。

全国学生委員会で副学生委員長を務めさせていただいております菅野瑞貴と申します。北海道、十勝の出身で、2年前に小樽商科大学を卒業しました。学生委員の活動は2年目になります。

全国学生委員の石田龍太と申します。関西学院大学大学院の博士課程1年生で、今休学して東京に来ています。出身は香川県です。

同じく全国学生委員の原田将弥と申します。東京都出身で、大学も東京にある白梅学園大学という、幼稚園の先生になる大学を卒業して、今活動しております。

全国学生委員の林優樹と申します。出身は広島県広島市、福山市立大学でまちづくりを主に学んでいました。本日はよろしくお願いいたします。

佐藤可士和です。東京生まれの東京育ちです。多摩美術大学のグラフィックデザイン学科を卒業後、広告代理店の博報堂に入社し、11年間アートディレクターとして広告制作に携わりました。2000年に独立をして、自分の会社「SAMURAI」を設立しました。可士和の「士」が武士の「士」なので、そこからとってSAMURAI 。そのSAMURAI でちょうど20年活動をしています。今年の2月から4月まで国立新美術館で「佐藤可士和展」を開催し30年分の仕事を展示しました。

集中して深く追求した先にある本質

俯瞰して見ると、物事の構造が理解できる

今回のインタビューテーマは、私が佐藤さんの著書を読ませていただいた中で、もう少し詳しくお話を伺いたいと思ったことを中心に選ばせていただきました。佐藤さんはご著書の中で「“何か”を追求しつづけて極めると、どこかである一線を突き抜けることができ、今まで見えてこなかった本質の世界が見えてくるのだと思います」とおっしゃっています。あらゆるものや情報があふれている中で、何でもいいから何かにハマって本質にたどり着くと、それがいろいろなことに応用していけて、自分の世界や選択肢が広げられる。このことをぜひ、多くの若者にも知ってほしい、と思いました。特に今の大学1、2年生はコロナの影響でなかなか思うような大学生活を送れていません。アンケート結果からも、閉塞感を感じたり、自分のやりたいことができていないと思ったりする大学生の姿がみえてきます。佐藤さんが、追及するきっかけ、気付きを得るきっかけ、それによってご自身の中で世界が変わった瞬間、世界がつながった瞬間というのがこれまでの中であったと思うのですが、そういったことについてお話を伺いたと思います。

やはり集中して深く物事に取り組むことは、何事においてもすごく大事だと思っています。僕は30年仕事をしていますが、世の中で仕事をしていくうえで社会人として大事なことに、好奇心と集中力があると思います。何でもいいのですが、ある物事に深く取り組むときに、一つのことをとにかく集中してぐーっと深く掘り下げていくと、深く潜っているつもりだったのに、あるところでポンと雲の上に出たように感じることがあります。
僕の場合は、クリエイティブということを昔から今に至るまで追及しています。子どもの頃から絵が好きで、大学も多摩美のグラフィックデザインに進みました。かなり長い間クリエイティブなことにずっと向き合っています。仕事や対談などで、プロのスポーツ選手や企業の創業者、学者など、僕と全く違う仕事をされている方々とお会いする機会がありますが、何かを“極めている方々”には、どこか共通する価値観のようなものを感じることがあります。なかなか具体的に説明するのは難しいのですが・・・。
専門的になれと言っているのではありません。先ほども言いましたが、何でもいいからとにかく物事を深く考え続けていると、雲の上みたいなところに出る。それは、いわば何かの本質をつかめる感じです。そうすると、物の成り立ちや現象、今社会がどうやって成り立っているかという構造みたいなことの理解に近づける。表層ではなく構造が理解できると、いろいろなことが見えてきて、知らない業界や自分の専門外のものを見ても、その成り立ちが理解できるようになるでしょう。そうなるといろいろな人と話が合うというか分かり合える、ということになるのですね。
ちょっと抽象的な話ですが、デザインやスポーツ、音楽などというジャンルにはこだわらず、要は何か自分がずっと集中して極めていけばいいということです。趣味でもいいし、もちろん勉強でもいいし。中には、自分が一つの物事にあまり集中できなくて、幅広く物事をやることが好きだったりする場合もあります。「広く浅く」やることが好きだったら、それを極めればいい。そして、広くて浅くやることをものすごく極めていくと、それはそれで違う世界が見えてくるでしょう。
先ほどの質問の答えになっているか分かりませんが、なにか同じことをずっと考え続けるということがすごく大事なのです。そうすると、“ポンと雲の上に出る”ように、物事が俯瞰して見られるようになる。僕を含め、自分の目の前にあることばかり気になってしまう人は多いと思いますが、近視眼的にいろいろ進んでいくと、気付かないうちに間違った方向に進んでしまったり、判断を誤ったりしますよね。それが、Googleマップのようにぐーっと引いた視点で見られるようになると、見える世界が変わってきます。例えば日本に住んでいると日本は広いなと思っているけれども、地球的な視点まで引いて見ると、日本はそのごく一部だとすぐ分かるわけです。そういうことが理解できていきます。
本質をつかむためには、視点を変えて引いてみたりすることが大切です。これはすごく抽象的で経験してみないとなかなか分からないのですけれど、そういうことが「ある」と分かっていればいいと思います。

「広く浅く」でも、重要なのは突き詰めること

お話を伺っていて、「浅く広く」でも、それを極めればいい、という話は、僕の中でもすごく印象的に残っているのですが。

そうです。だから必ずしもすごく専門的な、マニアックなことをやってということではなくて、「自分は広く浅くしか興味が持てないな、逆にそれが好きだな」と思ったら、実はそれでも極められるということです。それも視点の転換でしょう。一見「広く浅く」は駄目だといわれそうですが、とことんまで「広く浅く」掘っていくと、ものすごく大きくなっているかもしれない。それは自分にしかない特徴になり、その「広く浅く」を極めると、「狭く深く」掘っている人には持てない視点が持てたりする。いいことが必ずあると思いますよ。

僕自身、何かを深めてやろうということは、これまでも少なかったように思います。音楽でも、なんとなくビートルズが好きだなとは思うのですが、かといって年代を遡ってビートルズを聴くわけはなくて、結構つまみ食いをすることが多いです。ビートルズも聴くし、カーペンターズも聴くし、ミスターチルドレンも聴くし、という感じで、それらが本当に好きなファンの方からは「つまみ食いだよね」と言われることが多かったのですが、そういうことを極めていった先にいろいろな人との共通点が見つかったり、共通の話題でつながったりしていくのだと改めて思いました。

そうですね、僕も音楽が大好きでいろいろなものを聴きます。それこそ高校生や大学生の時はパンクバンドをやっていて、ハードコアパンクからクラシックまで聴いていました。ジャンルでいうと全く違うし、パンクみたいなスタイルにクラシックは全くはまらないじゃないですか。だから、大学の時はクラシック好きなんて言っていいのかな、と思っていました。
でも、クラシックも全てのクラシックが好きなわけではなくて、いろいろ聴いていると、なんとなく好きなメロディーラインのコードがあることが分かってくる。それは別に音楽のジャンルには関係なくて、そのコード感とか、疾走感とか、グルーヴ感とか、クラシックやロックや歌謡曲の枠にとらわれない軸が見えてきた、という感じです。そういうこともあります。だから、「なぜ自分がこれを好きなのだろう」と考えていくことがすごく大事なのです。

「なんで?」と思うことを深めるのは、佐藤さんご自身もアートや、デザインの分野で突き詰めてやられていると思います。本を拝読して、「なんのために」「だれのために」ということをきちんと深めていくことが核を作り、自分の1本すっと通るものを作っていくのだなあと感じました。