清水 康之 氏 インタビュー 支えあう「いのち」 いま、私たちにできること

2006年に「自殺対策基本法」が制定され、それまで年間3万人を超え続けていた自殺者数が今では2万人台前半にまで減少しています。ですが、残念なことに若者の自殺率は増加傾向にあるのも事実。今回は、中学・高校時代、日本社会に息苦しさを感じ単身アメリカへと脱出した経験を持ち、のちにNHKの番組ディレクターとして自死遺児(親を自殺で亡くした子どもたち)の取材をきっかけに自殺対策支援のNPOを立ち上げた清水康之さんにお話を伺いました。あらためて「いのち」と向き合い、生き心地の良い社会をつくるために私たちにできることは何か、一緒に考えてみませんか。

インタビュイー

ライフリンク代表・
一般社団法人いのち支える自殺対策推進センター
代表理事

清水 康之 氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員長

高橋 明日香

全国大学生協連
全国学生副委員長

鳥井 和真

全国大学生協連
全国学生委員会

中野 駿

(以下、敬称を省略させていただきます)

自己紹介

自己紹介・はじめに

全国大学生協連の学生委員会に所属しております、学生委員長の高橋明日香です。兵庫県立大学理学部を卒業して2年目です。

同じく学生委員会の副学生委員長しております、鳥井です。私は2年前に山形大学を卒業しまして、現在東京で活動しております。

同じく全国学生委員会で活動しております、中野俊と申します。名古屋大学を今年の春に卒業しまして、既卒1年目で全国学生委員として活動しております。

本日は清水さんに「すべての学生が生き心地の良いキャンパスライフを送るために」というテーマで質問をさせていただきたいと思っています。まずは自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか。

はい。私は、「いのち支える自殺対策推進センター」という、自殺対策について自治体を支援したり、調査研究を行なったりしている組織の代表を務めております。同時にNPO法人ライフリンクという、自殺対策に取り組むNPO法人の代表もしています。ライフリンクでは、電話やSNSを使った、自殺防止のための相談や、自治体と連携して、地域モデルを作る事業を行なっています。あわせて、自殺対策を推進する議員連盟(通称:自殺対策議連)のアドバイザーもしています。

わたしがここにいる理由

もともと私は、NHKでテレビ番組のディレクターをしていましたが、2004年にNHKを辞めてNPO法人ライフリンクを立ち上げて以来、ずっと自殺対策に取り組んでいます。自殺対策に取り組むようになった理由は、さかのぼると中学生・高校生の頃にたどり着きます。

私が中学生・高校生の頃、ものすごく生きづらさを感じていました。私は3人兄弟(姉と兄、私)の末っ子でしたが、常に成績が良くてスポーツもできる姉や兄に比べて私は、スポーツは得意だったものの勉強が苦手で成績も良くなかった。今思えば学校の成績ぐらいたいしたことではないんだけど、当時は学校の成績や偏差値で自分の価値が測られているように感じていたので、私は清水家のお荷物なのではないかと思ったり、自分を肯定することが難しい状況にありました。

中学の時はそういう状況の中で「生きづらい」「息苦しい」と感じていただけでしたが、高校ではさらに苦しみました。というのも、進学先は成績で生徒を評価するような学校だったので、「成績が良くなければいい大学に行けない。いい大学に行かなければいい会社に入れない。いい会社に入らなければ幸せな人生はない」みたいな、今考えるとそれは大きな誤解なんだけけれど、当時はそういう風潮でもあったし、それを良くも悪くも感じ取って、自分でも「そうあらねばならない」と思ってしまっていて。

それで、「このまま学校にいると自分が自分でなくなってしまう」という感覚が強くなってきたので逃げるような思いで高校を一年で中退、その後単身でアメリカに渡ってアメリカの高校に入り、卒業後はアメリカの大学に2年間通いました。ただその間に、日本にいる祖父のうちの一人が高齢で亡くなってしまったんですね。父親代わりでもあった祖父なのに死に目に会えず、お礼を伝えることもできなかった。だから、残りの2年間は日本の大学に通いながらほかの祖父母孝行をしようと日本に留まることにしました。

そうやって日本で過ごしている間に、オウム真理教というカルトの事件が起きたんです。オウム真理教の信者たちが地下鉄の列車内でサリンを撒いて、亡くなった乗客もいたし、のちに多くの人が後遺症に苦しんだ事件でした。

信者の中には私とそれほど年代が違わない若い人たちも結構いました。だからと言って最初から関心があったわけではないけれども、家で取っていた新聞の中にたまたまこの事件に関する記事があって、そこに掲載されていた実行犯――確か当時26歳ぐらいの若者だったと思いますが――の手記と写真をたまたま見ました。
そこには、「今の日本社会はとても汚い。どこに連れていかれるか分からない満員電車に大人たちは乗せられて、無自覚にどこかに連れていかれる、そんな人生を送って大人たちは幸せなのか。自分はこんな人生は送りたくない。自分はもっと自覚的に生きるのだ」という内容の文章が書かれていました。

それを読んで、かつて自分が日本を脱出した時に書いていた日記の内容と重なって、それで気づいたのです。この社会に生きづらさを感じていたのは自分だけじゃないんだと。私の周りにもそう感じていた人はいたし、もっと言えばオウム真理教の信者になったような若者たちも一生懸命考えた末に、彼らは脱出先としてアメリカじゃなくてオウム真理教を選んだわけで、問題意識や息苦しさから解放されたいという思いは全く同じですね。

日本社会は若者たちにとってものすごく生きづらい。誰もが自分自身の人生に意味を感じながら、生きていて心地が良いと思える社会を作っていく、あるいはこの生きづらさの正体を明らかにする、そんなことに関われる仕事に就きたいと思い、それでマスコミの仕事を選んでNHKに入局しました。
NHKではディレクターとして様々な番組をつくりました。そうした中で、2001年――ニューヨークでは9.11のテロがあった年ですが――私は親を自殺で亡くした大学生たちの取材をしました。その取材を通じて、自殺というのは私が若い頃に感じていた「生きづらさ」「息苦しさ」をものすごく凝縮した形で現れている問題なのだなと感じました。自分の生きづらさと日本の自殺の問題が根っこで繋がっているということを実感して、それで自分なりにこの問題に向き合っていこうと何本か番組を作りましたが、それだけではなかなか社会は変わりそうにない。

高校生だった時の自分はその場から逃げ出すことしかできなかったけど、それなりに経験を積んだ今なら逃げ出さずにきちんとこの問題と向き合えるのではないか、そう感じたのがきっかけで、ライフリンクを立ち上げて、以来活動をしています。そして新たにこの「いのち支える自殺対策推進センター」という団体も立ち上げて今日に至っている、それが今、私がここにいる理由です。