HY リーダー 新里 英之 氏 インタビュー

今年は戦後80年になります。
沖縄を拠点として活動されている新里さんへのインタビュー中には、在日アメリカ軍の戦闘機の音が聞こえる場面もありました。
「平和とは、身近にある幸せやその大切さから入れば、自然と考えることができるのではないか」とお話くださった想いは、大好きな音楽や仲間との出会い、音楽で皆が心を同じ方向に向けることで大きな力が生まれる感動と共に育まれたものであることを、このインタビュー記事で感じていただけるのではないかと思います。

インタビュイー

HY リーダー 新里 英之 氏
プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員会 副委員長

瀬川 大輔

(司会/進行)

全国大学生協連
全国学生委員会

仲間 英

全国大学生協連
全国学生委員会

漆崎 新

(以下、敬称を省略させていただきます)

自己紹介とこのインタビューの趣旨

本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。
まず自己紹介と、このインタビューの趣旨について、お話をさせていただきます。
私は全国大学生協連で全国学生委員会として活動をしております、瀬川大輔と申します。2024年度に北海道の北星学園大学を卒業して、今年既卒2年目になります。本日はよろしくお願いいたします。

同じく、全国学生委員会の仲間英と申します。今年の3月に宮崎大学を卒業しました。
僕も沖縄出身で、沖縄では「ひーで」と呼ばれていましたし、バンドでギターボーカルをしていて新里さんとの共通点も多く、今日はお話を伺うのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

同じく、全国学生委員会の漆崎新と申します。今年の3月に岐阜大学を卒業して、既卒1年目になります。本日はよろしく願いいたします。

大学生協の学生委員会とは、大学生がより充実した大学生活を送れるように、例えば新学期に友達作りの企画や健康チェックの企画を行うなど、多岐に渡る活動をしている、大学生協の中に属する組織委員会となります。

実際に大学の中に店舗があるので、その店舗内でPOPを作成し、抽選企画の実施、販売するお弁当にリサイクル容器を使用することで、環境に配慮した取り組みをするなどの社会に目に向けた活動や、全国的な取り組みとしては毎年夏に広島、長崎、そして唯一地上戦が行われた沖縄の3カ所で平和学習を行う「Peace Now!」を開催しています。

今年は戦後80年を迎えますが、若い世代では平和について考える機会が人によってまちまちで、過去の戦争に対する知識や平和に対する意識が薄れているように感じることも多々あります。

新里さんは、 HY のギター、ボーカルとして、沖縄を拠点にまっすぐで丁寧な楽曲の制作・演奏をされており、その楽曲の中には平和への想いや「ぬちどぅたから」というメッセージを多くの人に届けているものもあります。

毎年、大学生協連で実施をしている「学生生活実態調査※1」の中では、SDGsや平和についての関心度が年々減少傾向にあり、多くの若者・大学生に今一度関心を持ち、考えてもらうことの必要性を感じています。今回のインタビューでも、そのきっかけの一助となるようなお話を伺えたらと思っています。

(※1)全国大学生協連「第60回学生生活実態調査」(2024年)より

HYのボーカル、リーダーの新里英之です。1983年生まれで、今年42歳になります。高校を卒業して、そのまま全国デビューというかたちで音楽の世界に入り、皆様のおかげでHYは今年結成25周年を迎えることができました。

デビューのきっかけはストリートライブでした。バンド活動をしていた高校生活最後の夏休みに、1曲だけ思い出の曲を残そうとレコーディングスタジオに行って、全部で3曲ぐらい録る予定が、初めてのレコーディングだったので1曲に時間がかかりすぎてしまって。その曲が「ホワイトビーチ」で、嬉しいことにスタジオの方が「とてもいい曲だから、もうお金はいらない。これは最後まで録ってあげるよ」とレコーディングしてくれて、その会社から「ストリートライブをやってみないか」と声をかけられました。場所は沖縄の北谷で、最初は友達だけでしたが口コミでどんどん広がって、気づけば1万人くらい人が集まるようになり、自信を持った僕たちは全国に自分たちの曲を届けたいと音楽の道に進みました。

沖縄での学生時代

音楽との出会い

実際に音楽を始めたきっかけは学生時代かと思いますが、新里さんご自身はどのような学生時代を過ごされましたか。

僕は自然が大好きで、実家のすぐそばには海が広がっていて、小さい頃からその海で遊び、いろいろなことを学びました。泳いだり、釣りをしたり、ミニ四駆で遊んだり、地元はすごく田舎だったので鳩を飼うのも遊びの一つでしたね。沖縄には小さな鍾乳洞や防空壕があるのですが、祖父母に行くなと言われても、やんちゃで好奇心の塊だったので日々探検していましたし、自然と触れ合うことで感受性が豊かになったのではないかと思います。

ギターとの出会いは中学生の頃でした。実は僕の父親はバンドマンで、家にはベース、ギター、エレキギター、フォークギター、ピアノ、ドラムと、いろいろな楽器があったのに小学生までは全く興味がなくて、自然の中で遊ぶことが大好き。でもある時HYの最初のギターだった宮里悠平が僕の家に遊びに来て、家にあるギターを手に取ってポロンポロンと弾き始めたんですよ。部活こそ僕はバスケットボール、彼はサッカーと違っても、いつも一緒にいて同じ遊びをしていた幼馴染なのに、どうして一人だけそんなことができるのって驚きと嫉妬を覚えましたが、よく聴くとすごく心地いいんですよね。それで彼にギターを教わり、書店でコードブックを買い、最初にMr.Childrenの「Everything」を弾きました。最初は難しくても上手になっていく毎にメロディーが綺麗に聴こえてきて、自分の手元からCDと同じような音が出せることが衝撃的で、そこから一気にハマっていきましたね。

当時、バスケットボール部ではレギュラーでしたが、監督にはやりたいことが見つかったので部活を辞めると伝えました。次の日にコーチが自宅に来て、辞める理由を聞かれたので「音楽がしたいです。行けるところまでやってみたいです」と気持ちを口にしました。監督は「いつでも戻ってきていいから」と優しい言葉をかけてくれましたが、僕はそこから戻ることなく音楽の道に進んで今に至ります。

ギターを教えてくれた悠平と一緒に音楽にのめり込んでいくと、同じように音楽好きな仲間が自然と集まりはじめ、音楽が好きだという想いをギターにのせて形にするうちに、同じ気持ちの似た者同士が集まるというか、それが後にHYとなるドラムの名嘉俊、ベースの許田信介、キーボードの仲宗根泉でした。このメンバーとの出会いは奇跡だと思っているし、人は出会いで変わるものだとも思いますね。自分にないものを教えてもらったり、自分の意見を認めてもらったり、自信のない自分でも仲間によって成長できたものが沢山あるから、メンバーの仲は今でも変わらないですし、みんなのことをずっと尊敬しています。

HYとして進路を決める

人との出会いによって、人生や生き方が確立されていくこと、私もいま全国学生委員会として活動していますが、それも一つには大学進学がきっかけでしたし、そこで出会った人たちによって今があるので、一期一会なのだなと思いながらお聞きしました。

高校3年生で進路を決める時に、メンバーで集まって「行けるところまで行ってみよう、やれるところまでやってみよう。やってみなきゃわからないよね、だからこの5人で好きな音楽をやってみようぜ」と決めました。

自分たちの学校では進路が決まった人は、教室の後ろに大学名などの進学先と名前が張り出されていたのですが、僕の場合は当時の所属事務所と名前が書かれていたので、同級生からはちょっと注目されていましたね。親からは「音楽の道は厳しいぞ」と言われ、いつも「もう次のことを探しなさい」「まだ音楽をしているのか」と反対されていたので、親に心配されないようなミュージシャンに絶対なってやると思っていたし、同時にHYのメンバーだと何かいける気がしたんですよね。メンバーがいるから、僕は一歩踏み出せたのかもしれません。