大学生協では「Peace Now!」という平和体験学習を行っています。学生に平和について考えてもらうために、どのような伝え方や発信をする必要があるとお考えですか。
いま皆さんが取り組んでいる「Peace Now!」自体、どうしたら平和になるのかみんなで考えている、その時間こそが平和だよね。
自分たちは歌って音楽を楽しむ、その中に平和という願いと同じくみんなの笑顔につながるように曲を作っています。なので、過去に日本で起こった戦争のことを伝えて平和を考えてもらうことも大切だけど、僕は身近にある幸せ、その大切さから入れば、ごく自然に平和について考えてもらえるのではないかと思います。小さな幸せの奇跡というか、友達と喋っている時、ふとした友達の仕草で笑いあえる時、それは多分心の余裕があるからこそ笑えることだと思うし。ぼーっとしている時間も平和だろうし、誰かのことを思って行動している時も、その想いが受けた人に伝わり、受けた人もその想いを知り、今度はまたその愛を誰かにとつなげていったら、なんだかすごく平和になりそうだよね。自分の周りから、笑顔につながるような物事を考えていけばいいんじゃないかな。
「Peace Now!」などで学びを終えて日常生活に戻った時に、いつもの学生生活や自分の生活の中で、平和の良さを改めて感じることができたらいいですね。自分が思う平和な社会や生活をみんなで一緒に考えて、お互いの考えを認め合い、一緒に考えることができるつながりも一つの大事な要素ではないかと思いました。
昨年初めてのチャレンジで、舞台に出演させてもらったんですよ。僕はその主人公で、宇宙を旅しながらいろいろな人と出会い、いろいろな世界を見て、愛を知るという話で。その舞台のセリフで心に残っているのが「知らなかった・・・こんなに、世界が美しいだなんて。」というフレーズでした。その言葉を心から出せるように、もっともっと僕は旅をしていきたい、いろいろな人と出会いたいと思っています。
先ほどアメリカ軍の飛行機音も実際聞こえてきましたが、沖縄出身である新里さんはどのような平和学習をされていましたか。また、身近な方から戦争のお話を聞かれたことはありますか。
僕たちは小学生の頃から平和授業を受けていましたね。その時期になると慰霊の日もあるので、授業の一環として映画を見たりしていました。
今年で戦後80年になり、戦争体験者の方が本当に少なくなってきていますが、実際、僕の祖父母は戦争を経験しているので、祖母からもよく話を聞きましたね。僕はおばあちゃん子だったので、学生時代はおばあがよく朝ごはんを作ってくれていましたけど、いつも「ご飯を食べなさい、食べなさい。昔はこんなに食べられなかったから、残さず食べなさい」と言われていました。沖縄の方言で「食べなさい」というのを「かめ」って言うんですよ。だから「食べなさい、食べなさい」で、「かめかめ」攻撃って言っていました。
やはりあの辛い体験をしているおじい、おばあたちなので、心が強くて厳しくて、大きくて優しくて。そこから自分たちは学び、愛をもらっていたので、何か返していきたい気持ちに自然となるのが沖縄県民だと思うし。おじい、おばあたちの大きな優しさが生まれるのは辛い経験があったからで、その想いって比例するのではないかなと思うんですよね。だから自分も相手の考え方や気持ちに寄り添って物事を考え、そして行動できたらいいなと思っています。
お話を聞いて、改めて先人が次の世代につなげていきたいことを、自分たちがしっかり受け継ぎ、そして次の世代につないでいく、そんな想いを育むような取り組みができればと思いました。
学生が地域社会の課題に関心を持つためには、何が大事だと思われますか。
その地域の人たちと触れ合うことがすごく大事じゃないかな。おじいちゃん、おばあちゃんをはじめとしたそこで生活している人たちや、その地域を盛り上げようとしている人たちの輪の中に入れば、そこから見つかることがたくさんあると思う。そこで自分なりの考えを持った上で、地域の人がどのように頑張っているのか、その中に輝くものを見つけたら、自分なりにどう取り入れ、自分だったら何ができるのか考えてみたらいいと思います。
自分が感じたことで新しく何かできること、その場所を盛り上げることができるスキルがあれば、どんどんチャレンジしてもいいと思うけど、最初からその地域を盛り上げるために自分が何かしてあげようという気持ちで入っていくと、なかなかそれは難しいと思うし、心が折れちゃうかもしれない。地域なりの動き方というものがあるから、その人たちが何を見ているのか、何を感じているのかを、一旦自分も同じような心の目線を持つことがすごく大事じゃないかなと思いますね。
僕は2010年頃にフィリピンにボランティアに行き、そこで子供たちに食事を提供する他に何かできることないか、環境を変えることはできないかと考えていましたが、自分に出来ることは何もなくて、自分の小ささに気づきましたね。
子供たちが火遊びをしていると思っていたら、家電製品のコンセントを溶かして銅を取り出し、それを売ってお金にしようとしていることに驚きましたし、裸足でトイレも汚い、だけどみんな笑顔が溢れているんですよね。勝手にかわいそうだと思っていた僕の目線って何だろう、何かを変えたいと思っている自分は間違っているなと思いました。
だから子供たちと一緒に遊んで、ふれあうことが僕のボランティアだと考えて、一緒に過ごしました。周辺にある犬の糞なども進んで掃除をしてしまうと、日本人が来ると綺麗にしてもらえると現地の人たちは甘えてしまうからと止められましたし、何をすべきなのかその地域に行って感じたことから考え、その上で何か始めることでつながっていくのかなと思いますね。
最後に、このインタビューの読者の多くは大学生になると思いますが、若者世代に向けて、期待することやメッセージをお願いします。
皆さんと話して、明るい言葉で溢れていたので、すごく元気をもらいました。
僕は、周りの仲間が自分を助けて成長させてくれたからこそ、今の自分があると思っているので、仲間を信頼して仲間と共にいろいろな夢を叶える、それはすごく大事だと思っています。
また僕はソロ活動もしていて、一人でギターを持ってツアーを回ったりしています。一人での経験は新しく、違う自分の力になっていて、仲間のありがたさを改めて感じるのでおすすめです。一人旅をすることで自分に力がついて、その経験を返す場所はまた仲間の元。自分を大切に育ててくれた人の元に、自分の経験値を返していくと、自信とやる気とすごい力が生まれるので勉強になりますよ。
HYの中でずっと持ち続けているのが「やってみなきゃわからない」という言葉で、僕たちはこれからもこの言葉のように進んでいこうと思っているので、学生の皆さんも新しい時代に向けて、日本にとどまらず「やってみなきゃわからない」精神で人生を楽しんでほしいなと思います。
新里さんのお話で、私たちもすごく元気になりました。一人でチャレンジすることも大事だし、仲間とつながって大きな力を発揮することは、大学生協としても大事にしているところになるので、今後もそういう学生を増やせるように、これからの活動を頑張っていきたいと思います。
本日はありがとうございました。
2025年5月16日 リモートインタビューにて
HY リーダー 新里 英之 氏
1983年生まれ。HYのリーダーで、ギター、ボーカル担当。楽曲によってはラップや三線の演奏もする。通称「ひーで」(Hide)。
2017年からはソロプロジェクト「Hide's Music Story」を立ち上げてライブ活動を展開している。
2000年HYを結成。メンバー全員が沖縄県うるま市(旧中頭郡与那城町)出身。グループ名の「HY」は、彼らの地元・東屋慶名(H igashi Y akena) の地名が由来。
2003年2ndアルバム『Street Story』をリリースすると、インディーズとしては史上初のオリコンチャート初登場&4週連続1位という偉業を達成し、ミリオンセラーに。以来、15枚のアルバムをリリース。
2021年は地元うるま市初の観光大使となり、沖縄県世界自然遺産大使としても任命される。
(公式サイトより一部抜粋)
OFFICIALSITE https://hy-road.net/