立田 真文 准教授

「環境と宗教というのは、非常に背中合わせなんです」

他、質問ありますか?何でもいいですよ、聞いてください。

今のお話とかも聞いていて、オンライン授業で苦しんでいる学生もいるけれども、「今やることをやる」というところはすごく今の学生に伝わるメッセージかなと感じました。ぜひ先生に聞いてみたいと思ったのは、「大学生が環境を学ぶ」というところまで戻っていくのですが、環境を学ぶということ、『eco-op』とかにも書いたりしてあるのですが、環境を学生が触れるということについてなにか思うところとか、こういうところで触れられたらという話があったら、ぜひお聞きしたいなと思いました。

僕ね、学生には必ず言うのですが、環境と宗教というのは、非常に背中合わせなんです。それはなにかというと、これは僕の経験から来るのですが、僕は以前「マイチョップスティックス」って「マイ箸」、自分の箸を持ち歩いていたんです。で、「マイカップ」いうて、自分のカップも持ち歩いていたんですね。僕がマイ箸を持ち歩くと1本割り箸を使うのが減るやんか、という考えでやっていたのですね。カップもそうで、僕がマイカップを持っていったら、一つの紙カップの使用量が減るやんか、ちょっとでも環境に貢献できるやんか、と思っていたのですね。けども、それやりだすと、僕だけかもしれませんが、マイ箸を持っていない人が駄目人間だ、という考えになって来たんです。で、カップを持っていない人は「あいつは駄目だ」と。マイ箸を持ってる僕は素晴らしい、あいつは駄目だ。「ほら、あいつはカップを持ってない、あいつは割り箸を使っている。あいつは環境を考えていない。」という考え方になってきたのですね。で、ある時気付いたんです。「あ、これはあかんな、マズいな」と。例えば、彼女がマイ箸持っていない、親がそうしていない、妹がそうしていない。うちのお兄ちゃんそうしていない。全部みんな駄目人間だ。学校の友達もしてない。駄目だ。そうなると、非常に生きにくくなるし、そういうことで人って評価できないんですよね。だから、やるんやったら、マイ箸持つんやったら、お前が自分だけ持てと。人を言うなと。押し付けるな、と。お前が持てばええやん。持ってない人を非難するな。マイカップ、マイ箸を持ってない人を非難するな。お前が自分でやればいいねん。それを人に押し付けたら、それは宗教になるからやめとけやっと学生に言っているんです。それは本当に気をつけなあかん言うてます。それをするからその人はいい人、悪い人じゃないでしょ?別に彼女がマイ箸持ってなくても、それはそれでええやん。自分だけ持っていればいいやん、という話です。
だから、環境と宗教って、非常に隣り合わせなんでね、背中合わせなので、それは気をつけなければ、友達なくすで、って言っています。やりたかったら自分だけでやればいい話です。ゴミを分別するとかしないとかね、誰が分別しないとか、それはそれでいいやん。そんなことじゃないよ、って思いますから、学生にも必ず言っているんです、あかん、やりたかったら自分でやりなさい。自分だけで完結しなあかんって。そういう考えは、僕は怖いなと思うんですね。自分がするから、相手もしなければならないとか。。自分の経験からそう思うんですね。まあ、僕だけかもしれんけど、僕みたいに多分そういう風に考え出す人もいるかと思うんですね。自分だけ偉いとかね。違うやろと思う。だって、僕今、車に乗っていないんですよ。車をやめたんです。前、トラック乗りすぎて、いつかは車のない生活をしたいなと思っていたのですよ。僕は今通勤が電車。で、車が必要な時はカーシェアとかね。使っています。だから、非常に環境にはいいわけですけれど、じゃあ、車に乗っている人があかんかというと、そんなことないでしょう。一緒ですよ。僕、車に乗ってないから、偉いとか。車に乗っては駄目、とか。そういう話でもないし、そういう考えは駄目でしょ。僕はそう思う。

ありがとうございます。今の話を伺って、確かに人に押し付けるものでもないな、環境って、と思ったのですけれど、もう一つ難しいなと思ったのは、やっぱり環境ってみんなを巻き込んでいかないと広がっていかないなと思ったときに、どう巻き込んでいくんだろうと……。

だから、親しみやすい落語とかそういうものでゆっくり伝えていくしかないのですよ。どこかで皆さんが気付いてくれたらいいなという話です。僕はそれしかないと思う。だから、みんなが親しみやすいような媒体を通じてやっていくのが僕らの使命やと思うのです。僕ら専門家の。だから僕はいろんなものをやっていきたいな、伝えていきたいなと思う。それ以上はできないです。あんた、これせい、あれせいとできないですし、僕はしたくないです。

ありがとうございます。確かに親しみやすいものに触れるというところは、学生が一つできることかなというところは、今お話を伺って思ったので、そういったような連鎖が起きていくのがいいのかなと感じました。ありがとうございます。

僕の人生で、人に理解させようとして言った言葉よりも、ぽろっと何気なしに言った言葉のほうが人の心にぐっと入ってくる。こうだよ、こうだよ、こうだと言うよりも、ぽろっと出た言葉のほうが人の心を変えやすいかな、と僕は思うんです。だってね、授業でなにか大事なことを言っても学生は覚えてないですよ。授業で大事なことを説明してるでしょ。学生は全然覚えてないし、「こんなこと言いましたか」とか言う。反対にしょうもないことは覚えてる。今、学生実験で、ごみあさりさせているんですよね。ごみを持ってきて組成ごとに分別させているんです。そういうのはよく覚えているんです。でも、これは大事だから教えなあかん、これをやらせなあかんと思って教えたことは、学生は全然覚えていない。ごみあさりとかそういうやつは、むっちゃ覚えているんですよね。だから、そういうことを考えると、あんまりぎゃーぎゃー言うても、人の心に響かないんですよね、結局。だから態度で示すとか、いちいち言うのじゃなくて会話でぽろっと出てくるような、そういう感じですね。だから、僕は学生ともたくさんしゃべろうとはしているのですね。だべるというか。講義とかとは違います。そういう、何気無い会話の中で何か感じ取ってくれたら。いいと思っています。それしかないですよ。学生も一人の個人だし、それを先生がどうのこうのさせるというのは、それはちょっと間違っていますよ。間違っているというか、僕はそういうのはしたくないです。どっかでいつか気付けば、いいかなって。だっていろんな家庭環境で育ってきて、みんな違うでしょ、バックグラウンドというのが。そしたら、一つのことを聞いても、みんな受け取り方が違うでしょ。どこかで僕がボタンを押してあげられるかもしれないし、それは分からないけども、それはもうゆっくりというかね、じっくりとやっていくしかないかな。。急に、こうしなさい、あれしなさいと言うからおかしくなるのですよ。

非常にこの間、環境を推進するというかたちで学生委員は頑張って考えるのですけれど、やっぱりすごく難しいなというふうには思うのですよね。やっぱり目に見えないですし、先ほど人生も目の前のことをコツコツというお話もしていただいたのですけれど、環境もやはり、今この、もしかしたら分別みたいなものが全然意味がないかもしれないみたいなところであったり、数字で表れないと自分たちがコツコツ積み重ねていることが目に見えない。それも非常に分かるのですけれども、それでも実際環境問題についてまず自分で動こうと思えている自分をしっかりとしていかないとなあとすごく思って、そういう人を少しでも増やせる機会になればなあということで、我々としても、環境セミナーというかたちで、まあ単に教えられるものではなくて、教えてもらいながらみんなで考えるような時間にしたいなあというふうに思って、結構試行錯誤はしているところです。

僕が学生としゃべる時間を持つのと一緒のように、そういう環境について考える『場』を提供していくことは大切ですよ。一回だけ提供したってみんなは変わらないし、けども何回かで変わってくるかもしれないし、それは分からないでしょ。全然変わらない人もいるかもしれないし、そんな人はいると思う。けどもそういう場を提供するということは非常に大切です。だから、やっぱりね、昔から言われている継続的にやっていくというのは非常に力になりますよ。途中でやめたらだめ。だから、続けていく限り失敗はないという本が出ていていますけれども、同じで、やっていくことに意義はあると思います。そこで何人啓蒙できるか、そんなのは分からない。けどもやることに意義があって、それを企画して皆に投げかける。そこで別に誰も心を打たれなくても、それは仕方ない話で。けども、次の機会に2、3人とか、次の機会に10人とか、あるかもしれない。それは大切やと思います。無茶苦茶大切やと思います。

ありがとうございます。本当に励みにあります。ぜひ環境セミナー、今年はオンラインで開催をするかたちになっておりまして、その時にぜひ先生の動画なども配信のかたちにするので、録画はできるかなと思うので、ぜひよろしかったら。

ありがとうございます。また教えてください。

見ていただけたらなあと思います。

見ます。ありがとうございます。