▼ Profile
古本
先生が風土記を専攻された理由は何ですか。
兼岡
文学の発生ですとか、そもそも日本ではどのように「文学」が作られてきたのか、ということに関心があり、奈良時代以前の文学を専攻しようと決めました。風土記は、奈良時代に編纂された日本最古の地理書で、当時の日本各国で作成されました。私は大学時代ワンゲル部で、フィールドワーク的なものに対する憧れもあって、風土記を選べばフィールドワークができるかもしれない、と。風土記は現在、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5つが残っていて、私は千葉県松戸市出身なので、卒論では出身地に近く、関東で唯一残っている『常陸国風土記』―現在の茨城県の風土記を選びました。「風土記をやりたい」と指導教官に相談したら、「今、日本で風土記に取り組めば5本の指に入れるよ」と。
古本
そうなんですか。
兼岡
それだけ研究者がいない、ということですよね。現在も残る五つの風土記の中で、ほぼ完全に残っているのは出雲だけ。全体像が見えないので、編纂意図や構成、さらに出雲以外は編纂者も分からず、どうアプローチして良いかわからない。地方の文献なので、同時代で比較できる資料も少ない。でも、やっていくうちに当時の地域の様子をつたえる記事や説話をよみとくのが面白くなって、大学院に進学しました。
古本
なぜ、受容の研究をされたのですか。
兼岡
古代日本には六十近い国があった中で風土記は五つしか残っていない。ではなぜ、それ以外はなくなり、逆にその五つは残ったのか、という大きな問いがありまして。そこには偶然、必然、色々な理由があるはずだと。結果的に、風土記自体の受容、歴史、研究史を辿ると同時に、それぞれの地域に対する眼差しや歴史、人々の思いも辿る作業になって。その営みが、地域史の掘り起こしや人々の故郷に対する思いを知ることに繋がっていくのが非常に面白く、研究を続けています。
古本
海外の受容についても研究していると伺ったのですが、どんなきっかけがあったのですか。
兼岡
2018年に研究休暇でドイツのハンブルク大学へ海外研修に行ったんです。
そのハンブルク大学の前進、ハンブルク植民地研究所の初代日本研究の教授に、カール・フローレンツという日本学者がいるのですが、彼は東京帝国大学でドイツ語などを教える傍ら日本研究に従事し、『日本書紀』のドイツ語訳によって、外国人として初めて帝国大学で博士号を取得した人物です。彼の著作の一つである『日本文学史』には、ドイツ語訳された「風土記逸文」(現存する五国風土記以外で、他書に引用される形で部分的に残っているもの)が掲載されています。当時、明治期の日本文学研究でも風土記はマイナーなのに、なぜドイツ人の彼がそんな風土記をドイツ語訳しているのかと、びっくり。実はこのフローレンツ、同じく帝国大学の教授だった国文学者・芳賀矢一と親しく、学問上でもさまざまに影響を受けているんですね。ちなみに芳賀矢一はベルリンに留学していますが、同じ船には夏目漱石も乗っていて、矢一の日記には、漱石が船酔いで苦しんでいる、なんていう記述もみえます。
一同
へえ~。
兼岡
19世紀前半、ドイツでは国民意識高揚のため、グリム兄弟が地方の民話を採集していた時代。芳賀はドイツの文献学などを学ぶとともに、そのようなグリム兄弟の営みにも関心を抱いていました。翻って、風土記は日本における地方民話であると。そこから芳賀は、風土記を非常に価値ある文献として評価し、風土記を研究する重要性を述べています。さらに19世紀末から20世紀初めにかけて、栗田寛という水戸藩出身の歴史学者による風土記の注釈書が相次いで出版されました。そのような風土記研究の動向を受け、フローレンツのドイツ語訳が為されたのです。
このような、外国人が風土記に対してどういう経緯で注目し、どのように翻訳するのかという視点も非常に面白く、やらなければならないと気がつきまして。フローレンツと同時期の日本研究者で『古事記』英訳をしたチェンバレンや、『日本書紀』英訳および『日本文学史』の著作で知られるアストンなど、彼ら外国人研究者の日本文学へのまなざしも辿ることで、当時の日本へのまなざしなども見えてくると思い、外国人の風土記受容もテーマに盛り込みました。
高津
日本国内からと海外の人からでは風土記の捉え方はだいぶ違うのでしょうか。
兼岡
やはりそもそも翻訳が難しくて。意味を訳すことは出来るけど、時代背景や風土、歴史についての注が沢山つきます。風土記には、ダジャレ的な地名起源譚が多いんです。例えば、常陸の由来として、ヤマトタケルがその土地にやってきて、とてもきれいな泉の水を飲み、愛でられた。その時、袖が漬(ひた)されたから「ひたち」→常陸になった、と『常陸国風土記』には書かれているんです。これは日本語のダジャレなのでそれを意味だけそれぞれの言語に訳しても面白くも何ともない。
高津
確かに。
兼岡
このダジャレによる地名起源が、私が風土記を面白いと思った第一の理由です。風土記は当時の公文書。真面目なお役所の文書にくだらないダジャレの起源譚が沢山。古代人のこの感覚って何だ!?と。
古本
「創作狂言プロジェクト」(※コラム参照)についてお聞きします。
兼岡
「創作狂言プロジェクト」は、平成17年、当時いらっしゃった文学部の先生と、狂言師の小笠原由祠先生が、文学部の授業で創作狂言公演を行ったのが始まりでした。平成21年度から普遍教育の授業で、小笠原先生と千葉大学、千葉県・千葉市の文化振興財団、そしてNPO法人フォーエヴァーが共同して行う授業及び事業という形で発足しました。千葉大学では文学部・柴佳世乃先生と兼岡が授業をサポートし、今のかたちになっています。
高津
狂言と能の違いは何でしょうか。
兼岡
狂言というのは庶民劇で、大名を笑ったり、権威に対して皮肉を言ったり、喜劇の中に風刺もある。それに対し、能は悲劇的なものが多く、人間の深い闇や悲しみ、死者の弔いなど内容自体の性質に違いがある。創作狂言は、伝統的な狂言で演じられる曲(演目)を参考に、下の者が上の者をやり込めるといった場面展開(シーン)を生かして、作られています。例えば「千葉笑い」という演目は、大晦日に地域の住人たちが集まり、顔を隠して為政者や家族の不満を言って笑い飛ばすという、千葉市の千葉寺に江戸時代頃から伝わる風習が、モチーフになっています。まさに今でも通じる題材ですよね。伝統芸能の中に、現代の姿や、今の時代に対する批判を入れ込むこともできる。また、地域の伝承や歴史をもとに、そこから新たな伝承を作ることもできる。色々な観点から「伝統文化をつくる」営みです。
高津
どのように演目を選ぶのでしょうか。
兼岡
小笠原先生と、主催者である県財団が相談しながら選んでいきます。「千葉で特に知って頂きたい」という視点で選ばれることが多いですね。各地域には、その地域の人だけが知っている興味深い伝承や芸能がある。まさに地域再発見という観点ですね。
高津
千葉大学の学生はどのような取り組みをしているのでしょうか。
兼岡
授業の中で主に四つの班に分かれます。舞台に上がる舞台班、舞台で使う小道具や衣装を作る道具班、公演当日にロビーに狂言の歴史や伝承等についての展示パネルを作り、解説をする展示班、SNSやポスターで広報活動を行う広報班。これら各班で横の連携を取りながら活動を行っています。公演のパンフレットやチラシに関しては、学生が作成し、授業の中でコンペを行って選んでいます。
高津
衣装や小道具も千葉県の名物をモチーフにしたものが沢山ありましたよね。
兼岡
そうなんです。衣装も学生が作っています。「千葉わらい」(令和4年度公演)で使用された太郎冠者の衣装の肩衣は、千葉の名産のニンジンやサツマイモ、落花生、鯛をモチーフにしたんです。
高津
伝承はどのように調べるのでしょうか。
兼岡
授業の中で講師の方が基本的なレクチャーをして下さり、その後学生がさらに詳しく調べ、それを展示パネルや、パンフレットに落とし込んだりします。令和5年度公演「千葉の羽衣物語」は、千葉県の地名の由来となった千葉氏の始祖伝承に基づいたもので、天女の羽衣伝説がモチーフとなっています。その伝説にちなんだ松が、現在、千葉県庁前に「羽衣の松」として植えられているのですが、そこに広報班の学生が取材に行き、SNSで紹介していました。
古本
活気に溢れていますね。
兼岡
だんだん、「授業」が「事業」になるわけです。お客様がお金を払って観に来る有料公演。プロの狂言師がいて、また舞台には学生のほか、狂言ワークショップに参加した県民の方々が上がるのですが、この方々が実にアクティブで一生懸命取り組んでいる。学生たちはその姿に刺激され、自分たちもやらねば!と目の色が変わってくる。そういう姿を見ているのが教員としてもすごく励みになります。大学での授業の講師は、県財団の職員の方と俳優の加藤充華さん。非常に贅沢な授業です。様々な立場の人たちがいることが学生にも刺激になっています。
古本
狂言の本編が始まる前の寸劇に兼岡先生も出演されていて驚きました。
兼岡
あの寸劇も伝統がありまして。
古本
えっ! そうなんですか!
兼岡
あの寸劇は平成23年度から始まったんです。私は22年度に千葉大に赴任し、舞台を見て、居ても立っても居られなくなり、ワークショップ参加者として舞台に上がるようになりました(笑)。そして平成23年度公演「千葉わらい」の時、上演前の挨拶の際、舞台班の学生が「千葉わらいが始まるからおまえも行くっぺー」みたいな感じで演目に繋いだら面白いのでは? と提案して。それがきっかけです。舞台内容のちょっとした紹介や、公演のモチーフとなった伝承や歴史に関するネタを学生が考えます。
高津
今回の寸劇は「新千葉弁」でしたね。
兼岡
千葉県内にも様々な方言がある訳ですが、「~だっぺ」と言えば「千葉」だっぺ!これは千葉の話だっぺ!ということで、いわば創作狂言における「新千葉弁」。
高津
舞台の裏側を知れて興味深いです。
兼岡
伝統文化というと敷居が高い感じがすると思いますが、観に来ていただいた方にはとにかく笑っていただければ大正解です。
古本
菓子栞(※コラム参照)を創作する授業があると聞きました。
兼岡
実はこの授業は、もともとは菓子栞を集める趣味から始まったんです。和菓子って、地域の歴史や文学をモチーフにして作られたものが多いんですよね。そしてそれが書かれている菓子栞を紐解くことで地域の歴史や文学、それこそ「風土記的」な観点で地域の産物や産業を調べられます。例えば、「生せんべい」という愛知の銘菓があります。菓子栞によればその由来は、徳川家康が戦の途上、ある農家の軒先に、生のせんべいが干してあるのを見つけたと。お腹が空いた家康は、我慢ができず食べてしまい、その美味しさに感動した。さらに、その農家には美しい娘がおり、家康に恋するものの、身分違いの恋に悩み近くの池に入水。その時、池の表面が、雲母のごとくキラキラと輝き、この様子にもとづいて作られたのが、この「生せんべい」だそうです。ですが、これって絶対嘘じゃないですか(笑)。そもそも生のせんべいを干してるかな、とか色々ツッコミが入る。だけど一方で、その土地で家康が戦に赴いたということは史実としてある。それから、農家の娘も絶対に架空の人物だと思うけれど、恋に悩んで入水自殺をするというのは、『源氏物語』の浮舟にも通じるような、ある種の王道パターンなわけです。歴史的な事実の中に悲恋物語の王道パターンーモチーフが取り入れられ、伝承が作られ、そしてお菓子の由来となる。これも新たな『伝承』ですよね。初めは菓子栞の内容から歴史を紐解くという趣旨だったけど、「伝承を作る」ということについて応用したいと思い、大学銘菓、そして、その菓子栞を創作するという授業を思いつきました。今、千葉大で販売されている大学銘菓には、きちんとした菓子栞が入ってないんですよ。
古本
授業の栞が採用されるかも?
兼岡
それが野望です(笑)。大学銘菓およびその菓子栞を創作する活動を通じて、地域や大学への理解も深まる。千葉大学ならば大学の歴史や、千葉の名産、歴史を知ることにも繋がる。私の専門である上代文学に結びつけて、『古事記』『日本書紀』に登場するヤマトタケルとオトタチバナヒメの伝説をモチーフに銘菓を作る、というワークも行ったことがあります。その時には、当然、記紀の記事を深く読みこむ必要がある。そしてそこから菓子や菓子栞を考えていくわけですが、オトタチバナヒメが入水するという内容から、海をモチーフにした菓子や、ヤマトタケルにちなんだ草薙剣をかたどった菓子など、それぞれ違った観点・切り口から、多種多様な菓子・菓子栞が創作されました。去年からは千葉県・成田の老舗菓子舗である「なごみの米屋」の社員の方を講師としてお招きし、菓子制作の上で大切なこと―― コンセプトの重要性など―― を講義していただくとともに、各作品─創作銘菓完成の際は、審査員として講評をしてもらいました。こうしたプロの方からの視点、アドバイスを受けると、学生の方も大きく意識が変わりますよね。また先ほどコンセプトの重要性、という点に触れましたが、大学銘菓を作るにあたっては、大学の「売り」を考える必要がある。以前、非常勤で行った駒澤大学のワークでは、駅伝強豪校、また仏教系大学という特色から、「たすき飴」とか「シャカシャカ釈迦」とか(笑)。一方、青山学院で担当した際は、みんな横文字なんですよ。「Aogaku Coffret」とかお洒落系。成蹊大学はマダム的な小洒落た雰囲気。
古本
創作栞を実際に採用する機運も?
兼岡
いやいや、まだないです。学生発案だとマスコミ的にもネタとして扱いやすいし、売りにもなる。学生のアイデアも豊富だし、ぜひやりたいなと野望を抱いております、と書いておいてください(笑)。
古本
先生にとって古代文学を学ぶ楽しさとは何でしょうか。
兼岡
(古代とは?)私たちにとって未知の世界です。だけど繋がっている。同じところも違うところもある。そうした視点から今の生活を客観視できる。文学では時空を超えた旅ができる。風土記でいえば、古代の地誌である風土記に登場する地を、実際に訪ねることが出来る。あるいは足を運べなくてもその土地に思いを馳せ、昔の人たちはこの土地で、どんな思いを抱いて、こんな伝承を語ったんだろう、歌を作ったんだろう……と、今、ここに存在する「場所」と、過去の文献である「風土記」を通じて想像できる。これは別に古代の文献に限らないと思いますが、私にとっては未知の世界を知ることができる魅力的な方法のひとつが古代文学であったという、そういうことかな、と思います。
高津
最後に大学生に一言お願いします。
兼岡
書を持って、町に出よう。あるいは置いてきてもいい。とにかく、思い立ったが吉日。「研究してます!」なんていうと偉そうですが、私にとっては、風土記研究も菓子栞も、全部偶然から始まっていて、高邁な思想を持って始めたわけではありません。好きなものとか何気なく見ているものが研究の対象になる。その時に本がヒントになったりもする。本や文字の世界は同じものを読んでも人それぞれ違う世界がある。たった一つの答えなんてない、世界はほにゃほにゃしたものだ、と。しなやかに、五感を大切にして欲しいです。
房総に伝えられてきた民話や伝承をもとに、和泉流狂言師小笠原由祠、千葉大学、(公財)千葉県文化振興財団、県民で、新たに狂言を創作するプロジェクトです。千葉大学、NPO法人フォーエヴァー、千葉県文化振興財団で運営委員会をつくり運営を行っています。 (参考:千葉県文化振興財団作成・創作狂言公演パンフレット)
菓子栞とは菓子の歴史や由緒を記した栞で巻物や冊子、一枚物などの形状があり、中には店の由緒やお菓子の由来、材料や製法へのこだわりが書かれています。「モンドセレクション金賞受賞」「宮内庁御用達」といった権威付けやアフターケア(不良品交換等)や品質管理で顧客購買者への配慮も示されることによって、信頼関係を構築する。味プラス・アルファで商品の魅力を引き出だすことで顧客に幸福(口福)感を与える。菓子栞を読むと、菓子そのもの以上の美味しさを感じられます。
「若草」(島根県)の栞を読むと、その由来は藩主が詠んだ「曇るぞよ雨振らぬうちに摘みてこむ梶尾山の春の若草」から命名された、とあります。それに続いて味の説明。鮮やかな若草色で柔らかい口あたりの求肥が……とまさに食レポ。食レポの上手な人が「ふわトロ感のシュークリームのこの皮が……」と話すのを聞くと、一層食べたくなります。菓子の栞も一緒でそれがあると一層美味しそうだなと思えてきますね。
コレクション欲が湧いてしまうのが「赤福」の菓子栞。日ごとに異なったバージョンが梱包されています。セメント産業が盛んだった山陽小野田市には「セメント+樽」で「せめんだる」という最中があります。樽の形をかたどった菓子栞で、背面には《せめんだる川柳》なるものが詠まれています。
「空也最中」(東京・銀座)の店舗地図は必見。シャネルやグッチ等のブランド店が重点的に地図に配置されていて、銀座に老舗を構える自負が溢れています。
古本拓輝
入学と同時にコロナ禍に見舞われましたが、そんな時に兼岡先生が「風土記を旅する」をテーマに授業を構成してくれました。古代文学を読み解くだけでなく、そこからクリエイティブな作業の機会がありとても楽しかったのを覚えています。今回の取材でも先生が現代と古代をつなぐ受容のあり方をお話ししてくださりました。先生の愉快なお人柄も垣間見え、とても有意義な取材になりました。
高津咲希
古代について学ぶことが今を見つめ直すヒントになると感じました。先生が今まで集めて来られた菓子栞がびっしりと綴じられたファイルの分厚さにも驚き、伝統芸能から身近なお菓子まで、様々な視点から地域に根ざす文化を紐解く面白さに触れることができました。また「思い立ったが吉日」という言葉や先生が趣味のマラソンを始められたお話なども心に残り、私も色々なことに挑戦してみようと思いました。
▲ Profile
*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。