わが大学の先生と語る
「ともに変わりともに生きる言葉」笹原 宏之(早稲田大学教授)



笹原先生の推薦図書

P r o f i l e

笹原 宏之(ささはら・ひろゆき)
略歴
1965年、東京都生まれ。
早稲田大学大学院修了。博士(文学)。
文化女子大学の専任講師、国立国語研究所の主任研究官などを経て2005年に早稲田大学社会科学総合学術院の助教授、2008年から教授(現職)。日本漢字学会理事、日本語学会評議員、デジタル庁文字要件に係る検討会、文化審議会国語分科会、法制審議会戸籍法部会などの委員、NHK放送用語委員、方言漢字サミット顧問など。金田一京助博士記念賞、立命館白川静記念東洋文字文化賞優秀賞、早稲田大学ティーチングアワード受賞。
■主な著書
『美しい日本の一文字』(自由国民社 2024)、『画数が夥しい漢字121』(大修館書店 2023)、『漢字はコワくない クイズ120問』(東京新聞 2022)、『漢字が好きになる‼(小学生のミカタ 漢字博士がマンガで解説!)』(小学館 2021)、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中央公論新社 2017)、『漢字の歴史 古くて新しい漢字の話』(筑摩書房 2014)、『訓読みのはなし 漢字文化と日本語』(角川ソフィア文庫 2014)、『漢字に託した「日本の心」』(NHK出版新書 2014)、『当て字・当て読み漢字表現辞典』(三省堂 2010)、他は、推薦図書を参照。
  • 力武 麗子
    (社会科学部4年生)
  • 會田 彩乃
    (社会科学部4年生)
 

 

1.漢字博士へのあこがれ

力武
 先生は漢字をはじめ日本語について多様な研究をされていますが、日本語に興味を持ったきっかけを教えてください。

 

笹原
 きっかけは些細なことだったんです。小学5年生のとき、クラスメイトが生き物のタコは漢字で「鮹」と書くのだと話しているのを聞きました。でも、自分が漫画で見たタコの漢字は魚偏ではなく虫偏だったなと思い、不思議に思いました。クラスメイトは「鮹」という字を漢和辞典というもので知ったと話していたので、その日、学校から帰って、三つ上の兄の部屋に忍びこみ、漢和辞典を見付けだして「タコ」を引くと魚偏の「鮹」も虫偏の「蛸」も載っていました。同じ言葉に二つの漢字があることの面白さも感じましたが、初めて開いた漢字辞典にも興味を持ちました。見たこともない漢字から普段使うような簡単な漢字まで載っていて、驚きました。それから漢字や言葉について興味を持つようになりました。だから、あの日のクラスメイトの会話がなければ漢字や言葉に特別な興味を持つことも、こうして研究者になっていることもなかったと思います。巡り合わせ、めぐり逢いだなと思います。

 

力武
 先生の日本語への興味は漢字からだったんですね。

 

笹原
 そうですね。漢和辞典を眺めながら当て字を抜き出してノートにまとめたり、難しい漢字を暗記したりしました。中学生のときには、兄が全13巻の『大漢和辞典』というものがあると教えてくれて、祖父母に買ってもらい、さらに漢字の世界にのめり込んでいきました。そのときは漢字を暗記して頭の中にたくさん集めることが好きだったのだと思います。なにかを収集するのと同じ感覚で楽しみながらやっていたと思います。

 

力武
 先生は言葉の採集を今もされていますが、そこから始まったんですね。

 

笹原
 そうですね。はじめは言葉の採集というのは既に終わっているのだと思っていたんです。新しい言葉が出てきても、辞書はもう完成しているのだからそれらは辞書に載せる必要はなく、採集する必要もないのだと。でも、辞書には改訂があり、新しい言葉が追加されることもあります。そういうことを知るうちに辞書というのは完成していないのだと考えるようになりました。ちょうどその頃に、雑誌や新聞から言葉の採集をしている先生がいると知って、日ごろの言葉の疑問についてお手紙を出すようになりました。お返事を下さることもよくあって、今考えるととてもありがたかったと思います。そうしているうちに言葉の世界には動きがあるということが分かってきて、見たことがない漢字や言葉をみつけてはメモをするようになりました。将来の辞書の改訂に役立てることができるのではないかと思ったんですね。そして、言葉を集めているうちに辞書に載っていることは本当に正しいのかと疑問に思うようになりました。同じ分野の研究者の間で漢字や言葉についての意見が激しく対立していたり、名字で使われている漢字が辞書に載っていないことに気がついたり。それまでは漢字の採集を楽しんでいるだけでしたが、だんだん漢字や言葉を取り巻く状況に疑問を感じて自分で調べるようになりました。近所の図書館の本も読みましたね。でも調べれば調べるほど、新しい疑問が浮かんできて、最終的に大学で言葉について学ぼうと思うようになりました。

 
 

 

2.研究者への道

 

力武
 大学に進学されてから研究者になるまでの道のりを教えてください。

 

笹原
 大学では主に研究の仕方を学びました。今まではほとんど我流でしたから。学部生時代は中国の漢字について学んでいたのですが、勉強の中で日本の漢字や言葉の方により魅力を感じ、大学院では日本語学に所属を変えて学びました。その後は学生時代にアルバイトをしていた文化女子大学に就職して、日本語教師として留学生に教えていました。日本語の専門的なことを教えるわけではなかったのですが、日本語教育から学ぶことは予想以上に多かったです。自分は日本語のネイティブであるし、研究もしていたので、完璧だと思っている部分もあったのですが、日本語教育と国語教育の勉強は全く別にしなければいけないと痛感しました。例えば留学生に形容動詞と言っても通じないんです。勉強になりましたし、若いころはなんでもやってみることは大事だと今思います。その後に大学時代の恩師に勧められて、国立国語研究所に勤めました。決められた研究を共同で行うことがほとんどで、不完全燃焼を感じることもありました。でも、出会いに恵まれました。研究所には多種多様な分野の人がいて、心理学者の人との共同研究が学際的な研究を行うきっかけになりました。他にもショートメールの研究をアルバイトの学生の協力を得て行ったり、今のデジタル庁での仕事につながる電子政府事業の立ち上げに深く関わったりもしました。本当に多様な仕事を経験しました。研究所で10年近く過ごした後は、研究所時代の社会に関する学際的な研究が合っていると認められたのか早稲田大学の社会科学部に助教授として着任しました。今までの経験が財産になっています。また、その場その場で真面目に仕事をして、人の信頼を得ることがとても大事なのだと思います。

 

力武
 今の社会科学部の教授になってからはどうでしたか。

 

笹原
 社会科学部の講義は、初めは難しかったですね。学生の反応が薄くて(笑)。文学学術院でも授業を持っているのですが、そっちは打てば響くような感じなんです。でも、社会科学部の授業は当初は砂漠に水をまいているようでした(笑)。

 

一同
 笑

 

笹原
 だから、工夫しながら授業を続けていきましたよ。社会科学部の授業は社会科学部特有の内容に、文学部はまた違ったふうにそれぞれ発展させていきました。学部間でこんなにも違っていて面白いなと思いましたし、私にとって鍛えられる時間でもありました。また、授業を通して学生から学ぶことも沢山ありました。学生のレビューシートを授業で紹介してフィードバックをすると、それに対してまた他の学生から「こういうふうにも思った」という意見や「最近はこういう事も起きている」という情報が届くんです。そうやって切磋琢磨しています。まさに「共学一如」です。教えることは学ぶことでもあるという意味の言葉です。博士になっても辞書や教科書の編纂をしても、とてもではありませんが分からないことばかりでした。だから、今も学生や古い時代の文献などから学び、勉強を続けています。

 
 

 

3.未完成の理念

 

力武
 先生の講義を受ける中で、新しい日本語や若者言葉に対して前向きだったり興味津々だったりする姿勢を感じています。

 

笹原
 先ほどの話ともつながりますが、はじめ辞書は完成していると思っていました。それは、辞書を編んでいる人は完成品のような大学教授の博士なのだから、その人たちの言うことに従っておけばよい、そういう人が作る辞書は絶対だと小中学生のころなんかは思い込んでいたんです。ところが、自分が教授や博士になって辞書の編纂もしてみて、とてもじゃないけれどわからないことだらけで。わからなくても、それらしく何か書かなければいけない(笑)。そういう立場に過ぎない、ということに気が付きました。あまりそういうことを言うと権威が下がるから言わないようにしているけれど(笑)。でも事実だからこそ勉強を続けて、みんなからも学ぶし、古い時代の文献からも学び続けています。文字の力は大きいので、亡くなった人が残した文献が山ほどあって時空を超えてインターネットででも本でも読むことができる。そんな風に勉強しながら、自分の中で言葉とか文字は要するにこういうことだとまとめて、真実をみんなに伝えたいな、本当のことを知ってもらいたいなという想いで、論文や本を書いたり、辞典や教科書に反映させたりしています。辞典などに書くとどうしても現実よりも小さくまとまってしまうので物足りなさもあったりします。でもやらないといけない作業ですよね。そうやって凝縮や取捨選択もしつつ、言葉や文字について本当の情報をみんなに提供したい。本当のことを知らせるのがひとつの大きな目的です。
 もう一つ、言葉や文字はみんなのものであるわけでしょう。みんなが本当に使いやすいものになっているかなといつも仕事をするうえで考えています。常用漢字や人名用漢字を増やすような国の審議会に関わる機会もあって、「正しさ」ってなんだろう、と。偉い人が言うから正しいではダメであって、コミュニケーションの道具として上手に気楽にみんなが使えるようなものに言葉や文字をもっと変えていけたらいいなと思っています。例えば漢字の点画の「とめはね」でバツを食らうとかね。足をすくうことはやはりよくないと思っています。そういうデザインは昔から人によって様々で、個性や多様性の一つだった。もっと自由に書いて、こだわるべき違うところに目を向けましょう、と伝えつづけていきたいですね。
 究極には本当のことをみんなに伝えるということと、言葉や文字で幸せになってほしいということが目的、目標ですね。真実を突きとめて知らせるということが研究の目的で、この社会に暮らすみんなをちょっとでも幸せにしていくということが目標、最終的にそこに行きつきました。

 
 

 

4.移り変わる言葉と文字

 

笹原
 最近みんな略字を書かなくなっているでしょう。例えば門構えなんて八画も書くのは面倒くさいはずなのに略さずに書く。場面によって使い分けたらいいのに、習ったものや携帯に出たものがお手本で正しいんだと捉えてしまうのかもしれませんね。私のメモとかは草書みたいにグニャグニャになっててね(笑)、もう自分以外読めなくなっているけれども、その代わり頭で考える速度にペンが追いついてくれます。個性って大事で、それぞれ力や好みは違うわけだから、その人に合った言葉や文字を選んだり場合によっては新しいものを作ってみたりしてよい。共感されたら受け継がれ、共感されなかったらだめだったと消えていく。歴史上そんなことばかりだったんですよ。でも今はもう、与えられた言葉、与えられた文字、与えられた辞典。みたいなもので何か止まってしまっている。閉塞感みたいなものが社会全体に濃くあるでしょう。昭和の頃は色々なことがハチャメチャだったけど、何かこう未来があって、なんだかわからない右肩上がりの勢いがあった。今は感染症の影響などで抜け出せない状況もあるけれども、自分で変えられるもの、自分で使う文字や言葉はもっと良くなるように自分で選んだり、変えたりできる余地がある、そんなふうに私の講義や本を通じて感じてくれるといいな、と思っているんですよ。

 

力武
 今のお話を聞いていて、何となく自分の中の型にハマろうとしている自分に気が付きました。先生の授業を受けていたとき、最初は授業の感想を書くのがすごく苦手で。特に教授のような方はこうじゃなきゃだめ!というような正解を持っているイメージがあってうまく書けなかったんです。でも先生は全くそうではなくて、なんでも感じたことを知りたいと伝えていただいたおかげで自由に書けるようになったことを思い出しました。

 

笹原
 そう。例えば、渋谷の「渋」の四つの点々は何だと思いますか、と授業で聞いてみるとなかなか答えられない子が多い。あれは実は漢文などの二の字点を利用したものです。要するにいちいち二回書くのが面倒くさいから略していた、略字ってものですね。二の字点の知識は漢文で学んでいるのにそれと今使っている文字がなかなか結びつかないみたいで。二の字点がここで便利に使われているなと身近なところと結びつけるように知識を運用していけばよい。でも、一問一答の型が大事だという社会になりつつあるのを感じます。柔軟な、違うところをわたっていって結びつけるような力が世の中にあまり求められなくなっているのかなと思います。
 それから日本って不思議でね、行くとこ行くとこに細かいルールができているんです。経緯を聞くと、わからないけれど代々伝わっていると「秘伝の○○」みたいになっていて。目的も効果もわからないけれどルールができている、そんな世界が漢字や言葉を「信仰」の対象にしている面もあると思います。そういう縛りを私は打ち破りたい。人間が生み出したもので改良していい余地があるのにぎゅうぎゅう詰めの窮屈なものにしていき、日本語や日本社会から多様性が消えた瞬間に何が残るんだろうと常々思います。
 私はその場に最適な表現や表記っていうものがあると思っていて。それは一行ごとに、一行の中でも違うかもしれない。ここは二回目だからひらがなになっていたり、違うものだからカタカナで洋風に表現したり、そういうことがあって構わないと私は思っています。作家の人に聞くとひらがなが続きすぎているから漢字にしましたとか他愛もないこともある。でもそれで読みやすくなっているかもしれないし、何かの感覚が伝わるかもしれない。文脈で字が選べるっていうのが日本語の良さだと思います。ルールか自由かは、どちらの方が表現力・伝達力が強いか、最後はその勝負でしょうね。日本の各社会が表記に厳密すぎるルールをあてはめて的外れなことをしているということに意識が向く空気が強まるといいなと思います。今は嫌な空気や、重い空気がのしかかっていますよね。そりゃあ法令違反は良くないけれど、自由まで束縛されるようになって、それこそ表現の自由さえもなくなってくるとなれば、本当に危ない。それでAIなんかが「代わりに考えてあげるよ」ってそこに入ってきたならば、もう我々の出る幕はなくなってきますね。さぁどうするか、というところで、考えどころですね。

 

力武
 最後に、言葉や漢字をいつも楽しんでいらっしゃるなと感じるのですが、そういったおもしろがり方や楽しみ方のコツ、アドバイスがあれば伺いたいです。

 

笹原
 身近なところにおもしろいこと、楽しいことの種がいっぱいあるので、身の周りの現実に目を向けることですね。例えば皆と話していると大学の独自の用語などいろいろあるなと感じますが、それがなぜ広まったのか、逆に広まっていないものはなぜ広まらないのか、考えてみるといいですね。また、さらにいい言い回しはないかしらとか、身近なところに題材を求めてみましょう。分析までしたならば言葉の力や文字の力を知る良いきっかけになると思いますよ。

(取材日:2024年6月23日)
 
 

 

「させていただきます」と若者言葉

會田
 世間で話題になりがちな若者の言葉遣いについてお聞きしたいです。例えば、学生とのメールのやり取りで、「させていただきます」の誤用が目立つという話を聞いたことがあります。私は「最近の若者の言葉は~」と批判されるのを聞くと、モヤモヤしてしまうのですが、先生はどうお考えですか。

 

笹原
 まず、「させていただきます」という言葉は、元は関西の人が「させていただきまひょ」というような形で、よく使っていた言葉です。それに対して、江戸っ子はこういう回りくどい言葉をあまり好みませんでした。だから「させていただきます」の使い方には地域差があって、それぞれの地域差を大事にできればいいなと思っています。でも、その地域差が混ざり合った言葉というものが、近頃の若者批判と重なって君ら(若者)はなにかとターゲットになりやすいんですね。

 

會田
 なるほど……。

 

笹原
 だから、そういう50代~70代の人にも私の講義を聞いてほしいです。「私たちもナウいとか言って今どきの人は~とか言われたじゃないですか」というように。こういう話を社会人講座ですると、涙を流して「そうでしたね」と言うんです。だから、もっと言葉の世代間格差を埋めるような情報が広まればいいなと思います。だって、「がんばってね」を「がんばってネ」と書いたらおじさん構文と言われるんですよ。

 

一同
 笑

 

笹原
 昭和の頃は「~ネ」はみんな使っていて、小泉今日子さんの歌詞にも使われたりしていたんですよ。それが今だと若い人に気持ち悪いとか下心があるんじゃないかと思われてしまう。そういう不幸を私は取り除きたいですね。「~ネ」はみんながフレンドリーな気持ちを表すために書いていたんだよ、そういう時代だったんだよ。というように伝えて、誤解を取り除きたいです。そうすると時代によって言葉は少しずつ変わるんだなというように相対化して理解できると思います。言葉について絶対視するのは危なくて、言葉について話すときに「この言葉は本来~」「この言葉は絶対~」と言うと議論は危なくなってしまいます。例えば、今は「全然」の後に肯定文がきたら間違いになっていますよね。でも、2000年ほど前に「全然」が登場したときは後ろに肯定文が続いていたんです。それを知らずに「全然の後ろには絶対に否定文がくる」「肯定が続く表現は本来間違いだ」と言うとそれは知識を欠いた暴走した議論になってしまう。そうではなくて、言葉について語るのであれば、「なぜ自分と違う使い方をするのか」というように「なぜ?」に持っていくといいですね。そして、会話の中で解決したり、本を読んだりして、本当の答えを探していけるといいと思います。私は、こんなふうに言葉で不幸せになることをなんとかしたいですし、君らも30代40代になったら、後輩に「今の若者の言葉は」と同じようなことを言っているかもしれない。私はそれをキッパリと断ち切りたいです。

 
 

 

キラキラネームと可能性

力武
 メディアなどではマイナスな側面が語られやすいキラキラネームについて、先生の授業ではまた違った印象を受けました。

 

笹原
 いわゆるキラキラネームは批判されやすいですよね。でも、いつの時代だって不思議な名前はあったわけで、少数派と多数派は常に分かれていました。今の目で見ると例えば奈良時代の名前だって、「蘇我入鹿」っていたでしょう。あれ動物のイルカですよ。今イルカさんって漢字を当てて名づける人はなかなかいないでしょう。不比等とかそういう名前だって、今見ると等しい者がいない、みたいな偉そうな名前じゃないですか。でもその当時はきっと権力者にふさわしい名前だと思われていた。安土桃山時代には「まりあ」さんがいたんですよ。要するにキリスト系が入ってきて洗礼を受けてマリア様みたいになりたいと憧れて、日本名を捨てて「まりあ」ってひらがなでね。そういうのも当時は変だと思う人もいたでしょうね。でも今まりあさんはたくさんいるわけでしょう。そんな様子を見ていると、今の時代の自分の常識の世界こそが完成品であるのに乱れが出てきた、これを全部排除するぞという動きには疑問を持たざるを得ないし、抗ってきました。歴史っていうものを調べると常に新しいものがひょこひょこっと出てきて、心配するまでもなく、その中で必要とされたものにみんな飛びついていってマネする、そして一般化していく。一般化しなければ業界言葉とか若者言葉となるか消えていく、それだけのことなので私は多くのことは自然に任せていいですよと、主張してきました。キラキラネームのような読ませ方も歴史の中で常に現れていて、例えば「朝」と書いて頼朝の「とも」というのも、ばーっと広まってしまってね。朝永さん、というような名字にまで格上げされているんですよね。奈良時代に朝廷と書いて「とも」を表すという用法が流行しているんですね。唐の時代に生み出されてそれが日本に入ってきて、朝廷と書いて「とも」を表すのに廷をとっちゃったんです。これ乱暴でしょう。でもそういった経緯が忘れられて「頼朝さまがいるし」みたいになって朝(とも)と読むことが一般化していった。今そういうサイクルを消しちゃいけないんだとしつこく言い続けています。それが私の一貫した立場ですね。新作がなくなった世界っていうのは要するにお墓みたいになる。言葉についても同じで何となく今完成していて新しいものは全部乱れだ、みたいに思いがちだけれど、考え直してみましょう。博物館に入ったものはそれ以上良くはならないでしょう?  博物館の中の標本のように言葉や文字をしてしまったあと、後悔先立たずなんですよ。未来の人々のために、必ずすきまを開けておきましょうということをね、言い続けています。

 
 

 

インタビューを終えて

力武麗子
 今回のお話を通して、言葉や文字は身近だからこそみんなが議論しやすく社会の影響も受けやすいのだと思いました。また、今使われ続けている言葉も使われなくなってしまった言葉もそれぞれの経緯を抱えていると気づき改めて言葉のおもしろさを感じました。リアルタイムで変化し続ける言葉や文字を間近でおもしろがりつつ、気に入った表現とともに想いを伝えていきたいなと思います。

 

會田彩乃
 年齢が上がるにつれて様々な人と関わるようになり、以前よりも言葉の使い方やそれに対する意見にモヤモヤすることが増えました。自分と異なる言語感覚をどう受け入れたらいいのか悩んでいたので、言葉に対して一問一答的な答えを求めるのではなく、言葉は自由で動きがあるものだと考える、という先生のお話が響きました。言葉の変化や違いを嫌悪するのではなく、そこに疑問を持って調べたり考えたりしてみたいと思いました。

 

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