いずみ読書スタッフの 読書日記 161号


レギュラー企画『読書のいずみ』読書スタッフの読書エッセイ。本と過ごす日々を綴ります。
 
  • 一橋大学大学院 齋藤あおい 
    M O R E
  • 名古屋大学 岩田恵実 
    M O R E
  • 同志社大学4年 畠中美雨 
    M O R E

 

 

一橋大学大学院 齋藤あおい

9月 江國香織を読み返す

  今年の夏は暑く、そしてとても長かった。私はしょっちゅう体調を崩し、部屋に引きこもっていた。そういう時は部屋の掃除がはかどる。本棚の整理中に目に留まったのは、『すいかの匂い』(江國香織/新潮文庫)だった。
 本書は11本の短編から成っており、主人公はいずれも年端もいかない少女だ。本作の特徴として、主人公が悪い人、またはミステリアスな人に出会う確率が高い。例えば、主人公の家の下宿で家賃を踏み倒し失踪する者、主人公を自分の逃避行の道連れにしようとする者、等である。上記の二人は年上のおねえさんで、魅力的な人物だが悪いこともする。とはいえ主人公に対しては優しいので、トラウマというよりは不思議な思い出として胸に刻まれる。
 確かに自分も、子どもの頃は近所のおねえさんに勝手に憧れては懐いていた。しかし就職や進学で町を去る時、彼女たちは何も告げてはくれなかった。自分は取るに足らない存在だったのだなぁという失恋のような経験を通して、彼女たちへの信仰は薄れていった。私はそんな記憶をすっかり忘れていたのだが、誰もが経験しうる子どもの頃の違和感を、本作は思い出させてくれる。それにしても子ども時代とは、自分自身もなかなか残酷だが、無自覚のまま搾取されてもいて、なんとも危うい時分だったと思う。よくサバイブできたものだ。
 

10月 残暑と百合

 10月に入っても残暑は続いた。さすがに夜間は涼しかったので、人と会う用事はなるべく夜に回すようにしていた。
 ある夜、友人に、私が江國香織作品を読み返していることと、それとは別にいわゆる「百合」作品の良さに目覚めつつある話をした。両方の作品に明るい友人は、これが最適解だと言わんばかりに『落下する夕方』(角川文庫)を貸してくれた。
 簡単に説明すると、主人公の彼氏が別の女の子を好きになったと言って別れてしまうのだが、なぜか恋敵が主人公の部屋にやって来て、女二人で一緒に住むという話である。地獄のようだと思うかもしれない。もちろん主人公も戸惑っていた。しかしエキセントリックな恋敵の自由さ、繊細さ、ちょっとずれた優しさを知るうちに好ましく思うようになる。この恋敵はとにかくモテる。主人公の元恋人だけでなく、多くの男性たちからアプローチを受けてはうんざりしている。彼女に入れ込みすぎない主人公だけが、ありのままの彼女を受け入れることができているのが皮肉だ。彼女を愛した男たちにそれができたなら、ラストも変わったのではないか。
 本を返し、人生はままならないねぇという話をした。需要と供給が噛み合うことってレアだ。夏が好きな友人も、今年ばかりは嫌そうにしていた。
 
 
 

 

名古屋大学 岩田恵実

10月13日(日)

 今日は待ちに待った日曜日、のはずだが目前に控える課題は自室の片付けである。秋学期が始まりあれこれしている内に、夏休み最終日に清掃、整理整頓したはずの部屋はもはや怠惰な空間へと成り果ててしまっていた。清掃面はいいとして、問題は散らかり放題の本の整頓である。夏休みにうっかり購入した本は読む時間がとれず部屋に積んでおいたため、リアルに「積読」状態になってしまった。ということでそれらの本棚収納作業を進めていると、棚の奥からとある本が出てきた。『ひとりずもう』(さくらももこ/集英社文庫)だ。この本はさくらももこさんの中学・高校時代を綴った、ちびまる子ちゃんのその先、のようなエッセイ集だ。私はこの本を今までに何回も再読しているのだが、その魅力はさくらさんの王道から外れきった青春模様だ。さくらさんは中学ではなるべく目立たないように生活し、高校は女子校に進学して同様に過ごしていたらしいが、高校生活での、特になにもしない文化祭や消極的すぎる部活動、妄想で終わる恋のエピソードなどは王道の青春とは正反対であり、全く充実していないようにも見える。しかし、さくらさんはその日々に肯定的であり、いつのまにか読者はそののんびりと脱力した日々に引きつけられ、むしろその自由さに羨ましくなってしまう。私も高校時代、そこまで劇的な青春生活は送らなくてしばしば「これでいいのか」と悩んだこともあったが、この本は「それでもいいんだよ」と言ってくれる、実に安心感のあるエッセイなのだ。心が温まったのは良かったが、いつのまにか時は過ぎ、変わらず荒れた自室に冷たい風が吹き込んだ。
 
 

10月15日(火)

 進まない片付け、溜まるストレス。私の生活環境を改善する目的だったはずが、うっかり精神を病みそうな現状だ。心の換気を口実に図書館へ逃げた私が偶然出会った本は、『あなたのゼイ肉、落とします』(垣谷美雨/双葉文庫)だ。私は「ダイエット小説とは一体……?」と、つい興味が湧き本を手にした。この本は、四人の男女が主人公の短編集である。彼らは自分の肥満体型に不満を持ち、とあるダイエットアドバイザーに減量指導を頼む。実は四人には心にストレスが溜まっている、という共通点があるのだが、そのストレスの原因は夫婦や親子関係、学校でのいじめなどの人間関係によるもので、そこには寂しさや劣等感などが混ざった、現代人が抱く複雑な心境・心理が見られる。アドバイザーは四人の心に潜む鬱屈したものを洗い出し、彼らを肥満改善だけでなく心のダイエットにまで導くのだ。文章はとてもテンポ良くサクサク読め、読後感は非常に爽快な気分が味わえる。なんだか登場人物につられて私まで疲れた心が元気になった。帰宅後掃除、片付けは処理速度を倍速にして再開され、夜には無事自室は片付き、ついでに私の心のゼイ肉も落ちたのだった。
 
 
 

 

同志社大学4年 畠中美雨

9月下旬 くるり「ブレーメン」の夕方

  「増税前に!」と学生の身にしては奮発した買い物をした帰り。大金を払い揚々とした心持ち、夕暮れ、そして此処は烏丸御池。足は自然と丸善に向かい、数冊の本を手に「増税前だし」と言い訳をしながら帰宅。
 さっそく買った本を……の前に、懐かしくなり何度目かの梶井基次郎の『檸檬』(新潮文庫)に手が伸びた。幾度も読み返した文章は、其処かしこから思い出が立ち上ってくるよう。随分前に解散した「檸檬の爆弾持ってる」と歌うバンドが好きだったこと、現代文の授業を受けつつノートの端に書いていた檸檬の紡錘形が上手く書けずやきもきしていたこと。だけどもう、『檸檬』の授業を受けていた季節は覚えていない。今日読んだことは次に読み返すときに思い出せるのだろうか、なんて少し考えた。
 
 

10月上旬 気だるい日曜日の正午

 唐突に、そして頻繁に何故か切なくなると、ゆるやかに季節が切り替わったのだなぁと思う。私にとって秋は(春もだが)、そろそろ到来するなんて気配は感じられず気づいたら佇んでいる季節。今年もやっぱりそうで、でも秋だと思ったところで特別に何かしたりするわけでもなく、本棚からちびちびと読んでいる一冊を抜き取る。千種創一の『砂丘律』(青磁社)、初夏にはじめて買った短歌の本である。捲ると解けそうな繊細な装丁に触れて開けば、澄み切った言葉が並んでいる。「潤沢な秋の陽のなかぶらんこは垂れる、さみしい碇のように」「かえで、かえで、かえで降るなか青銅のライター灯し彼へさし出す」写真にも似た一瞬の切り取り、その連続。数ページすすめて本棚に戻した。
 

10月下旬 日が沈んで夕闇の電車内

 この日京阪線のなかで開いたのは、北村薫さんの『月の砂漠をさばさばと』(新潮文庫)。この中の一編、「さばの味噌煮」を確か小学生のときに読んだはず。「月のー砂漠をさばさばとー さばの味噌煮がーゆきました」このフレーズをよく覚えている。さきちゃんという小学生の女の子とそのお母さん、ふたりの日常を描いている短編に、すっと空気を切り取って描いたようなおーなり由子さんの挿絵が色を添える。月にぶら下がったさきちゃんが描かれている表紙。そんなのできっこないよと一蹴することだってできるが、本を読み終えたあとに見るとただ微笑んでしまった。
 ふと窓から外をのぞくと早々と日が暮れていた。もう秋なのだと感傷に浸っていると、すぐに景色は乗り換えの駅のホームに切り替わる。映画館には走らないけれど秋は“感傷中毒の患者”になる。本に浸るにはいい季節。さあ帰ったら何を読もうかな。
 
 

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