いずみ読書スタッフの 読書日記 163号


レギュラー企画『読書のいずみ』読書スタッフの読書エッセイ。本と過ごす日々を綴ります。
 
  • 京都大学3回生 徳岡柚月 
    M O R E
  • 大阪府立大学4年 福田望琴 
    M O R E
  • 金沢大学3年 品田遥可 
    M O R E

 

 

京都大学3回生 徳岡柚月

3月上旬

 気持ちよく晴れた日の午後4時頃。スーパーへと出かける道すがら、最近見つけたお気に入りの本屋さんに立ち寄った。ゆっくり店内を見て回っていると、1冊の本が目にとまった。『わたしの名前は「本」』(ジョン・アガード=作、ニール・パッカー= 画〈金原瑞人=訳〉/フィルムアート社)『読書のいずみ』前号の「座・対談」に登場された金原さんが翻訳され、大好きな女優・エッセイストの美村里江さんが帯を書かれ、長年のお友達である「本」が語り手を務めるらしい。
 うれしい出会いに胸を躍らせながらページをめくっていくと、語り手の「本」が自身のこれまでの人生(本生?)をユーモラスに話してくれる。まだ文字がなく、人が口で「本」を語っていた太古から、活版印刷が主流だった近代、そして、電子化した「本」の仲間が現れ、どんどん数を増やしている現在まで。「本」の長い歴史が、味わい深い挿絵とともに美しいレイアウトで記されていた。その物語を読んで、初めて私は「本」の思いに触れ気持ちを想像した。
 遙か昔から今まで人間のそばに居続け、沢山のことを伝えてきてくれてありがとう。これからもどうぞ末永くよろしくお願いします。読み終わったとき、「本」にそう伝えたくなった。全ての本がより一層愛しいものになった。
 

3月下旬

 空がきれいな水色で、自転車を漕いでいると少し暑いと感じる午後2時過ぎ。今日はバイトがある日。少し早めに家を出て、バイト先の少し向こうの、お気に入りの本屋さんへと向かう。
 お店に着くと、迷わずある場所へと進んだ。そこにあるのは、1冊の写真集。『スティーヴ・マッカリーの読む時間』(スティーヴ・マッカリー〈渡辺滋人=訳〉/創元社)。夢中で本を読んでいる上半身裸の一人の異国の青年と、彼に寄りかかる、優しい目とまるで微笑んでいるような口元をした1頭の象。前にこのお店で見かけ、表紙の彼らに一瞬で心を奪われた。そして次に読むのはこの本にしようと決めた。
 ページをめくる度、違う国の、全く別の人が現われる。でも、みんな本を読んでいる。ときには犬や、象や像まで一緒に。さらにおもしろいことに、みんな同じようにそこに書かれていることに夢中っていう顔をしている(楽しそう、難しげ、といった違いはあるけれど)。国も人も(動物も)読んでいる本もバラバラなのに、ここまで表情って似るものなんだと驚いた。どの顔も真剣で、顔の造形に拘らず、全てが美しく思えた。なにかに夢中になっている時の顔って誰でも本当に素敵なんだと実感した。この本を読んでいる私もこんな顔をしていたらいいな。そんなことを考えながら、本を読む彼らをしばらく見つめた。
 
 
 

 

大阪府立大学4年 福田望琴

春の雨降る日曜日

 本屋の片隅で、窮屈そうに身を縮こませながら、じっと誰かの手が伸びてくるのを待っていたその本。『一億百万光年先に住むウサギ』(那須田淳/理論社)。私にとっては約10年ぶりの再会だった。小学生のわたしにその本は少し難しく、読み終えることができなかったが、表紙の自転車に乗ったウサギや、1度聞けば忘れない印象的なタイトルに彩られたその本は、記憶の片隅に残り続けた。迷わずその本を棚から引き抜いて、帰路を共にした。読み進めるうちに、初めて読んだ時との記憶違いの数々に驚いた。物語の舞台は横浜だと思っていたが実際は湘南だったし、穏やかな日常描写が多いと思っていたが、実際はサスペンス的な要素も多く、ドキドキしながら頁をめくった。読み終えてしばらく、その本の余韻、そしてその本を読まなかった日々の出来事が、さざ波のように押し寄せてくるのを感じていた。
 本当に大切なものは、後になってから分かる。あの本を読めなかったこと、そして今読み終えることができたこと。きっと意味があるのだろう。次に読み返すのはいつだろう。本棚の片隅で、ウサギは私の探訪を待っている。  
 

電車に揺られる火曜日

 なんとなく、その本のことはずっと覚えていた。その本のことをどこでいつ知ったのか、全く思い出せない。水中を涼やかに泳ぐ魚たちが映された表紙が美しかった。『パイロットフィッシュ』(大崎善生/角川文庫)。行きつけの古本屋で、ふとその本のことを思い出し、本棚から見つけ出し、電車移動のお供にした。電車に乗りながら見つめる景色と、本のなかの風景を重ね合わせることが、私はたまらなく好きだ。その際、電車で向かう場所が、初めて訪れるところであればなお良い。知らない人、知らない川、知らない店、知らない風。この場所で、その物語は生まれたのかもしれない。この地に、主人公が生きているのかもしれない。そんなことをとりとめもなく、考える。読む。「人は、一度巡り会った人と二度と別れることはできない。」物語の冒頭の一文が、何度も頭に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。私の記憶と主人公の記憶が混じり合う。そして最後の一頁を読み終えた。もしも電車に乗っていなかったら、わたしはその場で声を上げて泣いていたかもしれない。それほどに胸に迫る、優しく切ない余韻で、心が満ちてゆく。気づけば車窓に映るのは、見慣れた景色、いつもの最寄駅。わたしの物語が、またここから始まってゆく。
 
 
 

 

金沢大学3年 品田遥可

3月下旬

 春休み+帰省=時間の山。帰省中一気に本を読む。わーん幸せ。
 図書館で本を沢山借り、ほくほくした気持ちで帰宅即ソファ! 今回は、もう一度読み返したいものを多く選んだ。はじめましての本を読むのもどきどきしていいけど、もともと内容を知ってる本を読むのも、安心感がある。また会ったね、君にはどきどきさせられっぱなしだよ。って感じ。
 図書館で会った再読本は、『たった、それだけ』(宮下奈都/双葉文庫)。
 やっぱりしびれる。びびび。「たった、それだけ」って出てきたときの、あの衝撃は、気持ちいいなあ。結構内容忘れてる。むしろ新鮮な気持ちで読めてよし。小説を書く時、その文の中には、自分の経験とか考えとかが全部反映されているんだなって思った。それを踏まえて、宮下奈都さんの考え方が本当に好きだ。1つも飛ばしたくないほどきれいな文章。
「たった、それだけです。その記憶だけで生きていけるんです。もう決して触れてはいけない幸福な記憶です。」ネタバレは控えますが、この状況が、痛くて、苦しくて、美しくて、私なら無理だ。私はそれだけでは満足できない。もっともっと欲しい。ああ。
 こんな感覚的な感想でいいのだろうか。仮にも理系なのに。私には論理的な話はできないと悟る。理系の舞台から去ろう。よし、文転。……春も始まって、3年生になった。進みたくないなあ。と思いつつ、月日は百代の過客にして。
 

4月上旬

 実家から下宿に帰る。ちょっと寂しい。そうだ、宮下奈都さんを読もう。借りてきた、『誰かが足りない』(宮下奈都/双葉文庫)。本当に、なんて人なんだろう、この人は。前は、5話が大好きだったのは覚えているんだけど、他のはそんな光ってなかった。っていったら失礼ですね。……ええ、今回は、全話どきどきしました。でも、今回も5話が強烈。異彩を放っていた。最初の1文からもう好きだった。どきどきしっぱなし。あー、ほかの話もよかったなあ。失敗をかぎ取ってしまう女の子の話とか。ほほえましい。
 「失敗は人生を遡りながらいつかその大半をじわじわと浸食し、やがて、生まれ落ちた瞬間から失敗と見なさなければならなくなるのではないか。」人生は選択の連続だけど、それを全部失敗だったなんて言いたくない。主人公の苦しみが痛いほど伝わってきた。でも、失敗だったって、マイナスの解釈を続けてしまったなら、どっかで断ち切るしかないんだと思う。前に進むためには。……前ってどこだろう。私は今どこに向かって進んでいるんだろう。
 
 

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