座・対談
「ことばと出会い、視野を広げる」平木靖成(岩波書店辞典編集部)

ことばと出会い、視野を広げる


平木靖成さん プロフィール プレゼント

 

1.編集者への道


 平木さんが編集者になったのは、どのようなきっかけだったのですか。

平木
 きっかけは、岩波書店に入ったからです(笑)。岩波書店に入ったきっかけは、高校一年生のときに国語の課題図書で岩波新書の『ことばと文化』(鈴木孝夫)という本がありまして、それを読んで「言語学っておもしろそうだな」と思ったのが一回目です。二回目は、大学二年生のときだったと思いますが同じく岩波新書の『燃える中南米』(伊藤千尋)を読みまして、「ああ中南米っておもしろそうだな」と思い、衝動的にラテンアメリカを専攻したんです。そんな感じで言語学やラテンアメリカなどを専門的に学ぶきっかけになったのが岩波書店の本でした。それで「そういう本が作れたらおもしろいんだろうな」と思って岩波書店を受けたら合格した、と、それがそもそものきっかけです。


 そのときには、辞書を作ろうというようなお気持ちはありましたか。

平木
 全然ありませんでした。当時は、岩波新書ですとか雑誌の「世界」ですとか、比較的ジャーナリスティックな分野を志望していたんです。ですので、まさか辞典に携わるとは当然思っていませんでした。


 岩波書店に入社後、最初から辞典編集部に所属されていたのですか。

平木
 最初の一年は宣伝部にいました。


 そうだったんですね。辞典編集部に配属されたときにどう思われましたか。

平木
 「やったー」とは思いませんでしたが(笑)、最初に言いましたように言語学や言葉はきらいではないので、いやだとも思いませんでした。

 

 

2.辞書作りにおける編集


 編集についてお聞きしたいのですが、辞書作りにおける編集では、具体的にどのような作業をされていますか。

平木
 ほかの本と基本的には同じです。辞書作り一般に関して言うと、著者に「こんな辞典を作りたいので、編者になっていただけませんか」と依頼するところから始まります。自分のことで言いますと『キリスト教辞典』というものの編集に携わったのですが、会議で項目選定からどのような規模にするか、どういう人向けのもの(専門家向けなのか一般向けなのか)にするのか……というところから話を始めて、それぞれの分野ごとに専門家の方に依頼しようということを決めます。事務的なことをするのが編集者ですね。そして、原稿が集まってきたら読めるようなものに整っているかどうかや字数を確認してから、編者の先生に確認してもらって、ある段階まで進んだら原稿を五十音順に直して、項目間の調整をしていきます。


 基本的にはまとめ役ということになるのでしょうか。書く作業はされないのですか。

平木
 それは原則的にはしません。ですが、ほかの単行本などと違い辞典としての文体があったり、ほかの項目との調整をしなければならなかったりする場合があるので、編集者が原稿自体に手を入れることもあります。そうしないと一冊の辞典としてまとめることができないのです。それでいうと、特に今回新しくなった『広辞苑』第七版などは、大体原稿を書いてもらうと文章が長いんですね。『広辞苑』は既にあるものなので、その分野の似ている項目と比べて新しい項目の文字量をチェックします。そして編集部の裁量で、『広辞苑』としてのバランスがとれるように文体なども含めて手を入れます。


 執筆は外部の方がされているということでたくさんの人が関わることになると思うのですが、一体どれだけの人が関わって一冊の辞典を作っているのですか。

平木
 今回の『広辞苑』第七版は、220 人くらいの方に原稿執筆をお願いしました。


 かなり大がかりなプロジェクトだと思いますが、大変なことや、やっていてよかったと思うことはありますか。

平木
 大変なことは……大がかりだから大変ですね(笑)。全体のペースを揃えることが大変かもしれません。どんな筆の遅い著者であっても「ここまでにそろわなければ次の段階に進めない」という期日が辞典にはあるので、編集部員10 人で220 人くらいの執筆者全員から期日までに原稿をとりきるということが、第一段階で大変な作業です。
 辞典の編集では編集段階と校正段階という二つのステップがあります。編集段階では、もともとある項目のブラッシュアップ、新しい項目の追加、コンテンツ集めを行います。その後項目を五十音順に並べ替えて、分野をまたいで整合性をとる作業をします。それをしながら記述に間違いがないかをチェックするのが校正段階です。校正段階では分野ごとではなく「Aさんは最初の50 ページを読んでください」というふうに割り振られるので、全員が均質に作業するよう情報共有しながらペースを守るというところが一番大変です。「今日さぼったから明日やればいいか」となると収集がつかなくなってしまうので、この作業は毎日の積み重ね以外にないですね。


 結構アナログな作業が多いとお話を聞いていて思ったのですが、テクノロジーの進歩によりやりやすくなったことなどはありますか。

平木
 今は印刷会社とほぼリアルタイムで修正結果が見られるようになっているので、そういうところが便利です。また、あいうえお順に並べ替えるのも昔は手作業だったのが、今はコンピュータでできるようになったので技術面での進歩はあります。ただ頭の使い方はずっと変わっていません。どうやって読める文章として簡潔な辞典文体に直すかや、新項目が入ったことにより関連する項目にどう波及するのかということに頭を働かせるところは人間がやる以外になく、辞典づくりに関しては何十年も同じようなことを考えながらやっています。


 本当に人の手がないと作れないのですね。

平木
 そうですね。


 色々なことがコンピュータでできるという環境に変わってきていますが、辞書を作るとなると人間が考えて行わなくてはならないというのがあるのでしょうか。

平木
 AIが進歩すると、もしかしたらできるようになるのかもしれませんけどね。


 

 

3.10年ぶりの『広辞苑』改訂


 平木さんは六版にも携わっていらっしゃったんですよね。

平木
 はい。五版・六版・七版と。


 『広辞苑』に五版・六版・七版と携わられて、それぞれの版で気持ちの変化などはありましたか。

平木
 五版と六版のときは楽しいなと思いましたが、今回の七版のときはそれどころじゃなかったですね。プレッシャーが大きくて。全体を統括する立場だと手配や目配りなどの仕事がメインになってしまい、一つ一つの項目をじっくり読むことがほとんどできないので、つまらんなあと(笑)。八版のときには平社員に戻してほしいですね(笑)。


 編集部員は10 人くらいとおっしゃっていましたが、長くやられている方が多いのですか。

平木
 いえいえ、全然です。私みたいな居残り組は、数人です。今回、最初は14 人が編集部員として社内から集められましたが、少なくとも部員の三分の二は『広辞苑』の編集は初めてです。


 その方達は七版を作ると決まってから集められたのですか。

平木
 そうです。


 六版と七版の間に10 年のブランクがありますが、その間にはどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

平木
 言葉の収集は絶えず行っています。ほかには、読者対応です。『広辞苑』にはご意見やご要望などがたくさん来ますので。その中から改訂方針が出てくることもあります。


 読者対応とはどのようなものになりますか。

平木
 一番多いのは「こんな言葉が載っていない」「こんな言葉が載っていないので載せてほしい」というものです。これは一番反映されやすいものでもあります。言葉自体だけでなく意味についてもそうです。あとは意外と、単なる言葉の意味や使い方についての質問も多いですね。


 そういった読者対応をしながら『広辞苑』以外の辞典の編集などもされていたのですか。

平木
 はい、そういうことです。辞典編集部というのは「○○辞典」と名の付くものはなんでもやるという部署なので。そこでどんな辞典が進行しているのかによって、部としての人員の増減の幅が大きい部署です。少ないと4〜5人のときもあれば、多いと10 人、『広辞苑』だと15 人くらいになったりします。


 さきほど言葉の収集は絶えず行っているとおっしゃっていましたが、それは『広辞苑』用の言葉として収集するのですか。例えば国語辞典だと、『広辞苑』とはまた違った言葉の集め方をするのでしょうか。

平木
 流用することもありますが、普段から集めているものは基本的に『広辞苑』用です。
 辞典によってタイプは違いますが、普通の辞典は著者が主導権を握って編集者は裏方にまわります。でも『広辞苑』はあらゆる分野のあらゆる言葉がなんでも入っている辞典なので、どちらかというと編集部主体でまわしていかざるをえない。そういうこともあって言葉の収集も編集部として日ごろから行っているという面があります。


 『広辞苑』が国民的辞書と呼ばれたりする所以は、色々な内容が入っていることにあると思うのですが。

平木
 歴史的な経緯もあると思います。初版が昭和30 年に出たのですが、ちょうど第二次世界大戦が終わり戦争の廃墟から立ち直ってきている時期ですね。昔の軍国主義的な言葉が使われなくなった一方で民主主義的な言葉が使われるようになり、アメリカからカタカナ語が入ってきたり当時のテクノロジーが使われるようになったり……というような時期に、戦後それまでなかった「一家に一冊、国語辞典+百科事典」という形で発売しました。それを学者や作家さんが大変重宝してくださったのが始まりです。その後高度経済成長期や学歴社会なども関係しているのだと思いますが、一般の方にも「『広辞苑』さえあれば」などと思っていただいて広がり、日本の代表的な辞典として定着したのだろうと想像しています。


 内容ももちろんですが、タイミングの問題も結構あったのですね。

平木
 タイミングは結構大きいと思います。


 民主主義の言葉が増えたというお話ですが、歴史的な問題など現在でも論争があるような言葉を収集・収録する際に、気を付けていることはありますか?

平木
 収集するときはとにかく集めるだけなので気にしていることは特にありませんが、執筆者の方に書いていただくときは比較的定説になっているところだけにとどめておいてくださいとお願いします。特に社会科学・人文科学系はそうですね。自然科学の方は最新の説を取り入れることがしばしばありますが。誰からも受け入れられるように心がけているところはあると思います。


 
 
P r o f i l e

平木 靖成(ひらき・やすなり)
1969 年生まれ。東京大学教養学部卒業。
1992 年岩波書店入社、翌年より辞典部に配属。
『岩波国語辞典』『岩波世界人名大辞典』などの編集に携わる。
『広辞苑』は第五版・六版・七版を担当。

記事へ戻る

「座・対談」記事一覧


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ