わが大学の先生と語る
「ありのままを見つめて」菊地 暁(京都大学)


Profile


菊地先生の推薦図書

P r o f i l e

菊地 暁(きくち・あきら)
1969年生まれ、北海道小樽市出身。
京都大学人文科学研究所助教。
京都大学文学部史学科卒業、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了(博士〈文学〉)。1999年京都大学人文科学研究所助手として着任、2007年同助教に名称変更、現在に至る。専門は民俗学。
■著書
『柳田国男と民俗学の近代―奥能登のアエノコトの二十世紀』(吉川弘文館 2001)、『身体論のすすめ』(編、丸善2005)、『今和次郎「日本の民家」再訪』(共著/平凡社2012)、『日本宗教史のキーワード―近代主義を超えて』(共編著/慶應義塾大学出版会 2018)、『学校で地域を紡ぐ―『北白川こども風土記』から』(共編著/小さ子社 2020)、最新刊は『民俗学入門』(岩波書店 2022)。
  • 粟田 翔貴
    (文学部3回生)
  • 齊藤 ゆずか
    (文学部3回生)
 

1.民俗学との出会い

粟田
 先生は学部生の頃、日本史学専修だったとお聞きしていますが、民俗学との馴れ初めが気になります。

 

菊地
 学問以前に、旅が好きでした。親が国鉄職員で、職員家族割引を使わせてもらっていろんな所に旅行しました。旅がしたいなと思って、せっかくだから北海道を出ようと。大学は東京よりもディープで旅行しがいのありそうな京都にやってきました。
 大学では学食で皿洗いのバイトをしていたのですが、その時、先輩から聞いた話が勉強になりました。その先輩は農学部の農業経済の人だったんだけれど、教養部(総合人間学部の前身)の米山俊直先生が学生と一緒に祇園祭や天神祭をフィールドワークしているという話を聞かされて、「フィールドワークという学問があるのか」と興味を持ちました。
 あと、旅先で史跡を訪れるからか、歴史や考古に関心がありました。私が学生時代を過ごした80年代は「社会史ブーム」と呼ばれ、例えば『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を書いた阿部謹也のようなニューウェーブな歴史家が活躍した時期でした。単に政治経済を押さえるだけじゃなくって、人々の暮らし、生活の営みをきちんと押さえるところから歴史を見直そうとする、社会史、文化史と呼ばれるような歴史学の革新運動があって、面白い作品がたくさん出てきていた。人類学、民俗学の成果をうまく取り入れて、色々新しい研究が進められていた。京大に民俗学の専攻がなかったので、学部ではとりあえず日本史学を専攻したけれど、民俗学の方がもっと面白いんじゃないかと思うようになったんです。

 

粟田
 ですと、学部時代の卒業論文はどういったテーマで書かれたんですか。

 

菊地
 4回生で履修した米山先生のゼミがたまたま「鴨川」をテーマにしていて、そこで、1回生のゼミで輪読した鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』を調べ直してみると、鴨川で晒し首をしていたという記事がちょこちょこ出てきて、「これ何だろ?」と思って色々調べたのが卒論になりました。なぜ首を晒すのかと考える中で、民俗学の儀礼の見方を色々勉強しなければならないと思うようになるんですね。ギリギリ日本史でもセーフみたいな卒論を書いて、民俗学へと方向転換、大阪大学大学院文学研究科日本学科というところで民俗学、人類学を本格的に勉強することになりました。

 
 

2.古き良き日本?

齊藤
 では、大学院に入ってからはどういうふうに勉強されたのですか。

 

菊地
 学術的なフィールドワークを意識的、本格的に取り組むようになりました。ひとつは大阪府豊中市が作る『市史』の「民俗編」への協力。大正生まれの当時80代のうどん屋さんの主人にいろんな話を聞いて、街の100年間くらいの変化を教えてもらった。結局、『市史』には載らなかったんだけど「一人の話でここまで地域の歴史をえぐり出せるのか」っていうのが新鮮で面白い体験だった(「うどんとモダン」という論考でネット公開されています)。
 もうひとつは石川県の能登半島。これは研究室の調査実習がきっかけ。能登半島は「民俗の宝庫」などと呼ばれ、「古き良き伝統が残っています」みたいな決まり文句で描かれがちなんだけれど、実際に行って見ると、その土地の人もあくまで私たちと同じ時代を生きているわけです。にもかかわらず、民俗学者、観光客、マスメディアは「古き良き」のところしか見ようとしない。本当は、その視線から見えていないだけで、そこには近代の歴史がいろんな形で織り込まれている。そういうところも含めて、もういっぺん田舎のお祭りを、同時代の歴史の一部として考え直していかなければならないんじゃないか、と思ったわけです。
 博論で取り上げたのは、奥能登の「アエノコト」という、12月5日、農家の主人が田んぼの神様を迎えに行って家に連れて帰ってきて「今年もありがとうございました、来年もよろしくお願いします」って収穫感謝・豊作祈願するお祭りです。このお祭りは、日本の素朴な農民の信仰を非常に具体的に残している古式豊かな祭りとして大フィーチャーされるんだけれど、それは民俗学者、主に柳田国男がそういう期待をして、その期待に他の民俗学者もマスメディアも乗っかったからそうなったのではないかと。実際には、担い手の人たちも同時代を生きているわけで、戦争なりなんなりといった近代を経験している。何より、他所から自分たちの祭りを見にやって来る研究者やメディア関係者と付き合わなければいけない。そんな問題意識で、民俗儀礼を同時代史として描いたのが私の博論になります。
 民俗学には、古き良き姿をモデル化したものが少なからずあるのだけれど、現実にはそうじゃない部分もたくさんある。実際に現地で出会うのはあくまで同時代の話なので、そことどう付き合っていくか。多分、私と同世代くらいの民俗学者は悪戦苦闘してきたところだと思います。
 もうちょっと大きな話をすると、文化人類学が世界中の他者をああだこうだと描いてきたけれど、それはやはりヨーロッパ人が描きたかった「伝統的」な姿で、実際の姿ではなかったんじゃないかという批判がなされるようになった。例えば、サイードが『オリエンタリズム』を出しましたけど、このあたりから、他者表象というのが非常にセンシティブな問題になっていった。その中で、民俗学に何ができるかというところに、90年代に学生時代を送った人たちはかなり直面して足掻いたと思います。そのひとつが私の博論を元に書いた『柳田国男と民俗学の近代』(吉川弘文館)になるわけです。「民俗学ってダメじゃん、民俗学が描いてきた姿は全部嘘っぱちなんじゃない?」っていうことを書いている本で、実際、一部の上の世代の先生たちからは多大なる反感を買いました(笑)。

 
 

3.自分たちが資料

齊藤
 文化人類学の講義で『文化を書く』(ライティング・カルチャー)を契機に、お話しいただいた民俗学批判と重なるような動きがあったと聞いたことがあります。民俗学と文化人類学はどのような違いがあるのでしょうか。

 

菊地
 「遅れた帝国主義」である大日本帝国の人類学者も朝鮮半島や台湾といった植民地でフィールドワークをしてきたので、この問題と無縁ではありません。民俗学だと、国内格差になるのかな、都会の人々が日本の周辺地域を捉えていくというところで、ある種の非対称性、ライティング・カルチャーの問題を抱えていることは確かなんです。一方、日本の民俗学は田舎にいた人が研究者になって書く側に回るということも実際にあったわけで、ライティング・カルチャーで指摘するような格差や非対称性の問題が無縁とは言わないけど、それとは異なるあり方もあったのだと思います。それは結局、民俗学が「自分も調査対象である」「自分がまずサンプルである」と考える。自分がここにいてこう暮らしているということ自体が歴史の結果であり、ひとつの歴史資料なのだと捉えるところから出発する学問だからなのであって、ライティング・カルチャーの問題を人類学とは別の形で解けるんじゃないかと考えています。というのがこの『民俗学入門』(岩波新書)。ライティング・カルチャーの「ラ」の字も出てこないけど、実はそういうことを考えています(笑)。

 

粟田
 今になって「入門」という形で本を出そうと思ったきっかけは何でしょうか。

 

菊地
 「これまでの民俗学はおかしいじゃないか」と思って博士論文までは書いたんですよ。でも、講義で博論に書いたような話をしたら、誰にも何も響かないという事態に直面した。考えてみれば、民俗学の「み」の字も知らない人に民俗学批判とか言っても意味ないわけで、民俗学に対する一定の知識がないと何を批判しようとしているのかわかってもらえない。『柳田国男と民俗学の近代』で問題意識を形にできたので、書いてよかったんだけど、これをこのまま学生に伝えるものにはならない。民俗学は高校の教科にもないから、学生さんはほぼゼロで来る。そこで「何を語っていけるだろうか、しかも21世紀の世の中で」ということを考えて色々教えていったわけですね。そうすると、21世紀の学生さんを相手に教える時に使い勝手の良い教科書が無いという現状に気が付く。「民俗学ダメだろ」って言っていた自分なんかが書くもんじゃないとも思いましたが、無いものはしかたがない、誰かが書かなきゃいけないだろうと思って書きました。問題提起の意味で。「これじゃアカン」って他の人がもっと良いものを書いてくれたらいいなと思ったわけです。
 ここに至るには、みんなも授業で答えてくれたような「ミニアンケート」で今の学生さんがどういう生活経験をしているのかっていうのを教えてもらって、その蓄積も『民俗学入門』に活かされています。

 

齊藤
 課題などで自分のことをたくさん答えたのは、「自分がサンプルになる」って話につながるんだなと思いました。

 

菊地
 「自分がサンプルなんだ」というのは私の独創というよりも、柳田国男の頃から、民俗というのは私たちに身についた日々の暮らしであり、言い伝えであり、しきたりであるって言われていることなので、そのスピリッツを継承しつつ、でも21世紀の社会を生きている人を前提に考えようとすると、こんな形になったということだと思います。

 
 

4.菊地先生流・読書について

齊藤
 先生の読書に対するお考えを聞かせてください。

 

菊地
 唐突な思いつきをいうと、本の世界って「元祖メタバース」なのかもしれない。ネットがない時代のメタバース。書かれた本が著者のアバターとなり、他の本=アバターと関わっていく。その無限の連鎖である書物の宇宙を、自分なりに手探りしていく行為が「読書」なのかも。
 優秀な同僚に囲まれていると、アホみたいに読書量がハンパない人がたくさんいるんです。自分はどこでオリジナリティを出せるかなって思ったときに、他人の読んでないテキストを読む、「メジャーな出版社から全集が出るような人」ではない人の本を読むってことをやっています。それに最もふさわしいのは古本。古本の中には、こんな本が世の中にあったんだ、みたいな謎な本が結構いっぱいある。
 京都だと「寸葉会」があります。寸葉っていうのは本と呼べるのか呼べないのかわからないようなプリントであったり冊子であったりの総称。寸葉会に行くと出版物なのか手書きのノートなのかよくわからないものがいっぱい売られていて、そういうところから探してきて「へえ~」ってニヤニヤするのが趣味です(笑)。
 あと、読むときにも単純に読まない。柳田国男の蔵書が残っている成城大学の民俗学研究所に行って、柳田がどこに線を引いているかを読んでみる。「痕跡本」って言うんだけれど、人の手や書き込みが入っている本をあえて読んでみるのも面白い。柳田は〇とか△とか×とかはっきり書いてあるのが多くて、柳田の書いたものと柳田の読んでいる本の書き込みを比べると彼の思考に近づけます。
 本ってリニアに文字が並んでいるけど、本当は最初から最後まで順番に読まなくてもいい。奥付を読んでこの人(著者)の経歴がわかるというだけでも本の使い方だし、パッと開いたところに面白い写真があるなという楽しみ方でもいい。私の研究室って立錐の余地なき書庫になっているんだけど、本というもののポテンシャルを考えていると、とりあえず溜めておくのもひとつの付き合い方。自分が必要だと思うところだけをパラパラめくって読むというのもひとつの読書だし、これだけ世の中に本がたくさんあるのだから、その辺の割り切り方は工夫していけばいいんだと思います。
 なので、本の読み方は、「まだ工夫の最中です」っていうのがいちばん正直な答え。自分の人生を変える1冊を語れたらかっこいいけど、そう単純ではないし……。極論としては今まで読んできたもの全部が今の私を作っているわけなので、選べないですね。選べないっていうことの帰結として今の私があるんだと思います。

 

粟田
 マイナーなものを読むというのは、落穂拾い的な意味では、民俗学の取り組み方に通底するものがあるように思います。

 

菊地
 神は細部に宿ると思っているんですよね。ど真ん中スタンダードの古典だけを読んでもそれでわかることはあるんだろうけど、そうじゃない道もきっとあるんだよ、と。古本趣味とか、あえてマニアな道に挑んでいます。

 
 

5.民俗学を学ぶとは

齊藤
 民俗学批判をしつつも学生に教えるという立場にもあって、民俗学を学ぶ意義や面白さについてはどうお考えですか。

 

菊地
 それを民俗学と呼ぶかどうかすら最早どうでもよくて、結局、人間のやってることって面白いよねということを伝えたいのだと思います。それは生きていくために必死でやってる、という意味ではすごくハートウォーミングな気にさせられる部分もあるんだけれど、でも一方、「それほんとにやらなきゃいけないの? やらなくてもいいんじゃない? 無いほうがむしろよくない?」みたいな、人と人との関係の中でできてしまうネガティブなできごとも世の中無数にある。そういう面倒くさいものをなんとか解きほぐすというか、そういうものに無駄に引きずりまわされないで生きていくためにはどうすればいいのかなと。だから、「人間って一歩引いてみると変なことやってるよね」っていう面白さは、それを民俗学と呼ぶかどうかは別にして現象としてあるし、それをお伝えできたらいいだろうと。そこから、自分が今生きているこの社会、この世の中の面倒くさいこと、しんどいことをちょっとでも減らしていけたりもしないかなという希望をもっています。それは希望であってぜんぜん具体化できていないけれど。今こうやって生きているっていう生き方には、こうなった歴史的な原因はあるんですよっていうのを押さえつつ、でもそれが唯一の答えじゃないかもしれないということも同時に言いたい。その二つを伝えたいというのが、私の場合、民俗学という形になっているのかなと思います。

   
(収録日:2022年7月5日)

 


対談を終えて

粟田 翔貴
 コミュニケーションが高速化し、人間関係も稀薄化しがちな生活を営んでいると、私はつい「昔」を理想化してしまいがちです。この見方では見逃してしまう、「昔」の同時代性に改めて目を向けることの重要性を実感させられたと同時に、やはり理想的な「昔」を描きたい自分がいることも自覚させられる機会となりました。既存のヘゲモニーに臆せず、優しく民俗学批判を語る気概に聞き惚れてしまいました。ありがとうございました。


齊藤 ゆずか
 京都に来てから2年半。街並みや風景に心惹かれ、散歩をすることが好きになりました。民俗学の講義を受講してからは、お地蔵さんや道の脇に描かれた小さな鳥居のマーク、家々に貼られた絵入りのお札など、ふと現れる「変わったもの」に目が留まります。取材の中で、そうしたものが単なる「古いもの」「趣のあるもの」ではなく、今を生きる人々の暮らしに繋がっているのだということを意識しました。ありがとうございました。


 

菊地先生の「民俗学講義」とは

 京都大学の一般教養科目のひとつで、学部・学年に関わらず受講することができる。「きる」「たべる」「すむ」「はたらく」「はこぶ」「つどう」など民俗学の基本的なトピックを各回のテーマとする。毎週の課題は「ミニアンケート」で、テーマに関連する質問(あなたの家の「ハレの日」の食事は? 捨てられないTシャツは? など)に、自分自身のことについて回答する。

(齊藤)


菊地
 初めは出席代わりにアンケート課題を出していたんだけれど、意外と興味深いものが混ざっていて。学生さんにとっても、私の講義内容よりも、他の受講生が体験してきたことの方が、考える材料としてより適切というか手頃というか。とりわけ京都大学には、全国から学生が集まっていて、全国的な比較が毎週行なえる。これはかなり得難いことです。他に大阪市立大学(大阪公立大学の前身)、龍谷大学で教えてきたけれど、関西の大学というのが実はすごく影響しているんじゃないかと思っています。関西は、よくみると土俗的なことが、しぶとく生き残っている。東京でやったらもっと近代的な経験ばかりになったんじゃないかって感想を寄せてくれる学生さんもいました。実際確かめてみたわけではないので、東京の方でもやってみたいなとひそかに思っています(笑)。ともあれ、この20年間、学生さんに鍛えられてきたのだなぁと感謝しています。


 期末課題は「ライフヒストリーレポート」。祖父母あるいはその世代の知人に、歩んできた人生について聞き取りを行い、生活史としてまとめる。提出したレポートの中から菊地先生が抜粋したものは『ライフヒストリーレポート選』という冊子にまとめられる。


齊藤
 ライフヒストリーレポートもミニアンケートと同じように、講義を行なう中で考えついたのですか。

 

菊地
 最初は期末試験をやっていたんだけれど、講義内容が伝わっていないことに心が折れて。毎年、どうしても試験に出席できないという人が何人かいて、そういう人たちには祖父母の話を聞いてまとめてきなさいというレポートを出した。すると、試験よりも圧倒的に面白かった。これはもう試験なんてやっている場合じゃないと(笑)。
 本格的に課題として出したらますます面白いのが集まってきて、読者が私だけでは勿体無いなと感じて、学生に許可を取って冊子にまとめているんです。多分、私の研究論文よりもこちらの方が、資料的価値が高いような気がしていて、未来の歴史家には感謝されると思っています。私自身、すごく勉強になったし、知り合いの研究者に送ると大変面白いと言われます。学生さんの方でも、自分で書いてみて、他の受講生のレポートを読むといろんな発見がある。ケッタイな課題だろうけれど、民俗学のベースとなる「聞き書き」という方法を勉強するきっかけとしてはすごくよくできた課題ではなかろうかと自画自賛しています。
 ひとつ難点なのは、祖父母を早くに亡くしていたり、家庭にトラウマを抱えていたりして、調査対象を見つけるのが難しいという方が一定数いること。それでも、異なる世代の人とコミュニケーションを取ることは社会を生きる上で必要な技能だと思うので、少し無理をしてでもやってもらっています。あと、書いた直後に聞き取りをしたおじいさんやおばあさんが亡くなって、この課題がちゃんと話した最後の機会になったという方もいて、不思議なものだなあと思います。

 

齊藤
 私も1回生の頃、祖父に話を聞いたのですが、祖母も話したくて仕方がないといった感じでした。

 

菊地
 確かに、おばあちゃんの方が話し好きな気がします。実際にライフヒストリーレポートを再読すると、おばあちゃん率が高いような。『レポート選』の作成は大変な作業なんだけれど、完成した時には今回もやった甲斐があったなあと思いますね。

 

 

「まちあるきゼミ」とは

 少人数ゼミとして行われる学外授業。指定された場所(例 吉田山、北野天満宮、錦市場。祇園祭シーズンには山鉾を見て回る)を一同で散策をする。私は美術史を専攻しているが、同じ作品を見ていても意外と見えていないということがよくある。言われて初めて「そんなものも描かれているのか」という具合に。

(粟田)


粟田
 先生はどういったところに目をつけて「まちあるき」をしていますか。

 

菊地
 古いものと新しいものがどういうレイヤーを作っているのか、どう折り合いをつけて存在しているのか、そこにどんな生活者の創意工夫があるのか、というのが自分の中でテーマになっていると思います。たとえば、真っ直ぐな道より曲がった道、太い道より細い道。歴史のレイヤーみたいなものを探そうと思うと、曲がった道や細い道の方に何かある可能性が高い。
 「まちあるき」では、実はあまり解説しないんですよ。「ここ歩いて」って言って、所々「これはね」って解説するけれど、基本は放置。「ブッ飛んだ作品を見せていくと、賢い人は見ているうちに考えられるようになっていく」と美術史の先生に言われたのがひとつの指針かな。
 「まちあるき」は全員が全員、民俗学的に啓蒙されるわけでもないんだけど、「あれ何だろ、あれおもしろいな」と何か考えるきっかけになれば良いな、と期待しながら、「あえて」の放置プレイ。学問の課題は大学の中よりも、むしろ外にあるのだということを、実際に頭と身体を動かすことで感じて欲しいと願っています。

 

Profile


「わが大学の先生と語る」記事一覧


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ