▼ Profile
佐々木
先生はどうしてアイヌを研究されることになったのですか。
中川
特にドラマチックなことはなく、ただヨーロッパ系の言語をとりたくなかったんですね。アイヌ語に別に関心があったわけではないのです。アイヌ語に興味を持ち始めるようになったのは大学院の2年になってからぐらいかな。アイヌ語がわかるようになってきたんですよね。おばあさん方がしゃべっているのをその場で分かるようになって、そこから俄然面白くなってきて……そこから本気でやり始めた感じですかね。
佐々木
アイヌといえば北海道というイメージがあります。先生はなぜ千葉大に?
中川
釧路の出身で子供の頃からアイヌに親しんでいた千葉大の金子亨先生が、大学でぜひアイヌ語を教える授業をたてたいということで、私が呼ばれました。その後荻原眞子先生や三浦佑之先生というアイヌにすごく詳しい先生もきて、文学部日本文化学科には四人もアイヌに知識をもっている先生がいたんです。一学科にそういう専任教員が四人いるというのは前代未聞の状況で、その時期は千葉大こそが日本一アイヌ文化研究の専門家がそろっているメッカでした。世間一般でアイヌ語といえば北大だろうと思うだろうけども実は東京周辺のほうがずっと途切れずにアイヌ語関係の講座というのがありました。ところが、今私がやめたので首都圏では専任でアイヌ関係の教員がいる所はひとつもなくなってしまったんです。金田一京助が國學院大學の教員になって以来百年ぶりのことです。
佐々木
そういった千葉大でアイヌ語の教授がなくなるのは残念です。
中川
人材はやまほどいます。けれど大学が採らないんですね。問題なのは大学が「アイヌ語? そんなもん千葉大でやる必要あるの?」という態度をとっていることだと思います。
佐々木
今回は『ゴールデンカムイ』の完結記念として取材していますが、タイトルにあるカムイとは何ですか。
中川
すごい簡単に言っちゃうと、人間以外のものもみな魂をもっている。たとえばこれ(録音機)だって魂をもっている。その中で何か意志を持って活動していると感じられるものをカムイと呼んでいるんですね。
古本
言葉としては日本語の「神様」と似ていますね。
中川
カムイを神様と訳してしまうとぜんぜん違うものになってしまいます。生きているか否か、人間が作ったものか否かにかかわらず全部カムイ。昔だったら鍋を使って料理する。鍋を使って料理を作るというのは和人の発想法です。アイヌの発想法は鍋というカムイが人間を手伝ってくれるからこそ鍋に入れた食材が食べられるようになる、と考える。そのようにしてさまざまなものが人間と同じ存在である、魂と肉体があって魂は人間と同じ格好をしていると考える。アイヌの伝統的な考え方で一番重要なのは、すべてのものは人間と同じである。同じように物を考え、活動しているものとして相対さなければなりません。うさぎもカムイだし、病気もカムイ。
カムイという言葉と日本語の神という言葉の関係は、昔からいろいろ言われていますが、私はやはり日本語からアイヌ語に入ったものだと思っています。ただ単に似ているからというわけではなく、信仰の体系自体が和人社会との接触によって成立したものだと考えられます。たとえば儀礼に使う儀礼用具というのは基本的に漆器なんですね。和人から輸入した漆器類がみんな儀礼用具になっています。盃がtuki、それを載せている台がtakaysara。鉢がアイヌ語でpatci、お洒を捧げるのに使う道具がpasuy。これも箸からきています。そういったものがワンセットとなって、日本語の名称が儀礼用具の名前としてアイヌ語に全部入っている。それらはある時期に和人と接触して取り込まれました。ただし素材は和人のものですが、それを独自に組み合わせて新しい儀礼体系を作っちゃったのがアイヌの独自性。そのうちの一つの言葉がカムイであると私は考えています。
佐々木
ところで、どうして先生が『金カム』の監修をされることになったのですか。
中川
野田サトルさんがゴールデンカムイの話を書く前に取材をしていました。その取材先の一つに北海道アイヌ協会というアイヌの一番大きな団体があって、そこで私の名前がでてきたようです。当時私は依頼が来たらそういう話は一応受けることにしていました。アイヌのことを扱うとなんかデタラメな訳のわからないことを書いちゃう人がよくいるので、それは大変困ると思っていたのでそれを監視するために引き受けようと思っていました。それで最初の3話目まで描いたものを見せてもらったわけです。読んでみたらめちゃくちゃ面白いじゃん、と思って、ぜひやらせてとこちらから頼んで監修することになりました。
古本
フィクションとの折り合いが気になります。本当はチタタプと言いながら肉を刻まないと知ったときは驚きました。
中川
まあそれはマンガだから。どこからそれ(チタタプ)を思いついたのかというのも分かっているのだけど、その大元の本にもそんなことは書いていません。あれはそこからヒントを得た野田さんのアイデアなわけです。そんなことは実際には言わないということは私も伝えましたが、野田さんは百も承知でそのあとずっとギャグとして使っています。わかっててやっていることについてはそれ以上は口を出しません。創作の部分を全部なくしてしまったならば話がそもそも作れないですよね。そんなことを言ったらアシリパが登場してきた段階で(女性は狩りをしないと考えられていたから)、アイヌ関係者は賛否両論だったわけ。すべてをリアルにすることにこだわったら、すごいつまらないものにしかなりません。あれは楽しい冒険活劇アクションコメディなんだから、それを削ぐようなことを要求するのは角を矯めて牛を殺すようなものです。
古本
アシリパがいた時代は明治時代でした。当時のアイヌはどのような位置にいたのでしょうか。被差別のイメージが私にはありますが……。
中川
その時の考え方としては時代に翻弄されて消滅の一途をたどるかわいそうな人々でしかないですよね。本人たちも様々な政策によって生産手段を全部奪われているから、貧困な生活をせざるをえない状況になっています。だから貧乏だ、ということで差別されるというのはもちろんあります。ただ、僕が話を聞いたおばあさん方はだいたい1900年前後の生まれの人が多いんだけど、あんまり差別されたという話をしません。差別されたというよりも貧乏で大変だった話のほうが先です。その下の世代の人たちのほうが、むしろ差別に苦しんだ話をします。アシリパ自身はほとんど山の中で昔の生活をしていたみたいなので、そこまで被差別意識はなかったのではないかという気がしますね。
古本
ではかえって現在のほうがその傾向は強いということですか。
中川
強かった時代はもう少し前で、今はだいぶ解消されてきた感じがします。その証拠に、今アイヌ自身が自分たちのことをアイヌと言っているんだけど、アイヌという言葉自体、僕がアイヌ語を始めたころは、人がいるところで使う言葉ではありませんでした。今これだけアイヌ、アイヌと北海道で言えるようになってきたのは、やっぱり状況が改善してきたと見てもいいんじゃないでしょうか。だってアイヌという言葉自体に悪い意味はないんだから、アイヌをアイヌといって不快になるという状況が問題なのであって、そう思わない世代が増えてきたならばそれはその方がいいに決まってます。
佐々木
(アイヌの人口や文化の継承者など)現在のアイヌやアイヌ文化の状況はどうなっていますか。
中川
いま現在アイヌが日本全体でどれくらいいるのかについては、国が統計を取っていないので分かっていません。北海道庁で行なっている北海道限定のアンケート調査では、直近の2017年のもので1万3千人となっていますが、アンケート調査の方法が公表されていないので、どこまで信用してよいのか分かりません。ただ、公になった数字はこれだけなので、そこから類推すると、アイヌとしてのアイデンティティを持っている人、それを公にしている人に加えて、隠している人についても、アイヌだと言われると嫌な気持ちになる人は逆説的にアイデンティティを持っていることになります。そこから考えると全体として10万人ほどいるのではないか、と感覚的に思っています。
佐々木
このアンケートは北海道内に限定されているんですよね。
中川
そうなんです。こちら(本州)にいるアイヌは誰も答えてないですし、北海道のアイヌが全員答えているかというと、違います。行政が「めんどくさいからうちの所にはいないわ」という風にしちゃっているから、いないことになっているのではないかと思います。
佐々木
現在のアイヌ文化を担っている人々を紹介してください。
中川
「しとちゃんねる」というYouTubeチャンネルを見てください。このチャンネルの女性の方が関根摩耶さんという人で、いろいろな活躍をされています。生まれは北海道の二風谷という、人口の6割くらいがアイヌと言われている、日本で一番アイヌ人口の割合の多い所です。彼女は小学校の頃にアイヌ弁論大会子供の部で2回最優秀賞を取っています。お母さんは地元のアイヌで、お父さんはアイヌではないけれど、二風谷に住んでアイヌ文化の継承を中心的に活動されています。彼女はいろいろな所へ顔を出しているので、アイヌの若手代表みたいな立場です。
それからアイヌ民族文化財団のホームページにはアイヌ語動画講座というものがありまして、その中にウポポイ職員インタビューの動画があります。進行役は北原モコットウナシさんという人で、北海道大学のアイヌ・先住民研究センターの准教授です。今は北大の先生ですが、千葉大の大学院出身で、お母さんは樺太アイヌ。本人も樺太アイヌとしてのアイデンティティを持っていて、アイヌ文化の研究をやっています。で、彼がこの動画の発案者で、ウポポイの職員にアイヌ語でインタビューをしています(動画を流しながら)。
世間ではウポポイの「箱」の部分に興味が向いていますが、重要なのは職員のかなりの部分が若いアイヌということ。しかも若いだけでなく、元々いろんな形でアイヌ語とかアイヌ文化の勉強をしてきて、相当の知識と技術を持っている人たちがウポポイに集結しているんです。だから、全道から選りすぐりのメンバーを集めてきたような感じです。でもその所をメディアが分かってくれないんですね。ウポポイは潜在的な力をすごく持っている所。しかし、その力を発揮する場所としては、まだ上手く作れていないと思うので、いろんな形でそのような場を作っていかなくちゃいけないというのが、今後の課題です。あと、北原さんも含めて若手のアイヌが相当数出てきているから、未来は明るいんじゃないかなと。
佐々木
アイヌやアイヌ文化について学ぶ意義とは何でしょう。
中川
むしろ、アイヌから学ぶというよりもね、日本という国は、いろんな人たち、いろんなルーツや歴史を背負った人たちが混在して暮らしているということを認識するのが重要です。これこそ日本のマジョリティである和人がアイヌに関心を持つことで得られることだと思います。日本はかつて単一民族国家であったことはないので、いろんな人がずっとごちゃ混ぜにいるんです。それこそ、朝鮮半島から来た人たちだって、はるか昔から日本文化が形成される時からその中核にいるわけですから。それなのに、ヤマト民族しかいなかったと思っちゃうから、「純粋な」日本文化なんてことを考えてしまうんですが、そんなものあるもんかって話です。逆に言えば、純粋なアイヌ文化というのがあるのかという話。先程言ったようにアイヌの儀礼そのものに、和人のいろんな道具が入ってきているし、カムイという言葉だって日本語の神からの借用語だとすれば、純粋な文化って何? となります。日本文化で言うならば、大陸から仏教が入る前のものが純粋な日本文化だったとすると、今そんなものを実践している人なんて誰もいやしません。そういうことを理解するためには、自分たちが持っているものとはかなり異質な文化であるアイヌ文化をルーツとして持っている人たちが、昔から身の回りに住んでいることを考えることが、我々がアイヌの人々から学べることなんじゃないでしょうか。
佐々木
現在、アイヌ・アイヌ文化について学ぶ人は増えているのでしょうか。また学ぶにはどうしたら良いでしょうか。
中川
それは確実に増えてきていると思います。例えば動画講座(コラム参照)。このようなアイヌ語を学ぶいろんな機会を我々が提供しつつあります。アイヌ語を学ぶ機会はどんどん増えてきているし、若い人もたくさん出てきているので、もうちょっと弾みがつけば、もう私あたりが何もしなくても、みんながどんどん新しいことをやっていくだろうと思っているので、未来のことはそんなに心配していません。
アイヌ語というものはもう母語話者がいないので無くなっているとも言えますが、そこから始めて、いかにアイヌ語を日常的に広げていくのかが課題です。私が理想としている社会は、アイヌ語が英語のように日常で使われても不思議に思われない社会。日本の言葉なんだからアイヌ語が普通に使われて、別に違和感のない社会。例えばカムイっていうのは今や耳慣れない言葉ではなくなりつつありますよね。同じように、パスイって言ったらどんなもので何に使う道具かというのが、普通に学校で勉強すれば分かるような状況、それに対して「変な習慣じゃん」といった偏見が無くなって、例えば仏壇にお線香を上げるのが当たり前のように、パスイでお酒を上げるのが当たり前みたいな状況になるのが私の理想ですね。
『ゴールデンカムイ』という漫画がその役に立ったというのが、私にとって非常に偶然の功名で、そのおかげで、少なくともカムイというのは、今やどこかで聞いたことがある言葉になっているわけだし、アシリパの「リ」が小さいということも、今では別に何の違和感もなくなってきたんじゃないかと思います。集英社としては頻繁に登場するヒロインの名前で活字を変えるのがめんどくさかっただろうけど、やりますと言ってくれました。他にも、北海道新聞が公式にアイヌ語表記にカナ小文字を使うことを率先してくれていることもありますし、今後、アイヌ語をカタカナで書くんだったら大文字・小文字を両用した表記が一般的になってくれれば、と思います。
大昔私が書いた文章が国語の教科書に採用されたことがあったんですが、その文章にカナ小文字を使っていたことで揉めに揉めました。「国語の表記にこんなものは存在しない、こんなものを載せるわけにはいかん」ということらしいのです。「らしい」というのは、私と文科省が直接やり取りしているのではなく、出版社を通しているものですから、婉曲的にしか伝わってこないんですね。結局は、カナ小文字に注釈を書いてその場限りということで通しましたが、わざわざカナ小文字に注釈をつけなくても済むような社会が、理想です。
佐々木 雄大
中川先生の講義を受講している時は、先生の持っている考えや先生自身についてはあまり知らなかったのですが、今回このような機会に恵まれ、ただ講義に出ているだけでは聞けないような先生のことを知る貴重な体験をすることが出来ました。また、現在『ゴールデンカムイ』等により話題になることの多いアイヌについて、今回のインタビューが誰かの考えるきっかけになれば幸いです。
古本 拓輝
『ゴールデンカムイ』のアニメをきっかけに中川先生を知り、そして千葉大学に入学しました。コロナ禍で実際に対面することができていませんでしたが、この度はじめてじっくりとお話しできて嬉しく思います。一人ひとりが多様性を認めることで、アイヌの文化がより日常に融け込んだ社会が実現されていくようになるのだと思いました。まずは北海道の道路標識にアイヌ語が併記されますように。イヤイライケレ。
あるおばあさん(A子さん)のところに(調査のために)訪ねていったら、いない。彼女は、別のおばあさん(B子さん)宅に行っているという。3時間歩いて、A子さんのいる村に訪ねたが、A子さん曰く、B子さんは「アイヌのことは絶対に口にしない。私には言うけど他の人には言わない」らしい。そういう人に無理やり話を聞くのはよくないから、A子さんと話をしていた。ところがA子さんはわからないことがあると、離れて座っているB子さんに、「ばば、これはどういうことだ」と訊く。するとB子さんはすぐ答える。そのうちだんだん、離れた所にいたB子さんも近くに来て一緒にしゃべるようになって……。そろそろ日もくれてきたし帰るかと思ったら、いきなりB子さんがユカラという叙事詩を語り始めたから、慌ててレコーダーを取り出した。終わるときにB子さんが「今日あんたが来てくれてよかったわ」といって手を握ってもらった。会うまではどんな感じになるかわからない。会って話をすると、打ち解けていくというか話を聞けるようになっていく。
岩波現代文庫版の『ハルコロ』は去年復刻、『アコロコタン』の方は2019年に出た漫画です。前者はアイヌ民族出身のアイヌ文化研究者である萱野茂さんが監修していて、後者はアイヌと長年一緒に活動していて、アイヌについてよく知っている成田英敏さんという方が描いています。『ハルコロ』は15世紀を舞台に、ハルコロという女の子が子供の頃から結婚・出産するまでの体験を、恋愛や通過儀礼を通して描いた成長の物語です。
『アコロコタン』は現代のアイヌである小学校の先生と生徒が登場人物で、「アイヌって何なの?」という問いから、当時に舞台を移して昔の生活がどのようなものであったのか描き、最後現代に舞台が戻ってくるというお話です。こちらは現代の差別問題が多少扱われていますが、『ハルコロ』はアイヌと和人が本格的に接触する前である15世紀に舞台を置いているので、和人はいないも同然の扱いです。ただし、『ハルコロ』は時代こそ15世紀に設定してありますが、描かれている内容は萱野さんの体験した昭和に入ってからのアイヌの生活や、当時の年寄から聞いた昔話が元。要するに近世を舞台にした物語を、時代的に和人の出てこない15世紀にまで持っていったお話なんです。
動画講座というものは、そもそも私が企画したものです。アイヌ語ラジオ講座というものもあるんですけど、今更ラジオ講座というのは媒体として限られた力しかないから、私がネット上の動画でやろうと再三言い続けてきて、ようやく予算がつきました。私自身がプロデュースしているのは、その中のアイヌ語自然講座というコーナーで、山の生態や生活に詳しい作田さんという方から罠の仕掛け方や自然について習う講座になっています。彼はこういったことを面白く説明できる方なので、基本的には彼が考えたことを語ってもらい、教わるというものになっている。
実は昨日(10月11日)も私は北海道の様似町というところから帰ってきたのですが、様似ではアイヌ料理についての動画講座を撮りました。80歳の熊谷カネさんという方が地元の料理を親戚の青年に教えるという内容になっています。その青年は様似とは全然違う所に住んでいるので、(僕は)「この人がやってくれたらいいんだけどな、でも遠い所に住んでいるしな」と思っていました。しかし声を掛けたら「はい、やります」と車でわざわざ2時間かけて来てくれて、1日付き合ってくれました。率先して「これはアイヌ語でなんて言うんですか?」とか聞いてくれたんです。こういった若い人がどんどん後からいろいろ出てきているので、おおいに期待しています。
▲ Profile
*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。