わが大学の先生と語る
「ドキ土器ッ考古学!」梶原 義実(名古屋大学)


Profile


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梶原 義実(かじわら・よしみつ)
略歴
1974年、滋賀県出身。
名古屋大学 大学院人文学研究科 教授。
1997年3月 京都大学文学部卒業。2001年3月京都大学大学院文学研究科 考古学専修 博士後期課程を修了後、2001年4月京都大学埋蔵文化財研究センター助手に着任。2003年10月名古屋大学大学院文学研究科講師、2010年4月同准教授を経て、2021年4月より現職。博士(文学)。
■著書
梶原義実『国分寺瓦の研究-考古学からみた律令期生産組織の地方的展開-』(名古屋大学出版会 2010年)、梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』(吉川弘文館 2017年)、八賀晋・天野暢保・城ヶ谷和広・梶原義実編『愛知県史 資料編4 考古4 飛鳥~白鳳』(愛知県史編さん委員会 2010年)、梶原義実編『伊保廃寺発掘調査報告書』(名古屋大学考古学研究室、2022年)

後藤 万由子
(医学部医学科5年生)

 

1.考古学ってなんぞや

後藤
 さて。私が今回インタビューする方は、名古屋大学・考古学研究室の梶原義実教授です。先生、こんにちは。

 

梶原
 こんにちは。

 

後藤
 先生は奈良時代の国分寺の瓦(※コラム参照)の研究をされているということで。まず 考古学とは何か、からお聞きしたいです。

 

梶原
 はい、考古学とは、遺跡と遺物とか、いわゆる物質資料、「物」から歴史を明らかにする学問です。
 歴史学、例えば日本史学では、『古事記』や『日本書紀』などの文献史料から歴史を読み解いていきます。一方、考古学では「物」から歴史を読み解くわけですね。歴史学では、文字を読めばある程度歴史が分かります。もちろんその文献資料の信用度などの問題はありますが。ただ考古学では「物」から歴史を読み解くので、たとえば、縄文土器から その時代の人々の文化や社会を明らかにするには特別な方法論が必要です。「物」から歴史を読み取る、そこに「ロマン」のようなものを感じています。

 

後藤
 「物」から読み解く……。具体的にどういった方法なんでしょうか。

 

梶原
 われわれが用いる特別な方法論の一つとして、例えば型式学という方法論があるんです。これは「物」の変化の仕方からその年代と遺物の年代とか系譜を明らかにする方法なんです。ところで、ダーウィンの進化論、知っていますよね?

 

後藤
 はい。

 

梶原
 型式学はダーウィンの進化論を物質資料に応用した概念です。例えば、キリンの首や象の鼻がだんだん長くなるとか、そういう進化の方向性ってありますよね。
 それと同じように「物」も、徐々に徐々に形を変えていく。だから複数の「物」があったときに、時代順に並べることができるんです。また他の地域の「物」同士を比較して、「物」の広がり方もわかるんですね。そういった方法論を用いて、土器や瓦を使っていた人の移動の仕方とか情報の伝わり方がわかるんです。そのように 我々は当時の社会や文化の研究を進めています。

 

後藤
 だから先生の研究されてる国分寺、瓦の文様とかも。

 

梶原
 そう、おっしゃる通りです。この本(梶原義実『国分寺の瓦の研究』)で書いているんですが。(本を見ながら)例えばこれは福岡県の瓦なんですけど、大和、奈良県の瓦の要素が福岡県に入り込んで、それが変化していって、最後に国分寺の瓦に採用されるといった流れがあります。(※コラム参照)このように文様の変遷を明らかにする研究をしているんですね。

 
 

2.考古少年?

後藤
 先生がこの道を志したきっかけをお聞きしたいです。

 

梶原
 もともと幼稚園の頃は恐竜が好きで。また、うちの父親がアマチュアだけど歴史好きで、それこそ邪馬台国のことを研究していて。その影響で子供の頃から遺跡とか、博物館に連れていってもらっていたんです。そんな中、小学校6年生の時に裏山で当時では日本最古の埴輪を見つけて、それが新聞に載ったんですよ。

 

後藤
 えっそうなんですか!?

 

梶原
 それもあって考古学に興味を持ち始めたんです。

 

後藤
 何という山ですか

 

梶原
 壺笠山という山なんですけれども。

 

後藤
 すごい! ときめきですね! ではそこから気持ちは考古学一色、と。

 

梶原
 いや、それがそうでもなくて。中学生とか高校生とか大学生の頃って、ガリ勉とか歴史オタクと思われたりするのは嫌じゃないですか。モテないから。

 

一同
 笑

 

梶原
 だから、もちろん考古学をやりたいとは思っていたけど、回り道はしました。高校の頃はギターを弾いていたし、大学では合唱団で歌を歌ってばかりだったし。

 

後藤
 そうなんですか。

 

梶原
 だから本当に1、2年生の教養部の頃は全然勉強していなかった。でも今考えたら、あの時とっておけば良かったと後悔してる授業がいっぱいあります。たとえば哲学。哲学的な人間の理解の方法を知らないまま、「物」だけで人間を理解しようとするのはなかなか難しいですね。そういう勉強を私は全くしていなかったので。

 

後藤
 人間を理解するためにあらゆる視点を持つのは重要なのですね。趣味といえば、本も読まれましたか。

 

梶原
 読んでいましたよ。ただ専門書ではなくて、本当に興味のある小説をひたすら読むといった形。もちろん歴史小説は好きで、司馬遼太郎も読んでいたな。好きな作家の小説をことごとく読むような、絨毯爆撃的な読み方をしていました。あの頃は村上春樹が流行っていて私も好きだったので、全部読みましたね。だから偏っていましたよ。近代文学とかはサッパリで、ちゃんと読めていないんです。

 

後藤
 古代史一色ではなかったんですね。

 

梶原
 はい。今でも仕事では専門書を読むけど、暇な時や電車に乗ってる時とかは、あえて関係無い小説を読むようにしてます。その方が頭のリフレッシュになるので。

 

後藤
 自分の専門分野から離れてもう一つの世界を持つ……。私も医学部にいながら、このように文学に触れられて世界が広がっていいなって思います。

 

梶原
 うん。よかったです。

 

後藤
 国分寺の研究されるようになったきっかけは?

 

梶原
 大学3年生の時に研究室に配属になって、4年生で卒論を書かなきゃいけなくなって。当時の助手の先生が「今古代の瓦を研究してる人が全体的には少ないのでやってみたらどうや」と。人から勧められてやったという全然劇的ではない理由で瓦研究を始めました。その研究が自分のライフワークになってるから、とても不思議ですね。これがなければ今の私はなかったので。

 

後藤
 人とのご縁って大事ですね。

 
 

3.研究だけじゃない

後藤
 研究をしていて苦労したことはありますか。

 

梶原
 歴史学は文献を読んで、考古学は物を扱う学問だと言いましたね。だから、考古学をやってる人ってあんまり文字の好きじゃない人が多いです。私もそう。だから、いろんなところで勉強不足を感じます。ちゃんと本を読まなあかんなって。

 

後藤
 主に文献を読むことに対しての苦労があるんですね。

 

梶原
 あと、考古学は総合的な能力が要求される。例えば私は、遺跡や遺物から情報を導き出して歴史を明らかにしていく、いわゆる「研究」が好き。ただ、それ以前に発掘調査をしなきゃいけないわけです。それを適切に行なっていく能力と、遺物から情報を引き出す能力というのは同じように見えて、実は別ものだったりするんですね。

 

後藤
 そうなんですか。

 

梶原
 はい。そういった、考古学に必要とされる能力全般が自分にあるとは思えない。それも結構苦労してます。私は発掘がめちゃくちゃ得意ってわけではないけど、学生にはそれも教えなきゃいけないから。

 

後藤
 研究だけではないのですね。

 

梶原
 はい。だから研究者としてのアカデミックな能力に加えて、発掘技術者としての能力も同時に必要で、両方充分に満たすのが、実は結構難しい。私は研究に偏っちゃっている。その一方で発掘に偏っている人もいっぱいいるし。

 

後藤
 じゃあ、協力し合ったりとか。

 

梶原
 もちろん。埋蔵文化財行政や地元の教育委員会とかで毎日発掘をしてる人がいますよね。そこの人たちは発掘のプロですから、私なんかよりはるかに掘れるし実績がある。だから、彼らが採ってきたデータを、地域史、日本史の中に位置付けていくことに私が協力をすべきではないかと。

 

後藤
 発掘、研究。それに加えて、地域の人たちが協力しあっての学問ですね。

 

梶原
 そうですね。それが面白くて楽しいところかもしれません。ほかの人文学の学問って大抵ひとりでできるんですよ。日本史もそうだし、文学だってそう。でも考古は絶対一人でできないですよ。それは面白いですね。

 
 

4.どこでも 宝の山

後藤
 古代史ってやはり京都とか奈良のイメージが強いです。愛知ならではの魅力を教えていただければ。

 

梶原
 これはちょっと質問に反することになってしまいますが。歴史って京都奈良だけじゃなくて、どこにでもあるんですよ。遺跡は人々がそこで生活をしていた以上、必ずあるんですね。だから、確かに京都とか奈良は立派な遺跡があるかもしれない。だけど他の地域も、生活や、それに根ざした歴史がある以上遺跡も必ずある。考古学はあらゆる地域の歴史を掘り起こす学問なので。ですから愛知には愛知の素晴らしい歴史があるし、岐阜県だって三重県だってそう。それを解き明かすのが考古学の醍醐味だと思います。

 

後藤
 どこでも、学びの場なんですね。

 

梶原
 だから地元のおっちゃん達は考古学が好きなんですよ。我々が講演会をやると、おじいちゃんがいっぱいくるんです。自分の地域の歴史を皆、知りたいんです。

 

後藤
 地域を元気にさせる学問ですね。

 

梶原
 まさにそうだと思います。

 

後藤
 遺跡の発掘調査とかに行くといろんな人がすごい真剣な顔で聞いていて、いや、私も真剣なんですけど(笑)。やっぱり、自分の育った土地の下に人がいたかと思うとドキドキしますよね。

 

梶原
 まさにそうです。ですから授業でも、「名古屋大学のキャンパスの中に遺跡があったんですよ」という話から始めるんですよ。この辺り(東山キャンパスの中)には窯跡が多いですね。

 

後藤
 東山の生協(ブックスフロンテ)で、窯跡から出土したものが展示されていますよね。

 

梶原
その通りです。

 
 

5.ウェルカム!考古学!!

後藤
 本日一番お聞きしたかったことです。私のような、他学部の人間が考古学の授業を聴きにくることについては……?

 

梶原
 とっても嬉しい。嬉しいです。

 

後藤
 え、即答(笑)。

 

梶原
 私は、後藤さんが来てくれてとても嬉しいんですよ。本当に。もちろん、文学部で考古学を修めて、そして将来専門家になる、そんなルートも大事です。でも。考古学って、発掘調査を行なって博物館を建てて、遺物を展示する。それに多額の税金を投入して、初めて成り立つ学問なんです。それを考えると、なぜこの学問分野が大事なのか、地域にとってどんな意味があるのかを、絶えずアピールして、ファンを増やしていく必要が絶対あるんですね。文化財って、それを保有している地域の理解がないと維持できないんです。よく言われることだけど、バーミヤンの大仏なんかまさにそう。偶像崇拝を非とする考え方から、大仏を破壊してしまう。文化財って壊れたら二度と戻らないので、ただ「過去から受け継いでいきた遺産が大事である」という言葉は、前提としては全く力を持たない。文化財みたいな金食い虫はもうやめてしまえ、とも言えちゃうわけです。悲しいことだけど。そんな中で我々が文化財を後世に伝えていくには、研究者がそれを学ぶだけでは不充分。より多くのファンを作って、そして、社会で文化財を残していこうという機運を醸成していかなければいけない。それがやっぱり学問なり文化財を残すために一番大事なことだと思っています。だから私はどんなに忙しくても講演会の依頼は絶対受けるし、地元から文化財の審議委員をやってくれとか、史跡整備委員をやってくれと言われたら基本、絶対受ける。考古学者というのはそうあるべきだと私は思っているんです。研究者だけを育てたいわけじゃない。たとえば後藤さんみたいに将来お医者さんになる人達からも、考古ファンが出てほしい。だからよそから来てくれればくれるほど嬉しいんですよ。

 

後藤
 ありがとうございます。

 

梶原
 今私の授業には、後藤さんの他にも、情報学部や農学部の学生もいるし、今の研究チームには工学部の学生もいます。みんな歴史好きなんですよ。歴史が好きで、授業を受けたりとか一緒に研究したりしているので、そういうのはやっぱりすごく嬉しいですね。

 

後藤
 学ぼうと思えばいくらでも学べるんですね。

 

梶原
 その通りだと思います。そういう学ぶ機会をいろんな人に提供したいと思ってるし、それが私は考古学者としての自分の責務の一つだと思ってますので。

 

後藤
 私も今回のインタビューを通して、考古学の魅力を多くの人に伝えられればなあと。

 

梶原
 よろしくお願いします。

     
(収録日:2023年4月7日)

 


インタビューを終えて

後藤 万由子
 3年生の時から梶原先生の授業は受講していましたが、今回新たな発見が多かったです。文字ではなく「物」から歴史を紡ぎ出す。どこでも学びの場になる。しかし必要とする人が居ないと成り立たない。これを読んだ方が少しでも、「考古学面白そうだな」と思ってくだされば、古代史ファンとしてとても嬉しいです。
 お忙しい中インタビューを受けてくださった梶原先生、編集作業などご尽力いただいた大塚様、本当にありがとうございました。


 

国分寺とは?

写真提供:市原市埋蔵文化財調査センター

 奈良時代(8世紀)は多くの政争が起こり、疫病が流行していた。人々の不安を仏教の持つ力によって鎮めたいという当時の天皇(聖武天皇)の願いから国ごとに建立された官営の寺院のこと。
https://www.imuseum.jp/maibun/event/1/701.html

梶原
 これは上総(現在の千葉県)国分寺の瓦です。この蓮の花の文様について研究しているんですね。

 

後藤
 国によって本当に違う。だから、自分の国の瓦について調べてみると面白そう。あと、推しの文様を探してみるとか(笑)。

※参考文献:鈴鹿市考古博物館「伊勢国分寺跡 史跡指定100周年記念 秋季特別展 国分寺」

 

 

似ている≠影響がある

後藤
 先生は授業で、「2つの国で瓦の文様が似ていても、お互い影響があったとは断言できない」と仰っていましたね。

 

梶原
 はい。確かに類似していれば、相互の影響である可能性がある。ただ、同じようなものが複数の地域で同時発生していた可能性もありますよね。しかも「影響がある」の意味も多岐にわたる。人が動いてるのか、それとも情報だけが伝播してるのか。この場合、瓦を作る職人が動いているのか、紙に描いた文様という情報だけが動いているのか。これを明らかにしないといけません。しかも、その動きの背景として、それが国に言われたから動いているのか、それとも地域社会の需要供給の関係の中で動いているのかも考えないといけない。これらの過程を通して初めて「物」の動きを本当に理解したと言えるんです。

 

後藤
 文字がないって結構危険ですね。いくらでも推測できちゃう。

 

梶原
 まさに文字がないから頑張ってやらなきゃいけない。記録が残っていれば動きが分かるけど、それが無いからあらゆる場合を想定しなければいけない。だから文字の有る無しで全然違うんですよ。

 

 

文様の変遷の例

梶原
 この図。大和の川原寺と法隆寺の瓦の文様が大宰府政庁(古代九州の役所)のに影響して、それが豊前国(現大分県)の瓦になっています。

 

後藤
 正直、似たような瓦の文様って結構ありそうですが……。でも、歴史背景なども組み合わせて、深く研究したからこそわかったのですね。

参考文献)梶原義実『国分寺瓦の研究』(名古屋大学出版会)

 

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