いずみスタッフの読書日記 177号


レギュラー企画『読書のいずみ』読者スタッフの読書エッセイ。本と過ごす日々を綴ります。
 
  • 千葉大学4年生
    古本 拓輝
    M O R E
     
  • 京都大学大学院
    徳岡 柚月
    M O R E
     
  • 名古屋大学5年生
    後藤 万由子
    M O R E
     
  • 千葉大学3年生
    高津 咲希
    M O R E
     

 

 

千葉大学4年生 古本拓輝

八月二日/快晴 —KAISEI—

「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」。太宰治の『津軽』における一節だ。そして私も今、鈍行。彼の生家・金木町へむかう五能線の窓からは穏やかな日本海のパノラマ。手にはエッセイ、『旅をする木』(星野道夫/文春文庫)。小学生のときに教科書で触れたその瞬間から忘れたことのない小品が、「もうひとつの時間」。私が電車に揺られているとき、シロクマはあくびをしているかもしれないし、どこかの会社員は上司に怒られているかもしれない。そんな当たり前だけどすこしフシギでユカイな気にさせてくれる、心のミカタ。私には重たい、“ある悩み”がある。この旅が何か契機を与えてくれることを願いながら。『旅をする木』購入はこちら >
 

九月/曇り空と夜10時

 私の目はどうしようもなく潤んでいた。なぜならその小説が、あの“悩み”にひとつの道筋を示していたからだ。私は就職活動を終え、2つの内定を頂いた。知名度の高い大手企業と、中小のマスコミ。前者を選べば社会的・金銭的安定がある。後者を選ぶことはそういった安定を失うことだが、その業界は私の夢でもあった。夢か安定か。どちらを捨てるのも怖くて仕方なかった。だけどその物語の主人公の母親は、迷う娘にこう諭した。どちらを選んでもあなたは後悔する。だから後ろを振り向かないでいられる方を選びなさい、と。迷いはすでに晴れていた。『声優ラジオのウラオモテ』(二月公/電撃文庫、#01〜#08)。
 

九月下旬/残暑とどまり、夏と秋の綱引き

  「ね、なぜ旅に出るの?」「楽しいからさ」。突発的に名古屋行きの指定席を確保。今更ながら『君たちはどう生きるか』を鑑賞して、ジブリパークを体験したくなったのだ。かばんには東京駅でお迎えした『クスノキの番人』(東野圭吾/実業之日本社文庫)を詰め込んだ。この旅行とも私の心情とも脈絡のない小説だけれども、そういう恣意性に身を委ねるのもよし。熱田神宮にもお参りした。自分のために仕事守を購入したことに、くすぐったさと感慨深さ。苦しくなくても旅はできるし、私は一歩ずつ前に進んでいる。『クスノキの番人』購入はこちら >
 
 
 

 

京都大学大学院 徳岡柚月

8月の週末

  「テート美術館展 光—ターナー、印象派から現代へ」に来た。日々生活しながら光と影が世界に描く絵を眺めるのが好きなので、他の人がキャンバスにどう光と影を描くのかに興味があるのだ。
 色んな光を浴びながら進んでいく。ある地点で、急に音が遠くなった。そこにあった絵に全神経が接続したのだ。右側には柔らかな月光に照らされた、海と空の美しい青の世界。左側では、山が噴火している。炎と空を覆う煙、宙を飛ぶ火の粉。赤黒い世界は、やがて右側の「日常」を侵食していくだろう。月と炎、対極の光源の織りなす画面上方に奪われていた視線を、ゆっくり降ろしていく。剥き出しの大地の上に、人間がいた。小さくて、こんなダイナミックな自然の中じゃ、全然目立たない。二人がかりで倒れた人を運んでいく。右へ向かって。その姿を見て、私は自分の内と外がひっくり返るような奇妙な感覚に襲われた。
―― 画面の外にも世界は続いてるんだ。
今まで、絵は「世界を切り取ったもの」であり、「完結した存在」であると思っていた。でも、キャンバスの外にも絵は続いている。そう気づいた時、最近読んでいる本がブワッと脳内に現れ、思考にリンクした。その作品は『それでも世界は美しい』(椎名橙/白泉社 花とゆめコミックス、全25巻)。少年ながら世界を統べる太陽王・リヴィウス一世(以下リビ)と「雨の公国」第四公女・ニケを中心に展開する、壮大な物語。この世界では小雨化が進行していて、天候を操り雨呼ぶ秘術を持つ「雨の公国」に対し、物珍しさから太陽王は姫を一人所望。そこでやって来たのがニケ。ニケの真っ直ぐな明るさが、降らせる慈雨が、母を暗殺され復讐心から王になり、何も見えず感じない、光を失った世界にいたリビに優しく注ぎ、光の橋を架ける。
 私はこの作品を人生のバイブルだと思っているのだが、その理由の1つが、雨を呼ぶために必要なのは「“想い”と“実感”」そして「術者にとりまく世界の美しさを実感させること」であるということ。この言葉に、私は開眼した。今までぼんやりとしか映していなかった世界を、初めて確固とした想いを持って、ちゃんと生きている実感を持って見られるようになった気がしたのだ。先の絵《噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め》を見た時、この作品が浮かんだのは、どちらも「世界の解像度が増す」心を揺さぶられる経験だったからだろう。様々なものに触れて、関わって、世界はより広がり、鮮やかになる。“想い”と“実感”が溢れていく。この先、何かに心が壊されそうになっても、「それでも」美しいと言えるほど、世界を愛してゆきたい。『それでも世界は美しい』購入はこちら >
 

「読者スタッフの読書日記」記事一覧

 


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ