ピース 又吉直樹氏と語る「本」の素晴らしさとは・・・

太宰との出会い・・・、又吉氏にとって本の価値とは・・・。

三浦:ありがとうございます。
まあ、この番組は7月30日にDVDで発売されるので、ぜひ皆さん買ってください。(笑)
それではちょっと話題を変えて、先ほど本の話が出ましたけれども、又吉さんにとって本というのはどういったものか、本との出会いでも結構ですし、なぜ太宰が好きになったか、ずばり本について語っていただけますか。

又吉氏:本をなんで読むんかって言われると、ただただ面白いからっていうことで、僕はもともとは本を読むっていう行為とか小説・・・、まあ全部ですね(笑)。本全般を直接知性と結び付けては考えてないんですよ。本を読んでるから賢いなんてさらさら思ってなくて、でもまあ、面白い。なんでおもろいんかなというのをずっと掘り下げて考えていったら、どういう時に自分が読んでいて興奮してるのかなと思ったら、いろんな感覚の確認作業ができたときと、新しい感覚を発見できたときに、自分は面白がってんのやなと思っています。感覚の確認でいうと、共感というか、普段生きている中で、なんか「これ、こうかな?」で漠然と言葉にはできていないけど、なんとなく感じていることが小説の中でビシっと決まったきれいな言葉で整理されて出てきたときに、「ああ、そうや、俺が言いたかったことはこれや!」とか、「なんでここに自分のそう感じたことが、この人は分かってんねやろ!」というのが、読書の最初の面白さですね。太宰とかはそういう共感させる力っていうのがすごく強いと思う。中学の時読んだときに、それまで人とあまり会話もしてないし、大人の人に「人生とは・・・?」とか、「人間は・・・?」とか「人付き合いは・・・?」という話を、親ともそういう話をしなかったので、こんなことをずっとじめじめ考えているのは自分だけやと思ってたんですね。そうちゃうのやと、これはほかの人も考えることで、しかも太宰治なんてスーパー有名な作家やから、それを僕とかが共感していることは、自分以外にもこういうことを考える人がいっぱいおるんやなということの、安心・・・。広い意味での安心と共感、書いてることの共感になって、読み進めていくと、『人間失格』は最初に読んだんですけれども、そのときに、僕は中2で読んだんで、幼少期の頃の主人公の大庭葉蔵には共感しながら読むんですけれども、そっから先は物語として読むんです。自分がまだそれ以降の人生を歩んでないから・・・。

その時に、人間ってこういう状況になったときに、こういう判断をするんやっていうのは、感覚でいうと発見やと思うんです。ほんで、自分やったらこうするけどな、でもこいつはこうするんや、そういう考え方もあるんやっていう感覚を発見できる面白さ。それってそもそも本を読むときに、そういう生きていくために必要な武器をここで養うんだとは思ってなくて、おもろそうやから読んでみよかと思って読んだ結果、期せずして得たもの、滅茶苦茶大きなものを得たっていう、それの連続で、今も本読んで賢くなるぞっていったら、僕そんなの思ってなくて、「おもろそうやな」と思って読んだら、救われたりだとか、ためになったりだとかってことがいっぱいあるから、本っていうか、読書ってええもんやなって思ってますね。

特に大人になって思うのは、例えば一つのことを悩むときに、例えば百点の才能の人がおったとして、その人は百点なんですけれど本読んでないです。頭めっちゃいい。百点の才能がある。

じゃあ、「なぜ人間生まれてきたのか」っていう話を出されたときに、本を一切読まんとゼロから考えたときに、人から話聞くのはあるでしょうけど、そしたらそいつは百点の才能があるから、ゼロから百までいけるんです。これはすごいことなんですけど、それって古代のギリシャとか、そんなときからみんなゼロからスタートしていて、本によって百、いろんな何人もかけて積み重ねていって、どんどん、まあ縦か分かんないですね、横かもしれないですね。この考え方、この考え方、この考え方、ある。これを前提として百の才能のやつ、ここからスタートしてたらもっと先に進めたかもしれない、ということを考えると、なぜそんな不利な戦いをしているんだろうというふうにも考えられますね、本を読まないっていうことは。

その、本人が何か答えとか、人生生きていく中で何かを知りたいと思うなら、本を読むのはすごく有益やと僕は思いますね。

三浦:人類が経験してきたことをですね。

又吉氏:なんでゼロから始めんやねん、ということですね。

三浦:本と会話をしながら読むということですね。

又吉氏:そうですね。小学校の頃から「本」は読んでたんですけど、好きっていう感じで読んでなかったです。なんか、言葉が並んでて面白いという感じでしたね。だから国語の本読みの時間、先生に当てられると、読みながらずっと笑ってまうんですよね。こう、すごくきれいな文章で書いてるから、教科書といっても(笑)。この後、変な単語とか、急に変なこと言い出したら、めっちゃ受けんのになという。でも、お笑いって緊張と緩和みたいのあるじゃないですか。ずっと緊張状態が続いてて、これ急にあかんのやったらめっちゃおもろいと思いながら、張りつめてる緊張感のある文章読んでるのが面白くて。先生に怒られてるときに友達と目合うてめっちゃ笑うみたいな。皆さん、ないですか、そんな経験?(笑)緊張しているときやからこそ、なんか怒ったときにめっちゃおもろいという、その感覚がすごく張ってる状態が読書で得られる。そういう遊び道具に最初は近かったんですけれども。

芥川も中学ぐらいになってきたら、だんだん内容変わってきて、芥川の『トロッコ』とか、『羅生門』出てきたあたりから、「あれ、なんかおもろいぞ」って!そこからですかね、本おもろいって思い出したのは・・・。