ピース 又吉直樹氏と語る「本」の素晴らしさとは・・・

授業中に国語辞書とにらめっこ・・・?

三浦:ほかに何かありますか。

丸茂:小説読まれる方って、割と多い読者の方は、あらすじ的なストーリーをメインに捉えて面白がる人が多いと思うのですが、ただ、やっぱり言葉で編まれた書籍って存在していて、面白さって、単純なストーリー以外にもあると思うのですよ。又吉さんは小説の面白さっていうのは、ストーリー以外にどういうところがあると思いますか。

又吉氏:まあストーリーももちろん好きなのですが、やっぱり僕は、文章で何を書いているかはよく言われる言われ方ですが、何を書くかじゃなくて「どう書くか」みたいな話ですね。
僕ねえ、皆さんはすごいちゃんと勉強されていると思うのですが、僕はドアホやたんですよ(笑)。でも、言葉に対する興味が異常にあって、授業中もずっと国語辞典をめくって、そればっかり読んで、先生が親に注意しにくいという苦情がきた(笑)! 「教科書開いてへんから怒りたいけど、国語辞典読んでるし」。とか、「国語の教科書一人でずっと読んでるから注意しにくいけど成績悪いですよ」、みたいな感じやったんです。

だから、小学校とか中学校の最初の方まで、芥川とか太宰に興味持つ前までって、読書感想文とかも正直、『火垂るの墓』とかアニメで観てるし、本屋に行ったら野坂さんの『火垂るの墓』『アメリカひじき』が一緒に入っている新潮文庫ですかね。ですが、装丁がアニメやし、内容入っているから、これ読んだことにして書こうみたいな。でも一応、興味あるからなんとなく1ページ目読んでみたんですよね。ほんならすごい難しく感じたんですよ、そのときの僕には。中学1年ぐらいの僕には、すごい難しくて。「読めへんな。でも、とりあえず、途中まで読んでみよう」って読んでいったら、闇市の描写があって。その闇市の描写のところに、句点を極端に省いて、物を羅列してて、また句点あって・・・また物羅列して句点ある。っていう文章に出会ったときに、読みにくいなって思ったんですけれども、え、これ闇市の雑多な、何売ってるか分からん、ごしゃごしゃしたぎゅうっという感じを、ほんまやったら、「いろんなもの売ってました。長靴とバケツと食料と」って〝と〟をつけるとか、一個ずつ区切ったらいいのに、わざとこれを読みにくく省いてて、いろんなもんが混ざり合っている状況の文章を見たときに、おもろいと思ったんですよね。これが、『文体』なんて言葉も知らんかったけど、この人おもろいこと考えるなあ、この二次元の世界がなんか立体的に見えるというか、「あ、こんな表現の仕方あんねや、じゃあ難しいけどもっかいちゃんと読んでみよう」と思って、読んでいったら、「あ、おもろかった。ぎりぎりなんとかアニメ頭に入ってたし、読めたんや」。

いろんな本読んでると、いろんな表現でこれは文章上でしかできひんような括りで、映像的に視覚的に見せるということがありますよね。「あ、文章って面白いな」「文体って面白いな」っていうふうに、そういうきっかけになる本はやっぱりありましたね~。

三浦:大変興味深いお話でした。
それでは、今度は学生の方にも聞きたいと思います。自分にとっての本とは何なのか。出会いの話とかエピソードとか。本に興味のない学生たちにも教えてあげたいような話でも結構ですけれども。本にまつわる話を一人ずつお願いできますか。

:僕は、本は楽しむものだと思っていて、結構ポップな本とかが好きで、恋愛小説とか、あんまり古い本は読まないのですが、それ読んでて、自分が体験しないような生き方とか、警察物とか、推理物とか、そういうのを読んで、あ、こういう生き方もあって、こういう感情もあるんだなと思いながら味わうというのか、知るのが楽しみです。

又吉氏:面白いですね。

佐藤:僕は、本ってやっぱり自分で読むものだから、テレビとかみたいに受けるものじゃないじゃないですか。能動的に自分で行う営みだから、その部分で読んでいくうちに得られるものがあると思っていて。『華麗なるギャツビー』が好きなんですけれども、淡々と起きたことを綴っていって、結果的にギャツビー死にましたって。そのときになんか、読んでいくうちに、作者の感想とか何も書いてあるわけじゃないのに、自分の中にちょっとなにか衝撃が起きているみたいな。こういうものって、やっぱりテレビとか見ていて、ドラマやってて、登場人物が悲しがったりうれしがったりしていても自分の中に響いてくるものがなくて。自分が文章を読んで、追って、最後に得た結末が、自分にとってすごい衝撃になることが多くて、そういうものを得るために、興味の湧かないものでもとりあえず読んでみて、なんかあるかなあっていうのを感じながら読むようにしています。

又吉氏:そういう感覚は僕にもありましたね。分からなくてもとりあえず最後まで読んだら、必ず何かしら感じることはあって、そうやって広がっていったと思いますね、僕も。

丸茂:僕もわりと最初は小学生のときから ストーリーを楽しむ感じで読んでいたんですけれど、西尾維新っていう作家に出会って、あ、ここには僕がいるって、その作品を読んですごい感動したんです。その人をたどるうちに、『ファウスト』という講談社の文芸誌に出会い、西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉 という気鋭の作家さんの作品と、さらに評論とかがそこにあって、僕の青春がここにあるんだという内容が書かれつつ、僕が見えてなかった世界を文芸評論が見せてくれたんですね。それはすごい感動で、今までただ単純に娯楽として捉えていたものが、自分の世界を読む前と読んだ後とで変えてしまうようなものだと気づいて、僕は理系に一応大学進学するつもりだったのですがそれをきっかけに文系に変えました。

君島:私にとって読書は、ほかの人の考え方とか、又吉さんもおっしゃっていたのですが、どういうことをするか、その動機付けを知るツールだと思っていて、私は一人っ子で、小学校のときから読書にはまりだしたのですが、そのときはあんまり友達がいなくて、なかなか自分が何を思っているかとか、他人が何を考えていたのかというのがいまいち分からない小学生時代を送っていました。本を読んで、そこにまったく私と違うタイプの女の子が出てくるのですが、あ~ こういう考え方があるんだとか、あ~ ここでこういう子にいたずらしちゃうんだ・・・みたいな。そういう考え方もあるんだなというのを読んでいてすごい感銘を受けて、ほかの人のなんか思い出していると、いろんな登場人物がいて、それぞれいろんな考え方を持っていて、たまに、あ!これ、私とまったく同じことを考えているというような登場人物がいて、そういうのを発見するのが本当に楽しいと思っています。そういうのって友達とか家族としゃべっているだけでは分からないものだと思うので、そういうのはやはり、一人部屋にこもって読むことで感じる発見だと思うので、それはもう読書でしかできないことだと思っています。

又吉氏:そうですね、僕もなんか本読んでて、自分と似た登場人物がいて、それを読み進めていくと、現実の自分は同じ場所で特に問題も解決できず立ち止まっている。最初から全然違う人物やっても、ああ、こういう考え方もあるんや、面白いって思えることもあるんですけれども、自分と似たような登場人物が出てきたときの面白さって、信頼関係がそこでできているから、自分もこうなれるかもっていう希望になることもありますね。

君島:ありがとうございました。