友田オレ 氏 インタビュー

友田オレ 氏 インタビュー やっぱりお笑いで行く!コロナ禍で始まった大学生活を経て思うこと。

 

学生お笑いサークルから早稲田大学在学中にデビューし、わずか10カ月でABCお笑いグランプリの決勝進出を果たした友田オレさん。順風満帆な人生かと思いきや、学生時代には2020年度入学の葛藤を抱えたこともありました。

全国学生委員はコロナ禍の学生生活を経験した同世代として、現在お笑い界で活躍中の友田さんの学生としての一面をお聞きすることができました。

 

お笑いタレント
友田オレ 氏
プロフィール
インタビュイー

全国大学生協連 全国学生委員会
委員長 加藤 有希(司会進行)
インタビュアー

全国大学生協連 全国学生委員会
髙須 啓太
インタビュアー

全国大学生協連 全国学生委員会
吉村 珠李しゅり
インタビュアー

 

(以下、敬称を省略させていただきます)

 

自己紹介とこのインタビューの趣旨


加藤
本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。全国大学生協連学生委員会の委員長を務めております加藤有希と申します。2023年に福山市立大学を卒業しました。本日はよろしくお願いいたします。
 

髙須
同じく全国学生委員会の髙須啓太と申します。今春、岐阜大学を卒業しました。友田さんと同じ学年になります。
 

吉村
同じく全国学生委員会の吉村珠李と申します。私も友田さんや髙須と同じで、今年度宮崎大学を卒業しました。
 

加藤
全国大学生協連が昨年度実施した第59回学生生活実態調査では、2020年度に入学した大学生が無念や苦難を残したまま卒業するという声がありました。
同じタイミングで大学に入学した友田様が、大学でお笑いを目指そうと思ったチャレンジ精神を今年の卒業生や新入生、在校生に届け、多くの学生が今後主体性を持って物事に取り組めるようなメッセージをお願いしたく思います。
コロナ禍を経てもなお人と人との繋がりが希薄になっている現状があるかと思い、今年の3月まで大学生であった友田様が、大学時代どのように繋がりをつくられ、どのように大学生活を送っていらっしゃったか等についてお話しいただきたいと思っています。
僕は個人的に友田様のファンですので、本日お話を伺う機会をいただけてとても嬉しく思っております。どうかよろしくお願いします。
 

友田
2001年7月20日生まれ、23歳で福岡県出身です。入学年度は2020年で、今春早稲田大学を卒業しました。今GATEという芸能事務所に所属してお笑い活動をしています。今日はよろしくお願いします。
 

*第59回学生生活実態調査自由記入欄より一部抜粋

  • コロナ禍で1、2年生は友達が全然できなかった。学年が上がると大学に行く日が少なくなるため、友人をつくるのは難しい。(文系・4年・女性・自宅外)
  • 悩んでいても仕方ないことですが、コロナ禍によって私の理想としていた大学生活は完全に狂ってしまったまま終わりそうです。まず、友達ができなかったことが大きく、結果的に就活に不利になったように感じました。今後自分が生きている感覚が戻るのかどうか不安です。(文系・4年・男性・自宅)
  • 入学と同時にコロナ禍が広まり、約2年間オンラインで授業を受けました。3年生は対面授業が始まりましたが、2年間で奪われた生活を思い返すとやる気が出ず、病んでしまい、4年生を休学するという選択をとりました。(文系・4年・男性・自宅)
 

2020年度入学生として

不安から始まった大学生活


加藤
友田様は4年間を振り返ってどういう生活を送られましたか。
 

友田
2020年というとまさにコロナが直撃して、日常も制限されていたと思います。受験シーズンにマスクした方がいいんじゃないか、しない人もいるけど、とマスク着用が推奨されだした時期ですよね。本当にみんな「何なんだ、これは」という不安に駆られていたと思います。

そして受験が終わったら完全にコロナ一色で大学構内も閉鎖されて、そもそもキャンパスに入れないという状況でした。大学に合格して胸を弾ませて上京したのに、ずっと家にいるしかない。刺激がなさすぎて、ホラー映画を1人で見るのが唯一の楽しみでした。

元々「早稲田大学お笑い工房LUDO」に入ることをモチベーションにしながら受験勉強していたので、サークル活動もしたいし、授業も対面で受けたい。でも、それができないという状況で、かつ上京してきたばかりで親しいコミュニティもなく、人とつながれないということでどんどん卑屈になったというのがまずありますね。

でもその一方、地元福岡から上京して東京の街が新鮮に感じていた面もありました。しかも1人暮らしって、誰にも指図されずに生活できるということですよね。だから、東京と1人暮らしという新しい環境にささやかな幸せを見出した面はあります。それが大学1年生です。
 

加藤
1~2年時はコロナ禍で、困ったことや楽しかったことがあれば教えてください。
 

友田
今お話ししたように、1年時はステイホームで卑屈になりつつも、1人暮らしや東京を楽しんでいました。2年生になったらだんだんと制限が解除されてきて、例えばマスクをしながらサークル活動が少しずつできるようになりました。お笑いもやるようになったのですが、最初は結果が出なくて、ライブに出てもあまり受けないような感じでした。

受けないと負のスパイラルで、サークル活動やライブに出なくなる。するともっと受けなくなって、ちょっとネガティブにはなっていたのですが、お笑いは上京の目的の一つだったので、元々モチベーションは高かったんです。結果が出ないまま、まあ1年ぐらいは頑張れたという感じですね。

1年の後半から2年の秋ぐらいまで活動して、ピンでやってみようと思い立ちました。そしたらピンネタがはまって、学生の大会でちょっと結果が出ました。半年かもう1年結果が出なかったら、もしかしたらやめていたという可能性も普通にあったんですよね。

2年の終わりぐらいにその大会でやった動画をネットにアップしたら、それがツイッターでバズって、それがきっかけで今の事務所にお声掛けいただいたり、いろいろなライブに呼んでいただいたりするようになりました。だから2年生以降、大学生活で楽しかったことは、自分の動画をみんなに見てもらって、ライブにもたくさん出られるようになったことですね。

それ以降で困ったことは、例えば、学生のライブでの立ち位置がちょっと難しくなったことです。一応3年の10月ぐらいからプロと名乗り出したので、学生お笑いという社会の中でどういう立ち振る舞いをすればいいんだろうと、そこはちょっと迷いました。
 

お笑いを志したきっかけ


髙須
元々 お笑いサークルに入りたくて上京されたと伺いましたが、そもそもサークルに入ろうと思ったきっかけや、芸人を志した契機を教えてください。
 

友田
お笑いが好きで、元々なんとなく上京したいという漠然とした思いがありました。そんな中、テレビやYouTubeを見ると、関東では「大学お笑い」という文化が盛んだということを知って、これやりたいなと。

だから受験のモチベーションとしてまずお笑いが上京の目的の一つだったことを掲げて、入学後にお笑いサークルに入りました。で、3年の時にちょっと動画がバズって、でも、それで芸人になれるとはあまり思ってなくて。ただこの事実が嬉しくて冷静な判断ができていなかったのですけど、事務所に声を掛けていただいたときに、「プロになるって選択肢もあるんだ」と思いました。きっかけは外的要因ですね、プロになりたいと思ったのは。
 

髙須
お笑いサークルでは、大学間に繋がりもあるのですか。
 

友田
横のつながりでいうと早稲田だけでなく、慶応、上智、日大、法政などの大学にお笑いサークルがあって、一緒にライブを打ったり、あちこちで学生お笑い大会があったり。アマチュアがエントリーできるライブもあるのでいろいろと交流する場があって、そこでつながりがあるといえます。

上下関係もちょっと特殊で、お笑いの世界を踏襲しているわけではありませんが、4年で入ってくる人は、4年生でも芸歴は1年生扱いですよ。だから1、2年生の時に4年生の人におごったこともあって、そういうところは変わっているかなと思います。

体育会系みたいな上下関係はないし、飲み会とかも頻繁にあるわけじゃない。緩い関係ですけどお笑いは好きっていう、その共通点でつながれているというのが僕にとってはちょうどいい塩梅で、すごく居心地が良かったと思います。
 

髙須
他大学の人とも関わる中で、この人に会えて良かった、こういう繋がりができて良かったということがあれば、お伺いしたいです。
 

友田
同期の繋がりでいうと、お笑いで結果が出せるようになってからだんだん輪が広がっていったという感じです。
それで仲良くなったら、それはもう大切な財産になる。だからお笑いを続けたことで友達が増えたり、後輩のネタの相談に乗ったり、すごく身になったなという気がしますね。

プロの芸人さんが出る外のライブに呼ばれるようになってからの話です。僕はずっときしたかのさんという芸人さんコンビの方が好きでした。高校時代からテレビで見ていて、上京してからもYouTubeで見たり、ライブにも行ったんですよ。そのくらい好きだったので、その方たちと一緒のライブに出た時に楽屋でお話しできて、すごく優しく接してくださって、きしたかのさんと話せる機会が自分の人生であることに、本当に感動しました。
 

きしたかの:2012年に結成した、マセキ芸能社に所属するお笑いコンビ。

 

加藤
夢がかなった瞬間ですね。僕もきしたかのさんは注目しているので、すごく羨ましいです(笑)。
 

お笑い芸人になるまで

確固たる自信があったわけじゃない


加藤
もしお笑い芸人にならなかったらこういう職に就くだろうなとか、将来の展望みたいなものはありましたか。
 

友田
就活は途中までしていました。メディア系の企業を探していましたが、正直、自分でそれを職業にしたいと本気で思っていたわけではありませんでした。それでもどこかで自分で夢との妥協点を見つけて企業に入ること、それも含めて就活だと思っていたので、そのときには本当にやりたい仕事じゃなくても、何とか楽しさを見出して働くしかないな、と思っていました。
 

加藤
やはり一番モチベーションがあったのはお笑い芸人だったのですね。
 

友田
かといってお笑い芸人になるという強固な意志があったわけではなく、芸人になれたらそりゃ嬉しいけど、そうじゃなかったら俺は何になるんだろうっていう感じだったんです。だから確固たる目標を定めて大学生活を過ごしていたわけじゃないので、そこはずっとふわふわしていましたね。地に足がついてなかったって感じです。
 

加藤
学生生活実態調査でも、2020年度入学生はコロナ禍自体が就職活動にも影響してしまって、自分が何になりたいのか分からないという人たちの声が多々ありました。
 


第59回学生生活実態調査概要報告(2023年)より
学生生活は『充実している』、『まあ充実している』の合計
水色は、2020年度入学生(2023年度卒業生)の推移

第59回学生生活実態調査 概要報告

 

友田
多分どこかに、「コロナで1、2年生を楽しめてないのに、ようやくいろいろな活動が自由にできるようになったらすぐ就活か」「まだ大学生活の旨味を吸ってないのに、就活ってなんだよ」って、ちょっと周りのみんなも怒りみたいな感情を持った感じがしますね。
 

加藤
僕は2019年度に入学していて、まだ対面での大学時代を1年過ごすことができましたが、確かに1年後に入学していたら、自分もそう感じるだろうなと思います。
 

友田
ネガティブに考えがちな人だと、もう本当に塞ぎ込んでいたのではないですかね。僕も卑屈になっていた時期もありましたが、どこか自分を嫌いになりきれないところがありました。そういう可哀想な自分も愛してあげたい、みたいな感じで。
 

学生とプロの狭間で思うこと


吉村
先ほど、3年生頃に学生とプロの狭間で振る舞いに悩んだというお話をされましたが、今に至るまでにどう克服されたのでしょう。
 

友田
学生お笑いのコミュニティでは、例えばアングラ(地下)のお笑い文化とちょっと似ているところがあります。テレビなどでやる大衆に向けた主流のお笑いでなく、新しいお笑いを見つけ出そうという精神でやっている人は多分多いでしょう。

その考え方、僕はめちゃくちゃ大好きですけど、だからこそ、その僕がプロの道を選んだ時に、ちょっと冷たい目線を浴びるのかなと思っていました。でもやっぱり、学生お笑いってただ新しいものを目指すというわけじゃなくて、本当に面白いものはみんな好きですよ。誠実にお笑いやっていると、それもちゃんとみんな見てくれていた。ちょっと僕の考え過ぎなところもあったんですよね。
 

吉村
学生として新しいことに挑戦したいという気持ちを持ちながら、やはり不安も感じてしまう部分もあるというお話を聞けてすごく興味深く感じました。
 

暗中模索からの挑戦


吉村
友田様は歌を歌いながらフリップネタをやられていますが、お笑い芸人として新しいチャレンジをされる際のマインドとか、自分自身で大切にされていることなどありましたらお話しください。
 

友田
多分やっている時は、何かチャレンジしてやろうみたいな気持ちはないです。たまにいらっしゃるじゃないですか、自分を変えるために何か新しいスポーツを始めるみたいな方が。

僕の場合はそういう感じではなくて、割と手近なところで始めるんです。だから正直あまり無理はしてないですね。だけど、人と違うことをした方が楽しいし、今になって考えると、目に見える結果も出やすいのかという気はしています。

でも、正直まだ全然道半ば過ぎてあまり分からないですね。何かで対戦しているわけじゃないので、どう物事に挑めばいいのかとか、まだよく分かってないです。

だけど、例えば僕は2年時ぐらいからネタ動画をYouTubeに上げていたのですけれど、自分のネタ動画をYouTubeに上げる人が周りにあまりいませんでした。僕は、自分としてはなるべく外のいろいろな人に見てほしいという思いがあったので、もう恥を捨ててアップしました。そこはチャレンジと言えるかもしれません。
 

加藤
最近でこそアマチュアの人でもYouTubeに上げて日の目が当たることも多いと思いますが、確かにちょっと前まではあまりなかったことですね。お笑いの養成所に入るのが王道だという考えもあったと思いますが、そのチャレンジ精神、すごいなと思います。
 

学生生活を振り返って

サークル中心の交流関係


加藤
お笑い芸人の友田様には、やはり大学生としての 一面もおありだと思います。友田様は日常生活で友達と一緒に遊びに行くことはありますか。
 

友田
例えば、サークルの友達や後輩とライブ後に食事に行ったり、映画を見に行ったり、高校時代の友達で上京している人たちに会って遊んだりはちょこちょこしています。
 

加藤
交流の中心はお笑いサークルで作ったコミュニティの方たちですか。
 

友田
そうですね。本音を言うと、もう少し人間関係を広げていきたいです。せっかく東京に来たからには、もうちょっと足を伸ばした方がいいのかなと思っています。
 

加藤
大学ではどういうことを学んでいらっしゃいましたか。
 

友田
学部が文化構想学部で、昔の早稲田の第二文学部のようなところなのですが、そこで文化人類学を学び、そのゼミに入っていました。学部の特性上、他学部と違ってつまみ食いのようにいろいろな学部からさまざまなタイプの授業を履修できるんです。自分でも楽しく受講していたと思いますね。
 

加藤
なるほど。広く浅くという感じだったかなと思うのですが、それが何かネタにつながったりはしましたか。
 

友田
どこかつながっている可能性はあると思います。意識的に何かをネタに転用したとかはあまりないですけど。
 

髙須
2年生以降は大学に行ける機会も増えてきたと思いますが、キャンパスの中で授業の空きコマをどのように過ごしていらっしゃったのでしょうか。
 

友田
1年生の時にそこまでたくさん友達ができたわけではなかったので、最初食堂や購買に行くのも1人でした。それが習慣化して、2~4年生になってもキャンパス内では1人で行動していました。授業が終わったら部室に行って、みんなとネタの練習をして、夕方から学生主催のライブに出かけていきました。

4年生になると授業数も減ってきて、外のライブ、プロのライブへの参加も増えてきたので、比重としてはキャンパスにちょっと寄って授業に出て、部室に寄って、その後ライブに出て行くみたいな感じに変わってきました。
 

髙須
サークル室でだべったりというよりは、授業が終わったらサークルに行って練習するぞという感じですか。
 

友田
どちらもありますね。友達や先輩後輩としゃべって、ライブや大会が近づいてきたら、もう根詰めて夜までネタの話をするという感じです。
 

ネタは身の回りから


加藤
お笑いに打ち込んでいらっしゃいますが、お笑い以外の趣味はありますか?
 

友田
元々お笑いと歌が好きで、それが今の仕事につながっています。その他のマニアックな趣味はあまりないですね。あとは音楽のライブに行ったり、映画を見に行ったり、ご飯を食べに行ったりとか、そのくらいです。
 

加藤
フリップをめくりながらの歌ネタはすごく面白いなと思っていましたが、そういうルーツがあったのですね。
 

髙須
大学生活の気付きや学部の勉強、自分の身近や好きなものがネタにつながったり、自分の強みにつながったりしていると実感されることはありますか。
 

友田
意識的にここからこれネタにしようと思ったことは多分ありませんが、年上の人の話を聞く機会が多く、大学生活が長い教授の話を聞くことがあったので、そこから受ける刺激はあったと思います。そこで新しい知見を得たり、言葉遣いから学んで参考にしていました。
 

髙須
僕自身も1、2年生の時はコロナ禍中であまり人と接する機会もありませんでしたが、3、4年生になってくると対面で人と関わる機会が増えて、視野が広がったり影響されたりすることも増えてきたと実感しました。
 

加藤
普段ネタの作り方とか、作る際にあるいは他の人に発信する際に心がけていることはありますか。
 

友田
気になったことをメモしてそれを歌ネタにする場合もあれば、しない場合もある。そこはまちまちなんですけど、歌ネタを作る場合は、その曲を作ってくれる友人がいます。幼稚園が一緒で、小学校違うけど塾が一緒、中高一緒で大学違うけど共に上京しました。

伝え方でいうと、なるべくみんなに笑ってほしいという思いは常にあります。例えば自分は面白いと思っているけれど、みんながどう思うかは正直分からない。そういう時はまず伝える努力をして、場合によってはそもそも伝わらないからもうネタにしないとか、そういう微妙な判断はしています。
 

コロナ禍の葛藤や不安を乗り越えて

鍛えられた半面、思考停止した時期も


加藤
しばらくは1人で行動していたというお話もされましたが、サークル内での同級生や先輩とのつながり以外には、縦横のつながりもなかなか作れなかったという感じですか。
 

友田
そうです。大学の学部の必修授業も、カリキュラム上1、2年で終わっちゃうんですよ。3年からゼミはあったのですが、そこまで横のつながりも強くなかったです。元々1人でいるのはそんなに苦ではなかったし、コロナでより鍛えられ、1人でいることもままあったという感じですね。
 

加藤
本当にコロナ禍では、自分から行動しないと友達や先輩とつながれないという感覚がすごくあったと思います。
 

友田
そうですね。だからまあ憶測ですけれど、そのコロナを乗り越えたことで、孤独に耐えられるようになった人、ほかにも結構いるんじゃないかなと思いますね。
 

加藤
いや、本当にその通りだと思います。僕たちはコロナ禍で大学生活が楽しく送れなくて可哀想だと言われることもありますが、1人が好きだから大丈夫だったとか、むしろ一括りにしないで欲しいという声もあります。それこそこのコロナ禍を好機にして、自分たちの就職や自分を見つめ直す機会にできたので、むしろ良かったと言う人たちも結構いたので。
 

友田
僕も、自分を見つめ直したり1人で行動したりするのが苦じゃなくなったという面は確かにあったと思いますね。
 

吉村
大学時代に学業面やお笑いネタなど、悩みを解決するために、どのようにしていらしたのでしょうか。
 

友田
人生の漠然とした不安みたいなものを、友達や家族に相談はしていました。お笑いに関して言えば、サークルのメンバーにいろいろ聞いたりしていましたね。人にも相談しますが、自分で考えることも結構多かったと思います。
 

吉村
相談できる方が身近にいたというのはすごく心強かったと思いますが、ご自身でも考えられていたのですね。
 

友田
そうですね。でも、コロナ禍では若干思考停止していたと思います。こう捉えたらポジティブになれるんじゃないかとか、今苦しいけどこうやって頑張っていこうと転換して考え方を変えたとかじゃなくて、本当にもうただ止まっていたという感じがします。虚無じゃないですけど、一時期何も考えず生活していたと思いますね。2年生になると意欲的にいろいろできるようになりましたが、それ以前は本当に葛藤や不安はありました。
 

加藤
すごくよく分かります。僕は2020年、2年の新学期からコロナ只中で、授業も5月の連休明けまで休講でした。何もすることがなかったので、高校の友達と朝までゲームして、コンビニでご飯買ってちょっと寝て、また朝までゲームしてという生活でした。本当にその時は、コロナ禍がずっと続いて自宅生活も続くんじゃないかという不安が漠然とありました。
 

人との出会いで得られたこと


加藤
大学生活の最初の方は何が起こるか分からないし、思考停止になることもあったと思いますが、逆に大学に入って本当に良かったなと思ったことはありましたか。
 

友田
コミュニティが広がって面白い人と出会って、結果自分もお笑いをやるようになったきっかけをもらいました。そもそもキャンパスという場所にはさまざまな人がいて、いろいろな格好をしていろいろなことをやっている。自分も好きなことができるという自由が保証されている感じがして、励みになったと思います。中高生だと制服着て目立たないようにすることが正義だったりしますけれど、大学ではみんなそれぞれなので。
 

加藤
僕もさまざまな人との出会いが今の活動につながったと実感しています。
 

全国の大学生へのメッセージ


加藤
最後に、この記事の読者である大学生世代に向けてのメッセージをお願いします。
 

友田
僕も卒業したてであれこれ言える立場ではありませんが、大学生になると、人生の選択を迫られることがあると思います。僕はそういうことから逃げていたのですが、これからは自分の責任にかかってきます。考え方を変えて、本当にやりたいことってなんだろうと自問自答し、そのやりたいことを選択していくのがいいのではないかと思います。
 

加藤
高校生の頃のモチベーションを今の活動につなげていらっしゃる友田様だからこそのコメントだと思いました。本日は2020年度入学生の本音の部分もお聞きできてうれしかったです。本当にありがとうございました。
 

2024年4月15日リモートインタビューにて

 

PROFILE

友田オレ

友田オレ 氏

1993年神奈川県生まれ。
2001年福岡県福岡市出身。お笑い芸人。GATE株式会社所属。早稲田大学文化構想学部卒業。大学1年時にお笑いサークル「早稲田大学お笑い工房LUDO(ルード)」に加入する。歌とフリップネタを合わせた独特の芸風で、2022年3月にYouTubeにアップした『私の彼は左きき』が10万回再生されるなど話題になる。在学中の23年、デビュー10カ月で第44回ABCお笑いグランプリ決勝戦進出。同年、第18回 M-1グランプリ 準々決勝進出 (Let Me Show You THEまごころとして)※1。24年、R-1グランプリ 準々決勝進出。同年 NOROSHI※22024優勝(チームメリーランドとして)。

※1 Let Me Show You THE まごころ:LUDOの同期であるピボット福田氏との漫才コンビとしても活動。

※2 NOROSHI:大学芸会と吉本興業が開催する、大学のお笑いサークルによる団体戦。