水野太貴さんは、大手出版社で編集者として勤務する傍ら、堀元見さんと共に「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeやPodcastに出演されています。
大学の研究室で気づいた自身の苦手なことは、一念発起して再開した読書での大量のインプットを経て、主体的にテーマ設定を見つけること、その発信につながっています。
社会人となっても読書を続けることのできる、その力を鍛えるための学生時代の時間の使い方やコツについてもお話をうかがいました。
「ゆる言語学ラジオ」チャンネル
水野 太貴 氏
プロフィール
全国大学生協連
全国学生委員会 委員長
加藤 有希
(司会進行)
全国大学生協連
全国学生委員会
髙須 啓太
全国大学生協連
全国学生委員会
浦田 行紘
(関西北陸ブロック)
(以下、敬称を省略させていただきます)
全国大学生協連学生委員会の加藤有希と申します。
2023年に福山市立大学を卒業しました。「ゆる言語学ラジオ」を拝見していますので、本日はとても嬉しく思います。
全国学生委員会の髙須啓太と申します。この春に岐阜大学の地域科学部という文科系の学部を卒業しました。
私も全国学生委員会の浦田行紘と申します。現在、奈良教育大学国語教育専修の4年生で、大学生協では関西北陸ブロックの学生委員長をしています。
1995年に愛知県で生まれて、名古屋大学文学部の言語学研究室を経て、4年で卒業した後に出版社に入り、編集者をしながら「ゆる言語学ラジオ」というYouTube、Podcastで言語の話をするチャンネルに出演しています。
水野さんがYouTubeなどのメディアや著書を通して「学ぶことの楽しさ」や「自分自身の興味関心から調べること」を発信されている姿がすごく印象的で、今回のインタビューを通して大学生が日々の学びによって興味関心を抱き、楽しさを覚えて大学生活や学びを前向きに捉える機会を作りたいと思っています。
全国大学生協連が実施している2023年秋の「学生生活実態調査」では、大学生の勉強時間は2020年や2021年にはコロナ禍ということもあり増加しつつあったのですが、ここ2年間は減少傾向にあります。そんな中で私たち大学生がどのようなことを学ぶべきか、学生時代にどんな経験をすべきか、その後社会に出てどのような役割を果たすべきか、などのアドバイスをいただきたいと思っています。
学生のリアルな声では、コロナ禍を経て「主体性がなくなった」なども多く寄せられているので、学生が自信をもって自分の興味あることにのめり込むことができるようになるための秘訣などもお聞きしたいと思います。
勉強時間
*大学の予習・復習等の大学生の1日の勉強時間は
コロナ禍期間では増加していたが、
二年連続やや減少し59.7分となった
*それでも19年より11.5分長くなっている。
※出典:大学生協調べ「第59回学生生活実態調査」より
大学時代はどのような学生でしたか。また、どのように学生生活を過ごされていましたか。
正直なところ、そんなに誇れるような大学生ではなかったですね。授業をサボっていましたし、単位も、たぶんGPAも非常に低かったです。しかもサボる理由が積極的な理由でもなく、ただ友達と遊ぶためみたいな、あまり皆さんの参考にならないような大学生でした。
唯一、受験時に止めた読書を、大学2年の時に再開したことが、今の活動にもつながっていると思います。同じように全然本を読んでいなかった友達と「さすがに授業をサボりすぎて、大学に行って何も得てないのではないか」という話になり、大学生協の書店、僕らの大学では南部書籍というところでしたが、そこの新書コーナーの中から読み通せそうな本を1冊買い、最後まで読んで感想を交換しようということになりました。この時に意外とスムーズに読めたことが、読書を本格的に再開するきっかけになりました。
すごく本を読んでいると思われがちですが、実際にはこの大学2年生からの読書が習慣化しているだけで、大学生の頃は時間の余裕もあり比較的本を読めますが、社会人になると身体や心が疲れていると全然本って読めなくなるんですね。だけど大学生のうちに読書ができる身体になっておくと、疲れていてもある程度の筋力はあるから、一定程度の難しい本は読めるようになるという意味で、そこだけは人に誇れるような大学生活の中身だったと思います。
言語学の研究室に進まれていますが、読書がきっかけで関心を持たれたのですか。
高校生の時にテレビで見たり、書籍を読んだことがある先生が名古屋大学の言語学研究室にいるということを知りました。だから文学部に入る時には既に、言語学に進もうとなんとなく思ってはいたので、読書がきっかけではなかったですね。
大学時代の学問や勉強の中で、楽しかったことはありましたか。
いやこれもだから、あまりないんですよ。(笑)
皆さんに話したらびっくりされるかもしれないですけど、専門の授業もサボりまくっていたので。
ええー!
本当に。研究室に「何をしたくて大学に入って、この研究室を選んだんだ?」みたいな人がいるじゃないですか、そんな感じで。授業中は寝ていたり、授業に出ずにいたり。卒論も本当に酷い卒論でした。
専門の授業でもちろん新しい学びもありましたが、僕は研究するのにあまり向いていない気質だと、大学生の時に既に思っていました。勉強すること、インプットすることは好きですけど、オリジナリティのある何かについて問いを立てて、それについて何か新しいことを考えるのは無理だと思ったので、研究についてもあまり皆さんに言えることがないですよね。
逆に言えば、「そういう人間でも、こういう仕上がりになる」と思ってもらえるといいかもしれないですね。何かの道を踏み外すと、こういう仕上がりになる可能性があるという意味では、勇気を与えられるかもしれないですけど。すみません、あまり役に立てなくて。
高校生の時から関心のあった分野ですが、実際に研究室に入ってギャップのようなものを感じられたということですか。
例えば言語学を学ぶ上で修めなければいけない基礎みたいなもの、それはどの学問にもあると思いますが、それが理論的すぎてあまり興味を持てなかったことや、「この現象を形式化する」みたいな話に全然入っていけなくて、思っているものと違うと感じたことはあったかもしれないですね。でも、それは先生が悪いわけではなくて、僕が単純に言語学の理解を間違えていたということにあると思います。
あとは、ゼミや輪読会や発表が何もない、すごく自由な研究室だったことも一因だと思います。一般的に卒論は、ゼミでのこまめな中間発表などの延長線上にある大きなアウトプットという感じだと思いますが、それがなくて急に今までやっていたことからジャンプアップするみたいな感じで、結局ダラダラしたレポートみたいなものを卒論として提出してしまいました。積極的に、かつ自発的に勉強しないといけない環境でもあったというのも大きいかもしれないですね。
でも、それは繰り返しますが、別に研究室の先生のせいではなくて、大学というものを大きくはき違えていた僕のせいではあるので、そこだけ誤解ないように言っておきますね。
例えばもう一度やり直せるとしたら、こういう視点を持って学問をやり直せたら、などのお考えがありますか。
社会人になって知ったのは、他大学の言語学研究室の人は普通に輪読や、心理実験などの研究の卵みたいなこと、つまり大学院や研究者に進むための必要な素地も学んでいることが多いですよね。
そうですね、自分が名古屋大学の言語学研究室に入りなおしたらということを考えたら・・・でも、研究が好きじゃなかったんですよね(笑)
(笑)
研究に限らず、レポートを書くなどの自分でアウトプットを出すことが、本当に多分ダメで。研究者の知見を自分に取り入れるだけで満足して、そのアウトプットを消費するだけでいいというタイプだったので、いまやり直しても、どの学部を選んでも、多分同じような感じだったと思いますね。
強いて言うなら、社会人になった時に英語の文献が日本語くらいの速度で読めたら全然世界が違うと思うので、英語論文とか英語の書籍も読めるようなスキルを得なかったのは、ちょっと失敗したと思いますね。