薗田 綾子 氏 インタビュー 未来は変えられる‼~“ありたい姿”から逆算の発想で課題解決を~

チャレンジ、チャレンジ! 薗田綾子さんの人生は常に新しいことに挑戦の連続でした。25歳で会社を起業した薗田さんは、旺盛な行動力と鋭敏な感覚で今社会に必要とされていることをすくい取って環境ビジネスを定着させました。そして、企業にサステナビリティ経営を提案することで持続可能な未来を目指し、「2030年に誰もが幸せに暮らせる社会にするためには、今から行動を起こさないと間に合いません」と警鐘を鳴らします。
今回は、『SDGsの第一人者』として広くご活躍されている株式会社クレアンの代表取締役 薗田綾子さんにインタビューし、ご自身が行ってきたSDGsの取り組みや、学生にできる行動についてのお話を伺いました。

インタビュイー

株式会社クレアン 代表取締役
薗田 綾子 氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員長

高橋 明日香(司会・進行)

全国大学生協連
全国学生委員会

杉山 直輝

全国大学生協連
全国学生委員会

中野 駿

(以下、敬称を省略させていただきます)

はじめに ~自己紹介とこのインタビューの趣旨~

お忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます。私は司会進行を務める全国学生委員長の高橋明日香と申します。兵庫県立大学出身で、今は東京で活動しております。よろしくお願いいたします。

全国学生委員会の杉山直輝と申します。東京農業大学を昨年春卒業しました。

同じく中野駿と申します。名古屋大学を今春卒業しました。

はじめまして。薗田綾子です。株式会社クレアンの代表取締役を務めています。クレアンは私が25歳で起業し、今年8月5日に35周年を迎えます。

SDGsの第一人者である薗田様の記事を拝見し、環境に関わるお仕事を通しての社会貢献や、女性が生き生きと活躍できる社会への活動に共感を致しました。大学生協でもSDGsについて取り組んでおり、認知度も上がってきていますが、本質を理解し、実際に行動に移している学生はまだ多くはないと思われます。今日は大学生に向けて改めてSDGsの大切さや、学生としてできる行動についてのアドバイスを頂きたいと思います。

第58回学生の消費生活に関する実態調査(2022)

「人のお役に 立ちなさい」

「株式会社クレアン」誕生

薗田様が現在の活動に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

私の母は、父親(私の祖父)が早世したので大変苦労をしてきました。戦後、一家を支えるために22歳で店を立ち上げるなど、非常にチャレンジングな人生を歩んだ人でもありました。私が起業しようとした時、周りは反対しましたが、母だけが応援してくれました。母の残した「人に迷惑をかけなさんな」「人のお役に 立ちなさい」という言葉は、今サステナビリティに向けた仕事をしている私の原点であったと感じています。

甲南大学在学中には、マスコミ関係、雑誌の仕事など30種類以上ものアルバイトを経験し、社会のことを学びました。卒業後は広告代理店に就職し、意欲的に働こうと思いましたが、残念ながら当時の広告代理店では女性は男性のアシスタントという感じだったので、キャリアアップを目指してリクルートに転職しました。そこでは男女平等で、いろいろなことにチャレンジさせてもらえました。学びも多くやりがいがあったのですが、早朝から終電までマッチョな勤務が続き、突発性急性難聴炎で倒れてしまったんです。それが私の最初の転機になり、2つの会社を経てこれからの働き方を考えました。

当時広告代理店やリクルートにいた女性はみんなすごく優秀なのに、結婚したら寿退社で仕事を辞めるのがあたりまえ。子育てしながら仕事を続けるのが難しいなど、多様な働き方が選択できない状態でした。特に女性たちと一緒に能力が発揮できるような“場”を作ろうと考え、自分で会社を興す決心をしました。
25歳の時に女性中心でスタートした「株式会社クレアン」はCREATEUR-ENTREPRENEURというフランス語の造語で、“クリエイティブな起業家”という意味です。最初は女性向けの商品開発やマーケティング、女性向け雑誌の編集や創刊のお手伝いから始めました。

CSRレポート制作

雑誌の編集をしながらも、大量生産・大量消費型の社会って続くのかなと何となく疑問に思っていた時期、92年にリオ・デ・ジャネイロで「地球サミット」が開催されました。“地球温暖化”という言葉は、当時はほとんど認識されていませんでしたが、化石燃料の多消費で地球温暖化現象が起こると、生態系の変化、食糧危機につながり、洪水や高潮などの災害も多発するというお話を聞いて、地球の深刻な問題を多くの人に伝えたいと考えました。

それで「地球は今」という本を作り始めたのが92~95年の間です。地球温暖化編、オゾン層破壊編、水不足編と10巻まで作って、学校図書館に入れてもらいました。それがベースとなり、次は企業に対してももっと提案をしていきたいと思いました。97年には京都議定書がCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)で採択されましたが、それに合わせて複数の企業に提案したところ、NECさんがスポンサーについてくださり、同年よりNECの事業として毎月「エコロジーシンフォニー」というウェブマガジンの発信に至りました。

インターネットもさほど普及していなかった時代ですが結構注目が集まり、数々の企業から問い合わせを頂きました。そこからパナソニックさんはじめ複数の企業のレポートを作り始め、2000年に「環境報告書」を支援しました。私たちも初めての経験だったので海外の情報を調べ、海外企業で使われているGRI(グローバル・レポーティング・イニシアチブ)というレポーティングのガイドラインをベースにしながら作りました。
そのときのレポートが当時の環境庁から長官賞を頂いて評価され、そこからビジネスとしてコンスタントに環境報告書やCSRレポート、サステナビリティレポートなど、企業の環境経営を推進していくためのレポートや、最近では人権やジェンダーの問題など経営に統合していく統合報告書を、今まで述べで約800冊ほど作っています。

CSR(Corporate Social Responsibility)…企業の社会的責任

一方で、レポートを作るだけでは企業の中でなかなか改革が進まないということも分かってきました。ですので、同時にその企業が優先的に取り組んでいくべき重要課題(マテリアリティ)を推進していったり、その企業のトップに取材を実施したり、現場の方々がどのようにサステナブルに寄与する商品やサービスを作っているのかと工場を取材したりと、将来に向けたイノベーションの推進に努めてきました。

92~95年当時はまだSDGsの概念もなく、実際に企業が積極的にサステナビリティを進めているわけでもなかったので、本当に環境が破壊されてしまったら人間は生存できるのかなあと大きな不安がありました。そこでとにかくアクションを起こそうと進めていったことの一つ一つは、時間はかかりましたがいろいろな形で今実現し始めています。