四角大輔さんインタビュー

持続可能な仕事

ぼくは幼少期から、釣りやキャンプや登山に夢中になり、学生の頃には「大自然が残るニュージーランドに移住して、湖の畔に暮らして大好きな釣りをしながら暮らしたい」と本気で思うくらい、自然が大好きでした。

その夢を叶えることを人生の最優先事項とし、レコード会社は10年くらいで辞めて、ニュージーランドへ移住しようと決めていました。多くの人が、夢や好きなことなんかより、仕事で成功して大金を稼ぐことを優先しがちです。そうしてたくさんの物を買い、リッチな生活をしたいと。

でも、自分はまったく違った。
高校時代、大学生とたくさんのバイトをしたけど、接客や事務的な仕事をやってもまったくダメ。「もの覚えが悪い。お前は使えない」と言われまくりで(汗)。褒められたのは、バイクでのピザ配達と、引越し屋や建築現場のバイトだけ、つまり肉体労働。

だから、卒業後に日本社会に出て、いわゆる「みんなが目指す社会人」になるのは、自分は絶対に無理だなと完全にあきらめたんです。

でも、大学生になって自分でキャンピングカー仕様に改造したバンで、日本中を車中泊しながら旅して、魚釣って食べたり、行った先の農家さんをお手伝いして収穫物をもらったりしていたら「これならいけるな」と思いました(笑)。

社会人は無理だけど、自給自足はできそうだなと。それから、自分で魚を釣って畑をやって暮らすならどこがいいだろうかといろいろ調べたら、ニュージーランドが最高の場所だと知ったんです。

ぼくは、「好きなこと」や「やりたいこと」に関しては、絶対に妥協したくない人で、生き方においては「そこそこのレベルでいいや」っていう発想がまったくなかった。それって、人生を放棄していること同じ、命の無駄使いだと思いませんか。

そして、こう考えました。衣食住さえ確保すれば、お金がなくても生きていけると。

そして、人間が生きていくためには、最低限の衣食住、大切な家族、信頼できる仲間やご近所さんがあれば充分だなと。もし少しだけ欲ばるならば、たくさんの音楽と映画を楽しめて、好きな本をいつでも読めることができたら、もう言うことがないなと思ったんです。

衣食住の「食」と「衣」は、大丈夫だと思えました。食の確保は、年の三分の一を費やしていたバンでの車中泊フィッシングトリップの経験から「やれそうだな」と手ごたえを感じた。

服は、今でも14年間履き続けてるデニムもあるくらい昔から僕は物持ちが良かったし、当時すでに世の中には服があふれかえっていて、古着だとTシャツは300円くらい、デニムは1000円くらいで買えましたからね。今は超格安ファストファッションのせいで、もっと大量の服が余りまくってるけど…。

問題は「住」で、調べてみるとしっかりした家を自分で作るのは本当に大変だとわかった。だから、ここだけは、好きになれなかった資本主義のシステムを甘んじて利用しようと考えました。

当時、1990年後半のニュージーランドの家は、東京のワンルームマンションの値段で、湖畔の一軒家が買えるくらい安かった。10年くらい働いたら、1千万前後は稼げるだろうと無い知恵を絞り、まずはそのために働こうと思ったのです。

そしたら、アーティストという超ピュアで素晴らしい存在にも出会えて、気づいたら夢中になって彼らと一緒に奔走していて、いつの間にか想像もしなかったような結果が出ていた。

29歳でプロデューサーとして独り立ちして、39歳で会社を辞めるまでの間に、年収は5,6倍に。ニュージーランドの湖畔の家を買うためのお金は溜まっていくけど、CDが売れるたびにチクチクする思いもどんどん増していった。プロデュースワークで成果が出れば出るほど、ストレスで心はボロボロに。

そして2009年ついに、長年の夢だったニュージーランドの永住権が取れることが決まりました。仕事としては絶頂期でしたが、「よし、行くぞ!」と、迷わず決定。「地球環境に良くない大量生産・大量消費社会とは距離を置き、低消費で、全てを循環させる自給自足ライフを送ろう」と心に決めたのです。

当時、ちょうどネットが高速化し、iPhoneが登場して初代MacBook Airが発売になったところでした。Instagramは存在せずFacebookは普及前だったけど、Twitterが日本で広がり始めていて、「これはもしかしたら、湖畔で暮らしながらネットで仕事ができるかもしれない」と考えたことを今でも思い出します。

あの頃は、その話を誰にしても「そんなのは無理でしょう」と言われました。ぼくも「たぶん難しいだろうな。でもやってみよう」という気持ちでした。あれから10年近くが経ち、今ではあたり前の働き方になりつつあるから、人生ってわからないものですね。

そこからSNSを軸としたネットでの発信を続け、大学生向けや20代向けのトークライブを数えきれないほどやっているうちに、自分の歳の半分ほどの世代と、ネットやトークライブの現場で繋がるようになりました。

知れば知るほど、「今の若い世代はイケてるな」と、感動したんです。
僕って、それまでずっと同世代とは話が合わなかった。自然環境のこと、人類の未来のことを語っていると「四角は青春だね。ビジネスの世界では通用しないよ」「まだそんなこと青くさいこと言ってるのか」と、いつもバカにされていたけど、10代20代は本気で聞いてくれたんです。

彼らの感性に懸けたくて、若い人向けの発信をさらに加速させることに。
それで、ベストセラーとなった「自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと」という本が生まれました。あの本のテーマは「自由」ですが、実は裏テーマがあり、それは「サスティナビリティ」なのです。誰も気付きませんでしたが(笑)

持続可能な社会へ向かう可能性

核心に迫っていきたい。今の紹介でも出てきた、SDGsに寄らなくてもいいので、持続可能な社会を捉えたときに、経済と社会と環境の3つを統合的に解決しようといわれている中で、どういう風に実現できるか、そこに可能性はあるか考えを聞きたい。

2018年、途上国で飢えに苦しむ人が8億人を超えたのに、日本の食料廃棄率は引き続きトップレベル。紛争や圧政で住む場所を追われた難民の数が、過去最高で7千万人を超えたのに、日本では異常な量の物が売られて廃棄され続けています。

日本という国は元々、「もったいない」とか「いただきます」とか「足るを知る」という美しい言葉を持っていて、江戸時代までは世界から尊敬されるくらいサスティナブルな暮らしを営んできたはずなのに。

いつの間に、こんなことになったのか悲しくなりました。

世界のエネルギー関連の設備投資では、再生可能エネルギーが75%を超えています。原発関連はわずか5%まで減少しているのに、世界有数の地震大国ニッポンでは未だ、原発を推進しようとしない人たちが国や経済の上層部にいる。日本では大手銀行にお金を預けているだけで、知らぬ間に武器製造に加担している企業に金が回るような仕組みもあります。

何度も何度も絶望しそうになるけど、若い世代と会うと「いや、まだなんとかなる」と思えるんです。

そんなことを言いながら僕も、土に還らず再利用もできない物を2000万枚くらいばらまいてきた張本人。そのことに強い責任を感じます。さらに学生時代から社会人にかけて、首都圏で15年以上暮らしました。都市生活を送るだけで激しい消費活動に直結するので、結局は大量消費社会に加担してきたことになる。

未来がある次世代と、地球環境に対して申し訳ない気持ちになりました。

スウェーデンの女子高校生グレタちゃんが環境破壊に反対して国会前で座り込みをしたことをきっかけに、世界の10代たちが「大人たちのせいでこんなことになったのに、なぜまともなアクションを起こさないのか」とデモを起こしている。

ニュージーランドでも1000人規模の子どものデモが起こりました。彼らはみんな本気で「いい加減にしろ」と怒っていた。彼らティーンエイジャーそして、20代が本気で動いたら確実に世の中は変わると思う。僕が一緒に仕事している若い世代の発想やアイデアは斬新で、僕らのそれと全然違うんです。

社会や人の意識を変えるイノベーションって、アイディア一つで生まれることがあります。そして、イノベーションとは計算や理論を超えて一気に世の中を進化させます。

彼らを見ていると、イノベーションへの期待や希望がわいてきて頑張ろうと思えますね。だから僕も、彼らとこれから生まれてくる子たちへの罪滅ぼしとして、今の表現活動を続けたいと思っています。