阪神淡路大震災体験談

プレゼンを終えて

児島:
親が京都に住んでいた時に被災していた。そこまでひどい状況ではなかったので、実際の被害の様子も聞いて驚いたことがあった。まず、被災当時は起きた瞬間に揺れが激しかったですか?

藤本:
ぐっすりと眠っていて大きな揺れで目覚めました。地震が起こったという実感はまったくなかったです。何が起こったのかわからないという感じで、「この世の終わりかも」という心境でしたね。

児島:
当時はなにか備えとかしていましたか?

藤本:
地震への備えは、なにもしていませんでした。

児島:
地震で直接的に大きな被害があったほかに、火災の被害が大きかったんかなと思うんですがどうでしたか?


全国大学生協共済生活協同組合連合会
(共済推進部)藤本 昌 さん

藤本:
そうですね、1・17は倒壊と火災ですね。私は3.11の時は、東北学院大学(太平洋に近い多賀城キャンパス)に支援に入っていましたが、その時に思ったのは、神戸は倒壊と火災、東日本は津波と原発。それぞれ違うので「比べる」という発想は持っていませんでした。比べてほしくないと思っています。(防災は)それぞれに「どのように正しく恐れるか」だと思います。自分は阪神・淡路大震災の経験があるから何かを助言できるかも、と思って東北の支援に入ったのですが、全然違っていたんですよね。被災体験者はそれぞれが異なる大変さを背負っているので、自分の経験を切り取って話すだけでは伝わらないなと思いました。その時に少しでも支援になればと思って、たまたま一緒にいた後輩を連れてたまたま当日から再開した現地の焼肉屋さんで、たまたま仕入れてあったすべてのメニューを頼んで、大好きなお酒もいっぱい飲んで、おカネもいっぱい落としてきましたよ(笑)。

児島:
先ほど災害支援の形として楽しみながら被災地を応援するというお話がありましたがそれとつながる部分がありますね。

藤本:
あんまり構えずに、好きなことで納得して被災地におカネを落としてほしいと思っています。

児島:
実際に自分が被災者として支援を受けたからこそ、そう思うんですね。

藤本:
そうかもね。

児島:
今年九州の方とか、東北でも豪雨災害とかがあったが、それに対して義援金を贈るとかよりはその土地の好きなものを買おうという考えの方がいいってことですかね?

藤本:
人それぞれのいろんな考え方があるから、私の考えを押し付ける気持ちは毛頭ないけど、私ならそうしますね。どうやって気持ちが乗った健全なおカネを回すのかだと思っています。そうしないと長続きしないからね。災害が落ち着いたら、その土地にある自分の好きなものやコトを探して、実際に消費することが大切やと思います。コロナ禍の対策も同じやと思うけど、資本主義の国では、やっぱりうまいことおカネを回していかないと社会も経済も回復しないからなぁ。

井上:
私は高知県出身で防災教育を受けていたものの、同じ地震でも阪神・淡路大震災と東日本大震災で全然被害が違うと思います。そのため、必要な備えも違うと思っています。
実際に被災した時にどんな備えが必要だと思いますか?

藤本:
たとえば、「家具のつっかえ棒」は、目に見えるから日常的に防災を意識ができるでしょ。さっき5:46にセットする目覚ましの話もしたけど、実際の行動をどうするのか、というよりは、普段の気持ちの備えが大事やと思います。寝る前に「つっかえ棒」とかの目に見える防災グッズを意識しておくことで、(寝ている間に)もしこうなったら、って無意識に考えられているかも、と思うんですよね。重く受け止めずに、身近なことを具体的に思考してみることやと思います。
もうひとつ、たいせつな人と過ごしていたら気づくことがあります。一人で過ごしていたら、まあいいか、めんどくさいし、ってなるけど、たいせつな守りたい人がいたら(この人に万が一何があったら…って)対策しようって思いますよね。「じぶんごと」ってそういうことやと思っています。

井上:
たしかにこの人を守りたいからこういう対策をしようと思いますよね。

児島:
実際に防災のことに触れることで意識は芽生えるのかなと思ったので、きっかけをつくることは大事なのかなと思いました。

今を生きる私たちにとって大切なこととは


関西北陸ブロック学生事務局
児島 佳幸

児島:
後悔と結果のお話があったと思うが、そこにとても共感した。実際に後悔しちゃったりする時があると思うんですけど、そういう時にどう考えるのかなと気になりました。

藤本:
繰り返しになるけど…。思うような結果にならなかった時に、「あのときこうしておけば…」って言ったりするけど、そうではなくて「その意思決定(選択)の瞬間に最良だと思えるか否か」が重要やと思います。それしかないと。どうがんばっても過ぎてしまった時間は戻せないので、結果ばっかりを後悔することは時間がもったいない気がするんですよね。

児島:
少しお話にあったあたりまえの幸せって藤本さんにとってはなんですかね?

藤本:
朝、目が覚めて生きていることです。それに尽きます。
もちろんいろんなことは思うけど、時間は返ってこないので結局は進むしかないですね。

児島:
目が覚めて生きていることに感謝するってなかなかできないですよね。1.17の集いに参加した時に聞いたお話とかから、当時の環境も経験して、この時間を過ごせていることが幸せなのかって感じました。ああいう当時を思い返すような場に参加するべきだと思いますか?

藤本:
カタチじゃないと思います。その場所に自分にとって何か目的があるのなら参加したらいいし、ないなら参加しなくていいと思います。そういう集いは、あくまで「手段」なので…。そこ(目的と手段)ははき違えないようにしたいですね。自分の気持ちに正直に考動(考えて動く)すればよいと思います。ただ、多くの人間は、大事なことはすぐに忘れていってしまうので形として残すことも必要だと思います。

児島:
形と気持ちの2つを持ち続けることが大事ということですね。


全国大学生協連学生委員会
井上 弥咲

井上:
支援してあげたいという気持ちはなかなか続かないというお話はまさにそうだと思っていて、今募金やたすけあい奨学財団などはなかなか広まらないなあと思っているが、支援する側とされる側気持ちの部分に関しても考えていきたいなと思いました。

藤本:
具体的じゃないと気持ちはついてこないから、どれだけ具体的に広められるかということやと思います。そういう意味でも、これからはクラウドファンディングなどにはヒントがあると思います。いまやっているZoom(SNS)なども田舎のおばあちゃんとかともライブでつながるのでうまく使っていけそうですよね。でも、一方で「今こそ、たいせつな人と手書きの文通しよう!」とかもいいと思いますよ。手法(手段)はどうでもよくて、気持ちがつながることが大切やと思います。

児島:
コロナの中でも大事なことだと思いました。何かを発信して広めていくうえで大事にしていくことってなにかありますか?

藤本:
発信側がどれだけ楽しく自分たちの腹に落とし込めるかやと思います。自分たちが好きなこと、楽しいことはカンタンに広められるけど、自分たちが知らないこと、苦手なこと、やらされ感があることはやっぱりなかなか広められないからね。どうしても活動ってなると、時間の限りとか、しきたりとか、しがらみはあると思うけど、自分たちの(執行)代で責任をもって、やりたいようにやり切らないと面白くないと思います。ぜひ、誰も経験したことのないコロナ禍の活動を歴史に刻んでください!。

児島:
受け取ったバトンを持っている間はちゃんと責任もって走り切って次に渡すということですかね。

藤本:
そうやね。先輩たちがやってきたことが頭に残っていると思うけど、自分たちの走りをどういうものにするのかも「じぶんごと」できちんと考えないといけないと思います。組織の中ではいろいろな経験をしている人が貴重です。そういう意味でも、いろいろあるけど、とりあえずいろんな活動をしてみるのも大事だと思います。一方で、逃げ道をつくっておくことも大事で、それがないとしんどいし、やっていけないですね。人間は例外なく弱いから(笑)。要は、当事者間で「意味のある失点(失敗)」(誰かの得点(成功)になる自分の失点)をどれくらいできるか、その中で折り合いをつけていくことやと思っています。

児島:
なんでダメだったのかを考えていくことが大事ということですかね。勝ち負けということではないということですよね。

藤本:
そうやね。「勝ち負けはしょせん結果」ですからね。
若いうちにいろんな経験をしておけば、将来的に貴重な財産になってくると思います。だからこそ、思い立った今から、結果を恐れずにいろんなことにチャレンジしていってほしいと思います。