大友啓史監督インタビュー〜大学時代の読書欲〜

自分の考えの基盤をつくる・・・訓練としての読書・・・

中村:現在は学生の読書時間が短いことが話題になっていますが、そのことについてどう思われますか。

大友氏:今のようなネット環境があったら本を読まなくなっちゃうでしょ、ということは納得できるし、その理由もよく分かりますね。僕が学生の頃は1990年代で、当時と比べると、時間のスピードが早くなっているから。学生だけではなく社会全体がネットやスマホで情報取りにいかないと追いつかない気分の中で生きているし、実際に追いつかないこともある。本をゆっくり読むということの必要性と、ネットから情報をとる必要性でいうと、前者の必要性は少ない。仕方がないって感じがするよね。

ただ、だからこそ逆にね、本を読む時間も必要だと思うんですよ。瞬発力でもってツイッターで何かに反応していく、それはそれで重要だけど、一歩物事を考えて、という言い方もあるじゃない。匿名でポンポン返していくコミュニケーションというのに慣れているかもしれないけど、世の中に出てから要求されるのは、そういうコミュケーションばかりじゃないから。むしろ、自分の名前入りで「お前はどういう考えなの」っていうことを聞かれることが多くて、それってものすごく論理的に考えたり、考えに厚みがあったりしないと結局成り立たない訳ですよ。 若いうちの説得力って、経験もないわけだし長く生きてないわけだから、誰かの考えを借りて言うしかないことがいっぱいあって。誰かの考えを借りて言うとき、それが自分の考えとちゃんと一致していなければ駄目だし。その誰かの考えというのは、しっかりと練り込まれた人の意見とか、思想とかじゃないと、結局つけ焼き刃になっちゃうよね。他人の考え方をちゃんと読み込んで、しっかりそれを自分なりに消化したうえで、何か自分なりに言えるかどうかってことが、自分自身の体力にもなっていくわけだから。

「自分の考えについて、20分喋ってみてよ」と言われて20分喋れるかどうか。通り一遍のコミュニケーションではなくて。そうすると、当然相手に対して、だらだらと自分の考えをしゃべるというのはダメなわけで、ちゃんと相手を引きつける面白さとか、相手に対する気配りとか、この人たち退屈しているなと思ったら、その視点を変えて違うボールを投げてみるとか、そういった引き出しというのは、本の世界などで、本だけではないかもしれないけども、得られることが多いですからね。

ツイッター文化というのは、ちょっと荒っぽいよね。作品に対しての発言とかリアクションとか、感想も含めてネガティブなものもすごく多いけれども。匿名だったら好きなことつぶやけるじゃない。こっちはそこに向けて反論はしていかないけど、世の中の人は、君がつぶやいていていることもその程度のことかとか、もしくは、ものすごくいいことをつぶやいているなとか、やっぱり見てるわけですよね。発言に対する厚みとか、責任を持つための訓練というのはいろんな仕方があるけど、本を読むことも一つの訓練になると思う。本を通して他者の体験をちゃんと想像力を働かせて追体験するという訓練。それを生かせるかどうかは、僕の判断ではなく、その人自身にかかってくると思いますけど。

中村:僕も今を生きている若者の一人になると思いますが、普段会話する中で「こういう本を読んでこうだと思った」という人があまりいなくて。ツイッターでこう言ってたとか、Facebookでこれが流れてきたというところから、話が出てくるのが僕も含めて多いと思います。そう考えると、情報源がどこなのか、どういう背景でそういう考えに行き着いたのかというところまで分かって会話する人はなかなかいないように思います。

大友氏:結局自分のためだからね、本を読むってことは。無理して読んでもしょうがないし。本を読むっていうことは、時間をかけるということだから。一冊読むのに時間がかかるじゃないですか、一人の時間を持つということなので。今の子って一人でいるときってポジティブな方に感じない子が多いと思うんだけど、一人で本を読むっていうのも楽しい時期があると思うんですけどね。