座・対談
「答えは自分のなかにある」吉田 篤弘さん(小説家)

答えは自分のなかにある


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1.さがしもの


 高校生のときに『つむじ風食堂の夜』を読んだのが吉田さんの著書との最初の出会いでした。吉田さんの著書の中で特に好きなのは『レインコートを着た犬』です。人間が当たり前だと思っているのにそうではないことや「考えるとはどういうことなのか」といったことが犬の目線で語られていて、私も考えることが好きなので、とても共感しました。『つむじ風食堂と僕』も好きです。世代的に共感できる小説だと思うので、多くの大学生に読んでほしいと個人的に思っています。

吉田
 ありがとうございます。『レインコートを着た犬』の文庫版がちょうど5月に出るので、僕も読み返していたところでした。


 吉田さんの小説はどれも、読むたびに発見があります。作品を通じて、登場人物が何かしら「さがしもの」をしている感じがして、「さがしもの」が共通テーマなのかなと私は思うのですが、吉田さんは意識的に書かれているのでしょうか。

吉田
 きっと大きなものは探していないのだと思います。「幸せ」とか「自分」といった大きなものを書こうとは思っていないので。ちいさなものであっても何かを探しているし、そもそも書いている自分自身がお話の中でなにかを探し始めている……無意識のうちにいつのまにかそういう気持ちになっているんですね。
 「探し当てること」は、どちらでもいいんです。答えらしきものが見つかった、というところまで行きついたら気持ちがいいけれど、そうでなくてもその探している過程が書きたいし、それが僕は好きなので、自然とそうなっています。それがストーリーになっているということなのかな。


 具体的な「さがしもの」として、例えば「音」「記憶」「言葉」など、別々の事象であるというわけではなく、響きあって作品が出来上がっているような気がします。さがしものをしている過程で、最終的に「これなんだ」と気づくこともあれば、「自分自身がちがうものを探しているのでは?」と方向転換をするきっかけをくれることもあるような気がしますが、その過程を書く間に違うところに向かうこともあるのでしょうか。

吉田
 探す過程で目的ではないものを見つけたり出会ったりすることで、考えが変わっていったり、本来探していたものとは違うところに入っていったりすることもありますが、それは成り行きでいいと思っています。僕は先々を考えずに書いているので、読者と同じところにしかいないんです。オンタイムで書きながら小説を作っていくので、結末が決まっていることはほぼありません。書きながら常に考えています。何も見つからなくてもいいし、僕が書きながら考えていることが登場人物の考えになっていくだろうし。自分が書いている間に何か「ああそうだな」と思えることが見つかるかどうかなんです。書きながら「何か」に出会いたいと思っているのでしょうね。出会えないと停滞することもあります。連載には締め切りがあるのですが、どうにも見つからないときはかなり停滞してしまって、「連載一回お休みをください」ということもありました。


 連載はきちんと計画を立てて書かれているのかと思っていました。

吉田
 連載にもかかわらず、計画を立てて書いているわけではないんですよ。コツもなければ、予想もできないですね(笑)。まったく先に進まなくなって、「失敗なのかな」と思うこともあります。ただ、これまでの経験から、「自分が先に行くためにどうしたら良いのか」の答えは、そこまで書いてきたところに書いてあるんです。はっきりと書かかれていなくても、何かヒントがあるんですよ。不思議ですよね。それは今までの作品すべてに言えることです。過去の作品を読み返すと、「ああここに書いてある」「ヒントがある」ということばかり。それで作品ができているのだと思います。


 読んでいると、同じモチーフがたくさん出てくるなと思うことがあります。宝探しのようで、楽しいです。

吉田
 狙っているわけではなく、まったくの偶然です。自分では気づかないことも往々にしてあります。あるいは、僕にはそれしか書くことがないのかもしれない(笑)。

 

 

2.表現のカタチ


 『金曜日の本』と『京都で考えた』は発行時期が近く、出版社が違うのにデザインが似ているので、「姉妹編なのかな?」と思いました。本をつくるときに、物語だけでなくデザイン面でも考えていることは何かありますか。

吉田
 あります。僕は「デザイナーが小説を書いている」と思われがちなのですが、もともとは小説家になりたかったんです。ですが、なかなかチャンスがなくて。小説が世に出た時にはすでに39歳でした。ずいぶんと遅れをとってしまいましたが、その間デザインの仕事をしていたからこそ、本のデザインという裏方の仕事と、小説を書くという表舞台の仕事、この二つを合わせて今の表現ができています。文字の組み方一つをとっても、単純にテキストだけを組むのではなく、作品に合わせて色々替えてみるとか、今後本を作る上で、そういうことができるはずだと思っています。どんな本にするのか、読者がどうページを開いて読み進めていくのかといったこともパッケージとして考えて、書いていきたい。『クラフト・エヴィング商會』の仕事では最初から文学の表現をこれまでと違う形でできないかなと思っていろいろと挑戦してきましたが、自分の小説の方でも、そうした試みをやっていきたいですね。
 実はそれに近いことは、最初からやってはいたんです。作風やタイトルを含めておとなしいイメージがあるので、わかりにくいかもしれませんが。僕はかなりいろんなことに反抗・反発していて、ロックな精神を持っています。出版社を越えて同じような形の本にするのも普通なら許されないことかもしれないし、出版社同士の話し合いも必要です。ただ僕の根っこには、一辺倒に作るのはつまらない、毎回新しいことに挑戦したいという気持ちがある。ただ斜に構えているわけではなくて、みんなで遊んでみようと思っています。そうするとみんな楽しんでくれるので。


 作品からも、ソフトな感じに見せかけて実は難しいことを言っているなという印象を受けます。

吉田
 平和な作品も多いですが、かなり変な作品も書いています。一つのイメージに嵌ってそこにとどまってしまうのは、書き手も読み手もつまらないと思うんです。ですので僕は、いつもどおりに見せかけておいて、予想もしないところに連れていきたいと企んでいます。それは読書の楽しみだと思うんです。お気に入りの作家が突然書いた変な作品から読書が広がっていったりすることもありますから。書き手としてはいつも同じようなものを書くのではなく、読者を違うところに連れていけるものを書きたいですし、僕自身もそこに行ってみたいと思っています。


 『イッタイゼンタイ』は、それまでの作品とは作風が違っていて驚きました。
 

吉田
 それで最後まで読めないとか、ついて来られないこともあるかもしれませんが。自分が読者だったときに、「おもしろくない面白さ」──今まで自分が読んできた面白い概念からは「面白い」とは言えないけれど、ふと思い出して再び手に取った──という本があったんですね。変な作品に関しては、読者に何かしら引っかかるものあればいいなと思っています。風変わりな作品が好きだと言って下さる読者もいるので、これからも、ただ読みやすいとかわかりやすいものだけでなく、こういった作品も並行して書いていきたいと思います。


 どちらのタイプの作品も、私の中では、根底にあるものは変わらないような気がします。これも吉田さんが考えていらっしゃることの一部だと思って、楽しんでいるつもりです。

吉田
 それが一番ありがたいです。


 

 

3.伝える難しさ


 『ソラシド』では、年の離れた妹に自分の思い出を見せたいと考えている部分が印象的でした。『ソラシド』などの作品を通して、昔に思いを馳せる楽しみ方もあると思いますが、吉田さんには、若い世代になにか記憶を語り継ぎたいという思いはありますか。

吉田
 例えば「おすすめの本を教えてください」と言われることがよくあるのですが、いつも「そんなことはできない」と思うんです。「お気に入りの本」というのは、それまでに読んできた本や経験を通じて「面白い」「良かった」と思うわけなので、自分以外の人に自分が感じているおもしろさが果たして伝わるのか、と。
 自分が書く小説も同じです。ビートルズひとつをとっても、ビートルズと出会うとはどんなことだったのか、どうやって出会ったのか、そのときどんな時代だったのか、ということを順に話していかないと、突然ビートルズの音楽を聴かせても伝わらない。これは食べ物の話とよく似ています。僕の小説にはよく食べ物が出てきますが、仮に「ここにある食べ物を描写して」と言われても、単純に表現をするとなるとうまくいかない。というのも、食べるということには「お腹がすいているがなかなか食事にありつけなくて、やっと食べられる。おいしい」みたいな、経緯があるからです。僕はそれを書きたいし、それを伝えなければ、と思っています。そうしないと、本当の美味しさは伝わらないので。音楽も本も単純にそれだけを提示するだけでなく、なるべくそれに付随することや経緯も一緒に表現して伝えられたらと思っています。


 私も、好きなアーティストの一番好きな曲は何かと訊かれると、個人的な思い入れもあるし、ピンポイントで答えられないしで、難しいなと悩んでしまいます。

吉田
 まさにそういうことです。


 やはりそこまでの経緯があって、それをしっかりと書き込んでいるから、印象的な文章になっているのですね。食事の場面も、食べ物自体の描写はそこまでされていないのに、読み手にはとても美味しそうに感じられるのはどうしてなのだろうと思っていました。

吉田
 僕は食べ物自体を細かく書こうとはそもそも考えていません。食べるまでの食堂の空気を描いて、本当に美味しければそう伝わるだろうと思っているので。「登場する食べ物がおいしそう」という感想は、とても多くいただきます。五感に訴えるのは悪いことではありませんが、「他のことも色々書いたのに」と思うことはあります。それで意識的に食べ物はちょっとしか出さないようにするのですが、それでもなぜか少しだけ登場した食べ物のシーンを拾って、「○○がおいしそうでした」といった感想が来るんですね。食べることというのは、上手くいくと読み手に入っていくんだなと、つくづく思いますね。


 『レインコートを着た犬』では、古本屋の親方が、クロケット定食がおいしすぎてお店を出ていってしまうというシーンが印象的でした。ここでクロケット定食が脳に刻み込まれたような気がします。


 
 
P r o f i l e

吉田 篤弘(よしだ・あつひろ)
1962年、東京生まれ。小説家。
小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作とデザインの仕事も続けている。2001年講談社出版文化賞・ブックデザイン賞受賞。
 
■主な著書
『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫)、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『モナ・リザの背中』(以上、中公文庫)、『空ばかり見ていた』(文春文庫)、『木挽町月光夜咄』(ちくま文庫)、『電氣ホテル』(文藝春秋)、『つむじ風食堂と僕』(ちくまプリマー新書)、『ソラシド』(新潮社)、『台所のラジオ』(ハルキ文庫)、『遠くの街に犬の吠える』(筑摩書房)、『京都で考えた』(ミシマ社)、『金曜日の本』(中央公論新社)など多数。近刊に『神様のいる街』(夏葉社)、『あることないこと』(平凡社)、『雲と鉛筆』(ちくまプリマー新書)がある。

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