無限に広がる宇宙のカラクリの中で、人間の「自由意志」は時の刻みの誤差にも満たない。この目に捉える、この手で掴む、といったことの不確かさには太刀打ちできないが、自然や宇宙と戯れることはエキサイティング。
世界との初めての出会い、原初的な感覚と知覚。その体験世界は、私たちの言葉や想像を超えて豊かで律動に満ちている。律動の調和は喜び、崩れは消沈となり、まるでダンスのよう。かつての私たちと出会う新鮮な驚きと郷愁。
ごろごろと転げ回るほどの苦しみの中で動けないときにこそ、聴きたい言葉や音楽がある。放浪に破れ、放浪に駆られて進むべき途を見失い、八方塞がりで転げ回る。そんな石には苔はつかない。若き日の救済は劇薬に似る。
私たちの目に映る世界だけが「世界」ではない。さまざまな生命体が存在し、その環境との知覚-行為循環が、世界をさまざまに現す。その意味で、私とあなたは異種として存在し、コミュニケーションする動物となった。
世界の切り取り方が柔軟さを失い、問うことに囚われて、問うことを繰り返し、問いは解かれぬままで、心はひどく消耗する。互いの心を心で俯瞰する対話は、問うことに一時停止ボタンを押し、柔らかな視点を回復する。
世界は変化する。だから感覚の混乱と知覚・認知の断片化は、世界の切り取りに同じ結果を与えない。世界の不安定さは、変化なき世界を求め、私たちは隔てられる。だが、互いの目に映る世界の異なりを知れば、互いの世界を繋ぐ形が見えてくる。
▲ Profile
1. “何でも屋"を貫く軸に読書あり
2. 見えている世界は、唯一の真実なのか
3. サポートの秘訣は、発想の転換
4. 正解を探すよりも、自分を観察してみよう
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