いずみ委員・スタッフの 読書日記 160号 P2


レギュラー企画『読書のいずみ』委員・スタッフの読書エッセイ。本と過ごす日々を綴ります。
 
  • 名古屋大学2年
    岩田恵実
    M O R E
  • 大阪府立大学3年
    福田望琴
    M O R E
  • 一橋大学大学院
    齋藤あおい
    M O R E
  • 慶應義塾大学3年
    戸松立希
    M O R E

 

 

一橋大学大学院 齋藤あおい

いつか旅に出る日のために

  院生になってからというもの、行動範囲の狭い生活を送っている。自宅、大学、スーパーのトライアングル。その他はバイト。
 慢性的に金欠なので、夏休みも給金の出る用事を優先してしまう。シンパシーを感じた人には、『ポトスライムの舟』(津村記久子/講談社文庫)をおすすめしたい。
 主人公のナガセは、工場勤務とバイトを掛け持ちする29歳。働き詰めの日々を、彼女は「時間を金で売る」生活と表現する。精神をすり減らした主人公の日常が淡々と、時にユーモアを交えて綴られる。
 ナガセはある日、工場の掲示板に世界一周旅行のポスターを見つける。費用は163万円。彼女の年収と同じ額である。ナガセはそこで、「1年分の勤務時間が世界一周という行為にも換金できる」ことに気付く。それは単なる発想の転換にすぎず、現実が変わる訳ではない。それでもナガセは世界旅行への可能性を胸に、自分の労働に対して生活費以上の価値を見出すようになる。
 生活のためにと割り切って働いていても、心はすり減る。そんな日は、労働の価値をほんのり肯定してくれる本書が沁みる。
 

人生をふりかえる旅

  研究に煮詰まった時は気分転換に散歩に行く。歩いていると、気にかかっていたことが思い出される時がある。例えば「友人のあの発言には、どんな意図があったのだろう?」とか。聞き流した言葉が、後になって気になることはないだろうか。ちなみに、全く共感してくれなさそうな人物がいる。
 『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティー〈中村妙子=訳〉/ハヤカワ文庫)の主人公、ジョーンだ。
 物語は、ジョーンの乗る汽車が雨で停まるところから始まる。ジョーンの性格は、言ってしまえば自己中だ。自分が一番正しいと信じて疑わず、理想を人に押し付けてばかり。反発されると、相手のことを物の分別のつかない気の毒な人間だと決めつける。「こういう人、いたなあ」と苦笑いしながら読むが、彼女は突き抜けている。
 そんなジョーンも、友人との会話をきっかけに、完璧なはずの自分の家族関係に疑問を持つようになる。汽車は動かず、考えることしかできない状況で、過去を回想する。徐々に記憶から都合の良いフィルターが取り払われ、遅まきながら家族の気持ちに気付く。
 回想の中には、自分もやっていそうな失敗が含まれているのでどきりとする。彼女は植え付けられた価値観にとても従順なだけだった。自分の常識を疑い、抜け出す鍵は何だろう。もしもジョーンが社会学を勉強したら、などと妄想してしまう。
 

 

慶應義塾大学3年 戸松立希

 

7月14日

 そろそろテストが始まる。それに備えて、今日は丸1日予定を空けたものの、午後2時の段階になっても進捗なし。このまま1日が終わるのも憂鬱なので、とりあえず気晴らしに父親の本棚を眺めてみた。既に幾らか黄ばんで埃を被っている文庫本が目に入り、その中から1日で読めそうな薄い本を手に取ってみた。その名も村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫)。頁をめくる度に少し黴が混ざったような独特な匂いが鼻をかすめる。
 一言で言うと、主人公“僕" の大学生活を描いた作品であるが、これといって明確なストーリーは存在しない。とにかく、“僕"は近所のバーで友人の“鼠" と時間を潰し、暇さえあればガールフレンドとの事ばっかり考えている。いわゆるならず者。今ではこんなにタバコを吸う人もいなければ、酒を浴びるように飲むような人もいない。しかし、大学生特有の虚無感、時間がただ流れている感覚は溢れていて、読んでいてなぜか“心地が良い" のである。30年前に父親がこの本を読み、学生寮の仲間と語り合ったことを想像すると、なんだか不思議な感覚がした。結局、この本を読んだおかげで肩の力が完全に抜けてしまい、テスト勉強は全く進まなかった。
 

7月20日

 テスト期間中は授業の時よりも暇な時間が増える。読書会で知り合ったおじさんが「学生のうちにこれは読め!」とオススメしてくれた長編小説『青が散る』(宮本輝/文春文庫)を読んでみた。こちらも80年代の大学が舞台で、主人公が創部直後のサークルで仲間と共にテニスに打ち込む様子を描いている。彼がなんとか意中の女子に近付こうとしている様子がなんだか愛らしい。今のように、スマホですぐにLINEしよう!などという文化はないため、友達の家にある電話機を借りてダイヤルを回したり、女子の家まで足を運び緊張しながらチャイムを押したりするような健気な様子が描かれている。今と比べて誰かと繋がることがそんなに簡単ではなかった時代。でもその分、なんだか寛容さが感じられる。
 

7月28日

 大学のテストも終わり、いよいよ夏休み。だが、特に遊びに行きたいところもなければやりたいこともない。とりあえず時間だけはあるので、父親が薦めてくれた『横道世之介』(吉田修一/文春文庫)を読む。
 こちらも舞台は80年代、主人公は大学生の横道世之介。彼はいわゆる“変わり者"。たまに変な行動を取るし、友人との会話の中でもトンチンカンなことを言ってしまう。でも、彼の魅力は“善良" という言葉に尽きる。何十年か経った時に彼の知り合いが「そういえば大学時代に横道って奴いたよなぁ」と回想するシーンが魅力的だし、憧れる。この世界のどこかに世之介がいるのではないか……そんな感覚にとりつかれてしまった。
 
 
   
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