わが大学の先生と語る
「現実と哲学の融合」上山 友一(愛媛大学)

現実と哲学の融合 インタビュー

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上山 友一(うえやま・ゆういち)
■略歴
1960 年生まれ、鳥取県出身。
愛媛大学法文学部 准教授。
大阪大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学(修士法学)。平成元年、愛媛大学教養部の法学担当教員として採用され、その後愛媛大学法文学部に法情報論担当として配置換え、現在に至る。法理学、法思想史、法情報論などを担当。専攻は法哲学。
■著書・訳書
『情報化社会のリテラシー 改訂版』(共著、晃洋書房、2010年)、『法学・哲学論集』(共訳< H.L.A ハート= 著>、みすず書房、2019 年)。
  • 内田 崚登
    (法文学部3回生)
  • 河本 捷太
    (法文学部3回生)

 

1.「所有」とは何か

河本
 早速ですが、先生のご専門について教えていただいてもよろしいでしょうか。

 

上山
 分野で言うと法哲学です。法学は大きくは実定法と基礎法に分かれていて、実務的なことにつながる民法とか刑法の解釈の分野が「実定法」、法哲学だとか法社会学だとか、法の解釈そのものから離れる領域、でも法に関する研究をしているのが「基礎法」で、その中の一つである法哲学が専門です。

 

河本
 先生は現在、具体的にどのようなテーマに取り組まれていらっしゃいますか。

 

上山
 元々、法と道徳の分離論といった類いのテーマをやっているのですが、最近はもう少し具体的な話にも関心があって、例えばマンションで色々な合意を形成するときに、ルールを作ってやらないと共同体としてうまくいきませんから、そういうときに法的な思考方法がどれだけ有効かだとか、どれだけ不具合があるかということに関心があります。もう一つは、ものすごく哲学的な話で、そもそも「所有」とは何かという観念のあり方に関心があります。一度、しっかり考え直さなければいけない時期に来ていると思っています。例えば、著作権だとか商標権だとかいった、知的財産ですね。あの類いのものを「所有」しているとはどういうことか。典型的な物の所有とは全く違う形になっている。他にも、昔から問題なんですが、土地の所有権ってすごく難しいんです。あとは移植に使う臓器ですね。「自分の死んだ後の臓器は提供しますよ」というときに、「所有物だから」という観念はちょっと実感とずれていて、常識的に考えて誰の所有物だという設定はできないと思うのです。でも所有物ではないけど、誰でも勝手に使っていいという話ではないので、法律の世界での所有という観念と社会でその人のもとに置いておかないといけないものがある、というようなことに関して少し整理をした方が色々なことに有益ではないか、と感じています。直接、実定法の世界には持ち込めないんですが、根源的なところをしっかり考えておけば法の発展に寄与できるかな、というようなことを考えている状態ですね。所有という観念自体を少し考え直したい。

 

河本
 そうすると、今ゼミでロックの『市民政府論』を扱っているのは所有を考えるためでしょうか。

 

上山
 ロックは近代の所有の観念を作り上げた思想家の一人なので、ゼミの皆さんにも一緒に考えてもらいたいという趣旨です。

 

河本
 マンションの話は現実的な社会問題ですが、ロックの『市民政府論』における所有の話にどう繋がるのですか。

 

上山
 例えば大きな地震や災害が起きたとします。一軒家を持っておられる方は家が壊れれば自分の責任で直されるわけです。ところがマンションは集団で建物を持っていますから、即座に「工事を頼みましょう」とはできないんです。みんなの合意が必要です。そうしている間に、崩れたかけた建物がさらに崩れるかもしれない。そういう事態がおきかねないわけです。そうすると、今までの所有の観念に基づいた、所有物を大事にしますというシステム自体が、必ずしも現実に合わないところがある。でも所有じゃない所有の仕方ができるかというとそう簡単でもない。そうするとそもそも「所有とは何ですか」ということを根本的に考え直して、所有の捉え方を変えていかないと実際の現実に対応できないのではないかと考えているんです。ただ、所有の観念そのものの理解と現実的な制度設計みたいな話はなかなか直接的には繋がらないですね。

 

河本
 昔の哲学の所有に立ち返ることで今の所有について再検討する感じですか。

 

上山
 そうですね。今の制度がロックだとか、近代西欧の哲学者の考えたことに乗っかっているわけですから、まずそこから点検してみることは大事な作業だと私は思っています。

 

 

 

2.課題をもらう

河本
 先生は大学生時代、どのようなジャンルの本を読まれていましたか。

 

上山
 雑多諸々です。硬い法律系の本も読んでいましたし、哲学も好きですから哲学の本はあれこれ手を出していました。ただし原典を読むのは私の乏しい語学能力では大変で、翻訳で読んでいました。全体としてはもう小説から何からなんでも全部ですね。

 

内田
 自分を大きく変えた、すごい影響力があった一冊とかありますか。

 

上山
 特段ないんですよ。大量に読んでいるうちに惹かれたとかそういうのはあるのですが、決定的にこれだというものはないですね。鶴見俊輔さんという有名な哲学者がおられますよね。鶴見さんの本はかなり衝撃的でした。哲学研究だけではなくて、身をもって哲学されている方でインパクトが強かったという気がします。小説ではアメリカの有名なSF で、『宇宙の戦士』(ロバート・A・ハインライン)という軍隊ものがあります。国家だとか、軍隊に人が集まって命をかけるという姿を描いた小説です。この作品は賛否両論あるんですよ。「国家主義的だ」「軍隊みたいな暴力組織を美化しすぎだ」という批判もあれば、命をかけるということを描き出している点を評価する意見もある。こういう本は、直接それを読んだから自分が何か変わったというわけではないのですが、こういうことも考えないといけないよね、みたいな話題を宿題としてもらった感じです。
 あとは時期で読める本と読めない本があって、高校の頃は志賀直哉とかね、所謂白樺派と呼ばれている小説を読んでいたのですが、大学の頃は感覚的に楽しめなくなっていて、高校の頃にはあまり好きでもなかったショートショートという形式の小説にはまったりしました。星新一さんが書いているもので文庫本になったものを片っ端から読んでました。乱読なのでとりとめがないのですが、でも読んでいるとどこかで何か課題をもらっているんです。さっき挙げた『宇宙の戦士』なんかは問題提起が非常に強いので、あれは課題をもらったという意識を持って読み終わった気がします。他方で、課題をもらったという意識無しに課題をもらった本というのもいっぱいあるんだと思います。それは無意識だから自分で把握していない。でも、今ではほとんど楽しむことのないショートショートからもおそらくなにかをもらってるんです。いっぱい読むとそういうものが落ち葉が堆積するようにたまっていくのだと私は思います。気が付かないうちに何か課題をもらっていて、下手をするとなんでそんなことを自分が考えることになったのか、元の本のことはきれいに忘れているけど、自分としてはこれは気になるというものを持って人生をやっていくようなことはいっぱいあるのではないでしょうか。何か読んでおくというのはそういう形で自分の人生をつくっていくことという気がしています。課題をもらった自覚があるのは、鶴見俊輔さんでしょ、詩でいったら谷川俊太郎さん、それから石垣りんさん。現代詩好きなんですよ。あとは、福田定良さんという哲学者の書いた本、哲学研究ではなくて哲学を実践されている人です。あとはスポーツ系のエッセイ。山際淳司さんの書かれたものを読んだ時はかなり衝撃的でしたね。

 

河本
 先生がおっしゃたように、僕も考えさせられるような本が結構好きなんですが、先生の「課題をもらっている」という表現がすごい好きだと思いまして、それは大事だなと聞きながら感じました。

 

上山
 でもね、山際さんの本なんかね、私は「面白い」から読んでいるだけなんですよ。だから別に付箋をつけるわけでも線を引くわけでもないですし、ひたすら面白くて、それでどんどん読んで、その後の人生のなかで、あのときに色々課題をもらっているかなみたいな、そんな感じです。すーっと楽しく集中できる本が課題をくれるんだなという気がします。そのときは意識できなくても、どこかで残っているんだと思いますね。

 

 

 

3.集中できることを

河本
 大学生のうちにしておいた方がいいことはありますか。

 

上山
 大学生のうちにというか、若いうちにだと思うのですが、何かに夢中になって過ごす時間を持つのがベストだと私は思います。別に夢中になるものは何でもいいんです。例えばサッカーをすることが面白くてずーっとサッカーをやりたくて、授業が終わったらすぐサッカーに行くというようなことでも、私はいいと思うのです。いわゆる勉学だけである必要はない。集中する体験が大事だと私は思うのです。勉強しなくてはいけない、あれもしないといけない、と意識で行動を規律しようとしても、結局何もはかどらなくて時間だけが過ぎて、気がついたら3ヵ月経っていた、みたいなのは生き方としてもったいない気がします。どうしたら集中できることを手に入れられるのか。答えはありません。各自で考えてください。ただ、誰でもちょっと面白いかも、ということにはいくらでも出会うと思うのです。そこで一歩パッとその世界に踏み込む、その勇気を持つのが若さだと思います。

 

河本
 最後に一言いただいてもいいですか。

 

上山
 今までの話で言ってしまったみたいなものですが、どこかで誰かにうまく課題をもらいましょうということと、あとは一歩踏み出して集中できることをうまく見つけて、自分が集中する時間を作りましょう、ということですね。それは一生の課題になるかもしれないし、趣味になるかもしれない、また、その時だけかもしれないけれど、それでも集中する時間というのが大事だと私は思います。集中できることを見つければ人生が豊かになるのではないでしょうか。大学は、そういうことに出会うチャンスが多いシステムだと思います。仕事を始めて、職場に行ってしまったらなかなかそういうわけにはいかないので、大学の4年間は何か集中できることを見つける時間に使えばすごく有益なのではないかと思います。できたら本に集中する経験もあるといいですね。本は色々課題を与えてくれます。

 

河本・内田
 ありがとうございました。

 
(収録日:2019年6月22日)

 


対談を終えて

私の専攻科目は地理学であり、上山先生のご専門とされている法哲学についての知識は全くなかった。しかし、先生のお話を聞いて、法哲学は「法」といっても哲学的な要素を含んでおり、意外にも抽象的な性格を持つ学問であることに驚いた。また学生のときには、何かに夢中になるということが大事と話されたことも印象に残った。就職してからではやれることも限られてくるので自分の興味のある分野を大学生のうちに探求していきたい。
(内田崚登)
 

所有することが当たり前のことだと考えていたが、現代だからこその問題もあり、そのために哲学者の考え方を参考にする重要性を認識できた。また本に関するお話も興味深かった。時々本を読んでいて役に立つのだろうかと考えてしまうことがあるが、意識的にせよ無意識的にせよ、本から何か課題をもらっていると思うと、これでいいんだと自信を得られた気がする。先生、ありがとうございました。

(河本捷太)

 

コラム

法哲学と言語、法律
ペットと所有

法哲学と言語、法律

河本
 ゼミでは『市民政府論』の原典を扱っていて、英語を翻訳する手間がかかりますが、わざわざ原典を読む理由というのは何でしょうか。

 

上山
 言語が違えば観念も当然違うわけです。翻訳というのは1対1でできるわけがなく、言語体系が違うと当然世界観が違うわけですから、私達が日本語で「所有」という言葉で表していることと、ロックが“property”という言葉で表している概念の違いを照らし合わせることで、今の私達の「所有」という観念を見直すヒントやきっかけがあるに違いないということなんです。原典を読まないとよく分からないこともいっぱいありますから、原文確認は研究としては当然の作業ですね。思索をして概念を見直すときに、日本語だけで見直すよりは、違う世界観と価値観を持っている英語の世界にも触れることで、今持っている自分の常識を捉え直すきっかけになるかなという趣旨ですね。

 

河本
 法哲学を学ぶには色々な法律を知っておいた ほうが考える上で役に立つのでしょうか。

 

上山
 法哲学による研究には、大きく2種類の手法があって、哲学から入って哲学を法学の世界に当てはめていくという研究手法と、実定法だとか現実の問題に取り組んで、そこに見て取れる大事な要素や価値観を哲学的に検討するという手法と2つに分かれますね。私はどちらが好きかといえば後者の方ですが、実定法研究の能力が乏しいので曖昧な状態かもしれません。軸足がどっちにあるかが人によって違うという感じだと思います。学生さんにしてみたら、法学部に来る人であっても、高校までの時代には法哲学などというものがあるとは意識できないと思います。せいぜい憲法で理念的な事が書いてあるのを習って、人権って大事よね、それを勉強するのも法学の一部なのかな、といった感じではないでしょうか。基礎法系の学問は高校生までの方にはなかなかイメージがもてないものだと思います。大人になって法実務に関わられた方で、基礎法系の学問に関心を持たれる方はたくさんおられます。

 

ペットと所有

上山
 所有の話で言い忘れたことです。河本君は知っていると思うのだけれど、H君(河本と同じ上山先生のゼミ生)の話です。蛙が好きで蛙を捕ってきて飼う、珍しい蛙を買ったりもする。要するにペットとして蛙を大事にしている。そこで聞いたんです。「捕ってきたものに誰かが手を出したら怒るよね。やっぱり所有物だから怒るの?」と聞いたら、「まあそういうことだけど。(うーん。)」と言っている。うーんと言っているから「『う〜ん。』というのはなんやねん?」と聞いたのです。その「うーん」というのが私は大事だと思っていて、社会的には、それは私が捕ってきたら自分のもので「これは私の所有物です」と言って人の介入を遮断するのですが、彼の感覚では蛙は物じゃない。自分のペットであり、その生存に対して自分が責任を負った大事な存在なわけですね。そうすると他人に手は出してもらいたくない。だからといってペットが所有物かと言われたら、それは自分の感覚としてどこか違う。でも他人の手は排除したい。実は、人は、そういうなにかをいっぱい持っているのに、社会のことを、なおかつ法律なんかを勉強してしまうと、もう所有ということで片づけてしまうのです。でもね、人間の本当の実感は違うと思うのです。H君は「所有物ではなくて、それは自分にとってのペット。でも、人が手を出して来たら、それは俺のものであるからシャットアウトしなければいけない。でも所有物と言われるとちょっと感覚は違う」といった趣旨のことを言っていたでしょ。こういうことを言葉にしていくことは大事だと思うんです。こういう感覚をゼミを通して深めてもらいたい。その「うーん」というのを「うーん」では人に分からないから言葉にしてほしいわけです。「うーん」ってなあに?それってなあに?というやりとりをしてほしいのです。所有という概念ではポンと説明しきれない、だからウネウネウネウネ説明することになります。そのウネウネはなかなか言葉にできないものなのだけど、でも、なんとか言葉にする力をつけてほしいのです。そういうコミュニケーションが人間社会を豊かにしていくと思っています。決まりですからとか、そうことですから、といったような、既存の概念で切り分けるだけの処理では、新しいものを生み出していく力は育っていかないと思います。法学を学んでそれしかできないのでは、そもそも学び方が間違っていると思います。


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