座・対談 @ オンライン
「韓国文学から見えるもの」
斎藤 真理子さん(翻訳家)

 



斎藤 真理子さん プロフィール 著書紹介 サイン本プレゼント

 

1. 歴史を遡る

斎藤 真理子
『韓国文学の中心にあるもの』
イースト・プレス/定価1,650円(税込) 購入はこちら >



 『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下『キム・ジヨン』)が日本でベストセラーになったのをきっかけに、韓国文学が今大変注目されています。斎藤さんのご著書『韓国文学の中心にあるもの』(以下『中心にあるもの』)はブックガイドでもあり、韓国文学入門でもあり、歴史書としても読める本で、『キム・ジヨン』を起点に韓国で起きた事件や出来事を遡ります。冒頭は、今日韓で人気のフェミニズム文学から入るので、『キム・ジヨン』を読んだ私はスッと読めました。しかしその後は自分の知らない、韓国の辿ってきた軌跡が描かれていて、姿勢を正して読まなければならないと感じました。

斎藤
 仰るとおり、日韓の現在のことはお互い知っているけど、昔の韓国のことは知らないという人が日本では多いんですよね。韓国は従来から日本のことを非常によく知っているんです。かつては日本に追いつきたいという強い欲求があり何事においても日本と比べるという風潮がありましたし、常に意識せずにはいられない隣国でした。そもそもかつての宗主国であったわけですから。対照的に、日本では戦後長い間韓国を相手にしていませんでした。でも、それがどんどん変化してきて今に至っています。若い世代の方たちは韓国ドラマや映画をたくさん観てコスメも買ってアイドルたちの生活をくまなく知っていても、昔のことはあまり知りません。


 そのとおりですね。
 

斎藤
 私がこの本を書いたのは、やはり韓国の文化を見る時に歴史を知っていると一層奥行きが広がるからです。それを伝えることが、韓国人が本当に知ってほしい韓国を伝えることにもなる、その一助になればという思いがありました。それを実現するためには、歴史を辿る時に古い時代から始めてもさっぱりイメージがわかないと思ったんです。日本のドラマでしたら皆さんは日本の歴史が頭に入っていますので、大正、明治時代から始まっても想像を巡らせながら登場人物と一緒に成長していけますけど、韓国ドラマの場合は、いきなり植民地時代の朝鮮の人々や朝鮮戦争直後の人々が出てきても、彼らにアプローチする手がかりがないですよね。
 『キム・ジヨン』では、キム・ジヨンだけでなく彼女の1950年代から60年代生まれの母親の話も出てきて、それが読者の関心を大きく引きました。それから祖母の話もちょっと出てきますね。祖母の若いころというのは植民地時代で、朝鮮半島が日本に支配されていました。ですから、女三代を描いた『キム・ジヨン』を通して過去の時代を想像することができるわけなんです。このような顔の見えている遡り方は有効だなと思ったので、『中心にあるもの』も一番身近な現代に近い作品を冒頭に持ってきて、そこから掘り下げていくという構成にしようと最初に決めていました。歴史を勉強するというより自分に身近なところから理解を広げて欲しいと思ったんです。でもやってみたら、難しかったですね。



 「遡る」構成が、ですか。

斎藤
 素直に昔から書き始めた方が因果関係を説明しやすかったでしょう。でも読者には最初に書かれている内容と自分との関係をしっかり持ちながら読んでいってほしかったので、積み重なっている歴史を上(現代)からスライスしていく感じで、最初に2010年代、そこからセウォル号沈没事故の時代、民主化される前の時代、光州事件、さらにどんどん前の時代をさかのぼっていくと底に朝鮮戦争がある。この一番底に溜まっている朝鮮戦争が非常に大きくて、現在の社会の基底となっているんですね。キム・ジヨンがこんな苦労をするのは何のためなのか。ひとつにそれは兵役があるから。では、どうして兵役があるのか……とひとつずつ掘り下げていく。それを徐々に理解してもらうためにこのような構成にしました。


 身近な時代から遡る構成だからこそ読みやすかったです。冒頭で紹介される『キム・ジヨン』は性差別という身近なテーマを扱っているので、何も知らずに読んでも面白いし、共感できる部分がたくさんありました。
 一方、セウォル号沈没事故は当時日本でも連日報道されていたので大変なことが起きたというのは知っていましたが、実際に海の向こうで韓国の人が何を感じてそれをどう乗り越えてきたのかということには、あまり焦点が当たらなかったような気がします。
 なので、『中心にあるもの』を読んで、自分の読みから想像できる範囲を越えて、韓国の人々の様々な思いが文学に詰まっていることが分かりました。おかげで、フェミニズム小説もセウォル号沈没事故が題材の作品も、一層奥行きが感じられるようになりました。
 光州事件や朝鮮戦争についての章では、衝撃を受けると同時に「こういう向き合い方がある」と感じさせられました。ほとんど知らない出来事についても『中心にあるもの』は韓国を初めて知る人にもわかりやすく切り込んでくださっている本だと思います。

 


斎藤
 それなら嬉しい、書いた甲斐があります。私は仕事を通して色々な文学研究者とお話をする中で、朝鮮戦争がこんなにも知られていないのかとショックを受けたんですね。みんなベトナム戦争のことは知っている。アメリカが「ベトナム戦争は自分たちも非常に損をした戦争である」という総括を出しているし、ベトナム戦争を題材にした小説や映画もたくさんありますから。けれども朝鮮戦争でもアメリカの若い人たちがたくさん死んだのに、アメリカでも忘れられた戦争としてきちんと総括されていないし、韓国以外ではあまり作品化もされていません。
 日本には朝鮮戦争が一冊で全部分かる本が意外にないんですね。韓国通史を読めばある程度は分かるけれども、そこには庶民の気持ちや生活、韓国社会へ与えた影響については記されていないんです。小説はいろいろ紹介されるようになってきましたが、もっと必要だと思います。ただ、視点を変えれば日本にはたくさんの在日コリアンがいる。それは分断によって戦争が起きたこと、そして戦争の結果として分断されてしまったことで半島に帰るのを諦めた人が多かったというのも大きな理由なんですね。日本でも身近なところに答えはいっぱいあるはずなんだけど、みんなそこを見ていない、それがもどかしいんです。そういうわけで、この朝鮮戦争のことを知ってほしいという強い気持ちが『中心にあるもの』を書いた目的です。

 

 

2. 朝鮮戦争がもたらしたもの


 朝鮮戦争の影響は今の文学の根底にもありますね。『中心にあるもの』を読んで、人気作家パク・ミンギュの父親が今でいう北朝鮮の出身で、戦争以降は帰郷できていないということを知りました。知った上で彼の作品を再読すると、ただ作品を楽しむだけではなく、著者のご家族が代々背負ってきたものを思い浮かべて、より深い読書体験になりました。ほかの作品、例えば『年年歳歳』(ファン・ジョンウン)では朝鮮戦争を生き抜き、今は老後を過ごしている一家の母が描かれていますね。美しい作品ですが、大変難解で読むのが大変でした。『中心にあるもの』で背景を知って、『年年歳歳』がもう少し理解できたような気がします。


斎藤
 『年年歳歳』は、韓国人が読めば分かるけど、違う文化の人が読むと、味わい深いけれどもとても難解な作品ですよね。
 ここに出てくる娘たちとその母親の生活は一世代違うだけなのに全然世界が違うんですよね。韓国の社会はいかに変化が激しかったかということなんですけど、娘たちとその母親の生活では本当に足場が違っていて、お互いを理解するのは本当に難しい。でも、お互い情愛が非常に熱いんですね。
 韓国は親戚同士のつながりがとても強くて、就職や結婚、子どものことなどお互いに面倒を見合うのですが、戦争の際に越境して南に来た人々「失郷民」には実家がありません。身内を亡くして親戚が少ない場合が多い。さらに、逃げてきた人同士で結婚することも多く、すると生まれてくる子どもたちには祖父母がいないんです。そういうことが韓国では普通にあるわけで、『年年歳歳』の母親も両親や妹を亡くして辛い思いをしてきたんですね。そして避難民同士で結婚しています。「お母さんにとってはあのお墓が実家なんだ」というセリフがあるんですが、その「実家」という言葉が生々しかった。
 この母親の二人の娘は、戦争が韓国に何代にもわたってもたらした様々な陰影のある人間関係の中で、いろんなことを悩みながら自分の道を探していきます。この人たちの考えの深さ、考えに考えながら自分の道を選ぼうと苦悩する感じ、前に進もうとしている感じというのはとても深いものを感じますね。


 韓国の人々は世代によって全く異なる経験を経ているので、日本の文学と比べても、世代間の価値観の相違が色濃く反映されますね。

斎藤
 そうですね。本当に歴史がすごく動いたので。朝鮮半島には、私の本では扱えなかった時代のさらに前の、36年間の植民地時代があります。本当はそこを扱わないと韓国文学の歴史は完結しないのだけど、私には書けないので、そこはぜひ研究者の方に書いていただきたいですね。


 
 
P r o f i l e

撮影:増永彩子

斎藤 真理子(さいとう・まりこ)
1960年新潟県生まれ。
主な訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳/クレイン)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社)、チョン・ミョングァン『鯨』(晶文社)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、ファン・ジョンウン『ディディの傘』(亜紀書房)、パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』(白水社)、ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふなとの共訳/クオン)など。共編著に『韓国文学を旅する60章』(波田野節子・きむふなとの共編著、明石書店)。2015年、『カステラ』で第一回日本翻訳大賞受賞。2020年、『ヒョンナムオッパへ』(チョ・ナムジュ他、白水社)で韓国文学翻訳大賞(韓国文学翻訳院主催)受賞。2022年7月に、翻訳以外の日本語の単著としては初めての『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)を上梓。
 

「座・対談」記事一覧


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ