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「韓国文学から見えるもの」
斎藤 真理子さん(翻訳家)P2



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3.歴史を意識したスケール感

斎藤
 韓国ドラマを観ていたら、誰かが誰かを褒める時に「あんたって前世で善い行いをしたんじゃないの?」「前世で国を救ったんじゃないの?」みたいな冗談を言うことがあって。植民地支配のときに独立運動をやったとか、もっと遡って豊臣秀吉の朝鮮侵略のときに活躍したとか、そういうイメージだと思うんです。こんなスケールの大きい冗談は日本ではあまりないですよね。一人の人を考えるときにその人の背景には国全体、社会全体があると連想するんです。そういうところは韓国ならではで、すごく面白いと思います。


 関連して、『中心にあるもの』でも植民地時代から朝鮮戦争まで次々と支配者が入れ替わるなかで韓国の人々には「選択をしない」余地がないと書かれていましたね。パク・ミンギュは様々な発想で面白い作品をジャンルレスに書く方ですが、『ピンポン』はいじめられている男の子たちが卓球を始めてちょっとホッとするという青春小説かと思いきや、急に「この試合で人類の運命をお前たちが決めろ」という展開になって……。

斎藤
 なんだこりゃと思いますよね。


 そうなんです。中学生が卓球をしていただけなのに、突然究極の選択を迫られるなんて、冗談でもスケールがすごく大きいなと。

斎藤
 冗談って、リラックスしているときに人を面白がらせようとして言うから、スケールの大きな冗談が出てくるのも文化のエッセンスみたいなものかもしれませんね。このようなスケール感も、韓国文学が世界で読まれている理由の一つだと思います。


 社会とか国とか、とにかくスケールの大きい物語を個人に背負わせることが韓国文学では多いのでしょうか。

斎藤
 個人の性格の問題では終わらないということが、ごく自然に共有されていると思いますね。なぜこの人はこういう人でこのような行動をとるようになったのか―― それは個人の資質プラス環境によるんだけど、その環境の捉え方が大きいと思います。その人と母親との関係だけではなくて、その母親がどういう時代を生きてきたか、自然に俯瞰されていることが多いと思う。個人と社会の接点みたいなものがものすごくよく描かれているので、翻訳されている作品の多くもそういう傾向が強いと思いますね。


 今のお話で思い出したのが、くぼたのぞみさんとの連載「曇る眼鏡を拭きながら」(集英社『すばる』掲載)で、斎藤さんが韓国の小説から日本の小説に切り替えて読むときにメガネの度数が合わないような気がする、と書かれていてとても印象的だったことです。物語の中での個人と社会のかかわり方が日本と韓国ではちょっと違う、という意味でこう書かれたのでしょうか。

斎藤
 人の機微を描く時も何かサイズ感が違うように思います。この辺はまだ言語化できてない感覚なのですが。
 例えば次に翻訳するものを出版社と相談するときに、候補の作品を続けて読むことがありますでしょ。ずっと韓国作品ばかりを読み続けているとその頭になっているわけですね。その頭のまま日本の文芸誌を読むととても緻密で繊細で、サイズ感が違うんです。登場人物の気持ちの描き方に違いがあるのかもしれません。語り手が自分の気持ちではなく、他者の気持ちを斟酌して「誰々は誰々で、こういう風なんだ。私はそれについてこう思う」と第三者のことを語るときの描写を読むと、違和感があってクラクラするんですよ。
 人間関係のあり方もかかわっていると思います。韓国人同士は相手との距離が近いですし、思い切りものを言いますしね。それでも関係が修復できますから。日本人同士では言えないようなことをちゃんと言語化する、それは社会のあり方の違いが関係していて面白いところだと思いますね。


 人間関係と言えば、『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン)は病院で働いている人や患者、病院の周辺にいる人たちの人間模様が描かれた連作小説ですよね。緩い連帯をこういうふうに扱った日本文学はないんじゃないでしょうか。読んで驚きましたし、すごく興奮しました。

斎藤
 この作品を読むと、普通の韓国人の考えや生き方がすごくわかるんですよ。海外の小説を読むことはその国の人を知る良い方法であると思います。そういう意味ではチョン・セランは韓国人の理想像を描いているので、韓国社会が何を目指しているかを知るのにすごくいいと思います。逆に、現在の日本、日本人を知ってもらうためにはどの作品を読んでもらうのがいいかと考えると、なかなか絞れないんですけど。


 難しいですね。日本社会の全体像を見渡せる作品はあんまりない気がします。

斎藤
 作家の在り方も韓国と日本とでは違うかもしれないですね。チョン・セランには、自分が書きたいことを書くという姿勢でいながら、作品がみんなにとって何らかの希望になればという気持ちがあると思いますね。その証拠にこの作品の面白いところは、さまざまな職業の現場、仕事の実態をすごく詳しく書いているんです。タトゥーの彫師から、遺体を搬送するためだけに大病院で宿直しているおじいさんまで、人目につかないような仕事の一幕をさらっと適切に書くのがチョン・セランはとても上手。韓国では昔労働が軽視されていたこともあり、お仕事小説はあまりなかったのですが、チョン・セランは普通の人が普通に働きながら何を考えるかということを大事にして、綿密に取材をして読者に伝えていく役割を意識的に担っているんだと思います。そう考えると、韓国の作家の意識というのはどこか啓蒙的な何かを帯びている。そこは日本と違うところですね。


 お仕事小説としても面白いし、様々な人間関係、恋愛や友情も詰まっていて、私のお気に入りの小説なんです。もちろん、セウォル号沈没事故を彷彿とするエピソードや住宅問題など社会的な出来事や事件も多く取り入れているので、中には重い話もあります。それでも人々のつながりに救われ、希望を持てる作品ですよね。

斎藤
 私も若い方には『フィフティ・ピープル』をおすすめすることが多いです。登場人物が五十人いるので、二人三人ぐらいは共感できる人がいるのではないかと思います。

 

 

4.不安な社会を生き抜くヒントに


 昔の韓国は労働を軽視していたという話ですが、『こびとが打ち上げた小さなボール』(以下『小さなボール』)では「労働の軽視」そのものが描かれていて、すごく読みごたえがありました。

斎藤
 物語としては厳しいお話ですよね。


 そうですね。でもすごく美しい文章で、こんな名作を今まで知らなかったことを残念に思いました。韓国では教科書に載っているそうですが、こんな壮絶な話を学校で学ぶんですね。意外でした。

斎藤
 韓国のネット書店でこの作品のページを見ると、今でもたくさんのレビューが書き込まれています。自分の生活に引きつけて書いたレビューもあるので、『小さなボール』はまだまだ現役だなと思いますね。一方で、これは本当にものすごく売れて人口に膾炙した小説なので、大学受験の現代文では避けて通れないです。そういった意味で小さなアンチもいっぱい生んでいると思うけど、こんな残酷で厳しい小説がそういう位置付けにあるのは、日本からみても世界的にもみても変わっていると思います。


 読んで圧倒されました。貧しい人や虐げられている人たちの物語ですが、富裕層の若者の視点もあり、両者を繋ぐ家庭教師のお兄さんがいる構造で、文学として非常に完成度が高い。日本でもっと知られてほしい作品です。

斎藤
 こびと本人が息子に向かって「父さんは虫だよ」と言う悲しいシーンがあるのですが、日本でこの作品の読書会があって私も参加したときに、参加者のお一人が「自分のことのように感じた」と仰っていて、私はすごく驚いたんです。そう思わざるをえない現実が今の日本にはあるんだと改めて実感しました。10年前20年前の日本だったら、この作品はスルーされたかもしれません。
 今、本当に不安に満ちた時代ですよね。世界ではウクライナで戦争が始まり、日本だって政治的にも経済的にもこれからどうなるか分からない。その不安をどう解消しながら生きていったらいいのかという岐路に私たちは立っています。だから、不安の中を身一つで何十年間も生きてきた韓国の人たちの経験を物語を通して読むのは、何か支えになるような気がしますね。
 ものすごく苦しいときに韓国の人たちは何を大事にして生きてきたか。最も大事なのは、韓国では無念に死んでいった人たちがいること。これが共通項なんですよ。セウォル号沈没事故も光州事件も江南女性殺人事件も全部そう。社会のあり方のせいで、死ななくていい人たちが無念に大勢死んでいった。それは、元をたどればやっぱり植民地時代に行きつくんですよ。これが韓国文学を通底する通奏低音だったかもしれません。
 「無念さ」をチョン・セランのように軽やかな声で歌っている小説もあります。一方でパク・ミンギュみたいに飛び跳ねるような小説の中に、やはり故郷を捨てなきゃいけなかった「無念さ」は響いています。「無念さ」というのが韓国文学の主人公かもしれませんね。
 これは韓国ドラマを見ていても感じます。たとえば「秘密の森」という刑事ドラマのクライマックスに「この国では本当に死ななくていい子供たちがいっぱい死んできた」というセリフがあるんです。どんな立場の人も感じているんでしょう。
 日本ではそのようなことが可視化されなかった何十年もの間に、無念の死に対して無感覚になってきた気がします。韓国では自由がなかった時代に無念の死がたくさんありました。だから、民主化され世の中が変わってもまだ無念の死が生まれるということがすごいショックなんですよね。ですから、「無念さ」が文学の一つのテーマになっている。無念に死んだ人のために真実を証明すること、真実を記録することが大事であるという思いが、文学だけじゃなくてモノを創る人たち全般に共通であるような気がします。


 これからの日本を考える中でも、「無念さ」に向き合ってきた韓国文学が一つのヒントになりそうですね。

 

 

5.韓国文学は面白い


 斎藤さんはこれからの韓国文学がどう変わっていくと思われますか。最近はSFも人気があるそうですが、『最後のライオニ パンデミックSF小説集』の収録作品には、男女のカップルの話なのかと思って読んでいくと、実は同性のカップルの話かも、というような短編があって斬新でした。

斎藤
 ぼかしているんですよね。そういう話は多いんですよ。韓国文学はものすごく意識の変革が早いので、「カップルといえば男女」という既成概念を突き崩すような作品が珍しくありません。特に若い世代の作家に多いと思います。変化が激しかった韓国で鍛えられた思考のジャンプ力とか果敢なチャレンジ、いろんなものがつまった韓国文学が世界で広く読まれるようになって、それを作家たちは楽しんでいるような感じがしますね。


 今世界的に韓国の文化が受容されていることを通して、韓国国内でも文化を再帰的に捉える傾向があるような気がします。

斎藤
 音楽や映像はものすごい数の作品が再生されて世界に広がっているけど、活字はもっと地味な動きなので、少し違うと思いますね。またそうでなければいけないと思うし。活字は読む人が自分の脳を通して摂取される、最後にじっくり受容されるエンタメなわけです。そうしてみると最終的にはハン・ガンなど定評があり実力のある作家の作品が今後も注目されるのではないでしょうか。ファン・ジョンウンも翻訳されていますし、ピョン・ヘヨンやSF作家たちも人気が高いですね。


 エンタメ界では、最近BTSの兵役問題が話題になっていますが。

斎藤
 今ね、「彼らが兵役に行っている間は韓国語を勉強して、戻ってきた時にはもっと韓国語が上手になっているようにがんばろう」というハッシュタグと「彼らを理解するために何を読んだり観たりしたらいいか」というハッシュタグができています。それで、映画『タクシー運転手』であるとか『1987、ある闘いの真実』であるとか、韓国の現代史を知るためのいろんなアイテムがツイッターに上がっていて、「ARMYにおすすめしたい映画と本」というハッシュタグが付いているんですね。『中心にあるもの』もかなり強く推してくださっている方がいます。
 韓流文化というのは人間をして学ばしめる効果があるのではないかと思っています。振り返ると、第一次韓流ブームで『冬のソナタ』が流行った時も、ファン達は「ヨン様があんなに一生懸命生きているんだから私たちも頑張って生きなくちゃ」って言っていました。それはほかのファンダムにはないんです。当時はヨン様のために韓国現代史を学ぼうということまではなかったけど、その芽が育って今では「ARMY(BTSのファン)たるものはなぜ彼らが兵役に就かなきゃいけないのかを真摯に学ぶべきだ」という文化が醸成されているようです。「推し」を韓国で「最愛(チュエ)」っていうんですけど、「最愛の人が苦しんでいるなら、その背景を学ぶべきだ」と。学んで知ったこと、自分に蓄えたものは誰にも取られないという勤勉な韓国人の文化がBTSを通して日本に流入しているのは本当に面白いことだと思います。そういう流れの中に韓国文学もあるんじゃないんでしょうか。韓国文学が「面白くてためになる」と思っていただければ大変ありがたいと思います。

 
(収録日:2022年10月21日)
 

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イースト・プレス/定価1,650円(税込)

斎藤真理子さんの著書『韓国文学の中心にあるもの』のサイン本を5名の方にプレゼントします。
ご希望の方は『読書のいずみ』Webサイトにてご応募ください。
応募締め切りは2023年2月10日。当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。
 
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対談を終えて

任 冬桜(にん・とうおう)
まだまだ話し足りない! と思うような素敵な対談でした。『中心にあるもの』を読むだけでも面白くて勉強になりましたが、対談での濃いお話を通して韓国文学のパワフルさの根源にグッと迫ることができました。社会的な出来事と個人的な物語が巧みに結びついた韓国文学。根底にある思いが「無念さ」であるというのが衝撃的で、非常に示唆のある言葉でした。これからもより深く韓国文学を味わっていきたいです。

 
P r o f i l e

撮影:増永彩子

斎藤 真理子(さいとう・まりこ)
1960年新潟県生まれ。
主な訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳/クレイン)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社)、チョン・ミョングァン『鯨』(晶文社)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、ファン・ジョンウン『ディディの傘』(亜紀書房)、パク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』(白水社)、ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』(きむ ふなとの共訳/クオン)など。共編著に『韓国文学を旅する60章』(波田野節子・きむふなとの共編著、明石書店)。2015年、『カステラ』で第一回日本翻訳大賞受賞。2020年、『ヒョンナムオッパへ』(チョ・ナムジュ他、白水社)で韓国文学翻訳大賞(韓国文学翻訳院主催)受賞。2022年7月に、翻訳以外の日本語の単著としては初めての『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)を上梓。
 
 

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