座・対談
「大事なのは、他者への優しさ、思いやり」
『黄色い家』(中央公論新社)刊行インタビュー
川上未映子さん(小説家)

 



川上 未映子さん プロフィール 著書紹介 サイン本プレゼント

 

1. 新聞記事から始まる

川上 未映子
『黄色い家』
中央公論新社/定価2,090円(税込) 購入はこちら >


川柳
 2月に発売の『黄色い家』を読ませていただきました。まず、この物語を書こうと思ったきっかけについてうかがいます。新聞の連載はどのように依頼が来るのか、というところからお話を聞かせていただけますか。

川上
 私にこの依頼が来たのは連載開始の4~5年前でした。『夏物語』という作品を書いてる途中だったと思います。新聞連載は一年を通して、毎日原稿用紙で2.3枚位の小説が朝刊に掲載されるんですね。休刊日は原則一ヶ月に一回あるけど、約一年をかけて連載するとなるとスケジューリングをしっかり立てないといけないですから、仕事が結構詰まっていたこともあって私の場合はだいぶ前からお話をいただきました。引き受けた時には「先のことだな」と思っていたけど、あっという間に連載期間が来ちゃって。そんな感じで始まりました。

中川
 新聞連載となると1回に執筆する分量は少ないけど定期的に締め切りがやって来ますよね。文芸誌の書き方とはまた違いますか。

 

川上
 私、実は文芸誌の連載をしたことがないんですよね。書き下ろしを発表させてもらう一挙掲載派だったので。だから、連載小説はほぼ初めてじゃないかな。連載期間が一年という大きな期限があるとか、サイズ感とか、そういう形式の面で考えなきゃいけない部分は、多分文芸誌とは違うところかもしれない。


川柳
 『黄色い家』は主人公の花ちゃんがネットの新聞記事を読むところから始まりますが、それは新聞連載を意識して書かれたのでしょうか。

川上
 素晴らしい、鋭い指摘です。新聞連載で意識したことって、そこだけなんです。
 新聞記事っていまはみんなネットで読むし、新聞で読むとしてもその記事って概要だけですよね。「見出し、大体のこと、結果」を読んでみんなスルーしていく。それでそのことを知ったつもりになるけど、それが限界だよね。『黄色い家』では、冒頭で新聞記事を読んだ後にその真相を花ちゃんの回想と共に読者も体験をして知っていきます。最初にみんなが思った黄美子さんの印象が、何をやったかということを知ってどう変わるかというのをすごく書いてみたかったの。だから「新聞連載で新聞記事から始める」というのは初めに決めたことでした。

川柳
 実際の新聞記事を見ると「被害者と加害者」と単純に考えてしまいますが、花ちゃんは被害者でもあり加害者でもあるので、新聞の短い記事だけだと真実は何もわからないのだなと『黄色い家』を読みながらすごく感じました。

川上
 本当にそうですよね。自分の記憶や思い出したくない過去に蓋をしたり、記憶を書き換えたり、自分にもだまり続けていたりすることが、年を重ねていくと増えていくんだよね。それに対して向き合う時がくるのかとか、加害者-被害者、被害-加害という関係を考えたときに、『黄色い家』では花自身の過去が追いかけてくるところから始まって、最後に彼女がどんなふうにそれと向き合うのかというのも、自分で見届けたかったんです。

中川
 普通の記事を読んでさらにその小説を読んでいくと、シームレスにどこから虚構でどこからが現実かみたいなことがだんだん分からなくなってきて、そういう感じもありそうで、いいなと。

川上
 一人称ですからね。注意深く読むと、人の記憶ってどういう風になってるのかなとか、その時本当に自分が思っていたこと感じていたことって、どこまで本当なのか分からなくなりますよね。

川柳
 蘭ちゃんと花ちゃんとの間でも記憶が違っていたりとかして、真実ってなんだろうとすごい考えました。

 

 

2. 物語の要素が集まる瞬間

中川
 《黄色い家》というタイトルですが、作中でも「黄色」が風水で金運があるとかモチーフとかが出てきて、川上さんの中で「黄色」に何か思い入れがあるのかなと感じたのですが。


川上
 「黄色」はエネルギーであり、拠り所でもあり。

中川
 タイトルが決まってから物語の中に「黄色」をいっぱい出そうと考えたのですか。それとも書いているうちに「黄色」がどんどん出てきたのでしょうか。。

川上
 連載を始める時点でタイトルがないといけないから、まずはタイトルを決めないといけないなと思って。家があってね、いま連帯が大事って言われてるじゃないですか。連帯をしよう、一人にさせないとか、シスターフッド(sisterhood)とか、その「連帯」ということについて考えたいなというのはずっとありました。初めのイメージは、「家」があって、そこに疑似家族みたいな四人ぐらいの女の人がいて、何かが起こるんだろうな、と。何か忌々しい過去があるんだけどそれを忘れてて、で、それを思い出して、また自分で辿りなおす。もう一度この追いかけてきた自分の過去と対峙して、どうする…という流れがなんとなく見えてきて。
 寝る前に「どんな家にしよう」とかを考えるんですね。「家」ってどんな家なんだろう、一人主犯っぽい人が何かするのは必要だな、と。そこに同時に「黄色」が来るんですよね。黄色ってちょっとエクストリームな印象があるというか、危険の色でもあるし、信号の赤と青の真ん中でもあるよね。それと、風水。90年代から2000年にかけては「スピリチュアル」というのが流行ったの。夢占いとか「オーラの泉」というテレビ番組もあって、バブルで疲れた人たちが癒しの物語になだれ込んでいった「癒しの時代」でもあるのね。お金に翻弄されながら癒しだとかスピリチュアルみたいなのがゴーッと渦巻いているような、どこか独特の危うさと熱量のある時代だったと思うんです。それと「黄色」というのはすごく合っていると思ったし、風水の黄色は凄い金運でお金のことをしっかり書こう……というふうに、いろんな要素が手を組んでやってくるのね。綿菓子の機械に割りばしを入れると糸状のあめがふわっと集まってくるような感じで。だから、全部決めて書き始めたわけじゃなくて、「家」というモチーフにいろんな要素がわらわらと集まってくる感じでした。

中川
 1999年の雰囲気やポケベル、「X JAPAN」とか、どれも僕が生まれる前のことで経験していないのに懐かしいなと思いました。舞台が現代だったら『黄色い家』は成立しないところもあるのかなと思いましたが。

川上
 いま、給付金詐欺とかがすごいよね。出し子の子たちはみんな、おふたりとは……。

中川
 同じ世代ですね。

川柳
 方法は違うけど、現代でも同じ犯罪のループが繰り返されてるなと感じています。『黄色い家』では花ちゃんが生きていくためには働かなきゃいけなくて「つらい、将来なんていいことない」と言うけど、その気持ちは共感はできないけどわかってしまう自分がいて、それに気づいた時に辛くて切ない気がしましたね。

川上
 90年代でしか成立しないこの空気感が確かにありますね。『黄色い家』で描かれている詐欺行為はアナログで足を使ってますけど、いまは方法もかわってるもんね。でも現代も昔もやっぱり最初から選択肢のない人達っているんですね。そういうところで現代と通じてるところもあります。


 

 

3.「生」のエネルギー

川柳
 読んでいて「親ガチャ」という言葉が離れませんでした。生まれた時点で差がついていると考えている若い人もいると思いますが、そういうことについて川上さんはどのように考えていらっしゃいますか。小説を通して伝えたいと思うことはありますか。


川上
 映水(ヨンス)という在日韓国人の男の子たちが「でかいことは、なにも選べない。親も、生まれてくるとこも」って言うけど、本当にそうですよね。
 データでは、親の経済状況で子どもの学歴が決まって、その学歴が経済の指針になってしまう。大きな事じゃないですか。暮らしの水準を決めるし、文化を決めるという背景もある。格差をなくすための方法を政治家やみんなで考えていかなきゃいけないけど、それがわからないから少子化がどんどん進んで、お金持ちはずっとお金持ちでいられて、貧乏な人はずっと貧乏のまま。日本に限ったことじゃない、ずっとある構図ですよね。
 ネットで読んですごく印象に残っている話があります。みんなを一列に並ばせてね、お父さんとお母さんがいる人は一歩前に進む、次に高校卒業した人は一歩前に進む、そして大学行かせて貰ってる人は一本前に進む、と色々条件を付けていくんです。で、「さあ後ろを向いてください」と言われて振り返ると、スタートから動けない人がいる。スタートラインで先頭にいる人はこれだけ差がある、下駄をはかせてもらっているの。そして「よーいドン」で走り出す。ゴールは向こう。こんな風に先頭にいる人はアドバンテージをもらっているということを忘れてはいけないんですね。でも、そのことすらも自分で選べない人がいる。
 人より時間的な猶予をもらった人ができることってあるはずなんです。それはボランティアであったりもするんだけど、そのボランティアでさえ自分の就職活動の要件になってしまうんだよね。でもそうじゃないんだな。
食べていくにはお金がいるし、文化をキープするには文化資本がいるし、お父さんとお母さんが与えてくれるものも大きい。でも、それを当たり前と思っちゃいけないんです。

中川
 はい、そのとおりですね。

川上
 全員が自分と同じようにできると思ってはいけない。それで何が生まれるか、そこには思いやりが生まれます。人間にとって一番大事なことは、「他人を思いやる気持ち」。困ってる人がいたら思いを馳せて手を貸してあげること。これ以上に大事なことはないと思います。
 だって人は死ぬの。若いとピンと来ないのは当たり前だし、それでまったくいいのだけれど、いつか自分たちもできていたことができなくなるときがやってくる。みんな一人残らず弱っていくの。自分にできることをできない人がいてもそれはその人の努力不足なんじゃなくて、それが社会なんだということを思い浮かべて欲しいんですね、若い人たちには。だから、自分ができないことがあってもそれをそんなに責めることもないし、悲観することもない。個人と社会は不思議な関係でバランスができていて、それがどこまでが個人の選択なのか社会が作った運命なのかはわかりません。
 おふたりのように大学に行けて、こうやって本が読めて、自分がしたいことを選択できるのは本当に恵まれていると思います。でもいまヤングケアラーと呼ばれる人たちもたくさんいるよね。「いつ自分がそうなるかわからない」という方向の気持ちの割き方じゃなくて、そういう人たちがいるということを思うだけでもいいんです。そう思うと、人に優しくできるじゃない? 優しさというのは人間にとって一番大事なことだと思います。仕事ができることよりも、偉業を成すことよりも、優しさから出てくるもの―― 発明でも何でも、もっとこうなったらいいなという思いから出てくるものは「人間の希望」だと思うんだよね。
 いまおふたりと同い年ぐらいの子たちが軽い気持ちで犯罪に手を出しています。なぜならば、家に借金がある、病気のお父さんがいる、先輩に「金を持って来い」って言われているとか、本当にタフなシチュエーションで生きている人たちがいるわけですよね。だからと言ってそれをやってはいけないんだけど、その区別もつかない。『黄色い家』でヴィヴが「貧乏人は最初からぼこぼこに殴られてるから、殴られるってことがどういうことなのかわからない」って言うよね。

川柳
 はい。

川上
 そういう人たちがいるということを知っているのと知らないのとでは全然違うよね。だから若い人たちが『黄色い家』をどういうふうに読んでくれるかがとても気になります。

川柳
 90年代のことでも、同世代で実際にこういう子たちがいるんだということを読んでてすごい想像できましたし、いまあちこちで起きている強盗事件とかがニュースになっていますが、そういう事件をニュースで聞いて知るのと、こうやって物語を通して自分がその人に重ね合わせて考えるのとでは見える世界が全然違うなと思います。「罪を犯してるから悪い」と思うだけで終わるのではなくて、その人が罪を犯した背景も考えられるようになるのは本を読んで知るからこそで、もっと想像力の解像度を上げられるようになりたいと、すごく読んでいて思いました。

川上
 いろんな人がいるよね。桃子みたいにお金があっても居場所がない子たちもいるし私の周りでも高学歴でお金持ちの家出身の人が多いんだけど、私はどちらかと言うとストリートの出身なので、彼女たちは自分が見てきた世界と全然違う世界を生きているのね。でも彼女、彼らにしか分からない親との苦しみがあるのよ。桃子が言うよね、「ひとにはそれぞれ苦しみがあるんだよ、苦労があるんだよ」って。本当にそれもそう。大事なことは誰かが誰かの幸・不幸をジャッジできないということ。一回きりの人生を誰もが生きてるということがわかると、自分の人生をしっかり生きようという気持ちになれます。羨むことも時にはあるだろうけど、「これっきゃない」って突き進んでいくエネルギーを花ちゃんから感じ取ってもらえたらすごい嬉しいな。社会問題、こういう人たちがいるということに気づいてほしいという側面も勿論あるんだけど、人生って誰かに気づいてもらうため、誰かに何かもっといい気づきを与えるためにあるわけじゃない。その人たちは本当に生きているわけだけだから、その人たちの持つ「生」のエネルギーを書きたかった。実際生きていくために必要なのは、他者への思いやり、優しさは、誰でもそう、花ちゃんみたいな人たちも必要だし、みんな必要なんだよね。
 
 
P r o f i l e

川上 未映子(かわかみ・みえこ)
 大阪府生まれ。
 2007年小説『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)でデビュー。2008年『乳と卵』(文藝春秋)で第138回芥川龍之介賞、09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(青土社)で中原中也賞、10年『ヘヴン』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、13年、詩集『水瓶』(筑摩書房)で高見順賞、同年『愛の夢とか』(講談社)で谷崎潤一郎賞、16年、『あこがれ』(新潮社)で渡辺淳一文学賞、19年、『夏物語』(文藝春秋)で毎日出版文化賞を受賞。
 他の著書に『春のこわいもの』(新潮社)など多数。『夏物語』は約40ヶ国以上の言語で翻訳がすすみ、『ヘヴン』(文藝春秋)の英訳は22年国際ブッカー賞の最終候補に、また、『すべて真夜中の恋人たち』(講談社)が2022年全米批評家協会賞の最終候補作品に選出された。最新刊は『黄色い家』(中央公論新社)。
 

「座・対談」記事一覧


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ