座・対談
「『楽しい』という気持ちを大切に」
~新刊『君が手にするはずだった黄金について』に迫る~
小川 哲(小説家)

 




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小川哲
『君が手にするはずだった黄金について』
新潮社/定価1,760円(税込) 購入はこちら >

手賀
 新刊『君が手にするはずだった黄金について』を読ませていただきました。この表題作のなかにインスタグラムの「ギリギリ先生」のエピソードが出てきましたよね。私もSNSを使っているのですが、自分で自分を評価するというより、他の人に自分がどう思われているかを意識することが多いです。自分は「ギリギリ先生」に近いかもしれないと感じました。

齊藤
 私は「プロローグ」が印象に残りました。主人公の「僕」と本の関係がすごくいいなと思って。カズオ・イシグロが部屋で暴れまわっているという描写も好きだし、本を交換することで美梨との関係が始まるとか、「自分にとって大事な本」というところから自分に向き合っていく展開も、やはり本が好きな者として幸せな気持ちになりながら読みました。
 それでは、ここから質問に入らせていただこうと思います。
 
 

1. 「小説を書く」ことについて

 

手賀
 この『君が手にするはずだった黄金について』では、小川さんご自身に近い人物を主人公に設定して書かれていると思うのですが、このような設定にされたのには何かきっかけや理由があったのですか。

小川
 この本は3年間「小説新潮」という雑誌に連載していた短編をまとめたものですが、初出情報を見ていただいてもわかる通り、最初に書いたのが2019年なんですね。この頃は一方で『地図と拳』の連載をしていた時期。『地図と拳』は戦前・戦中の人たちの話で、いろんな事をすごく調べた作品でした。そして、「この立場の人だったらこういうことを考えたかな」と想像しながら書いていたんですね。

手賀
 『地図と拳』の巻末には参考文献の数が多く記されていて、大変驚きました。

小川
 そうなんですよね。だから『君が手にするはずだった黄金について』のほうでは、あまり調べものをしないで済むように、そしてわりと自分に近い立場の人が語り手で、より直接〈小説〉について考えるようなものが書きたいなというコンセプトで、だからこそこういう設定になり、最終的には「主人公は自分でいいのでは?」ということになったわけです。

手賀
 今回の新刊では、様々な部分から、小川さんの「小説を書くこと」の捉え方が読み取れます。
 

小川
 そうですね、でも結局、例えば『地図と拳』なら<建築>や<地図>、<戦争>について、『君のクイズ』だったら<クイズ>について考えるときに、「クイズも小説も同じところあるな」とか「建築と小説も同じところあるな」と書くたびに感じていたんですよね。だから僕が小説について書いたら、小説を書いたことがない人にも「これって私の〇〇と似てるな」とか、「私がこういうことを考えているときと一緒だな」と思ってもらえるかなという狙いも僕の中に少しありました。たとえば、昨日あった出来事を友達に話すときに、自分の中で「あの話をまずして」というようにストーリーを組み立てますよね。全部一から話さないで必要のないところは端折ったり、重要なところはたっぷり話したりして、自分が経験した話がより相手に伝わるようにみんな工夫するわけです。それをもっと大げさにしたのが小説なんです。
 そういう意味で、結構小説家が普段やっていることというのは、小説をあまり読んだり書いたりしない人でも日常的にやっていることとそこまで大きな違いはないかもしれない、といったこともこの小説を書いているときに思いましたね。


齊藤
 この作品の主人公が哲学の話もしていたと思いますが、小川さんの書く小説にはどこか哲学を感じるというか、「○○ってなんだろう」という問いがある気がしています。それが今回は<小説>ということだったと思うんですけど。今回作品を書きながら小説についてご自身の考えが作られていったのか、それとも元々小川さんの中に持っていたものをさらに深めるために作品を書いたのか、どちらでしょうか。

小川
 論文でもいいし、SNSでも日記でも、自分が思っていることって、実は文章にしてみないと正確にはわからないんですよね。だからこの本に書いてあるようなことは、僕が普段から考えていることではあるのだけれども、改めて小説に書くことで自分が考えていたこと感じていたことがよりクリアになっていくんですね。そうすることではじめて自覚する―― 文章を書いたりする作業にはそういう役割もあるのかなと思いますよね。

手賀
 私も日記を書いていますが、日記を書くと、自分が内に秘めているものが客観的に見えてくるような気がします。

小川
 もやもやしたものや感情を言語化しなきゃいけないから、そこで正確に書けるとは限らないけど、書くことによってこれまで意識していなかったことに気づいたりすることもあるだろうし。しかも、それを何年後とかに読み返すと「なんでこんなことを考えていたんだろう」とか不思議な発見をすることもある。そういう自分が感じていることを、小説に限らず何らかの形でアウトプットするというのは、面白いですよね。

齊藤
 同じ文章でも日記とかエッセイとか論文とかいろんな形がありますが、それらと小説の違い、小説の特徴ってこうだなと思うことはありますか。
 

小川
 僕もずっと論文を書いていたから思うんですけど、論文ってわからないことは「わからない」って書くしかない。どれだけ調べても資料がないことについては、書けませんよね。でも、小説なら調べてもわからないことは自由に書けるんですよ。だって誰も正解を知らないから。たとえば、坂本龍馬が「日本の夜明けぜよ」とか言う。でも、実際に言ったかどうかはわからないですよね。織田信長が、本能寺で最期に何を思ったかなんて、もう誰にもわからない。小説家にとってはそれがチャンスなんですね。誰にもわからないことは自分が自由に想像して書ける。そこが論文と一番違うところですよね。
 僕も研究の中で「これ以上はわからない」という結論に至ったときは残念に思っていたけど、小説を書くようになってからは調べてもわからないことがあると「よし小説の出番が来た」みたいな(笑)。それこそ、齊藤さんのように歴史の研究をしているとわかると思うんですけど、「何月何日に誰々がどこにいた」とか、「当時何年何月にこの役職に就いていたのは誰々だ」という情報は結構資料に残っているじゃないですか。でも、その人の好きな食べ物とか友人との会話というのは、資料には残っていないですよね、基本的に。そういう部分を埋めながら自分の中で「本当はこうだったんじゃないか」とか「こうだったら面白いだろうな」と想像をふくらませていくのが作家の仕事ですね。

手賀
 この作品でも、小説の世界は現実と離れているからこそ奇跡が見出せるということが書かれていて、とても印象に残っています。

小川
 そうですね。案外、現実世界で感動したことを文章にしようとしても、十分に伝えられないんですよね。どれだけ小説を書いていても、変わらなくて。その代わり、小説でなければ表現できないような感動、小説を読んだからこそ感じる喜びみたいなものは、僕は小説にはあると思うし、みんなそういう経験があるから小説が好きだと思うので、そういうのを見つけていきたいなとずっと思っていますね。

齊藤
 「小説を書くことが自分を救う」とか、自分が書いたものを後から読み返したときにどんなことを思われるのでしょうか。

小川
 小説を書くのは楽しいですね。今は仕事として依頼されて書いてお金をもらっているわけですけど、そうじゃなくても書いていたと思います。何が楽しいかって、やっぱり文章にすると自分が考えていたこと以上のものが出てきたりするんですね。書いてることでしか起こりえない、奇跡みたいなことが起こったりする。それこそ自分が考えていたことについて文字に起こしてみるとある気づきがあったり、あるいは想定していなかった登場人物同士の会話がすごく興味深く進んでいったり。小説を書いているとそういういろんな奇跡的な瞬間みたいなのがあって、それがすごく楽しいから書いているところはあります。だから自分のために書いているというのもあるし、小説の売れ行きや評価もどうしても気になるところもあるけど、そこを気にしすぎると精神衛生上よくない。作品の中にも書いていますが、自分がコントロールできることに集中する方が生きていて楽なので、小説もそういう風に、自分が楽しいか、満足しているかという気持ちを一番大切にしていますね。
 過去に自分が書いた文章は、恥ずかしくなるときもいっぱいあるし、自分で感心することもありますね、「なかなか面白いことを書くな」と。たくさん書いていると、自分が以前書いたものは忘れてしまうので、読者から「あの小説のこういう文章が好きなんです」と言われても、「そんなの書いたかな」、「でも確かに俺が書きそうな文章ではあるな」と思ったりすることは経験としてよくありますが、今の自分だったらこんな文章は書けないだろうなというものもありますね。当時の自分はそれがよかれと思って書いてるので、それを否定してしまうと当時の自分の価値観が駄目だということになってしまう。だから恥ずかしいと思いながらも、「昔の俺はこれがいいと思ってたんだからしょうがないな」と思うようにしています。

 

 

2. 就職活動の話

 

手賀
 「プロローグ」には就職活動のエピソードがありました。ご自身が就活を考えていた当時のことを振り返ってどう感じているか、またこのエピソードに込められたメッセージがあれば教えていただきたいです。

小川
 僕が学生のときに、例えばバックパックとかが好きだった友達が、急に「貧しい人々が」とか「ほかの自分が知らない文化が」といったことを就活時期に言い始めるわけですよね。それまでは旅行が好きで海外に行っていただけだったのに。ほかにも、たいして参加もしてなかったサークルの役職幹事を嫌々やっていた人が、「グループリーダーとして」といったようなことを言い始めたりして。僕は就職活動をちゃんとしなかったので、「お前はそういうキャラクターじゃなかっただろ」みたいに就活をしている側の目線じゃなくて置いていかれる側の目線として一歩引いて見ていました。何か月にもわたっていろんな会社で、しかも相手が合否を決める権利を持っているから、就活生はハラハラしながら自分のどんな部分を見られているのか、何を評価されているのかといったことがわからないまま、自分の中で「あること・ないこと」を言って気に入られようと頑張っている。そうする間に、僕からするとみんなちょっとおかしくなっちゃった印象を当時抱いていました。でもある意味、相手に気に入ってもらえるように自分を演じたり我慢したりすることって、実は社会に出るとすごく必要になる場面があります。小説を書いていてもそういうことがある。僕はなるべくそことは関わりたくないと思って生きてきたけど、どうしてもそういう場面に直面することはあるんですね。人間として生きていく以上、完全に逃れることはできない。お二人がもう少し大人になったらわかると思いますが、ちょっと会って少し話しただけの人が、これからずっとうちの会社で働いてくれるかどうかなんてわからない。だから、もしかしたら会社も適当に選んでいるかもしれません。もし就活を体験した人が『君が手にするはずだった黄金について』を読んだら、「就活するときにこんなこと考えてたな」とか「実はこうなんだよな」ということを思い出してもらえると嬉しいですね。これから就活を控えている人は「就活がつらい」と思っても、僕のようにもっとダメな人もいるから、気にしないでください(笑)。

手賀
 同じ時期に就活をしているからこそ、友人に就活の悩みをあまり打ち明けられなかったのですが、この作品を通して「ああ、その気持ちわかる」と共感する体験ができました。

 
 
P r o f i l e

小川 哲(おがわ・さとし)
 1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。2017年刊行の『ゲームの王国』で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞。2019年刊行の短篇集『嘘と正典』は第162回直木三十五賞候補となった。2022年刊行の『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、第168回直木三十五賞を受賞。同年刊行の『君のクイズ』は第76回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞している。最新刊は新潮社刊『君が手にするはずだった黄金について』。
 

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