座・対談
「京都の記憶とともに紡ぐ物語」
~祝『八月の御所グラウンド』第170回直木賞 受賞~
万城目 学さん(小説家)

 




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1. 現実9割・非現実1割の世界

 

万城目学
『八月の御所グラウンド』
文藝春秋/定価1,760円(税込) 購入はこちら >

齊藤
 『八月の御所グラウンド』を読ませていただきました。収録されている「八月の御所グラウンド」と「十二月の都大路上下(カケ)ル」、どちらも京都にひっそりと眠る「念」みたいなもの、しかも必ずしもポジティブというよりかは、ちょっと「無念」といったものを描いているのではないかと感じました。4年間京都で過ごしてきた者としては、京都の中に、ふとした瞬間に「この世のものではないものの影」のようなものがよぎるなと感じていたところだったので、作品からリアルな京都らしさをむしろ感じました。今回、再び京都を舞台にするにあたって、どのような京都の姿を書きたいと思われたのでしょうか。

万城目
 僕が京都大学に在学していたのは1995年から2000年までで、まさに世紀末の京都にいました。どうしてもその時の記憶を元に書くわけですが、恐ろしいことにその時の記憶を書いても、さほど齟齬がないんですよね。僕は法学部出身ですけれども、今も開催されているか分かりませんが当時法学部では5月に「五月祭」という学部祭がありました。クラス対抗でソフトボールとサッカーと麻雀とオセロといった種目を戦うんですよ。そして優勝したら教授からお米券を2万円くらい貰えるんです。僕はソフトボールにエントリーして、実際に朝の7時半から御所のグラウンドでプレーしました。「八月の御所グラウンド」は朝の眠い時に御所のグラウンドに行って、それでみんなでソフトボールしたという実体験がベースになっています。そのストーリーにいかに別の要素を組み込むか。さきほど齊藤さんがリアルだと言ってくれましたが、僕が物語を書く時は、9割は現実、非日常や非現実なことは1割で書いています。やりすぎると、嘘臭くなるのでその塩梅が難しいんですよ。京都を舞台に、場所であったり「通り」であったり、暑さ寒さ、街の雰囲気など、9割はそのままの手を加えない京都の描写を、1割だけこの世にいない人が出てきて、主人公と一緒に走ったり野球をしたりしています。
 『鴨川ホルモー』もそうですね。例えば小説を書く時に最初の一行コンセプトみたいなものがあるとしたら、「1人の女性をめぐってサークルが2つに分裂する」という、それだけの話なんですよ。今は「サークルクラッシャー」という単語があって言語化されていますけど、執筆当時はなかったので、ただ単に女性1人をめぐって男が揉めてサークルが分裂する話を書こうと思いました。
 
齊藤
 ホルモーが最初から軸にあったというわけではなく、そちらの方が軸だったのですね。
 

万城目
 そうですね。サークルの話なので、サークルは何だっていいんですよ。別にテニスサークルだろうが京都散策するサークルだろうがチェスサークルでもいい。でもそれだと何だかありきたりになってしまうので、サークルで扱っているものをちょっと風変わりなものにしようと思い、ホルモーという架空の競技をでっち上げ、そこから中身を作っていきました。ですから、『鴨川ホルモー』は、齊藤さん含め学生の皆さんが普通に京都にいたら経験するであろうことが9割、そこに1、2割が非現実という、そういう塩梅です。


齊藤
 確かにサークルで飲み会をする風景とか、自転車で川沿いを走る風景とか、経験したものが描かれていますね。

万城目
 ただのリアリズムというか、街の真ん中を整備された川が貫いていて、その川沿いに繁華街があるので、川のそばを自転車で走っていけば繁華街にたどり着いて、そこで飲み会になる。移動の描写を続けるだけで場がもつ、なんてことが可能な街って、そうそうないですよ。それができるのが京都のすごさです。リアリズムで京都の学生の話を書いているだけでも、どこかふわっと宙に浮いたような感じになってしまうのが京都マジックといいますか、京都を舞台に書く利点というんですかね。勝手にブーストがかかるみたいなところがあるのです。

 

 

2. 戦争と学生と

 

齊藤
 今回幕末とか戦時期とか、そういうところに生きる人たちと京都のかかわりが描かれていて嬉しくなってしまいました。


万城目
 「八月の御所グラウンド」で言うと、どうしても戦争の「若者が死ぬ」というセンチメンタリズムが前に出てきやすい。特攻隊で死んでいく男の人たちを書いて涙を誘う話に、味付け次第では寄ってしまうんです。でも僕はそれが嫌だったんですよ。事実を書くけど、感傷的なものは極力排除したいと思っていて。確かに当時の一般人は徴兵されて自分の意思とは関係なく戦地で死んでいった。これまではずっと戦争がそういう「被害」のラインで語られ続けてきました。それはそれでいいと思うんです。そのおかげで日本人は80年くらい戦争をしていないので。でもそろそろ客観的に「加害」の方も同じバランスで見ていっても良い時期にきているのではないかと思います。それで、その客観的な目線を持つ一人としてシャオさんを入れたんですよ。登場人物が全員が日本人だと「戦争で命を失った若者はかわいそうだ」で感想が統一されてしまいますが、シャオさんが果たして同じようにそう思ったかどうか、わからないわけですよ、中国の人なので。物語の中でシャオさんは何も語りません。彼女に「過去の戦争について、今は何も思っていませんよ」というようなことを、日本人である僕が語らせるのは間違っているから。

齊藤
 自分たちが抱く感情をシャオさんが共有しなくてはならない謂れはどこにもない、という一文が印象に残っています。

万城目
 被害一辺倒の話にしないために、そうではない見方を持つ人としてシャオさんがそこにいるんです。

齊藤
 歴史については取材したり調べたりして書かれたと思いますが、その中で印象に残ったエピソードや、取材をした結果、書くことになったというようなことはありましたか。

万城目
 この物語のコンセプトは「京都で生者と死者が交わる」というものですが、どう死者を登場させるかというところで、「えーちゃん」はまず用意していたんですけど、遠藤くんと山下くんは話を作りながら調整していきました。この中で学徒出陣のことを少し扱っているんですけど、京都大学が2006年に学徒出陣の調査をしたんですよね。東大とか早稲田などは90年代に調査をしていますが、京大はそこからだいぶ遅れて2006年にやっとその調査をしたんです。終戦から60年経っていて当時20歳で出征した人も80歳だから、タイミング的には遅すぎるけど、その調査結果は論文サイトに全部アップされているので、誰でも読めるんですよ。東大の調査結果は印刷物を購入するか国会図書館に行かないと読めませんが京大はネットで見ることができます。これには、入学年度や出征先、死亡した年などが書かれている名簿が全員分あるんです。それを見たときに、入学の半年後に亡くなっている学生がいるわけですよ。おそらくその学生が京都にいたのは、ほんの1、2ヶ月くらいでしょう。そういう名簿を見たときに、夜中に青ざめるといいますかね。これは何かしらの形で話のなかに入れなければいけないと思いました。死亡した場所も、一人ずつ書いてあるんです。戦地もあれば、広島、その下に原爆死とか、沖縄の下に大和乗組とか、特攻もいますし。当時大学進学率は2~3%で、大学生は徴兵免除されていたんですね。つまり世間的には裕福な家の子どもだけが大学に行けるわけで、その子たちが結果的に徴兵免除されていた。だから学徒出陣のときも、世間的には「やっとうちの子らと同じ平等な扱いを、大学のやつらにもするようになったか」という、そういう捉え方なんです。大学も「日本のために役立っていない」という非難があったけれども、こういう感じで壮烈に戦死者が出るとその批判に対して「お国のために役に立っている」と反論ができた。全部が間違っているのですけど、そういう背景が当時はあったということを読んで、勉強になりました。

齊藤
 その論文がきっかけになって、この物語がスタートしたのですか。

万城目
 これは執筆の途中で取りこみました。作りながら色々なパターンを考えるわけですよ。例えば戦地に行って死んだ人は「えーちゃん」だけじゃなくて、実際にはプロ野球選手でも2、30人いるわけです。なので、物語の中でチームを組もうとしたら、全員がプロ野球選手でもいいわけです。でも、それをやるとボロ勝ちで優勝してしまうと思うんですよね。そうすると、主人公の居場所がない。やっぱりそこは、へぼくさい草野球チームの物語にしたいわけです。だから一般人も混ぜていこうと思いました。野球好きで死んでいった人は、別にプロ野球選手だけじゃないですから。そうやって徐々に作り上げていった感じです。

 

 

3. 直木賞受賞!待ち会秘話

 

  齊藤
 作家の森見登美彦さんがご自身のブログ「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」で、万城目さんが直木賞を受賞すると思っているような振る舞いを全然していなかったという風に書かれていましたが、実際のところはどうだったのですか。

万城目
 本当にとるとは思っていませんでしたからね。齊藤さんは今いくつですか?

齊藤
 22歳です。

万城目
 僕、齊藤さんが5歳の時から直木賞にノミネートされているんですよ。5歳の時に欲しかったもので、今も欲しいものあります? ないですよね、そういうことですよ。あげる素振りをして「やっぱりあげない」みたいな感じを、17年に渡ってずっと続けられていると、多少性格悪くなると思うんですよ。懐疑的になるというか。そこが非常に強くて、「どうせ落ちるから、いかに傷つかないように、すぐ過去のものにして日常に戻るか」と、メンタルの防護をすることにばかり集中するようになりました。

齊藤
 なるほど。直木賞自体に思い入れはありましたか。

万城目
 憧れの対象では全然ないんです。でもノミネートされていると、すごく気になるんですよね。それでもどうせダメだとわかっているから「やっかいだな」みたいな。僕は落ちると当然思っていたので、編集者と2人で暗く待つつもりでした。直木賞は午後4時から選考委員の人たちが10人くらい集まって選びます。大体2、3時間かかるので、6時過ぎくらいに結果が出るというのがなんとなくわかっている。だから、5時とか5時半くらいに集まって、電話がかかってくるのを待つわけですよ。内定や合否の通知と一緒です。僕は「待ち会も嫌だし、待ち会の後、帰宅ラッシュの電車に乗って帰るのも嫌だ」と、そういうスタンスだったのですが、森見さんが「待ち会というのは、その数十分後に電話一本で自分の人生が大きく2つに分かれるわけであって、そういうものが数十分後に訪れると思うと、すごい面白いじゃないか」と言ったんです。そんなポジティブに考えたことはなかったので、すごいと思いました。それから森見さんが「行けますよ、待ち会しましょうよ。何度目のノミネートですか? 6度目! いけますよ」と、そんな感じで、待ち会をすることになりました。そしたら横にヨーロッパ企画の上田さんもいらっしゃって「僕も行けますよ。落ちたら朝までボドゲ大会ですよ」と、そういう感じのノリで参加されて、作家の綿矢りささんも来て、みなさんで待つことになりました。でもやっぱり、とるとは思いませんでしたけどね。

 
 
P r o f i l e

万城目 学(まきめ・まなぶ)
 1976年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。2006年に『鴨川ホルモー』でデビュー。同作の他、『鹿男あをによし』『偉大なる、しゅららぼん』『プリンセス・トヨトミ』が次々と映像化されるなど、大きな話題に。その他の小説作品に『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(角川文庫)、『とっぴんぱらりの風太郎』(文春文庫)、『悟浄出立』(新潮文庫)、『バベル九朔』(角川文庫)、『パーマネント神喜劇』(新潮文庫)、『ヒトコブラクダ層戦争』(幻冬舎文庫)など、エッセイ作品に『べらぼうくん』(文春文庫)、『万感のおもい』(夏葉社)などがある。2023年8月刊行の『八月の御所グラウンド』は第170回直木賞を受賞する。
 

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