あの頃の本たち
「導かれたかもしれない」松崎有理

導かれたかもしれない

松崎有理 Profile

 内容はよく憶えているのに、表紙の記憶がない本というのが存在する。
 理由は単純で、あまりにくりかえし読んだため早い時期にカバーが破損し紛失してしまったからである。そんな本の一冊が北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』だ。このたび本稿を書くにあたって、当時の自分が読んだであろう古い版をとりよせてみた。表紙のイラストには、やはりまったく見覚えがなかった。
 思えば、文章を書くことは大きらいだが読むことはめっぽう好きな子供であった。さいわい実家には大量の本があった。北杜夫は小学生のころとくにお気に入りだった作家で、『昆虫記』『航海記』のような「マンボウもの」エッセイ、『船乗りクプクプの冒険』『さびしい王様』など童話系、『ぼくのおじさん』『高みの見物』『奇病連盟』などのユーモア系小説を暗記するほど繰りかえし読んだものだ。すべて文庫だったので子供の手にも持ちやすかった。文庫の末尾には解説や同著者の作品広告が載っているから、この作家が『幽霊』『木精』『楡家の人びと』といったシリアスな純文学を書いていることは知っていた。だが実家の本棚にこれらの本はなかった。もうすこし年齢があがり、小遣いをもらって自分で本を買えるようになるころにはSFという別ジャンルにはまりこんでいた。だから北杜夫純文学との出会いはかなりあとのこととなる。
 さてSFだ。これらの本も、国内海外とりそろえて実家にはうなるほどあった。はじめて手に取ったのはアーサー・K・バーンズの『惑星間の狩人』であったように思う。美人ハンターが宇宙船を駆って太陽系を舞台に珍獣狩りをするという設定が荒唐無稽だとはつゆほども思わなかった。「ドリトル先生」シリーズなど翻訳ファンタジー児童文学を好んでいたため下地ができていたのだろう。以後はもう、乱読である。さいしょは海外スペースオペラで、エドガー・ライス・バロウズやE・E・スミスの長大なシリーズものを第一作からもりもり読んでいった。そして国内作品に移り、小松左京や豊田有恒、平井和正らのいわゆる「日本SF第一世代」といわれる作家たちの本を読みあさった。とくに平井作品には首まで浸かった。強烈なキャラクタ、ストーリーテリングの妙、どこをとっても危険なまでの中毒性に満ちている。「おれの名前は犬神明、職業はフリーのルポライター。年齢は三十代のとっかかり」というきまり文句の自己紹介で毎回はじまる「アダルト・ウルフガイ」シリーズは一人称小説の金字塔だと思う。残酷描写が多く、女子中学生にとってはトラウマレベルのシーン続出なのだが、それでも離れることができなかった。これほどの中毒性を持つ作品を自分は一生書けない自信がある。
 そうこうするうち、アーサー・C・クラークとアイザック・アシモフという海外ハードSF二大巨匠の作品に出会う。このふたりのために、「SFとはものすごく頭のいいひとたちが書くもの」、すなわち自分が書くなんてとんでもないと固く信じるに至った。そう思うのもふしぎはない、あとで知ったがこのふたりはメンサ会員なのである。なのになぜ自分がSFの賞で作家デビューするに至ったかは紙幅の都合で割愛する。ともあれ、とりわけアシモフのほうに傾倒した女子高生時代であった。「ロボット工学三原則」を考案したこのひとは神にちがいないと思った。イライジャ・ベイリが死ぬシーンでは涙が止まらなかった。またアシモフは科学解説者としても一流であり、「アシモフの科学エッセイ」シリーズは新刊が出るたび買い求めた。数式の美しさに目をひらかれたのはまちがいなくこのシリーズのおかげだ。こうして集めた本たちは、進学のため実家を出るさいだいじに箱にしまって大学の寮へ持っていった。東北大学である。
 北杜夫が東北大学出身であることは知っていたが、それがために大学を選んだわけではない。学びたい分野がそこにあり専門家たちがいるというきわめてまっとうな理由からだった。だが大学を卒業し、のちに作家となったころ、北杜夫の存在はきゅうに自分のなかで大きくなりだした。作文ぎらいのつけがまわって文体に悩んでいた。いまこそ彼の純文学作品群を読破するタイミングだと感じた。『幽霊』の透明な美しさにこれが処女長編かと驚愕し、『木精』の痛ましい恋のなりゆきにページをめくるたび落涙し、『楡家の人びと』の純文学らしからぬリーダビリティにただただ賞賛の吐息をもらした。ふだん詩などまったく書かぬのに小説ちゅうにむやみと詩を登場させたがる自分の癖はこのひとの影響なのだとようやくわかった。そしてなつかしい場所に戻ってきたとも思った。導かれていたかもしれない。たんに「なるようになった」だけかもしれない。だが読書でわたしはできている、それだけは事実だ。
 
P r o f i l e

■略歴
まつざき・ゆうり
1972年生まれ。茨城県出身。東北大学理学部卒業。エンタメ作家。
2008年、はじめて書いた長編小説「イデアル」で第20回日本ファンタジーノベル大賞最終候補。2010年、はじめて書いた短編小説「あがり」で第1回創元SF短編賞を受賞。これをもって作家デビュー。

■主な著書
『あがり』(東京創元社)、『代書屋ミクラ』(光文社)、『5まで数える』(筑摩書房)、『架空論文投稿計画』(光文社)など。最新刊は『嘘つき就職相談員とヘンクツ理系女子』(角川文庫)。


記事へ戻る

「あの頃の本たち」記事一覧


ご意見・ご感想は、大学生協の個人情報保護方針にご同意の上、
下のボタンからお送りください。

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ