座・対談
「医師として伝えたい『希望』」夏川 草介さん(医師・小説家)

医師として伝えたい「希望」


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1.今回の舞台は大学病院

田中
 『新章 神様のカルテ』(小学館)は 4年ぶりの最新作ということですが、新章を書くまでの経緯などをお聞かせください。

夏川
 淡々と書き続けてきて、ここまで来たという感じです。あえて「新章を書こう」みたいな心構えも、特にありませんでしたね。

田中
 『新章 神様のカルテ』の前に「神様のカルテ」シリーズではない小説『本を守ろうとする猫の話』(小学館)を出されていますよね。

夏川
 『本を守ろうとする猫の話』を書きながら、『神様のカルテ』も少しずつ書き進めていました。「時期が来たから一気に書く」というのではなく、ずっとゆっくり書いている感じですね。登場人物は、ずっと頭の中にいる感じがします。

田中
 以前、『izumi』138 号(2014 年新学期号)の「座・対談」で、当時夏川さんは「小説は医師との心のバランスを保つために書いている」とおっしゃっていました。それは今でも変わりませんか。

夏川
 基本は同じです。日頃うまくいかないこととか、「こうすれば良かった」と思っていることなどを、むしろ小説で栗原一止に実現してもらっているような感覚に近いかもしれませんね。

田中
 栗原一止は夏川さんの理想の形なのでしょうか。

夏川
 ある種そうですね。あんな風に生きられればと思うことは多々あります。自分はそこまで勇敢な人間ではないので。自分自身を書いている気持ちはほとんどないですね。一止は、自分ができないことをしてくれる魅力的な内科医なんです。

田中
 栗原一止は魅力的な内科医である一方で、夏目漱石が好きだったり、こっそりと同僚や上司にあだ名をつけたりするようなユニークなキャラクターですよね。その辺はご自身が投影されていたりしますか。

夏川
 あれは、そうですね(笑)。自分自身と似ている部分です。

田中
 『新章 神様のカルテ』では舞台が大学病院に移りましたが、書いていて難しいと感じる部分や、気をつけたところは何かありましたか。

夏川
 大学病院を書くこと自体は、それなりにプレッシャーですね。関わっている人も多いので、基本的に現場の人に迷惑がかからないようにという心構えは常にあります。誤解を招くようなことだけは絶対に避けようと思っています。
 一番気をつけたのは「大学病院を悪役にしないこと」ですね。(小説やドラマで描かれる)大学病院って大体悪者として出てくるんですよね、医学部の教授が腹黒いとか。僕自身も大学病院で働くまではそういうイメージを持っていたのですが、実際には陰謀に明け暮れているような人はいないんです。あのような悪役のイメージは、物語を盛り上げるためのファンタジーであって、現実は違うんですね。実際現場に行ってみたら、想像していた以上に、優れた人や敬意に値する人がたくさんいると感じました。
 大学病院は確かに山のような矛盾を抱えていてそこにひずみもありますが、医療の根幹を支えている重要な組織であり、ここがなくなったら特に地域の医療は崩壊してしまいます。『新章 神様のカルテ』では栗原一止が医局内で上の立場にいる先生とぶつかったりするところがありますが、上の先生には彼なりの事情があります。なので「栗原一止が正しくて大学病院が間違っている」みたいなわかりやすい構図にはならないように気をつけました。

田中
 夏川さんの中に「理想の医師像」のようなものはありますか?

夏川
 ありますよ。私の根本にあるのは、中学生か高校生の時に読んだ山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』に出てくる赤ひげ先生です。江戸の診療所にいて、愛想はないけど腕が良くて、どんな患者も拒まない。かっこいいなと思いました。赤ひげ先生のようになりたいと思ったのが、原点ですね。ですが実際に現場に出てみると、全部を診るのは今の医療だと到底不可能なことだと分かります。なので今もどういう立ち位置が良いのか考えている最中ですね。
 ただ基本的には困っている人がいたら、時には自分の生活を潰してでも手を貸したいと思っています。例えば今日も一日休みをとったのですが、結局呼ばれて午前中は病院に行ってきました。多分行かなかったとしても労働者としては問題ないのだと思いますが、医者としてはできるだけ患者さんと話をして、そのときにできる治療をしたいんです。
 私はたとえ周りに迷惑をかけたとしても、病院や患者を優先するのが医者だと思っているんですよ。ただ、結論が出ているわけではないですね。現代で成り立つ赤ひげ先生像を探している最中という感じでしょうか。
   

 

2.「希望」を書きたい

田中
 「神様のカルテ」シリーズで書かれていることは、夏川さんが実際に見てきたことをベースにしているのですか?

夏川
 そうですね。人の生死に関わることは、見たことでないと書けないのではないかと思います。ファンタジーであれば想像力を膨らませて書くのですが、医局の内部の問題などについては、知っていることや自分が見てきたと自信を持って言えることしか書かないようにしています。医療に関しては、小説に書いているのはフィクションではありますが、リアルな現場から書き起こしていることです。

田中
 『新章 神様のカルテ』で病院のベッドが足りないことを「パン」に喩えられていましたが、あれは医師の間での隠語のようなものなのですか。それとも、夏川さんが独自に考えられたのでしょうか。

夏川
 あれは、どういう喩え話がいいかなと考えていたときに「パン」が出てきたという感じですね。決して、医師の間の隠語ではありませんよ(笑)。

田中
 パンに限らず栗原一止のセリフは、皮肉めいているけれどユーモアがあって面白いです。

夏川
 私が物語を書くときというのは、色々な矛盾に苦しんでいたり怒りを感じていたりするときなんです。それを整理するためと、溜まっているものを吐き出すために書いているような感じです。なので、最初に書き上げたものは、ユーモアなどもない厳しくて毒々しい内容でした。それを人が読めるように変えていく作業を、何度か繰り返します。
 難しいものを書こうとするほど、ユーモアを入れる余裕はないんです。ただ、人に読んでもらうなら、どんなに内容が厳しくても読みやすくしないといけません。内容は変えられないので、文章の面白さでいくしかないと思いました。『神様のカルテ』は、人は死ぬし、逆転劇も起こらないし、推理小説のように謎が解けるわけでもなく、暗い話です。ストーリーには救いがありません。そういう物語を読んでもらうための技術として、文章に気を配っています。
 私は小説を書くことを通じて、決して医療現場で困っていることを暴きたいとか、医者はこんなに大変なんだとか、そういうことを伝えたいわけではないんです。そもそも解決策がなくて条件も変えようがないときに、大声を出しても仕方がないんですね。でも、そんな大変な場所でも清々しく働いているかっこいい医者はたくさんいて、それを書けば何か救いになるのではないかと、そう思っています。私は、暴露小説は書きたくないんで す。現場にいるから、希望を書く。文体は、そのための手段のひとつですね。

 

3.日常の出来事から


田中
 私は、「神様のカルテ」シリーズを読んでいて、悲しい展開の中にも救いがあると感じます。特に、シリーズ一作目の『神様のカルテ』で、患者さんが栗原一止に言う「一に止まると書いて、正しいという意味だなんて、…(中略)…本当に正しいことというのは、一番初めの場所にあるのかもしれませんね」という言葉が好きなんです。中学生のときに初めて読んでから、何度も読み返しています。自分が悲しかったり辛かったりしたときに読んで、いつも救われてきました。

夏川
 伝わっているならすごく嬉しいです。

田中
 このように夏川さんの小説には救われる言葉がたくさんあると感じます。文豪作品からの引用もあると思いますが、それ以外の言葉も心に残るものが多いですね。
 『新章 神様のカルテ』では、最初の「子供はただ無事に生まれてくれればいいって最初はそれだけ思っていたのに、生まれたとたん健康でいてほしいと思い、健康であれば賢くあってほしいと思い、どんどん求めるものが増えていきます」というセリフが印象的で、本当にその通りだなと思いました。夏川さんは心に残る言葉をたくさん紡いでいらっしゃいますが、それらはどのように生み出されているのでしょうか。

夏川
 その辺は率直に自分の感覚ですね。「神様のカルテ」シリーズは自分が知っていることをしっかり書くというスタイルなので、実感から生まれる言葉なのだと思います。

田中
 登場人物にモデルはいますか。

夏川
 私は人に恵まれている部分があって、その人達からもらったものを描きたいと思っているので、ある程度登場人物に反映されていたりします。また何人かは「もうひとりの自分」がいますね。頭の中のもうひとりの自分が、小説の中に別の人物として出てくるような感じです。ただ、それは書き終えたときに気づくことですね。
 私は「人」を書こうというより、「人と人が支えあっている景色」を書きたいと思っています。だから自分を支えてくれた人が、そこに出てくるのかもしれません。

田中
 ちなみにハルは夏川さんの奥様がモデルですか。

夏川
 基本的にはそうだと思います。色々なところで支えられています。常勤で患者を診ている医者の生活はめちゃくちゃなんですよ。明確な休日は、年に5日くらいしかありません。休みの日や夜中に電話がくることもありますし、当直があれば寝ずに働くこともあります。そういう生活を文句も言わずにずっと支えてくれている妻の姿は、すごく小説にも反映されている部分だと思います。ハルみたいに、あんなにいつもにこにこは笑ってくれませんが(笑)。

田中
 前回のインタビューで、「神様のカルテ」シリーズに登山の描写が出てくるのは奥様の影響だとおっしゃっていました。『新章 神様のカルテ』でも長野の自然の美しい風景や、山だけでなく花に関する描写も多かったと思うのですが、それも奥様の影響ですか。

夏川
 そうですね。妻が色々教えてくれるんです。春になると色々な花が咲いて、そのひとつひとつに名前があるのだということを知ると面白いですね。趣味を楽しむ時間がない不規則な生活の中でも、長野にいると山と花にはいつでも触れることができるので、楽しみのひとつです。

田中
 夏川さんにとって「家族」とはどのような存在ですか?

夏川
 生きていくというのはすごく大変です。歳をとったからといって楽になるわけでもありません。そういうときに、ひとりではやりきれない気持ちになります。孤独が最後の敵なんです。大病をしたときにも、寄り添ってくれる人がいると強いですね。寄り添ってくれる存在があると、大きな病気をしても豊かに生きられる人が多いです。
 家族は、人が生きてく上での最後の希望のようなものだと思います。世間では「結婚はしなくてもいい」「結婚は人生の墓場だ」みたいなことが言われてきていますが、それはちょっと違うと思います。ぶつかることはあっても、うまく会話を重ねて乗り越えて支えあっている家族は、自分の味方になります。最後の敵である孤独と向き合うときの、味方になってくれるんです。結婚して幸せな人は「結婚はいいよ」とは言わないので、上手くいかなかった人の声が大きく聞こえているのではないかと思います。
 家族が魅力的だということは、書きたいことのひとつかもしれませんね。言ってしまえば、若い人に結婚をすすめたいです(笑)。家族がいるのは楽しいものです。「結婚はいいよ!」なんて言うと頭が悪そうですが(笑)、家族に関しては、これからも人の生死とセットで書き続けると思います。
 人間にとって一番辛いのは孤独です。痛みや苦しみは薬でなんとかなりますが、孤独はどうにもなりません。手を取り合える人がいることは魅力的だと思います。いろんな家族を、これからもっと書いていきたいですね。

 

 


 
P r o f i l e

夏川 草介(なつかわ・そうすけ)
1978 年大阪府生まれ。信州大学医学部卒業。長野県にて地域医療に従事。2009 年『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書は 2010 年本屋大賞第2位となり、映画化された。他の著書に『神様のカルテ2』『神様のカルテ3』『神様のカルテ0』『本を守ろうとする猫の話』、そして最新刊『新章 神様のカルテ』(すべて、小学館)がある。
 

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