本作は、大学生である青山霜介という青年が主人公です。物語は、彼が水墨画の巨匠である篠田湖山という先生に出会い、自分の人生を恢復し、大きな成長を遂げていく過程を描くことで成り立っています。
僕自身も同じように大学時代に水墨画と出逢い、それまでまともに絵を描いたこともなかったくせに、突然、日本美術の世界に没頭していきました。ただなんとなく面白そうだという、それだけの理由で伝統文化の世界の中に飛び込み、以来、今日まで絵を描き続けています(なぜか、気が付くと小説も書いていましたが)。
あの時あの人に出会わなければ、あのたった一言があの瞬間になかったら、と思うことはたくさんあって、絵を描き始めて十数年の月日が流れた今も、懐かしさや感謝と共に、ふいにそれらの出会いや瞬間や言葉を思い出します。
それは他の誰かにはない自分だけの経験で、それらを思い浮かべ噛み締める時、その特別さは、他の出来事とは明確に区別された、しっかりとした温もりや実感を与えてくれます。そういうものを、僕は『宝物』のように温めて、何かを創り上げていくときの力に換えてきました。
すべての決定的な要素が、たった一度の筆致で描き込まれてしまう水墨画と、そういう感性はとても相性がいいようです。
そのことは、物語の中で青山君が命の儚さや自然や美を理解していくときの大きな手掛かりになりました。
青山君は水墨画を通し、閉ざされた世界から、思ってもみなかったほどのたくさんの『宝物』に出逢います。その『宝物』は、僕が水墨画を描き続けてきた長くもないけれど、そんなに短くもない年月の間に得てきた本物の拾得物です。
この本を手に取って下さった皆さんが、本作の中でその『宝物』に出逢い、そして自分自身の『宝物』探しのヒントにしていただけたなら著者として、本当に大きな喜びです。