西南学院大学續木先生インタビュー

プロジェクトが始動したきっかけと想い

清水:
なるほど。確かに、全てのスポーツを万遍なくできるという人は少ないように感じます。からだと心の関係性については、今まで考えたことがありませんでした。そういった研究をする中で、カンボジアで運動会を広める活動を始めるに至ったのですか?

續木先生:
そこは繋がっているようで繋がっていません。最初は、共同研究をしている(当時)山口大学の海野勇三先生から、カンボジアの現状を聴き、研究者とか教育者とか抜きにして自分に何か出来ないかと思ったところから始まりました。途上国と言われているカンボジアの現状を見た時にかなり衝撃を受けて、ではそこから僕のしていることとどのように繋げていくかということを次に考えました。

活動を通して感じたことは、カンボジアの子どもたちの方が、日本の子どもたちより賢いからだだということです。普段から自由にからだを使って生活しているので、からだの使い方はとっても上手で、何か新しいことをやるにしてもすぐに出来ちゃって。僕たちって何か新しい運動とか動きをしてって言われると、動くまでに頭を使いすぎてパっと出来なかったりするんだけども、カンボジアの子どもたちに運動会をする時にはこれやるよって言ったら本当にすぐに出来ちゃうんです。また、教育支援活動の目的で現地を訪問した際に稲刈り体験をさせてもらったことがあるのですが、その時の校長先生が「日本人の稲刈りをしている姿はおもしろい、まるでロボットが稲刈りをしているみたいだった」と言っていました。カンボジアの人の目には、日本の若者のからだと動きはかたく、どこかぎこちないというように映っていたんです。そんな現状と日本の現状を比較しながら、カンボジアの子どもたちの方がからだの面に関して言えば豊かかもしれないし、日本の子どもたちはむしろ育ちそびれていて、からだに関してはフィジカルリテラシーという力はない、能力が低いというふうに考えることも出来る。そういう意味では、カンボジアで必要な体育や運動会のあり方は、日本のそれとは違ってくるのかもしれないというようにも考えることが出来ると思います。

清水:
カンボジアで運動会を実施している一番の目的って、どういったところにありますか?

續木先生:
子どもたちが子ども期を子どもらしく過ごせるよう、教育環境を改善していく教育支援活動をしていくということになりました。我々の専門分野である体育科は、カンボジアでは2009年に体育がナショナルカリキュラムになり、体育は学校で必ずしましょうと決まりました。そこでカンボジアにある学習指導要領を見ると、日本とほとんど変わらない学習指導要領がそこにはありました。

それを見てみたら、日本とほとんど変わらない学習指導要領でした。例えば、球技を例にとると、バスケットボールではボールを持っていない時の動き方をどうするのかとか、そういうことが狙い。例えば水泳だったら、近代泳法は泳げるのかということが書いてある。しかし、カンボジアの現状を見ると、ボールやバスケットゴールはなく、もちろんグラウンドやプールも満足な環境は整っていない。そのような中で体育の授業をしましょうと、先生たちすら習っていないことをやらなければならなくなっていて。学習指導要領が出来上がっていて、指導書というものが作られて配られているんだけど、先生たちはどうやってすればいいのか分からない。もっと言うと学習指導書が、先生たちの手に渡りすらせずに校長室に山積みになっている。

こんな状況では、体育をしましょうと言われても、体育を出来る先生はいないし、そういう環境もないしできるはずがない。そこで、僕たちが現地に行って何が出来るかと考えた時に、まずは体育の楽しさを分かってもらおうと考えました。次にカンボジアの現状でも出来ることは何かなと考えました。多分、1週間のうちに2回体育の授業やりましょうというのは無理。だったら1年に1回イベント的に運動会をやるというところからスタートをしてもいいんじゃないかと。そこで「運動するの面白い!」と感じてもらえたなら、「運動会でやった種目を明日学校でもやってみのよう!」と思ってもらえますし、そういうところから少しずつ体育の面白さが分かっていくといいのかなあ、なんていうところからスタートをしました。

運動会をしようと行き着く過程では、何度も現地に足を運んで彼らの生活を見て、どんな体育が必要なのかということを考えました。学習指導要領を見ると、彼らの生活と現実がマッチしていない、需要と供給があっていない学習指導要領だと確信しました。このような現状に陥っているのにはカンボジアの歴史にも理由があって。ポル・ポト政権の時に学校教育を廃止し、共産主義の実現のためには知識人が邪魔になると虐殺が行われました。教員も知識人とみなされたので虐殺の対象になりました。また、焚書政策によってカンボジアの書物の大半が失われました。その後の内戦でも校舎が破壊され、教室数が不足しており、午前と午後で分けるなどしています。

このような中、現在カンボジアの都市部では教育熱が起きていて、一生懸命勉強して良い仕事に就こうとか偉くなろうとかお医者さんになりたいとか先生になりたいとか、夢を持ちながら都市部では教育がなされ、子どもたちも一生懸命勉強しています。しかし、片や農村部に足を運び入れてみると、支援が入っていないということもあるんですけども、学校が僕たちの知っている学校ではなくて。人が集まってきて先生が黒板に板書して子どもたちが書き写してはい、終わり。みたいな感じなんです。都市部では教育熱が起きているんだけど、農村部ではまったく教育が行われていないんです。

なぜそのように格差ができているのか、理由は色々考えられます。1つは支援が入っていないというのもあると思うんだけど、もう1つは先ほどの歴史的な背景が関係しているのではないかと思います。僕たちは、カンボジアの北部のタイとの国境付近のウドメンチェイ州のチョンカル村というところを拠点に活動しています。そこは、ポルポト政権が陥落した際に残党が逃げたところだと言われていて、もしかしたらまだ残党がいるのではないかと言われています。昔の人達は、勉強して読み書きが出来るようになれば、もしまた政権が変わったら殺されてしまうんじゃないかというように思っている人も中にはいるみたいです。なので家が隣だとしても、もしかしたら住人はポルポトの残党の子孫かもしれないと考え、本音で語り合うことが出来ていないんじゃないかというふうに考えることも出来ます。そういった地域のしこりみたいのもあって学校が地域の中の異物となっていて、ローカルセンターとしての役割を果たしていないように感じています。

運動会という柱を立てたのはそこにもう1つ狙いがあって、コミュニティウェブみたいなことを考えた時に、地域を作っていく中に学校がその拠点にならないかということも考えていて。例えば、テントの下に校長先生がいたり、来賓の方とか地域の村長さんとかに運動会を見てもらったりといったことを少し考えているんですけども、運動会という行事で学校に地域の人達が集まってくる、そこで子どもたちが笑顔で活動しているところを見る、子どもたちが笑顔で活動しているところを見ると、先生たちは自分たちが教えた子どもたちが喜んで輝いているところを地域の人達にも見てもらえ喜びに感じる。つまり、子どもたちは学校で学ぶ楽しさで笑顔になるんじゃないか、先生たちはそこで教えるやりがいを感じるんじゃないか、学校行事を通して学校が育っていくんじゃないか、そして地域が育っていくんじゃないか、とこの4つの視点を持って運動会をやっています。

清水:

先ほど、活動を始めたきっかけは研究からではなく、途上国の現状をどうにかしたいという想いから始まったとお話しいただきましたが、カンボジアが直面している課題を本気で解決しようとしている姿勢から、その想いが強いことがヒシヒシと伝わってきます。續木先生の活動の一環である運動会の実施というのは、毎回同じ学校でやられているんですか?

續木先生:
これもすごい、良い質問です。トップダウンで教育省からおろしていくと、この学校で1回この学校で1回とやっていくんだと思います。実際に、そのように活動している団体もあります。例えば、運動会に来てくれたら3ドル払うようにして子どもたちを集めます。そして運動会を1回して終わり、次の学校次の学校へとローラー作戦で運動会をします。でも、お金のために子どもたちは来るし、そこで運動会楽しいと思う子どもたちや先生たちが何人いるかというのは分かりません。僕たちは、ウドメンチェイ州のチョンカル村のチョンカル小学校で運動会を何度もしています。小学校の中に幼稚園も併設されているので、幼稚園の活動もして小学校で運動会を経験して、その子達が次に行くチョンカル中学校で運動会をして〜といったように学生生活を過ごし、そこで運動会をしてきた子たちの中から先生になりたくて教員養成学校に行き、その子たちが教育者として戻ってくる人もいるじゃないですか。このサイクルを通してきっと人が育っていってぶつかっていって地域が育っていくんだろうという想いで、まずは一点突破でずっと縦のサイクルで、そこから横に少しずつ学校を増やしていって広げて行く。地域を1つの中学校から広げて行く。もちろん、かなり長期的なプランにはなります。サイクルが一度回るには小学校1年生から活動をして12年間、そこから教員養成学校に2年間行くと、14年かかることになります。今後彼らが帰ってきた時にどう変わっていくのか楽しみです。