たかまつななさんインタビュー

大学生が社会に目を向ける、政治に関心を持つためには

たかまつななさん
たかまつななさん

たかまつなな氏の活動の原点

宮永:
小学生の時に、こども記者として多くの記事を執筆されていたそうですが、政治に関心を持つようになったきっかけは何でしょうか?若者と政治をつなげるために様々な活動に取り組まれておられますが、そういった活動を始めることになった原点をお聞きしたいです。

たかまつなな氏:
もともと勉強嫌いだったので、そういうものには興味はありませんでした。小学校4年生の時、アルピニストの野口健さんの富士山の環境学校に参加させていただいて、その時に富士山で色々な体験しようという1週間くらいの合宿があったんですね。健さんが1日目に富士山に登りに行こうって言ったのでみんなで登りました。そこですごく感動しました。苔とかが生い茂っている様子を見て、富士山ってこんなに綺麗なんだって感動したんです。次の日、健さんがゴミ拾いに行こうって言い出して、「こんなに綺麗な山なのに、この人は一体何を言っているんだろう?」と思いました。青木ヶ原樹海という富士山の麓の樹海に行きました。班ごとにゴミ拾いをしたんですけれども、なんと私がバスを見つけたんです。ちょっと古くて、ナバープレートが外されていました。今思うと、業者が不法投棄して、ゴミの処理代金を浮かせるためにやっていたんですね。それを見て子供ながらにびっくりして、隣の班の子にバスを見つけたよって嬉しそうに言ったら、隣の班の子が「俺トラック見つけたよ」って言うんです。今は改善されているんですけど、当時は他にも注射器や医療器具がばーっと捨てられていて、それを見てすごく悲しくなりました。こんなに綺麗な富士山を人が汚しているなんて。健さんがその時に、大人はこういうことを見て見ぬフリをする。君たち子供が、純粋な気持ちで発信してほしいって言ってくださって。その後、学校の先生と話して、夏休み明けの始業式の時に発表させてもらいました。当時めちゃくちゃ人見知りで、喋れなくて、マイクに声が届かなくて、ボソボソボソってなってしまったんです。みんなもざわざわってなってて、それでもうまく喋れなくて。そこから私は喋るんじゃなくて、書いて発信することにしました。模造紙に壁新聞を書いて、掲示板に貼りました。でも、「大人は見て見ぬ振りをするから、君たち子供が伝えてほしい」って言われて活動したけど、見る人が少なくて社会が変わらなかったら全然意味ないなって思いました。もっと多くの人に届けるにはどうすればいいかと考えていた時に、読売新聞がこども記者というのを募集していて、これだったらもっと多くの人に伝わるんじゃないかと思って、それでこども記者になりました。これがもともと、社会問題とか政治とかに興味を持ったきっかけです。

宮永:
その後富士山には登りましたか?

たかまつなな氏:
そうですね。富士山にも登りましたし、最近は行けていないんですけど、2年に1度くらいは行っています。皆さんが登っているのは5合目あたりからだと思うんですけど、今でも麓の方は結構汚いですよ。わざわざ5合目まで行ってゴミ捨てる業者もいないので。

宮永:
最初に作った壁新聞の反響はどうだったんですか?

たかまつなな氏:
模造紙に書いた新聞なんて、たかが知れているじゃないですか。そもそも学校の全校生徒が見たところで、だいたい300くらい。最大視聴者数が300しかないってことになるとどうしても…。読売新聞は何百万部ですので。

宮永:
野口健さんやこども記者など、色々な良い出会いがあったのですね。

たかまつなな氏:
やっぱり健さんの活動が大きいですね。読売新聞に入ったことは勉強にもなったのですが、そこでも壁を感じました。今は都知事の小池さんが、当時環境大臣になった時に、はじめて環境大臣が富士山にゴミ拾いに行くことになり、当時は環境⼤⾂が現場に行くことは斬新だと騒がれました。その時に私の記事の企画書が通り、個人のコラムが取れて、一緒にゴミ拾いに行くということになり、全国の記事にたかまつなな記者って載ったんです。反響があることをめちゃくちゃ楽しみにしていた。いざ記事が出て、反響があったのは、友達のお父さんお母さんばっかり。私は興味のない⼈や若い⼈に伝えたいと思ったのに全然同級生には伝わってなくて、興味のない人はこのままでは変わらないと思った。興味のない人に伝える方法は何がいいかなって考えた時に、お笑いってものがいいんじゃないかって思って、お笑いを始めました。