たかまつななさんインタビュー

若者が政治に関心を持つ大切さ

宮永:
若者が政治に関心を持つ大切さはどこでしょうか?また、若者が政治に関心を持つためにはどういったことが必要だと思いますか?

たかまつなな氏:
文化人の人には、私の活動は社会的に必要と応援してもらえている。しかし一方で、投票の質が大切と言う人もいる。あまり考えていない人が投票に行っても、むしろ社会の方向性を歪めるという考え方を持っている人もいる。でも、私はそうじゃないと思っているんです。若い人がどれだけ選挙に行ったか、それが白票でも棄権票だとしても、これだけの若者が投票に来ているのだから、若者を無視できないと政治家に認識される。もし、お年寄りが全然投票に行かないと、極端な話老人向けの政策はもっと減っていると思う。民主主義なので当然だと思うが、政治家はなんだかんだ言って票で動いている。私は学校などでよく言うのは、お笑い芸人はお客さんによってネタを変えているってことです。例えば、浅草の寄席に出る時。寄席では落語家の方が出て、その間にネタをやったりするのですが、お客さんは年配の方が多く、年配の方は歴史が好きなので歴史のネタをやっていた。しかし、学園祭に呼んでいただいた時には絶対歴史のネタはやらない。学園祭ではお嬢様言葉やテレビ番組でやるようなネタ、お嬢様あるある、またお客さんは学生なので学校のことでネタを作ったりしている。

芸人はやっぱりウケたいので、このお客さんならどんなネタが受けるのかということを相当考えている。そしてそれは政治家にも同じことが言える。自分が当選するために、投票に来る人はどんな人なのだろうかということを考え、ネタを探している。そうじゃない人もいるだろうが、そういう人のほうが多い。やっぱり、若い人がどれだけ政治に関心を持っているかということをアピールする、社会を変えることができる平等の権利って投票って言うのが一番大きい。そこが若者が政治に関心をもつ大切さだと思います。

今、北朝鮮の情勢が揺れています。専門家の方によると、北朝鮮からのミサイルを撃ち落とせる確率は95%くらいらしくて。それだけ聞くと大丈夫と思う人もいるかもしれないですけど、同時にたくさん打ってきた場合は撃ち落とせないのが実情であるらしくて。政府関係者の人はそれが何発かとは言っていなかったが、おそらく今の日本の設備では足りないというのが通説。それならばTHAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル)を導入したほうがいいんじゃないかということになる。しかし、THAADミサイルは一台で数千億円かかり、日本全国を守る為に数ヶ所の配置が必要で、1兆円くらいかかってしまう。

それでも今すぐ導入したほうがいいのではないか?とずっと言っているんですけど、国民の理解が得られていない。そのことを分かっている人たちはその情報をずっと発信しているが、国民がその理解をしていない。もちろん発信の仕方が悪いというのもありますけど、それでも国民はもっと政治に関心を持つべきだと思います。

例えば、防衛費ばかり上がっていって、日本は戦争をするのかというようなことを主張するような人もいると思う。でも、それって守るために戦争をしないために使っているお金じゃないかという考え方にできたりとか、今まで何も関心を持っていなかった人も「じゃあどうすればいいのか?」憲法を変えて自衛隊に全く違う能力を持たせたほうがいいのか、などというように議論がどんどん深まっていく。現状では、それ何?って言っている人と、極端な考えを持っている人と、一部のすごく知識がある人が混在している。何事においても、何か事が起こってから動き出すようになっている。そうではなく、問題が起こる前に動かないと。政治家の人の質が悪いとかマスコミが悪いと批判しやすい。自分のことを棚に上げて、あの政治家はなんでこの番組はこんな報道をしているのか…と、鶏と卵の議論の形みたいに、政治家は国民のレベルを反映していると言われている。

テレビの人からすると、国民は分からないからこれだけ噛み砕いて話しているというスタンスなんです。国民がもっと賢いとなれば番組はもっと良くなるし、政治家だってこのままじゃマズイと勉強するし…。どっちが先かと言うとそれは難しい話になると思うんですけど、その人たちを批判する前に自分たちも勉強するということが社会にとっては大事なことだと思う。

私がそこでできることというのは、両者の架け橋になること。その活動ではどの立場の人が言っているかということで、許されることと許されないことがあると思う。私は文化人になったほうがいいと他の芸人から言われることがある。しかし、私は芸人でいたいと思っている。それは、お笑い芸人だからこそ許される発言はかなり多いと思っている。例えば安保関連法案の時に、安倍首相が火事に例えて「戦争を火事に例えるなんて」と問題になったが、それは首相という立場だからこそ問題になったのだと思う。お笑い芸人がその例えを使って怒る人はいないと思う。だから、私は芸人としてこの活動を続けていきたい。ドラえもんに例えて安保関連法案を説明していたのだが、そのように分かりやすく楽しく政治のことを伝えていきたい。

若者に関心を持ってもらうためには、やっぱり楽しみながら学んでもらうことだと思います。私は勉強がすごい苦手だったこともあるので、そんな状況で勉強しても何も伸びないし、楽しくしたい。勉強ができないって学生時代においてヒエラルキーだと思うんです。それができないことによって、学校もつまんないし、極端な話生きる意味も見出せない。進学校を見てもそう。私はフェリス女学院に行って、「そんな進学校行ってたんだから。」と言われる。フェリスだとしてもそこでビリだと辛いし、逆にすごい優秀な子でも親から東大に行けっていうプレッシャーあって、自殺未遂してしまうってこともある。そのように本人や親が縛っていることもある。私は楽しく勉強するってことがすごい大事だと思っていて、政治とか社会問題とかも楽しくしたい。

例えば政治について扱うって時も、本質をついてないことって結構多いなって思って、なんとなく政治を題材にすればいいみたいな。テレビもそう。学習的要素と面白さのバランスが難しいと思う。ニュース番組などは学習効果ってとこを考えて、番組作りをしていると思うんですけど、バラエティの番組を作る時って、面白くなるため、数字を取る、笑いを取るって⽅が、必死で、ネタの一部として扱っているので。その間の部分って以外とないなって思うんですよ。伝える中身にこだわりすぎてあんまり楽しくなかったりとか、なんとなく題材にしているけどそれってうわべだけだったりとか。間を作れる人って両方をしっかりしていないと無理だと思う。だから私はお笑いと教育をしっかりと両方やろうという気持ちを持って、両方手を抜かずにやっているつもりです。人よりも何倍も努力しなきゃいけないって先輩にはすごく言われているんですけども、それは大事だなって。だから大学院に行って専修免許を取るのも、教育界の人と話せるようになりたいというのはあります。