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4. キャラクターが動き出す瞬間
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古本
「甲斐監督が出世のために監督業を利用しているらしい」と大学で噂されるシーンは、同じ大学生として、「そういう穿った見方をするな」と共感してしまいました。池井戸さんが以前お話しされていた記事を読んで、「ただキャラクターを置くだけじゃなくてそのキャラクター自身に動いてもらう書き方に転向した」ということを知ったのですが、今回も物語を書いていく中で「この人は意外な動きをするな」みたいなキャラクターはいましたか。
池井戸
どの登場人物にも多かれ少なかれそういうところはあると思います。キャラクターが動き始める瞬間というのは、名前や外見の描写ではなく、セリフや動作がきっかけだと思うんですよね。僕の場合、言わせたいセリフをあらかじめ用意しておくことはしません。セリフは全部アドリブで書いています。
プロットも作ることもほとんどありません。今回のような長編の場合は特に、緻密なプロットを用意したとしても、その通りに話が進むことはまずない。書いているうちにどんどん話が変わっていくんです。
最初はぼんやりいていたその人物の造形がセリフを書いているうちに、「あ、そんなことを考えていたんだ」「こいつ、意外にいいやつだな」という風に固まっていく。常に発見があり、思ってもみない展開が起きることはよくあります。
古本
北野コーチの話も、最初は「この人は悪い奴だな」と思いながら読んでいって、でもラストのほうで奥深さが出てきて魅力的なキャラクターでした。
池井戸
「週刊文春」で連載していたとき、実を言うと、レースが始まる前のシーンで終わろうと考えていたんですよ。
古本
箱根路を走らないで、終わろうとしていたのですか。
池井戸
そう。チームが結成されて、「箱根駅伝頑張ろう」というところで終わろうと。でも、編集者たちは当然連載が続くと思っているし、SNSを見ても、レースを楽しみにしている読者が多かったので、「やっぱり走らなきゃだめか」ということになり……(笑)。
でも、ここからが大変でした。10人の選手がひたすら走っている話なので、それぞれの区でどんなアクシデントが起こるのかを新たに考えなくてはならない。箱根駅伝はとりわけファンが多く、うかつなことは書けないので、真夏に仕事場で本選の録画をひたすらチェックしながら執筆を続けました。
手賀
本選でひとりひとり走っているシーンがあったからこそ、キャラクターの個性とレースそれぞれに特徴があって、箱根路の自然の中を選手が走っている姿がすごく印象に残りました。
池井戸
そう思ってもらえるのであれば、書いてよかったです(笑)。
箱根駅伝は、それ自体が大変優れたコンテンツです。坂田さんがプロデューサー人生を賭けて企画を通したかったわけです。例えば、今年の第100回大会では、青山学院大学がぶっちぎりの一位でしたが、最後の最後までデッドヒートが続く年もありますよね。優勝争いはもちろん最大の関心事だけれど、それだけではなくて、「シード権争い」というものもある。本選の総合成績が10位以内なら翌年出場する権利をもらえるのがシード権だけど、予選会を突破するのは至難の業なので、シード権があるとないとでは雲泥の差がある。10位までにどの大学が入るのかゴール直前までわからないから、大変な緊迫感がある。
それからもう一つ、
襷が次の選手に無事つながるのかという点も見逃せません。駅伝には、先頭チームから一定以上の差をつけられた場合、「繰り上げスタート」といって、前の走者が中継所に到着しなくても次の走者は出発しなくてはならないというルールがあります。公道を走っているため仕方がないルールなんですが、襷を握りしめながら必死の形相で走って来た選手が、中継所に誰も待っていないのを見て涙を見せるのを見ると、胸がしめつけられますよね。
順位やタイムだけではわからない感動があらゆるところにあるのが箱根駅伝なんです。
5. 箱根駅伝は全国区

池井戸
箱根駅伝に出場できるのは関東学連(関東学生陸上競技連合)に加盟している関東の大学だけですが、今年は記念すべき第100回大会だったため、昨秋行われた予選会は全国の大学へ門戸を広げました。
でも、そもそも箱根駅伝は、すでに全国区になっていると思うんですよ。北は北海道から南は沖縄まで、選手の出身地は全国に散らばっている。中継では、選手の名前と大学名だけではなく、「富山・〇〇高」という風に、出身高校名まで紹介していますよね。箱根駅伝は、実は全国区のものなのだとそれでわかると思います。
古本
今回の作品も、選手は全国から集まっていますよね。ある選手の出身地は青森県
浅虫でしたが、僕は浅虫の近くに生まれたので、彼の登場で、より親近感が生まれました。
池井戸
そうでしたか。実は、浅虫温泉のある旅館にお世話になったことがあったので、選手の一人をそこの出身にしたんです。とてもいいところですよね。
別の選手は富山出身にしましたが、富山弁は書くのが難しいので、担当編集者に富山出身の人を探してもらったところ、運よく「週刊文春」編集部内で見つかったので、セリフを翻訳してもらいました(笑)。なぜそこまでこだわったかというと、初代プロデューサーの坂田さんが富山出身だったから。「これは違う」と言われないよう、完璧なものにしたかったんです。
この作品の絶対的な読者は坂田さんと初代ディレクター田中晃さんのお二人なんですが、田中さんと同じ長野出身の選手も出てきます。
お二人とも本の刊行を喜んでくださったので、ホッとしました。
古本
この作品を読んで、池井戸さんの作品にはいい意味で余白が多いなと思いました。個人的には、例えばいままでのチームと諸矢監督が話し合ってうまく仲直りするという場面があると良かったなと思うんですけど、最後のほうはそこを読者の想像に委ねているなと感じました。そういう余白で読者を楽しませるということは普段から考えられているのでしょうか。
池井戸
取捨選択をどうするかの判断基準は、作家によって異なると思います。起承転結をしっかり設定して、伏線をきちんと回収していく人もいれば、ラストに余韻を持たせ、あとは読者の想像に任せたいという人もいる。
昔の短編はそういう作品が多かったけれど、今の読者が読むと、最後まで書いてない、尻切れトンボだと感じてしまうかもしれません。僕も、以前よりは結末をしっかり書くようになったと思います。
手賀
甲斐監督の商社時代はどうだったのだろうとか、自分の中で想像をふくらませたりして読めるので、私は余白にはそういう楽しみ方もあるなと思いました。
6. 自分のオリジナリティを探す

手賀
甲斐監督が商社勤務の経験から学生に言葉を投げかけるという場面もありましたが、社会に出る前の学生でいられる期間は、池井戸さんはどのような時間だと考えますか。
池井戸
学生時代は、無駄な時間がたくさん取れるいい期間だと思います。社会人になると、学生の頃みたいにダラダラできる時間はなかなか取れなくなる。無駄というよりは、贅沢な時間と呼んでいいかもしれない。
しかし、箱根駅伝に出場する選手のような充実した青春を経験できる学生はほとんどいないんじゃないかな。箱根を最後に、競技生活を引退するランナーが多いと思うけど、青春のラストランというか、あれほどの花道を用意されている学生はまずいない。自分にももちろんなかったし、あれを経験できた選手は本当に幸せでしょうね。
手賀
作品の中のテレビ局で働く人たちも徐々に感情移入して箱根駅伝に夢中になっていきますが、このタイトルの『俺たちの箱根駅伝』は大人もみんなその青春に引き込まれている感じが表現されていると感じました。
池井戸
連載を始める前、なかなかタイトルが決まらなかったんです。編集者と無駄な会食を何回も重ねたりして(笑)、やっと決まりました。初めてタイトルをほめられました。良かったです(笑)。
手賀
ご自身は大学時代はどのように過ごされていましたか。とても気になります。
池井戸
ダラダラと(笑)。
手賀
当時も小説を書いていたのですか。
池井戸
ミステリー小説をひそかに。推理小説同好会に入っていたので、いろんな小説を濫読していました。世の中的にはそう思われていないかもしれないけど、実は僕は、江戸川乱歩賞でデビューしたミステリー作家なんですよ(江戸川乱歩賞は推理作家の登竜門)。いわゆる本格ミステリは書いてないけれど。
古本
それはどうしてでしょうか。
池井戸
すでに誰かが活躍しているジャンルで戦おうとしても、なかなかうまくいかないと思うんです。これは作家を志望している人全員に言えることだと思うけど。
作家になるとはどういうことか。例えば作家の世界が白地図だとしたら、恋愛小説のジャンルは小国がひしめくヨーロッパという感じかな。警察小説、時代小説、SF小説と、それぞれ作風に特徴を持つ作家が、「この人はこういうものを書いている」という色を出版社や読者から付けられ、自分の領土をもらって作家になる。ミステリー小説は
先達がたくさんいて、そこで自分の領土を獲得していくのはとても難しい。今までにないオリジナリティがあるものを書かないと、注文も来ないし、食べていけないんです。
作家になりたいなら、まずすべきことは「自分のオリジナリティはどこにあるのか」を探すことだと思います。僕の場合、銀行で働いた経験があったので、銀行や工場を舞台にすればオリジナリティが出せると気が付いた。そういった企業を舞台にしたミステリーやサスペンス小説を書く人はほとんどいない上に、社会人の多くは会社勤めをしているわけだから、読み手はたくさんいる。世界地図で言えば、アフリカ大陸くらいの広大な領土をもらったようなものです。
今は、今回のように大学やテレビ局を舞台にするなど、新たなエンターテインメント小説に挑戦しています。
古本
それでは最後に大学生に向けて、一言メッセージをいただけますか。
池井戸
無駄な時間を過ごしつつも、それを無駄なままに終わらせてほしくないかな。僕自身、学生時代ダラダラ過ごしたことが後でプラスになったことが結構あるんです。たとえば当時、手当たり次第本を読んでいたけれど、その蓄積が作家になってから生きている。ですから皆さんも、生きていく上で基準になるもの、社会人になってから役に立つものを、何でもいいから学生のうちに掴めるといいですね。マニュアルがあるわけではないし、得手不得手もあるでしょう。でも何か、自分の好きな分野でそういったものを見つけられるといいと思います。
古本・手賀
貴重な時間をいただき、今日はありがとうございました。
(収録日:2024年3月14日)
サイン本プレゼント!
文藝春秋/定価(各)1,980円(税込)
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応募締め切りは
2024年8月2日まで。
当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。
プレゼント応募はこちら
対談を終えて
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手賀梨々子
この度は貴重な機会をいただき、ありがとうございました。書き進める中で登場人物たちの個性を発見したり新たな展開が浮かんだりと、作品ができあがるまでの経緯についても教えてくださり、とても興味深かったです。また学生生活について、たとえ時間がかかっても人生の基準を見出してほしいというメッセージを池井戸さんからいただけて嬉しかったです。手元にずっと置いておきたくなる本を生み出し続けてくださり、ありがとうございます。

古本拓輝
中学生の頃から池井戸さんの本に勇気をもらってきて、この度は直接お会いすることができました。『俺たちの箱根駅伝』は駅伝にかかわる大人たちの熱い戦いが多視点で描かれており、夢中でページを捲りました。取材では本作にかける先生の思いや、作品成立の過程を先生から直接うかがうことができ、非常に有意義な時間でした。ありがとうございました。
P r o f i l e

池井戸 潤(いけいど・じゅん)
1963年、岐阜県生まれ。作家。
慶應義塾大学卒業。
98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で第31回吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で第145回直木賞、20年第2回野間出版文化賞、23年『ハヤブサ消防団』で第36回柴田錬三郎賞を受賞。
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■著書に「半沢直樹」シリーズ(『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』『ロスジェネの逆襲』『銀翼のイカロス』『アルルカンと道化師』)、「下町ロケット」シリーズ(『下町ロケット』『ガウディ計画』『ゴースト』『ヤタガラス』)、『シャイロックの子供たち』『空飛ぶタイヤ』『BT’63』『不祥事』『花咲舞が黙ってない』『銀行総務特命』『株価暴落』『ようこそ、わが家へ』『架空通貨』『銀行狐』『金融探偵』『仇敵』『最終退行』『民王』『民王 シベリアの陰謀』『かばん屋の相続』『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』『陸王』『アキラとあきら』『ノーサイド・ゲーム』などがある。最新刊は『俺たちの箱根駅伝』。
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