一穂ミチ
『恋とか愛とか
やさしさなら』
小学館/定価1,760円(税込) 購入はこちら >
山原
新刊の『恋とか愛とかやさしさなら』(小学館)を読ませていただきました。主人公 新夏の婚約者 啓久が犯した盗撮について、真帆子の「絶対許せない」という気持ちと、友人 葵の「いや、もうそれは割り切るべきだ」という気持ち、どちらにも納得してしまいました。「自分だったらどう判断するだろうか」と考えてみたのですが、結局わからなくて。自分の中で「これはどうしたら良いのだろう」みたいな感情を突きつけられたような気持ちになったのですが、今回一穂さんはどうしてこのような小説を書こうと思われたのでしょうか。
一穂
最初は小説誌の短編執筆という形でご依頼いただきまして、そのテーマが恋愛小説だったんですね。恋愛小説といってもかなり幅広いので、どういったものを書こうかなと考えているときに、辻村深月さんの『嘘つきジェンガ』(文藝春秋)という短編集を読んだんです。その中に中学受験をめぐる詐欺を描いた一編があって、そこには息子のために裏口入学に手を染めてしまった母親の苦悩が描かれていました。それを読んだときに、「信じる」というのは真っ白でないと許されないなということをすごく感じたんです。そして、私なりにそういうことを書いてみたいなと考えたのが執筆のきっかけですね。
山原
やはり、「信じる」というのは難しいことだなと思ったのですが、そのあたりを一穂さんはどのように考えていらっしゃいますか。
一穂
やっぱり恋愛って、きれいなことばかりじゃないですよね。でも、「信じる」って、気軽に使いがちな言葉ですが本当はすごく難しいことじゃないかと。「半信半疑」という言葉は信じているときには使わない。「半信半疑」と言うときってフィフティ・フィフティに見えて、大体相手のことを疑っていますよね。
山原
確かに自分の中で完璧に信じきっている人がいるかと聞かれたら、「いる」と断言するのも難しいですね。それこそ家族だったらまだ信じられるというところがあると思いますが、新夏のように「プロポーズされたばかりの婚約者」という微妙な立ち位置だと、これから信頼関係を構築していく段階ですもんね。そこで一旦「シロ」じゃないものが混じってしまうと苦しいんだなと思いました。

一穂
信じるって、結果論になりがちですし。例えば山原さんが大学に合格したときに「信じていたよ」と言うことは、簡単なんです。
山原
その感じ、すごくわかります。結果が出た後なら、なんとなく自分が信じていたという気持ちになってくるのですが、過去をさかのぼって同じことを言えるかというと、やっぱり難しいですよね。
一穂
私は、オリンピックとかを観ていても、一途に応援できないんです。あまり入れ込みすぎると、ダメだったときに自分もがっかりしてしまうので。
山原
信じていると祈りながらも、ダメだったときの心の準備をしてしまっているんですよね。
一穂
「いけるいける!」と、思い切り応援することができないタイプだったりします。
山原
なるほど。
一穂
そういう意味で、人間って「信じる」ということには非常に臆病になってしまうものだなと思いますね。
山原
『恋とか愛とかやさしさなら』はその辺りがすごく反映されていた小説だったということが、今のお話を伺ってすごく納得できました。
2.印象的なタイトルと装丁
山原
この『恋とか愛とかやさしさなら』や『光のとこにいてね』(文藝春秋)など、タイトルが作中ですごく印象的に使われていると思います。作品を書くときって、タイトルが先に決まるのでしょうか、それとも書いているうちに決まっていくのでしょうか。
一穂
まちまちですね。タイトルは、なかなか決まらないときは決まらなくて、そういうときは結構苦しいです。
『光のとこにいてね』は、タイトルが先に浮かんで「このタイトルにぴったり来るような小説を書こう」と思いました。『恋とか愛とかやさしさなら』は最初雑誌に載ったときは違うタイトルだったんです。初出として載せているのですが、「Put your camera down」という「カメラを下げて」という意味の英語のタイトルでした。ですが本にするときには、この横文字はちょっと入ってこないなというのが私と編集者の共通認識で、それよりも作中に出てきた言葉の方がしっくりくるなと思ったので、『恋とか愛とかやさしさなら』になりました。こちらは後からタイトルが降りて来た感じですね。
山原
そうなんですね。
一穂
タイトルが決まらないとなんだか収まりが悪いんです。まだ名前をつけてあげられていないと、そわそわしちゃいますね。『ツミデミック』(光文社)も最初は別のタイトルを考えていました。これは昨年の11月に出た作品ですが、春ごろに編集者と色々リモートで打ち合わせをしていたときは仮タイトルで進めていただいてたんです。デザイナーにも、タイトルをお伝えして、イメージを膨らませていただいていた最中だったんですが、自分の中でしっくりこなくて。そのあとに“ツミデミック”というタイトルを思いついたんです。『スモールワールズ』(講談社)は、10個くらいタイトル案を出して、最終的には編集部に委ねました。

山原
タイトルって、読む手がかりというか、内容などに触れる前に最初に入ってくる情報ですよね。タイトルの印象で読み始めるので、『恋とか愛とかやさしさなら』も、そのワードが途中に出てきたときに、タイトルがふっと自分の中に腑に落ちるような感じがして、すごく素敵だと思いました。
一穂
ありがとうございます。
山原
一穂さんの本は装丁も美しいですよね。
一穂
装丁に関しては、結構編集者にお任せしています。『光のとこにいてね』は、文藝春秋にいらっしゃる大久保明子さんというデザイナーの方が色々考えてくださったんです。そしてこの表紙にある天使の像を見つけてこられて、これを活かして写真を撮ろうということになりました。そしてカメラマンの方が葉っぱを花屋さんで買ってきて、うまく木漏れ日になるようにスタジオで撮影してくださったんです。
山原
「光」というキーワードが、しっかり表現されていますよね。
一穂
『ツミデミック』を出すときは、それまでやさしい印象の表紙が続いたので、ちょっとインパクトのあるものにしたいという希望をお伝えしたところ、デザイナーが目黒礼子さんという画家の方の絵を見つけてくださいました。単行本って値段が高くて、手に取っていただくハードルが高い分、「もの」として手元に置いていただけるようなものを作ろうと、どこの出版社も編集者も非常に力を入れておられるところだと思います。
山原
「単行本は高いから文庫が出るまで待とう」と思っても、やはり文庫と比べてみると単行本の方が美しくて、「家に置くならこちらのほうが良い!」となった経験があります。
3.関西人魂
山原
はじめて一穂さんの本を読んだときから「この人絶対関西人だ!」と思ったんです。私も奈良県に生まれてずっと住んでいるので、セリフの端々とか細かい表現から同じ匂いを感じていました。関西人魂みたいなのを、ご自身で感じたりしますか。
一穂
しますね。小説の中でも、誰かの言葉に突っ込んでみるとか、そういう息抜きのような部分を入れたくなるんですよね。どんなにシリアスな場面でも、そういう感情になることってあると思うんです。
山原
シリアスになりすぎると負けみたいな気持ちが、私の中にもちょっとあります。
一穂
関西人の良いところとして、深刻な感情を人に出さないというところがあると思います。笑い飛ばしてもらって、「元気出そう」みたいなところがあって。それっておふざけじゃなくて、関西人的な気遣いというか。重たい話を重たいまま人に投げかけても、相手もどうしていいかわからなくなりますからね。私は関西人ってシャイだなと思っています。笑いにするのは、ひとつの照れ隠しですよね。
山原
そう言われたら、思い当たる節がものすごくあります。『パラソルでパラシュート』(講談社)は、まさに「ザ・大阪」みたいな感じで、コントのシーンとか、細かい会話とか、すごくツボに入ってしまったんですけど。メインにあるテーマがそんなにカラッと明るいものではないのに、途中でそういうシーンが挟まるとふわっと浮くような感じがあって、とても良かったです。
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一穂 ミチ(いちほ・みち)
2007年『雪よ林檎の香のごとく』(新書館ディアプラス文庫)でデビュー。『イエスかノーか半分か』などの人気シリーズを手がける。『スモールワールズ』(講談社)で第165回直木賞候補となり、第43回吉川英治文学新人賞を受賞、2022年本屋大賞第3位となる。『光のとこにいてね』(文藝春秋)は第168回直木賞候補、2023年本屋大賞にノミネート。『ツミデミック』(光文社)で第171回直木賞を受賞。その他、『パラソルでパラシュート』『うたかたモザイク』(以上、講談社)、『砂嵐に星屑』(幻冬舎文庫)など著書多数。最新刊に『恋とか愛とかやさしさなら』。
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