座・対談
「見えない文脈にこそ、面白さがある」穂村 弘さん(歌人) P2


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4.短歌とは?

杉田
 穂村さんは「短歌」をどう説明しますか。私は「短歌とは何?」と質問されたとき「五七五七七で季語は要らないよ」で済ませてしまうのですが……。

穂村
 僕もそうだよ。短歌は五七五七七で、俳句は五七五。季語が要るのが俳句で、季語が要らないのが短歌。それが第一ステップ。その先は二つの特徴があって、一つは定型詩だということ、もう一つは歴史があるということ。それくらいでしょうか。でも相手によっては好きな歌を暗唱することもあります。逆効果になることもありますが(笑)。

杉田
 逆効果というのは、わかってもらえなかったり?

穂村
 以前中学校で講演をしたときに「一番好きな短歌は何ですか?」と質問されて、そのとき「相手は中学生だから中学生向けの答えをした方が良いのかな」と思ったんだけど、「試しに本当のことを答えてみたらどうだろうか」と考えたんですね。それで中学生相手に、いくつかの候補のなかからその日の気分で山中智恵子の「さくらばな陽に泡立つを見守りゐるこの冥き遊星に人と生れて」を紹介したら、全く通じませんでした(笑)。僕は長年短歌に関わってきて絶望慣れしてきたので、一発で扉を開くのは無理だと思っているんです。でも短歌は全体としては盛り上がってきているし、短歌がおもしろいと感じる人は増えていると思います。それで良いんじゃないかな。すべての短歌をアピールしたいわけでもないので。自分が好きなものをアピールしたい、短歌じゃなくてもいい。最近の「推し」という観念は僕もすごくわかります。推しを大事にすることが大事、「好きなものが好きだ」というアピールは重要ですよね。

杉田
 短歌は練習したり学んだりして上達するものなのでしょうか。

穂村
 口語になってからその領域は減りましたね。文語は最初からは書きこなせないから文法や時制を学ぶ必要があって、それで上達するということはあるけど、日常語はそういうゾーンが少ないですよね。だから若いうちから、一刻もはやく、出来にかかわらず大量に書いておくのが良いと思います。僕くらいの中年の男性が一番書けないですね。中年男性というのは、マイノリティ度が低いから。ざっくり言うと、マイノリティであればあるほど書けるんです。つまり、文脈がマジョリティのものだから。社会の文脈はマジョリティのもので、マイノリティはそれ以外を求める。だから比較的マイノリティ要素があるほうが短歌は書けるんですよ。そういう意味では、僕は不利かもしれません。

杉田
 穂村さんがマイノリティ度が低いというのは、意外な感じがします。私は穂村さんの作品はエッセイから入りました。そこから短歌を知ったというか、学んでいったような気がします。

穂村
 短歌の読み方ってある意味で学習みたいなことだから、学習と意識させないくらい楽しいということが理想なんですよね。僕らは漫画の読み方を学習した自覚なんてまったくないけど漫画が読めるでしょう? それでも今まで見たことがない漫画を見たときにはハードルを感じるけど、「ここには多分すごく面白いものがあるのだろう」と感じるから、それを読む、みたいな。残念ながら韻文にはそこまでの魅力が今はありません(笑)。韻文に「何かがある」とは感じても、練習をしてまで読もうとはなかなか思ってくれませんよね。

杉田
 穂村さんが最初に短歌を意識されたのは塚本邦雄さんの作品だったと話されていましたが、その後「短歌研究」で林あまりさんの作品に出会ったとき、一番の違いは何だと感じましたか。

穂村
 口語だったということですね。短歌がいわゆる話し言葉になったことで、相当ハードルが下がりました。例えば塚本邦雄の「馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり」という歌は、文語がわからないと読めないから、相当ハードルが高くなりますよね。でも林あまりの「なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた」だと、意味はほぼわかる。あとは、それにどれくらい魅力を感じるかということになるかな。

杉田
 穂村さんが林あまりさんの短歌に出会った後は、「短歌研究」を読んでいったのですか。

穂村
 『現代短歌大系』(三一書房)の新人賞作品と夭折歌人集の巻を読んでいたかな。収録歌人は村木道彦とか福島泰樹とか平井弘とか。だから価値観としては中井英夫・塚本邦雄あたりに寄っているんですね。寺山修司とかも読みましたよ。僕は人には韻文受容体みたいなものがあると思っていて、韻文度数のレベルは、その人によって違います。これは学力ともまたちょっと違うみたいですが。

杉田
 確か、中学高校の教科書にも短歌が載っていたような気がします。

穂村
 そう、そのとき僕はそれも面白いと思った記憶がありますね。元々、韻文の受容体は割と強かったのだと思います。ちなみに文語体でもレベルがあって、塚本邦夫の「馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり」はわかりにくいけど、寺山修司の「無名にて死なば星らにまぎれんか輝く空の生贄として」や、栗木京子の「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」だと文語体だけど意味がわかりやすいですよね。

杉田
 高校生のとき、短歌を知らなくても栗木さんの歌はわかるという同級生がいました。今教科書に口語のものもかなり載るようになったことを思うと、その方が受容体が少ない人の間口にもなりうるように思います。

穂村
 そうですね。あとね、世の中に流通している文語度数は下がっていっていますね。僕の親世代だと文語で書かれた詩の一節を何となく知っていたりしますが、今はそういう人が減っているから、文語のハードルが相対的に上がってしまうんですね。

杉田
 エッセイを書かれるときに、短歌に興味をもつ人を広げていこうというような意識はありますか。

穂村
 短歌に、とまでは思わないけどね。目に見えている文脈ではない文脈にあこがれを持つような感受性に対して、その魅力をアピールしたいとは思います。

杉田
 歌人としての使命感というより、自分が良いと思ったものを紹介する感じですか。

穂村
 それに近いですね。友達と喋っていて「ここかっこいいよね」みたいな。説得まではいかないけど、親しい友達にはそれをわかってほしいような気持ちかな。


 

 

5.短歌の世界で食べていく


杉田
 穂村さんは短歌を作り始めて一年で賞をとられたんですよね。

穂村
 そう。でも短歌は小説とかと違って、賞をとってもその後商業的にはプロとして活動していくシステムがないんですよね。それこそ昔は結社に入って、そこでの長い歌人すごろくを進んでいくみたいな時代でした。先生が歳をとられると、次の世代に仕事が受け継がれていく、みたいな気の長い話。今はまた違うし、僕も先生はいませんが、だからといってルートが確立されているわけではないんです。僕は最初からプロを意識してはいたけど、概念としてなかったんですよね。短歌で食べるのはなかなか難しいから。結局は短歌で言う「プロ」というのは「レッスンプロ」のことで、ピアニストではなくピアノの先生みたいな感覚だったんですよね。新聞の短歌欄の選ぶ人になるということ。そうするとそれでご飯が食べられる。その種の仕事が他にも来るようになる。でも僕はそこまで参加したわけではないから、時代は変わったのかもしれませんね。

杉田
 短歌の世界は年齢層が高い印象があります。

穂村
 そうですね、40 代くらいは短歌では若手に入るかな。今は学生短歌会や文学フリマ、インターネットなどで活動する人も多いですよね。あとは出版社がある程度商業的な韻文活動をしているということがあるので、一般の読者でそれを面白いと思う層がどれくらい広がるのかというところです。

杉田
 レッスンプロという意味では、穂村さんは雑誌「ダ・ヴィンチ」(KADOKAWA)で「短歌ください」を連載されていますよね。直接的な添削ではなくても、そこが道場的なものになっているような感じがします。

穂村
 「短歌ください」は10 年以上やっています。短歌は毎月たくさん送られてきて、それこそ短歌が五七五七七なのもわかっていないような人からも送ってきたりする(笑)。それが10 年20 年経ってプロ化していく感じがあれば、またシーンが変わっていくのかなという感じはありますね。でも長くやっていても、生身の接触がなければ関係性は変わらないかな。結社は対面で活動するから、それが楽しいところでもあり、こじれると面倒なところでもありますね。

杉田
 最後に、短歌を読みなれていない人に、入り口としてどこから入ったら良いかアドバイスをいただけますか。

穂村
 『短歌ください』(角川文庫)を読めばいいんじゃないかな(笑)。

杉田
 『短歌ください』は穂村さんのコメントがあるので、どこが読みどころなのかわかりやすいです。

穂村
 コメントがなくても読める人もいるだろうし、コメントを読んでなるほどとなる人もいるかもしれませんよね。あとは、必要なら「こんな歌があるよ」って提示するのが良いのかな。杉田さんが好きな歌を並べれば良いと思います。また、好きな歌を引用してどこが好きなのかを書けば良いと思いますよ。

杉田
 今日はお会いできてうれしかったです。ありがとうございました。

 
(収録日:2018 年7月19日)
 

サイン本プレゼント!

穂村弘さんのお話はいかがでしたか?
穂村さんの著書『水中翼船炎上中』(講談社)サイン本を5名の方にプレゼントします。下記のアンケートフォームから感想と必要事項をご記入の上、ご応募ください。
プレゼントは2018年10月31日までに応募していただいた方が応募対象者となります。
当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。

 

対談を終えて

中学生の頃からずっとお会いしたくて、長い間「対談したいです!」と言い続けていた穂村さんにお会いすることができ、感無量でした。異化と文脈のお話が印象的で、穂村さんが言葉や短歌の何に惹かれ、価値を置いているのかあらためて理解できたように思います。短歌についての突っ込んだお話も聞かせていただきました。貴重な機会をくださった穂村さんと「読書のいずみ」に深く感謝します。ありがとうございました。

杉田 佳凜
 

P r o f i l e

穂村 弘(ほむら・ひろし)
1962年、北海道生まれ。歌人。
1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。その後、短歌のみならず、評論、エッセイ、絵本、翻訳など幅広い分野で活躍中。2008 年、短歌評論集『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作『楽しい一日』で第 44回短歌研究賞を受賞。2017年『鳥肌が』で第 33 回講談社エッセイ賞を受賞。
 
■主な著書
歌集に『ドライ ドライ アイス』(沖積舎)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館文庫)、『ラインマーカーズ』(小学館)。他に、『世界音痴』(小学館文庫)、『整形前夜』(講談社文庫)、『蚊がいる』『短歌ください』(以上、角川文庫)、『野良猫を尊敬した日』(講談社)など著書多数。最新の歌集として『水中翼船炎上中』(講談社)がある。

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コラム

言葉が消えていく?

杉田
 穂村さんが以前受けられたインタビューで、「小説は不向きだ」とおっしゃっていたのを読んだことがあります。『あかにんじゃ』(岩崎書店)では絵本を詩に近いものとして見ているのかなと思いましたが、絵本は社会的な文脈から離れたものなのでしょうか。

穂村
 絵本は伝統的に、社会的文脈から離れるのがセオリーみたいなところがあります。だから僕も物語的には書いていないんだけど、かといって詩に近く書いているかというとそうでもなくて。実際の絵本では絵が描いてあれば、言葉はいらなくなるんですよね。絵の力はすごく大きいから、言葉はどんどん消えていく。テキストの形での言葉が消えても、それは言葉が絵に吸収されたということなんだと思うんです。

杉田
 では、エッセンスの部分だけをテキストに残す、という感じなのでしょうか。

穂村
 そうですね。それで僕が絵本を書いていると、どんどん言葉が少なくなって、ゼロになりそうになるんですよ。いつも言葉がどんどん減っていっちゃうんです。『まばたき』(岩崎書店)も言葉をゼロにできちゃうけど、ゼロにするなと編集者に止められました(笑)。

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