座・対談
「大学生に贈る小説入門」久保寺 健彦さん(小説家) P2


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4.ドストエフスキーをじっくりと

母里
 『青少年のための小説入門』を読んで、久保寺さんはたくさん本を読まれているんだなと感じました。

久保寺
 本は好きですけど、「すごい読んでいる」という感じではないと思います。

母里
 海外小説をたくさん読まれている印象をもちました。

久保寺
 大学生以降は海外小説を多く読むようになったかもしれません。でも、できるだけ偏らないように、意識していろいろ読むようにはしていますね。

母里
 大学生になると「文豪と呼ばれる作家の小説を読もう」と大学の先生から言われたりするのですが、その中でも必ずと言っていいほど挙がるのがドストエフスキーです。ドストエフスキーは「挑んでみたけど駄目だった」とか「無理やり読んだ」という話を周囲でよく聞きます。ドストエフスキーの魅力を教えていただけますか。

久保寺
 ドストエフスキーの小説は、『ライ麦畑でつかまえて』と同じで、読むたびに印象が変わる作品だと思います。
 僕は10代のときに『罪と罰』を読んで以来、その後も何度も読んでいますが、未だに納得できないところがありますね。ドストエフスキーを初めて読むなら『悪霊』がとっつきやすいと思います。ドストエフスキーは何がすごいかというと、どの作品も「神はいるのか」がテーマなんです。日本人の感覚だと違う世界の話に思えるけど、神はいるのか否かというのは、つまり「この世界を肯定することができるのか」ということだと思うんですね。とても大きなテーマを扱っているのですが、同時に笑えるところも多いんですよ。ドストエフスキーの作品は「正座をして読む」イメージがありますが、そんなことはありません。『カラマーゾフの兄弟』は、まず章タイトルが面白くて、それだけで笑えるんですよ。「客間での病的な興奮」という章の次に「小屋での病的な興奮」という章があって、「また興奮するのか」と(笑)。あれは絶対に狙っていると思いますね。『悪霊』も、笑いの要素が多い小説です。
 それから小説の面白さの基準として「一気に最後まで読んだ」というのがありますが、それが全てではないと思うんです。美味しいお菓子をちょっとずつ食べるみたいに、一つの作品を、時間をかけて読むのも良い。読むのに時間がかかると「駄目なんだ」と止めてしまう人もいるけど、そういう楽しみ方もあって良いと思います。それこそドストエフスキーの作品は、これから先の人生で何度読み返しても飽きないと思います。もしも無人島に持って行くなら、僕はドストエフスキーの小説がいいですね。あと、今読んでピンとこなくても、また30代とかになって読み返す価値はある作品だと思います。僕は最近『カラマーゾフの兄弟』を読み返してみて、人間が書いているとは思えないところがあって、やはりすごいなと思いました。時間がかかってもいいという感覚で、チャレンジしてみてください。

母里
 名作を読むとなると身構える傾向は自分でもあると思います。それから「早く読みたいな」という気持ちも。

久保寺
 『カラマーゾフの兄弟』は哲学者のヴィトゲンシュタインが54回も読んだそうですが、たぶん読んでも読んでもわからなかったんだと思います。そのくらいのものなので、早く読めるわけがない。だから開き直って良いと思いますよ。ドストエフスキーの作品は人類の遺産と言えるほど素晴らしいものだと思うし、笑える小説でもあるので、あまり構えずに長期の休みなどでゆっくり読んだらいいんじゃないでしょうか。


 

 

5.名作のススメ


母里
 海外小説は名作と呼ばれるものが多いですよね。でも学生だと、じっくり読むという気持ちになかなかならないのかもしれません。大学生協の読書マラソン企画でも「大学の4年間で本を100冊読もう」と呼びかけていますが、私はどうしても読んだ数に気を取られてしまい、難しい小説だと読み切るのに時間がかかってしまうので、見切りをつけるのが早くなっているような感じがします。

久保寺
 本が好きだと、読んだ数を気にしてしまうことがあるような気はしますね。「今月何冊読んだ」みたいな。あまり読めていないと、さぼってしまったような感覚があったり。でも量じゃないと思いますよ。ある程度は読んだ方がいいとは思いますが、ヘビー級の小説をたくさん読めるかというと、そうではないと思うので。
 とはいえ僕もじっくり読むのが楽しいと思うようになったのは、大人になってからです。高校3年生の頃は受験勉強をしたくなくて逃避で本をたくさん読んでいましたが、読む冊数を増やしたくて軽いものばかりを読んでいたりしました。数は読んでいたけど、ためになっていたかは疑問ですよね。

母里
 本は数ばかりではないですよね。でも名作だと読むのに時間がかかってしまうので、名作ばかりには手を出せないような感じもあります。

久保寺
 名作の方がむしろ効率がいいですよ。歴史の中でもまれて残っているものなので、ハズレが少ないです。日本文学だと夏目漱石・太宰治・谷崎潤一郎は別格で、何回読んでも面白いです。ずっと小説を読んでいて「今読みたいものがないな」というときに、「超有名作品だけど読んだことがなかった」というものを手に取ってみたらいいと思います。タイトルは知っている作品でも、実際に読まないとわからないものなので。僕は40代になって初めて『赤毛のアン』を読んだのですが、すごく面白かったです。読むものに困ったときに、ぜひ名作と言われるものを読んでみてください。

母里
 そうしてみます。

母里
 大学生の中には小説を書きたいと思っている方もたくさんいると思います。最後に、そんな大学生に向けて一言お願いします。

久保寺
 大学生ということは10代後半から20代ですよね。僕も幼い頃から小説家になりたくて、昔は「若いころにデビューした方がかっこいい」と思っていたんですが、それって過酷だと思うんです。もし20歳でデビューして70歳まで50年間書き続けるということになると、かなり大変です。僕は38歳でデビューしましたが、そのくらいのんびりでもいいと思いますよ。話を作るときって、ピカーンと閃くみたいなことはなくて、限界まで水を吸わせたスポンジからにじみでてくるような感じだと思うんです。インプットがないとアウトプットできない。なので書き続けようと思ったら、まずはたっぷりインプットする必要がありますし、デビューを焦る必要はないと思います。
 あとは、いざ小説を書いたらどこかの小説賞に応募することになるかと思いますが、応募する前に、見る目がある友人に一度読んでみてもらうといいと思います。それで感想を聞いて、ブラッシュアップしてから賞に応募すると良いのではないでしょうか。僕の場合、同じ職場の先輩が先に小説家としてデビューしていたので、その先輩に読んでもらっていました。みなさんも信頼できる読み手を探してみてください。

母里
 本日は、ありがとうございました。

 
(収録日:2019年1月22日)
 

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久保寺健彦さんのお話はいかがでしたか?
久保寺さんの著書『青少年のための小説入門』(集英社)サイン本を5名の方にプレゼントします。下記のアンケートフォームから感想と必要事項をご記入の上、ご応募ください。
プレゼントは2019年4月30日までに応募していただいた方が応募対象者となります。
当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。

 

対談を終えて

作品を読みながら、久保寺さんは本好きな方だなと感じていたのですが、実際にお会いして想像をはるかに上回る読書量に驚きました。様々な書名をすらすらと挙げていかれる様子、小説を書くことに対する真摯な姿勢、最高にクールな作家さんです。また、インタビューを通して、本に関してたくさん考えました。まだまだ小説には私の知らない面白さがありますね。大学を卒業する前に久保寺さんとお話しできて良かったと心から思います。

母里真奈美
 

P r o f i l e

久保寺 健彦(くぼでら・たけひこ)
1969年東京都生まれ。2007年「すべての若き野郎ども」で第1回ドラマ原作大賞選考委員特別賞を受賞。『みなさん、さようなら』(幻冬舎)で第1回パピルス新人賞を受賞。『ブラック・ジャック・キッド』(新潮社)で第19回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。
その他の作品に、『中学んとき』(角川文庫)、『GF(ガールズファイト)』(双葉社)、『ハロワ!』(集英社文庫)など。最新刊は、『青少年のための小説入門』(集英社)。
 

コラム

「生きていこう」と思えるもの

母里
 久保寺さんの作品は『青少年のための小説入門』に限らず、「何か問題のある主人公が居場所を見つけていく」というものが多いなと思いました。何か不自由さを抱えている方や障害を持つ方に対して、優しい感じがします。そのへんのことを意識されているのでしょうか。

久保寺
 自分ではあまり意識していませんが、確かに何らかの不自由さを抱えている登場人物は多いかもしれませんね。今回も学習障害だったり、デビュー作『みなさん、さようなら』(幻冬舎文庫)では「ある場所」から出られなかったり。自分が何を小説に求めているのか、というところだと思います。
 僕は、この世の中は恐ろしいところだと子どもの頃から思っていて……。

母里
 どうしてですか。

久保寺
 子どもの頃「ノストラダムスの大予言」というものがあって、世界は1999年に終わると言われていたんですよ。僕は1969年生まれなので、子どもの頃は「30歳で死ぬのか」と絶望しました。そのときは子どもだからそう思っていたんですが、そこを越えても「やれやれ」という風にはならなくて。いつか人は死ぬんですよ。「死」が待ち受ける「生」をどう全うするかというのは、考えるとすごく怖いですよね。でも生きていたいので、どうやってこの怖い世の中で生きていくかを考えて、それに対する回答を、小説を通じて考えたいと思っています。そしてそれを読んだ人も「生きていこう」と思えるものがいいですね。そうすると物語のスタート地点で何かを抱えていて、それをどうにかしようと悪戦苦闘する話になるんです。主人公を辛い目に合わせているけど、現実はそうだと思うんですよ。それこそリアルとリアリティは違うので何でも書けますが、小説だからといって手放しのハッピーエンドにはリアリティが感じられない。リアリティを出そうとすると「何かを獲得しよう、何とかしようと頑張る」話になります。そういう人が好きなんだと思いますね。
 

登場人物のキャラクター

母里
 小説のキャラクターを作る上で気をつけている点はありますか。

久保寺
 書いている途中で、あるキャラクターが書けなくなるときというのは、キャラクターの表情がわからなくなることだと思うんです。そのキャラクターがどんな表情をしているのかがわからないということは、たぶんそのキャラクターのことをわかっていないということなので、プロフィールから考え直す必要があります。そうすると、それまでに書いたシーンも変えないといけなくなったりすることもある。書いているときはナマモノなので、流動しているんですよ。「こんな感じの人」とイメージを浮かべて書き始めるのですが、はたと顔が見えなくなることがある。自分で書いているキャラクターだから全部コントロールできるのではないかと思われがちですが、そうではないところが面白いんですよね。何故そういうことが起こるかというと、自分の分裂したたくさんの自我が、書いているときに活性化して出てくるからだと思います。自分から出ているんだけど、どこか他者っぽいというか。全て頭でコントロールしているものだと生き生きしてこなくて、作り物っぽくなってしまうので、面白くならないんです。
 

登場人物が勝手に動く、とは?

母里
 小説家や漫画家の方が「登場人物が自発的に動く」とよく仰いますが、読み手からするとどういうことなんだろうと思います。不思議な表現だなと。

久保寺
 自分の中で普段あまり活動していない自我が活性化するようなことなのではないでしょうか。それをキャラクターに仮託していて、勝手に動くと感じるような。ただ作家によって書き方は違いますね。『青少年のための小説入門』はプロットを考えてから書き出したんですが、かなり書き直しをしました。書くというのはぼんやりとしていたイメージを具体化することで、書いていくうちに世界が見えてくるんです。キャラクターが勝手に動くというのは、自分の理想に近づけていってくれているということなのかもしれないですね。ただ自分でそう思っているだけで、実は暴走しているだけなのかもしれない。なので、常に確認しつつやらないといけません。でも発見がないと飽きてしまうし、作品として生き生きしてこないんですよね。

久保寺 健彦さん プロフィール 著書紹介 サイン本プレゼント

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