座・対談
「翻訳物って面白い!」金原 瑞人さん(翻訳家・法政大学教授)P2


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4. 翻訳家の悩める日常


 以前、岸本佐知子さんのエッセイを読んでいたら、「翻訳をしているときに、気付くと全然違うことを考えている」みたいなことが書かれていました。先生が翻訳をされているときの頭の展開が知りたいです。

金原
 自分ではわからない(笑)。


 技術的な問題かもしれないですが、ある程度頭のなかに翻訳のレパートリーがあってどんどん訳していくのか、それともひとつひとつ考えながら訳していくのか、どちらでしょうか。

金原
 翻訳はある意味、職人技に近いところがあります。ある程度経験を積んでいくと手が覚えるようなところがあって、普通に訳せるようになります。経験で身体が覚えていくんです。もちろん作品や文章に合わせて、微調整しながら進めています。


 自分では、英語はわかるけどなかなか訳せないなと思っていて。なので翻訳をしている方は頭の回転が違うのかなと思ったんですが、慣れなんでしょうか。
 


金原
 それはもう慣れですね。そこが作家さんと違うところかもしれません。もちろんそういうルーティーンとして工芸品を作るように作品を書いている人もいるけど、一語一語にこだわりながら世界を作っていく作家は、そのたびに悩んだり否定したり戻ったりしますよね。その結果が作品になる。人によりけりですが、翻訳は原著があってそこから逸脱するわけにはいかないので、職人に近いと思います。
 作家の江國香織さんは翻訳もされていて、対談をしたときに「翻訳と創作、どちらが楽しい?」と尋ねたら、翻訳だと言っていました。「やった分だけ前に進むって、すごくいい」と。創作の場合はどんなに気分がのっているときも椅子に座るのがつらいけど、翻訳だとスッと椅子に座れるそうです。極端な話、創作の場合「昨日まで350枚書いていたのに、書き足そうと思ったら200枚減った」とかもあるわけです。翻訳は元があってそれを他言語にしていく作業だから、創作とは違います。作家さんが「書けなくて締め切り伸ばした」は許されるけど、翻訳の場合だとそれは仕事していないということなので許されません。たまにやっちゃうけど。


 翻訳作業で困ることってありますか。

金原
 訳語に困る例として岸本佐知子さんがあげていたのは「かまぼこ兵舎」という言葉です。これはかまぼこ型の軍隊の兵舎のことなんですが、昔は「かまぼこ兵舎」でよかったけど今はその訳し方で良いのかどうか悩みます。あとは「黒山の人だかり」。その言葉って、日本人の髪が黒いから。あと「この目の黒いうちに」とかもそうですね。そういう言葉の使い方って、翻訳家それぞれ答えが違います。翻訳をしていると、そういう些細なところで考え込んだりすることもあります。


 最近だと、例えばギャグなどは無理矢理訳すのではなくルビとか“()” <括弧>とかで補われていたりしますよね。

金原
 昔は語呂合わせや洒落なども、どう上手く日本語に訳すかが腕の見せどころだったけど、今やるとなんか違和感があって。


 先生のエッセイ集『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(ポプラ文庫)では、翻訳業界は女性が多くあまり男性がいないと書かれていましたが、今もそうですか。

金原
 僕がそこに書いたのは児童書のことですね。確かに当時、児童書の翻訳家は女性が多かったんです。ちなみに出版不況の中、売り上げが横ばいになっているのは児童書だけなんです。翻訳小説は全体に右肩下がりですね。
 しかし、アメリカでは上映される映画はほとんど英語のものばかりで、海外のものはあまりありません。小説もほとんど英語の作品で、翻訳物は少ない。ほぼ英語文化で充足しているのが、アメリカ・イギリスです。なので、エスニックの作家も英語で書きたがります。それと比べると日本は明治の頃から翻訳文化がしっかり根付いていると思います。
 僕が中学高校くらいの頃は日本文学より海外文学の方が面白い時代でした。それがだんだん変わってきましたね。図書館に講演で行くと聴きに来られた方に「日本ものと翻訳物どっちがすき?」と尋ねるのですが、翻訳家の講演なのに翻訳物が好きな方は3割くらいなんです。映画も外国の映画の方が昔は面白かったけど、今は邦画の方が人気ですよね。音楽も、昔は洋楽が人気だったけど、今は邦楽の方が強い。ある意味、日本が文化的に成熟してきたということだと思います。英語圏の人々と同じようになってきているのかなと。僕は翻訳をやっているから、海外の面白いものを伝えていきたいと思っていますが。


 翻訳物が苦手という人もいて、面白いものもたくさんあるのにそこで選別してしまうのは残念だなと思います。

金原
 多分、好みと慣れです。洋画を観るとき字幕で観る人もいるけど、吹き替えが好きな人も多い。吹き替えの口調って僕は苦手なんですが。ちなみにフランスの場合、映画は吹き替えが多いし、イタリアもそうですね。日本人が字幕好きというのは、逆に不思議がられます。

 

5.子どもと大人のあいだに……


 海外作品でも日本の作品でも大学生がメインで描かれているヤングアダルト作品は、少ない印象があります。等身大の大学生が描かれた作品でおすすめのものはありますか?

金原
 大学生ものは、確かに少ない。『ハイスクール U.S.A.』もタイトル通り、ハイスクールものの映画の紹介本ですし、小説も映画も、高校生が多いですよね。


 大学に入ったときに、ヤングアダルトとの断絶を感じたんです。高校ものだらけで、大学生の葛藤を描いた小説があまりないような気がして。

金原
 万城目学さんや森見登美彦さんは書かれていますが、確かに大学生ものは少ないですね。


 ヤングアダルトを卒業すると、その上はすぐ硬い一般向けの文芸書に進むしかないので、「大学生」は結構抜けているエリアなのかもしれないと思います。

金原
 それってすごく良いところを突いています。ヤングアダルト作品(YA)が生まれたのは70年代のアメリカです。日本では80年代・90年代に図書館にYAコーナーができるようになりました。さらにその先の話ですよね。ヤングアダルトと一般書をつなぐ「大学生コーナー」みたいなのがないのは、その通りです。
 そもそも1950年代になるまで「若者」はいなかったんです。『〈子供〉の誕生』(フィリップ・アリエス)は、昔は「子ども」がいなかったという話です。近代に入って社会は子どもと大人の二層構造になります。そして、戦後の経済成長と高等教育の充実で、中高生や大学生人口が多くなると、レコード会社や映画会社が若者向けのものを作り始める。それが50~60年代です。若者が作って若者が聴く音楽が出てきたのもこの頃です。服もそうで、「子ども服」と「大人服」しかない時代がありました。そこに若者向けファッションが出て。社会が子ども・若者・大人の三層構造になったのがこの頃です。なので今大学生YAが抜けているという指摘は、その通りです。大学進学率が50%を超えたのに、そこをフォローする小説がないという指摘は鋭い。



 それでは最後に、読者の大学生に向けてメッセージをお願いします。

金原
 大学では好きなように過ごしてほしい。それから、大学に入ったら一日一行でいいから、日記みたいなものを書いてもらいたい。飲みに行って眠い時は「飲んだ」だけでもいい。そのときに読んだ本のタイトルだけを書いたり、気が向いたら感想を一言書いたり。4年間にどんなものを見たり読んだりしてきたかを書き留めておくと、あとから見返したときにすごく面白いと思います。大学4年間は長い。これは留学する学生によく言うんです。留学するときは「留学先の言語で日記を書け。目に留まった看板でもなんでもいいから」と。でも案外できないんですよ。ふと一回やめるとそれきりになってしまうこともある。


 一旦やめた場合も、あとから見返したら「このとき、さぼっていたんだな」とわかって面白いかもしれませんね。

金原
 手書きだけでなくパソコンやスマホでも良いから、ぜひやってみてほしいですね。


 今日は楽しかったです。ありがとうございました。

 
(収録日:2020年1月15日)
 

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金原瑞人さんのお話はいかがでしたか?
金原瑞人さん・三辺律子さん編集の『BOOKMARK』(CCCメディアハウス)サイン本を5名の方にプレゼントします。下記のアンケートフォームから感想と必要事項をご記入の上、ご応募ください。
プレゼントは2020年4月30日までに応募していただいた方が対象者となります。
当選の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。

 

対談を終えて

中高生の頃、金原先生の訳書をたくさん読んでいたので、お会いできて感無量でした。お気に入りの本の翻訳の裏話も聞けてとても楽しい時間を過ごせました。これからもどんどん素敵な本を日本に紹介していただきたいです。もともと海外文学は好きですが、世界にはまだまだ私の知らない物語が溢れています。『BOOKMARK』をお供に、さらに色々な国・地域の、幅広いジャンルの本を読んでいきたいと思いました。

任 冬桜
 

P r o f i l e

金原 瑞人(かねはら・みずひと)
1954年岡山市生まれ。翻訳家、法政大学教授。
児童書、ヤングアダルト小説、一般書、ノンフィクションなど訳書は550点以上。代表的翻訳作品に、『不思議を売る男』『青空のむこう』『さよならを待つふたりのために』『国のない男』『月と六ペンス』『リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険』『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてるハプアース16、1924年』など。エッセイ集に、『サリンジャーにマティーニを教わった』。日本の古典の翻案に、『雨月物語』『仮名手本忠臣蔵』など。最新刊は『翻訳者による海外文学ガイド BOOKMARK』(共同編集、CCCメディアハウス)。
 

コラム

始まりはアメリカ文学から

金原
 最初の頃はネイティブアメリカンの文学の翻訳とか、メキシコ系アメリカ人の作品を翻訳していました。一方でヤングアダルトと呼ばれる若者向けの作品も翻訳していて……。アメリカの文学に興味があったんです。20 年以上前には、フランチェスカ・リア・ブロックという女性作家の作品も翻訳していました。彼女はロサンゼルス出身なんですが、まさにあの地域の、ゲイ文化、黒人、そういう人々が一緒に住んでいるコミュニティのことをファンタスティックに描いているんです。その頃既に、LGBT のこともおおらかに書いていたんですね。僕はメインストリームから外れたものの翻訳が多いですね。なので移民問題にもとても興味があります。
 

チベット文学の翻訳者 星泉さん

金原
 チベット文学は、今は東京外国語大学教授の星泉さんが訳されていますが、星さんはチベットの農業用語の辞典をつくっているんです(「チベット牧畜文化辞典」)。チベットでは牛の代わりにヤクを飼うのですが、ヤクの呼称だけでも何十もあるそうです。そういったことも分かるその辞典はネットで公開しているそうなので、興味があれば調べてみてくださいね。
 星さんはチベット映画の字幕もつけています。チベット映画を訳せる人はほとんどいないんですよ。
 チベットには「五体投地」というチベット仏教の聖地まで巡礼する旅があるのですが、それはただ歩くのではなく、シャクトリムシのような動きで移動するんです。親戚と一緒に何十人で行くので、食料やテントなどを載せた小型トラックも一緒に。トラックは既に巡礼したことがある人が運転します。朝から夕方まで移動して、夜はテントを張って煮炊きをして、次の日の朝にまた出発して……。それも普通のアスファルトで舗装された道を進むので、途中トラックに会うと食べ物をくれたりするそうです。
 その様子が「ラサへの歩き方~祈りの2400km」という中国人の監督が撮ったチベットの映画で描かれていて星さんが字幕監修をしているので、観てみると面白いと思いますよ。
 ちなみに五体投地、この映画では、一年かけて旅をします。でも、帰りはバス(笑)。そういうところも面白いですよね。昔は歩いて帰ったものだと思いますが。

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