NHK Eテレ「100分de名著」は『izumi』読者の中にもファンが多い番組。今回の「座・対談」は、番組プロデューサーの秋満吉彦さんに、番組や名著について、また秋満さんの人生と本とのかかわりについて、たっぷりお聞きしました。
秋満 吉彦さん プロフィール 関連書籍紹介
1. 若い世代に観てほしい
NHKテキスト
100分de名著 2021年3月
『100分de災害を考える』
NHK出版/定価576円(税込)
河本
まず、「100分de名著」の番組のコンセプトについてお聞かせいただけますか。
秋満
「100分de名著」は、2011年、東日本大震災の直後にスタートしてこの3月で丸10年を迎えます。2010年に 「一週間de資本論」という実験的な番組があって、当時担当していたメンバーがこれをレギュラー番組にできないかなというところから、「1週間」を毎回やるのは大変なので、ひと月に一冊、 25分×4回というスタイルで立ち上がったそうです。
立ち上げ当時は、僕は一視聴者として観ていて、一冊をこんな丁寧にやるなんて凄くいい番組だなと思っていました。基本的に古典の名著をわかりやすく入門者向きにお伝えする、当初は定年退職を迎えて若いころにじっくり本を読めなかったけど時間ができた60代以上の人たちを中心に学びのきっかけを与える、というコンセプトで始まったと聞いています。その頃、ちょうど『超訳 ニーチェのことば』だとか『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』といった過去の名著をわかりやすく解説する本がブームになっていて、そんな動きに合わせて始まったようですね。最初はあまり人気が無かったんですけど、徐々に河本さんのような熱烈なファンができてきて、今に至っています。
僕がプロデューサーに就任してから変わったことは、一つはファン層が若返りました。少しずつ増えているという実感を得ています。60代以上の視聴者ももちろん大切ですが、自分も若い頃に本から影響を受けて凄く人生が変わったので、皆さんのような10代、20代の人たちにも読んでもらって糧にしてもらえたらなと、そうやって若い世代にシフトしていきたいというのが理想です。
もう一つは、かつて取り上げられていた本は定番と呼ばれる「世界の名著」に限定されていたと思うんですが、今はラインナップをご覧いただいてもわかるとおり「なんだ、聞いたことのないこの本は? なんでこの本?」という作品も入ったりしているでしょ。僕が担当してからは、知る人ぞ知る作品も掘り起こしたいという方向に舵を切りました。
そのために、やっぱり前任者たちが作ってくれた「100分、1回25分」というフォーマットは凄く良いんです。難解な本とか深い文学ものをいきなり詰め込んで、100分ドーンと出しても、途中で集中力が切れちゃうんですよね。それを(MCの)伊集院光さんの力もあってとても身近なところに持っていきつつ、「えっ、もうここで終わり?」と物足りなさを持たせて、「ほら、一番いいところ終わったでしょ?」みたいなところで次の週につなげるという仕組みは、この番組の最大の武器だと思っています。あまり長時間サイズの大ドキュメンタリーみたいな番組を作っても若い人は観ないじゃない? だけど前任者が本当にいいコンセプトで作ってくれたので、私たちとしてはこれを受け継いでさらに発展させて、それを視聴者に観てもらって、名著も読んでもらいたい。宝の山が目の前にあることにぜひ気づいてほしいなと思います。
2. 「名著」の選び方
河本
番組で取り上げる「名著」に何か基準はあるのでしょうか。
秋満
僕なりのキャッチフレーズがあって、「名著は現代を読む教科書である」というコンセプトなんです。名著は今も生きているということを伝えたいな、と。今起きていることとか皆さんが生きている上でぶつかる苦悩だとか壁だとかに対して、何らかのヒントだったり、今の社会がもっとクリアに見えてくるみたいな、社会を見る目を養えたりと、皆さんの生き方にダイレクトに訴えかけていくような本こそが名著ではないかなと、そういう基軸を立てて本を選んでいます。ただ、文学、宗教系、哲学系、中国の古典などあらゆるジャンルがあるので、僕は哲学が好きなのでほっとくと思想書とかに偏りそうですが、「現代の教科書」という基軸をブラさない形で、偏らないように計算をしながら選んでいます。
特に2月は「誰も知らないかもしれないけど、ずっとやりたいと思って温めていた本」というのを取り上げることが多いんですよ。今(2021年2月)放送しているフランツ・ファノンの『
黒い皮膚・白い仮面』なんて、皆さん知らないでしょ。企画会議の時もね、「誰ですか、それ」という反応でした。ヴァーツラフ・ハヴェルの『
力なき者たちの力』(2020年2月放送)も、翻訳されたばかりの作品でしたね、原典は1980年代後半の作品なんですが。ハヴェルなんて、僕の就職活動時期にはもう英雄ですよ。チェコスロバキアを民主化した立役者ですし、その当時は劇作家で大統領という凄い方でした。ただほとんど知られてない。そういえば、オルテガの『
大衆の反逆』(2019年2月放送)なんて一世を風靡した本なんだけど、今はあまり読まれていませんね。『大衆の反逆』は、民主主義の危機についてオルテガが書いた本ですが、大衆化することで一見民主的になっているように見えて、実は人々が欲望のままに動くことで、むしろ高貴な精神が台無しになって民主主義が崩壊しちゃうという話。ポピュリズム分析の嚆矢みたいなものですね。また、『力なき者たちの力』はトランプ政権に代表される全体主義的な社会にあって、市民はどう抵抗していくかということを非常に緻密に、実際に基づいて書いています。
『黒い皮膚・白い仮面』は基本的にBLM(Black Lives Matter)のことに触発されたんだけど、差別の問題──もちろん人種差別もあるけど──最近話題の女性の差別だとか、アジアの国々の人たちの差別は私たちも当事者なので、絶対やりたいなと思っていました。おかげさまで、予想以上にとても反響が大きいです。というように、やるべき時にやるべき本を入れようという感じで、狙いをすまして取り上げています。
河本
番組を観たりテキスト読んだりする時も、自分の日常や価値観、生き方をその本の訴えていることと照らし合わせて正しいか、間違ってないかという点検の場に知らず知らずのうちになっています。だからこそ定番といわれる名著よりも、秋満さんが推す、まだあまり知られてないような名著の選び方は凄く参考になるなと思いました。
秋満
そればかりやっているとマニアックな番組になってしまうので、大名著もちゃんと入れていますよ。なので、皆さんバランスの方も見てくださいね。
千羽
ちなみに、3月は何を取り上げますか。
秋満
3月は主に、スペシャル的な意味合いを込めて作ります。たとえば、司馬遼太郎や松本清張、宮沢賢治、夏目漱石とか、一作に絞れない巨人の代表作を──週1で最低一冊というのはかなり力技なんですが──4作品ぐらいからその作家の全体像に迫るというシリーズをここ何年かは作っています。今年はさらに変化球で……東日本大震災から10年ですよね。この番組は震災の直後から始まっているので、節目にはちゃんと震災と向き合いたいなという思いがあって、その名も「100分de災害を考える」という企画をやります。今回は作品どころか、作家すらバラバラです。全部が災害を考えるための作品で、寺田寅彦の『天災と日本人』と柳田邦男の『先祖の話』、セネカの『生の短さについて』、池田晶子の『14歳からの哲学』を25分ずつ、というスタイルでやります。これも二年越しくらい、ずっと温めていた企画なんですよ。『天災と日本人』は震災の話、『先祖の話』では死者の話をするんですけど、『生の短さについて』は時間論、『14歳からの哲学』は「考えること」とか「自己とは何か」という話。前半の2つがダイレクトに大震災につながる話で、後半の2つは、今の新型コロナも或る種の災害なので、そういう状況の中で震災はもちろんコロナにもどう向き合っていくか、みたいなことをやりたいなと思っています。
千羽
「災害について考える」というテーマを先に置いてのスペシャルなんですね。
秋満
そういうことです。これも観ていただきたいですね。
3. 人生を変えてくれた本
岩田
秋満さんの著書『
行く先はいつも名著が教えてくれる』を興味深く読ませていただきました。このなかで、秋満さんが紹介している名著はわりと哲学書的な本が多いという印象を受けたのですが、哲学書以外に小説で特に気に入っている本は何かありますか。
秋満
その本は「人生に影響を受けた本」という縛りがあったのでこういう選書になりましたが、僕は小説も結構読みますよ。中高大ぐらいの頃はSFも大好きで相当読んでいました。ですから、番組でもSFの中からアーサー・C・クラークや小松左京をスペシャルでやったり、スタニスワフ・レムの『ソラリス』をやったりしています。大好きで何度も読み直している本をあえて一冊挙げるとすると、定番すぎてがっかりされるかもしれませんが、ドストエフスキーの『
カラマーゾフの兄弟』ですね。皆さんはお読みになりましたか?
千羽
僕は読みました。相当しんどかったですが。
秋満
凄いね。僕ね、実は中高大で3回チャレンジして全部挫折しているんです。でも、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫さんの訳が凄く読みやすくて、あれで40代になってから初めて読破できたんですよ。だから、影響を受けたというとちょっと恥ずかしい限りですが、今は時々好きなところを読み直したりしています。好きなのは「大審問官」というアリョーシャとイワンが対話するところなんですけど、何回読んでも未だに意味が分からなくて。
この本を読んだ頃、実は凄くひどい目に遭っていて、初めて心底人間を憎むという状況に陥ったことがあったんですが、凄く重なったんですよ、この作品と。
自分の中には性善説的なところがあって、「基本的に人間はいい人のはずだ」という気持ちがあったんですが、どんな人間にも天使と悪魔が棲んでいて、時に何か鎹が外れると悪が暴走するのではないかと思えた。それはコロナを見ていてもそうですよね。みんな普段は善良な人だけど、こういう危機的な状況になった時に買占めに走ったりとか、人を攻撃したりとか、自粛警察なんてもとは善意で社会のためを思って正そうという行為が行き過ぎて人を苦しめるみたいなところがある。
『カラマーゾフの兄弟』ってね、リアルに天使と悪魔がひとつの心の中に共存しているという姿をそれぞれのキャラクターでうまく描いていて、読むだに凄いなあと思うんです。もっとも善良であるアリョーシャが実はもしかしたら悪い奴なんじゃないかとか、最も悪いと思っていたドミートリーがめちゃめちゃ実はいい奴なんですが、それぐらい人間は一筋縄ではいかない。人間は複雑で悪と善が入り混じっていて、それがいろんなきっかけで善になったり悪になったりするっていう人間模様をあれほど奥深く描いた作品はなくて、読んで救われたんですね。僕を貶めようとした人も完全な悪人ではなく、その人にも善があってたまたま何かのきっかけでブレーキが効かなくなったのでは、と。きっかけはわかりませんが。だから、そんな危険性は誰にもあるよ、人間は最初から善じゃないですよ、だけど、悪とも限らなくて、善の部分を伸ばしていくということを永久にやり続けるしかないのだと、たぶんドストエフスキーは言っているのだろうと思います。
でも、これは僕の一面的な読み方です。こういう見方もできるし、未だに異物を飲み込むような、心の中で消化できない部分もいっぱいあるんですけど、いついかなる時に読んでもなにか問いをくれる本です。読み返すたびに発見がある。だから万人にオススメできる世界の名著です。
岩田
繰り返し名著を読むということですが、年齢によって感じ方や見え方に変化があった、とかそういう経験はありますか。
秋満
これはとても大事なことで、皆さんには、心に引っかかった本はぜひ繰り返し読んでもらいたいなと思っているんですよ。
僕は過去に読んだ本を番組で取り上げる時に再び読んで新たな発見があるという経験を何度もしているんですけど、人生においては、『
星の王子さま』なんて最初に読んだ大学生の時は、つまらなかったんですよね。みんなが名著というから読んでみたけど、最初は凄く嫌な印象だったんです。何が感動するんだろうって不思議だったんだけど、社会人になってからは行き詰まった時に読むと人生と直結して、この本によって友達を一人失わずに済んだんですね。『星の王子さま』は確実に変わる本ですね。
また、『
生きがいについて』(神谷美恵子)は学生時代に、テレビ番組がきっかけで読みました。学生時代は学術的に読んでいました。「生きがい」をこんなふうに学問できるんだなとか、時々シュバイツァーみたいな凄い偉人の話が出てきたりして面白い本だなと思って読んだんですけど、40代でこの本に再会した時には、もうグサグサ刺さったんですね。僕がその時に一番引っかかったのは「待つ」ということ。「待つ」って凄くマイナスな感じがするけど、神谷美恵子は、「待つ」ということが「創造的な営為だ」ということを書いているんですね。ジョン・ミルトンって政治活動を頑張った人で、最終的に『失楽園』という素晴らしい作品を書くんですけど、政治活動に力を注ぎすぎたのか失明してしまうんですね。その失明を経ての『失楽園』なんですよ。彼は「待つ」という創造的なエネルギーを熟成する期間があったからこそ、あれだけの大作を書くことが出来たんですね。あのままずっと目が見えていたら、あの作品は書けなかったかもしれない、と神谷さんは書いているんです。僕も「待ち」の時があって、もう焦って焦って空回りした時に読んで、「今は『待ち』なんだ、待つことが大事なんだ」ってその本で思い知らされて、その期間を前向きに過ごせたんですね。ほんの一節なんですけど、あんな分厚い本からその一節がバーンと目に飛び込んできて、「あぁ焦らなくてもいいんだ」ということを神谷さんが教えてくれました。
だから若い頃は印象にも残ってない一文が、ある時にリアルに胸に迫ってくる瞬間がある。読み返すと今でしかわからないことや発見できることが必ずあるので、皆さんも30代、40代になった時に秋満があんなことを言っていたなって思い出していただけたら。今読んで感動した本を読んでみるというのも手かもしれませんね。本当におすすめの読み方です。
P r o f i l e
秋満 吉彦(あきみつ・よしひこ)
1965年生まれ。大分県中津市出身。熊本大学大学院文学研究科修了後、1990年にNHK入局。ディレクタ一時代に「BSマンガ夜話」 「土曜スタジオバーク」「日曜美術館」「小さな旅」 等を制作。その後、千葉発地域ドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」「100分de日本人論」「100分de手塚治虫」「100分de石ノ森章太郎」「100分de平和論」(放送文化基金賞優秀賞)「100分deメディア論」(ギャラクシー賞優秀賞)等をプロデュースした。現在、NHKエデュケーショナルで教養番組「100分de名著」のプロデューサーを担当。
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著書に『仕事と人生に活かす「名著力」』(生産性出版)、『「100分de名著」名作セレクション』(共著・文藝春秋)、小説『狩野永徳の罠』(「立川文学Ⅲ」に収縁・けやき出版)、『行く先はいつも名著が教えてくれる』(日本実業出版社)がある。
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