座・対談 @ オンライン
学びを深めて、「みらい」をひらく
荻上 チキさん(評論家)

 



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1. ふたりの著者

荻上チキ・ヨシタケシンスケ
『みらいめがね』
暮しの手帖社/定価1,650円(税込) 購入はこちら >

 

荻上チキ・ヨシタケシンスケ
『みらいめがね2
苦手科目は「人生」です』

暮しの手帖社/定価1,650円(税込) 購入はこちら >

光野
 『みらいめがね』(以下、『みらい1』)、そして最新刊の『みらいめがね2』(以下、『みらい2』)を読ませていただきました。日々の情報発信や様々な社会活動をされている荻上さんの、ものの考え方や見方、そしてラジオでは気づかなかった荻上さんの意外な一面を知ることができて良かったです。
 このシリーズは、荻上さんがエッセイを書き、ヨシタケシンスケさんが荻上さんと同じテーマでイラストを描く、という形で各章が構成されていますよね。例えば荻上さんがおばあさんとの思い出を綴ったら、ヨシタケさんがご自身のおばあさんとのエピソードをイラストで描くというように。それがこの本の特徴であり魅力だと思いますが、一つのテーマに対する奥行きが広がって、とても貴重な、そして楽しい読書体験ができました。
 

荻上
 これはもともと『暮しの手帖』の連載を本にまとめたものですが、連載の最初の打ち合わせの時に「どなたか挿絵を」という話がありまして、僕の一番好きな絵描きさんがヨシタケさんだったので、彼の名前をあげたんですね。そして実際に原稿を書き始めて仕上がったものを見ると、挿絵ではなくてダブルエッセイの格好になっていたんです。僕があるお題について書いた上で、それにインスパイアされたヨシタケさんが7コマのイラストで物語をお描きになる……それは僕が意図したわけでもなんでもなくて、自然にできあがっていきました。だから、連載も本も「挿絵・ヨシタケシンスケ」とはなっていません。あくまで二人の名前が横に並んでいます。結果として僕が書いたテーマを膨らませて、また違うメガネをかけた存在が世界観を提示するような、そんな形になりましたね。


光野
 自分の書いたエッセイに対してイラストの物語でレスポンスが返ってくるのって、すごく楽しそうですね。ヨシタケさんに描いてもらうことを前提にエッセイのテーマを考えたり、荻上さんがヨシタケさんの絵に影響されたりということはありましたか。

荻上
 影響を受けることはないですね。エッセイは僕が先に書きますし。論評であれば何でも書けるんですけど、エッセイでは自分の中にあるものしか書けないので、ヨシタケさんに合わせて何かテーマを絞るということも考えたことはなかったです。もしヨシタケさん好みのものを書こうと考えていたら、ホロコーストや香港弾圧の話は書かなかったと思いますし、それは逆もまた然りで、ヨシタケさんがナチュラルにホロコーストのことを描くということもなかったと思います。

光野
 『みらい2』の中で《香港のデモと奪われゆく日常》のイラストが僕は気に入っています。文章とのバランスがすごく取れていて、両方あるからこそ味わえる感覚がありました。これを読めて本当に良かったです。

 

 

2.「弱さ」を吐き出すには

光野
 次は本の内容についてお聞きします。『みらい2』には、「弱さ」と「言葉」の2つのテーマが隠されていると感じました。まず「弱さ」についてお聞きします。
 荻上さんは『みらい2』の《まえがき》にも「剝き出しの素顔を晒している」とあるように、「みらいめがね」シリーズでは、荻上さんの過去の被害経験だとか広い意味での加害経験、そして現在抱えている葛藤などが綴られています。その中には、僕だったら書くのを躊躇ってしまいそうな内容もありましたが、荻上さんはそれを文字にして晒すことに躊躇いはなかったのですか。

荻上
 『みらい1』の3章で「うつ」の話を書いているんですけど、この時は、もう他に何も書けなかったんですね。闘病していて本も読めないし、出かけられないし、人とも話せないし、人と出会うと「殺される」というくらいの感覚で、とにかく何度も死のうとしていて自分の命のことしか考えられない状況でした。でも、締め切りはやってくるわけですよ。だから、もう、それをそのまま書きました。すると、担当編集の方からは「大変ですね。でもよく書いてくれました」と。それが掲載された後には結構いい反応をもらい、知り合いのカウンセラーにたまたまお会いしたときに、「患者の目線で内面が書かれているのを興味深く読んだ」と言っていただきました。ここで一度全部書いてしまったので、そのあとはもう怖くはないです。
 とはいえ、文章を書くというのは、怖い作業ではあって、間違えて伝えるとそのまま間違いが拡散するし、伝えたいことを上手に表現できないと意図しない形で受け止められて、場合によっては攻撃をされるということもあるわけですよ。だから、エッセイに限らず自分の考えを示すことには、一定の緊張感があります。
 誰かが顔を出して、名前を持ちながら書いた方が良いな、と思うテーマがいくつかあるんです。匿名で書くと、その投稿だけの人になりますよね。例えば仕事で悩んでいるという匿名の投稿には、「この人は仕事に悩んでいるのか。じゃあこうすれば」って考えますよね。でも、その人にはその人の人生があって、別の側面を持っている。あるところでは同情できるけど、一方では共感できないという人も当然いるわけですよ。そういう人間性を出すためには、やはり自分の生々しい面を出すのがむしろ大事ではないかなと思うので、役割として、怖いし嫌だけど名前も顔も出して書こうとは思っています。

光野
 顔と名前が出ることで、いろんな側面が映し出されるというのは、そう思います。例えばうつ病の人の話を描いたドラマでは、基本的にうつ病を抱えている部分がクローズアップされてステレオタイプな映し方になりがちですが、思い返すと、荻上さんがうつ病について書かれた頃、ラジオ番組とかではしっかりと話されていましたよね。なのに、裏ではうつ病に悩まされていたということをこの本を読んで初めて知って、僕はやっぱり一面しか見ていなかったんだなと思いました。

荻上
 ドラマとかでも、最初からその病気の設定という人ではなくて、後半になって状況が変わるという映し方ってありますよね。例えば「あまちゃん」という朝の連続テレビ小説(NHK)がありましたが、あのドラマで震災が起きるのは物語の後半でした。前半に登場人物たちのキャラクターが一通り描かれて、その先に3.11がやってくるので、視聴者はあたかも被災地にいる友達を心配するかのように、登場人物たちを心配する。しかも主人公は東京で地震に遭うので、東北の様子が分からないんですね、あえてカメラもその様子を映さない。ワンエピソードまるまる、心配し続ける東京の様子を描くことによって、岩手にいる他の登場人物たちの安否を案じる感覚をドラマが視聴者に提供するんです。一話で震災の話をやるのは難しいと思いますが、逆に一話の中に震災のエピソードがあるドラマであれば、被災者にはそれぞれ人生があるという読み解き型のものになります。「あまちゃん」型だと、非常にシンパシーを抱いた人間が被災者になった時に身近な相手として心配をするという経験をします。というように、表現にはいろんなやり方があると思うんですけど、僕のエッセイもせっかく連載という形式になっているので、「こんな側面もあるんだよ」ということを伝えるようにしています。ただし、内面の話を毎回は書かないと決めているんです。たぶん内面の話を入れる「ヘビー」な話は四回に一回ぐらい、それぐらいの配分になっています。

光野
 連載にはそういう配慮もあったんですね。


光野
 SNSが発達して、自分の好きなものや強みを吐き出す場所はたくさんあるのに、自分の弱さを吐き出す場所は少ないなと感じています。あと映画を観ていると、『アベンジャーズ』とかではヒーローがセラピーに行く描写がよく出てきますが、日本の映画にはそういうシーンが少ないなと感じていて、日本の社会はまだ弱さを語りにくい国なのかなと個人的に思います。僕は将来、「弱さを誰でも語れる社会にしたい」とすごく思っているのですが、そのような社会にするにはどうすればいいと思われますか。

荻上
 SNSが登場して最初の頃は、憎悪とか攻撃とかネガティブな発言が多かったけれど、「ここに行ったら楽しかった」とか「ここは楽しいよ」というキラキラしたもの、ワクワクする投稿も増えましたよね。同時に、他人を褒めることとか、自分を説明する、セルフケアということがじわじわとではあるけど広がっていると思うんです。
 社会からなるべく褒め合いを増やし、そして弱さを出すということをするためには、「やって見せる」ということが必要になります。そういう意味ではみんなで「せーの」でやればいいんじゃないかなと思いますが、一気に広げるのは難しいので、「とりあえず先にやっておくね」みたいな格好でいいと思います。

光野
 自分から少しずつ行動してみた方が良いということなんですね。

荻上
 どこかに書きましたが、「自己開示」と「自己呈示」は違うということです。自分のありのままを出すのが「自己開示」で、「自分をこのように見て」という風にプレゼンするのが「自己呈示」ですよね。「デジタルナルシシズム」という言葉を使って分析をする人がいらっしゃいますけれども、インスタグラムがそれに近いでしょうか。自分の日常の中で特に輝ける瞬間とか思い出の瞬間を切り取って、アルバムのようにストックしていく。それは他者に対する自己呈示だし、未来の自分に対する自己呈示でもあるわけですよ。
「あなたはこの時間にこんな楽しい思いをしていましたよ」という面もあって、それはそれでセルフケアのためにもとても重要だと思います。
 一方で自己開示をして「自分にはこんな悩みがある」ということを書くのは別のメディアが必要になりますよね。そのチャンネルをいきなり不特定多数の人に開示すると生身の人生を出すことになるので、相手を選ぶ必要があります。たとえば、LINEとかフェイスブックとかの鍵を付けたアカウントを使って開示するといいでしょう。開示はなかなかシェアされにくく、親密圏の外からは見えにくいところなんですが、それでもじわじわと、いろんなところで自己開示できるコンテンツが出てきているので、毎日のセルフケアとか、どこかに書き出して褒め合うということが必要なんだよということも、いろんなプラットフォームで明文化するようにしています。

光野
 自己呈示だけじゃなくて自己開示も必要というお話は、僕がずっと思っていたことを言葉にしてもらったような感じがして、すっきりしました。

 

 

3. 「言葉」を扱う

光野
 それでは、もう一つのテーマ「言葉」についてお聞きします。『みらい2』の《道具の魔力》の章では、物事を説明する上では場面に適した言葉を自覚して使うことが大事で、そうでないと人を傷つけてしまう恐れがある、《趣味はつらいよ》の章では自分の感情を出すのが苦手な人はまずシンプルな言葉から吐き出すといいんじゃないか、というようなことが書かれていて、言葉についていろいろ研究されているんだなと感じました。荻上さんはラジオや執筆などで言葉を扱うお仕事をされていますが、言葉を扱う上で、意識的に気をつけようとしていることはありますか。

荻上
 「規範の言葉に頼らない」とか、「少しでも誰かを踏みつけるような時は足をどける」みたいなことでしょうか。最近選挙が近いので、「いろんな一票の投じ方があると思う」という話をしたんです。その時に、「例えば『この党に頑張ってほしい』という投票の仕方もあれば、『この党にお灸を据えたい』という思いで投票してもいい」みたいなことを喋ったんですね。そうしたらツイッターに、鍼灸師の人が「『お灸を据える』って慣用句になっているけど、本来は健康にするためのものだ」ということを書かれていて、それもそうだなと。 慣用句やことわざとしてナチュラルに使っているけど、何か別のものに別のイメージを付与するものではあるなということに気づかされたので、言葉を使うシーンではより慎重になります。こういうときに、論点とか気付かなかったところを指摘されると、人は多分、結構な割合で「知らんがな」みたいな気持ちになるわけです。僕もあとで「こうだったんだよ」って言われると「もう知らんがなって言いたいぐらいだわ」と思うけど、「言いたいぐらいだわ」で一旦とどめて、「とはいえな」と何回か呟いて受け止めます。すぐに突っぱねないようにと、意識はしていますね。

光野
 荻上さんでも、時には「知らんがな」と思われるのですね。すごく気持ちが楽になりました。この「みらいめがね」シリーズは弱さを抱えて吐き出したいと感じている人とか言葉に敏感になっている人にはすごい力になる本だと思いました。


光野
 荻上さんはラジオの生放送で、ご自分の意見とか人の話を要約して瞬時に伝えるのがめちゃめちゃ上手で、本当に凄いなと思って聴いています。なにかコツはあるのですか。

荻上
 どうなんでしょう。ちなみにラジオをやっていると、そんなにまとめないでくれという反応もありますよ。だから、まとめることがいいことかどうか分かりません。でも、「いまのままだとわからないだろうな」と思えば、「今のはこういうことですね」と伝えることもあります。要所要所で、だと思います。
 まとめるスキルは、僕の場合は、哲学とか文学理論とか、思考そのものの類型を学ぶことで身に着きました。例えば「フェミニズムは男性中心主義のカウンターである」ということを知っていれば、誰かが何か発言した時に、「これは何に対するカウンターで発言をしているのか」というのを図式的に理解できるし、その権利の主体がこういうジェンダーの問題について取り組んでいるんだなということを考える為にも、やはり理論的な枠組みを身につけておいたことはとても役に立ちました。
 同時に、個別の知識も土地勘のようなもので、例えば一つの会話の中に三つわからない単語が出てきたら要約するのは無理ですよね。でもその中にいくつかの概念を使って説明されている方がいたら、「今のはつまりこういうことですね」と、相手の言葉を開くことによって伝わるということもあるわけです。先日ラジオで、魚豊(うおと)さんという漫画家さんにゲストで来ていただいたんですけど、その方が「オプチミストなんです」という話をされていて、「それは楽観主義者ですね」というようにカタカナを開くということはやります。ちょっと複雑な話でも、「これはこういうことですか」と尋ねてみて、それが違っていたらどう違うのかを語れるようになったりするわけじゃないですか。「いやそれではなくて、むしろ」と言われれば、それではないんだなということも伝わるし。だからこの枠組みが合っているかどうかわからない時も、自分なりの解釈をまとめて「こういう事で合っていますか」と尋ねてみることで話を詰めていくんです。まとめるのが上手いかどうかはともかく、自分は理論と知識をたよりにしてまとめ、提示する、ということで会話を先に進めるようにしています。

光野
 理論をあらかじめ知っておくことは、確かに人の話を要約する上では大事なことですね。僕は荻上さんのラジオで議論に置いて行かれそうになった時に、荻上さんのまとめる力に本当に助けられています。

 
 
P r o f i l e

写真提供 荻上チキさん

荻上 チキ(おぎうえ・ちき)
1981年兵庫県生まれ。評論家。メディア論を中心に、政治経済、社会問題、文化現象まで幅広く論じる。NPO法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事。一般社団法人「社会調査支援機構チキラボ」所長。ラジオ番組「荻上チキ・Session」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。「荻上チキ・Session-22」で、2015年度ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞、2016年度ギャラクシー賞大賞を受賞。
著書に『未来をつくる権利 社会問題を読み解く6つの講義』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識』(PHP新書)など多数。

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